ラル (2)
「いったい、その血院にどうして? 兄さんがいるなんて…」
「ラルにはラルの考えの筋道があるのだ。何度聞いてみても、ぼくにはなぜそれで信じることができるのかわからない。話がひどく飛んでいるのだ。そもそも噂話のようなものだし…。でも、ラルが真剣にぼくに訴えて、ぼくに一緒に行ってくれと言った。何度も何度も。でもぼくにはどうしても行く気がしないのだ。そんなあいまいな情報で、何日もここの仕事を放って出かけるなんてことはできない。
ラルのことは好きだし、大事に思っているし、いつだって幸せを祈っている。でも、それとこれとは別の話なんだ。
一人で行ったらいいじゃないか、とぼくは言った。でもそれではだめなんだ。ラルはぼくの家族のだれか、ススムとつながるだれかと一緒に行って、自分が正しいことを証明して、そして、きっと、楽になりたいのだろう」
「そう言われても…」
「アユム、君はまだ若いから信じられる柔らかさを持っている。頭の中に何でも入る袋のようなもを持っていると言ったらいいのかな。たしかに、ぼくにも昔あったものだ。それはわかる。でも、悲しいけど、ぼくにはそれはもうなくなってしまったんだよ。きっと君の方がずっと、ラルの気持ちを受け入れられる」
「はあ?」
ぼくは、思わず声を上げた。
父さんは、またカラカラと大声で笑った。ぼくはちっともおかしくなかった。
「いったい、そこで兄さんがどうしていると言うの?」
「血師をしているというんだ」
ここで、父さんはまた腹をかかえて笑った。
ぼくはあきれてしまって、少し悲しくなった。こんなやりとりを聞いたら、ラルさんはなんと思うだろう。絶対に聞かせられない。なんだか、ラルさんが可哀そうな気がした。ぼくはラルさんに何も言えないだろう。黙って、ラルさんがしたいようにするだけだ。
「さあ、アユムも明日の朝、早いのだから、もう寝た方がいい」
父さんはぐっと伸びをすると、大きなあくびをした。
「ぼくは明日は午後からの仕事だ。だから、朝は寝ているよ。君を送り出すことはできないけれど、シャイアとリムがちゃんと送り出してくれるよ」
ぼくの頭はもう疲れ果てていて、何も考えられない感じだった。怒るエネルギーもなかった。だけれど、目が冴えている。
「温かいミルク茶を飲むといい」
父さんはポットに入った、甘いミルク茶をぼくについでくれた。
「シャイアが必ずここに用意してくれているのだ。いつもいつも。一日も欠かさずにね」
一口飲んでみると、香辛料がほどよくて、からだの疲れた部分に染み入るような感じだった。
「そうだ。リムには名字がないのだ。ただのリム、ただのシャイア、ただのラルだった。それで、父さんはラルを養子にしたのだ。ラルはサトウラルという名前になった。それでラルは社会的に地位が高くなり、運転手を使うこともできるようになった。中央病院で彼は事務の仕事をしている。これまでのラルの位ではつけない仕事だ。ラルはこのことをアユムには決して言わないで欲しいと言った。でも、きっと明日、一緒にジャミハラヤに行く通訳と案内の人が、ミスターサトウとかなんとか言うかもしれない。だから、言っておくよ」
いったい、なんと答えたらいいのかわからなかった。それじゃあ、今日会った子どもたちも奥さんも、ぼくと親戚ということになるのだろうか? それを母さんは知っているのだろうか? それを口に出して父さんに聞く気力はぼくにはなかった。たぶん父さんは自分で決めて何でも自分だけでできるのだ。日本の家族なんて必要じゃないんだ。
ぼくはただぼんやりと父さんを見ていた。
「父さん一人のためにリムの一家の人が全員で何かしてくれている。こんなことでいいのかと、母さんはいつも言っていた。母さんはぼくのため、ススムのため、アユムのためにご飯を作りたいと言った。そのご飯をリムの家の人が一緒に食べてもいいと言った。でもね、それじゃあだめなんだ。リムの家の仕事がなくなってしまう。
母さんにはここでの暮らしは合っていなかったのだ。それはぼくにも責任がある。悪かったと思っているよ。でもそれはここに来なければわからなかったことだったし、今さら何もできない。無理に家族が一緒に暮らそうとしてもうまくいかないことだってあるよ」
「…、…」
「さあ、寝よう」
父さんは唐突に話を終わらせると、さっきのようにぼくの肩を軽くトントンと叩いた。
「気をつけてね。どこか痛いとか、気分が悪いとか、なんでもラルに言うといい。ラルは中学しか行っていないけれど、とても熱心に勉強して、いろいろなことをよく知っている。具合が悪くなったら、少し遅れて着いてもいいのだから。案内人に先に血院に行ってもらって、助けをよぶといい。とにかく、気をつけてくれ」
「はい」
ミルク茶がきいてきたのか、ぼくはぐっすりと眠ることができた。




