四日目の朝 (2)
「まず、何か腹に入れないとな」
朝から用意してあった、アユムのための水のようなおかゆを、キトパが静かにアユムにわたした。少し温めてある。アユムはベッドの上で半身を起して、これを口に入れた。
「おいしい」
「ふむ。それはいいことだ。おいしいと感じられることは」
何もおかしいことはなかったはずだが、やっぱりキューイポはここで言葉を切って、少し笑った。
アユムが食事を終え落ち着くと、「じゃあ、始めようか」。キューイポはアユムの手首をつかみ、じっと目を閉じて、キトパに何かを伝えていく。キトパはカリカリと書き、それを、ラミルが読んでいく。
「血は黒と草の緑を足した色で、塩がきき、流れは中ほどが早い。外側も同じ流れになりつつある」
ラミルが伝えたことがらは、へんてこな内容だった。それをラルがアユムに伝えた。
「切って、血が出ているわけでもないのに、色や流れがわかるのかなあ」
アユムは、少し疑う気もちもふくめて、ぼそぼそ言った。
キューイポが、ごつごつの手で、いきなりアユムの手のひらを広げて、自分の手首をつかませた。
「目を閉じてごらん」
キューイポの言葉はラミルが伝え、ラルがアユムに話す。ラルがわかる時もある。通訳二人を通して、ときには言葉を確認しながら、たどたどしく会話は進んだ。
「わたしの血の流れを感じるかい?」
アユムは何かを聞くように、自分の手に意識を集中して耳をすませてみた。
「なーんにも。脈はドクドクいっているけど…血が流れているかどうかなんて、わかりません」
キューイポは、聞いたとたんに吹き出して、うずくまって、笑ってしまった。それは、アユムには、笑っているようには見えなかったから、
「ど、どうしたの? この人、ぐあいが悪いんじゃあないの?」
と、あわてた。それを聞いて、キューイポはもっと笑ってしまって、しばらく三人は、ぽかんとそれを見つめていなければならなかった。
「そのドクドク。さ。血の流れだ。心臓が規則正しく送り出してくれる。その流れでわかることがあるのだ。身体というものは中も外もいろいろな流れでまとまっている。そのどれかが速すぎても遅すぎてもいけない。秩序はその人その人ごとに違うが、まとまりを保つ成り立ちは同じだ」
キューイポは笑いながら説明した。わけがわからなかった。
「手紙に書いた、君のお兄さんかもしれないっていう人はね、この人なんだ」
ラルが言うと、アユムが目を丸くした。
「えーっ! うそだよ! この人、日本人にさえ、見えないじゃないか! それにすごく年をとっている。白髪頭だし…。兄さんはまだ二十歳を過ぎたばかりのはずだ!」
キューイポは、これでまた腹をかかえた。そして、やっと
「どうやら、わたしの血は、君の血と同じ場所をあらわしている。それも、とても近い関係をね」
と、言った。
アユムは、言葉を失った。
「ヒュッヒュッヒュッヒュッヒュッ…。似ているとも言えるが、だからといってドンピシャというわけじゃあない。血というのはね、そのままの部分と、変わっていく部分とがあるのだ。そりゃあ、違うものを食べて、違う所に住んでいるのだから、違うこともたくさんあるさ。ただ、もともと血にあったものがとても似ているようだな」
「そうだとしても、兄さんでないことだけは、たしかだろ!」
「そうとも言える」
ここでまたキューイポがひと笑い。そして、下からアユムの顔をのぞくように、じっと見つめた。
白くにごった片目が、小さく動いている。アユムは、のどをしめつけられたように、息苦しくなった。
「それでは、君の物語を言ってごらん。お兄さんについての思い出でもいい」
キトパは、顔も上げずに、なにかをすごい勢いで、血帳に書いていた。
「ぼくと兄さんと両親は、むかしサルーパで暮らしていました」
「なんでだい?」
と、キューイポが聞いた。
「父は医者で、へき地の…、医者の少ない所の人を助ける医者になりたいと思っていました。マンドゥリには、病院があったけれど、まだ医者の数が足りないし、医療も遅れているということでした。外国から優秀な医者が来ることを望んでいて、国の援助機関が医者を探していたという話です。父は学生の時にサルーパを旅行したことがあり、マンドゥリなら家族で住んでもいいと思って、やって来たそうです」
一気にここまで話すと、アユムは少しめまいを感じて、目を閉じた。
キューイポのゴツゴツの指が、アユムのまぶたを触った。
「なにか、兄さんのことで、覚えていることはないのかね」
「右手の甲に、傷があったと父さんが言っていたけれど…」
キューイポは両手を差し出し、アユムはこれを見てぎょっとした。右手の人差し指、薬指、小指は半分くらい切れていて、左手の親指も半分しかない。そのほかにも、大小の傷がたくさんあった。
「どの傷かね?」
こんな傷だらけの手でいったい昔の傷がわかるというのか? まったくバカげている。アユムはなんだかひどくがっかりして、横になり、また目を閉じた。キューイポといえば、その間もヒュッヒュッヒュッヒュッと笑ってばかりいて、ほかの人はすっかりシラケていた。




