第9話
自己紹介により、例の大女の名前はカーミラ・アインシュテルンと判明した。大義賊団で首領を務めていた人物と同じ名……いや、東雲明日香がいる以上本人と見た方がいいだろう。何しろ俺はそのカーミラに昼休みになるや否や襟首を掴まれ、屋上まで力ずくで連行されたのだから。
「さあ、説明してもらおうか。山本、何故お前は東雲のことを知っている」
「言っただろう。東大の名誉教授に……」
「この世界にいる東雲明日香は、彼女だけだ」
別に隠しているわけじゃないが、あまりにも途方もない話だからな。俺はため息をつくと、今までのいきさつを語った。与太話だと思ってくれた方がありがたい。
「なるほど。道理で、あなたには情報の改変ができないと思いました。そういうことですか」
声のした方を見ると、そこにいたのは東雲明日香。
「そちらの質問には答えた。今度はこちらの番だ。あの『優しい世界』から中途半端に世界を再構成したのは、何故だ」
「さあ。それは、私の関与するところではないから」
何でも、魔王としての力はカーミラに委ねたのだと言う。と言うことは、この世界はこの女が改変したものと言うことになる。
「私は、元の世界に戻ることを望んだだけのはずだったんだけどねえ」
「意図せずに前の世界とは多少の誤差が生じてたと言うことか?お前の深層心理が前の世界そのものに戻すことを阻んだか、それとも前の世界そのものがこぼれたミルクなのか」
「日本人なら、覆水盆に返らずにしときなよ。It is no use crying over spilt milk.(こぼれたミルクを嘆いても仕方ない)と言うのはどちらかと言うと、私が言う言葉だろうからねえ。大体、魔法や錬金術は実在していた方がいいだろう?私が、世界を改変しても怪物はいるんだから対抗策があった方がいいに決まっている」
それはそうだ。何より、元の世界より夢があっていい。時間割には基本の国数英理社や体育、美術、家政の他に魔法概要、錬金術理論、特殊実技という科目が増えているのを見て、「え?」と軽く混乱しただけで実はそれについてはさほど問題ではなかったりする。賢者の石による力か、知らないはずの知識を知っていたりもするからそれは一向に構わん。問題は……。
「そっちじゃない。英雄の方だ」
「あー……」
俺の返事を聞くと、カーミラは苦い顔をして頭を抱えた。この世界には、英雄症候群と呼ばれる病気が存在する。原因は不明だが、突然高熱を発して歴史上の偉人や神話に登場する英雄に魂が変性されると言う症状が世界各地で発生しているらしい。ただの妄言なら救いもあるが、本物になるらしくその病気にかかったものは不老不死となり、超人的な力と英雄や故事に由来する力を手にするそうだ。
「人間の心を形成する3つの要素の内、人格は持って生まれたものであり、性格は9歳までで確定されます。変えられるのは心の表層である態度のみ。行き過ぎた力を持ったバカが悪用しないとは限りません」
明日香の懸念通り、その手の犯罪はちらりほらりと現れていて有識者の中には武道を必修科目にしようとする者もいるがそんなものは気休めにもならない。格闘技はしょせん、人を傷つけるための技術でしかないのだ。心は不変のものであり、武道で心が鍛えられるなんて言うのは気のせいである。心が磨かれた気になっているだけなのだ。人の業で心を変えようだなんて、おこがましいにもほどがあるというものだろう。
「そっちの対策は、考えておかなきゃいけないねえ」
「はいはい。決着がついたのならお昼にしましょうか」
そう言って、確か猪苗代鈴奈だったか。彼女はブルーシートを敷くとパンパンと手を叩いた。確かに、昼飯をまだ済ませていない。教室に弁当を取りに行こうとしたら、初音と恵美がやって来た。俺の弁当を持ってきてくれたらしい。そいつは助かる。鈴奈が「あなたたちもどうぞ」と勧めてくれたので、上がらせてもらうことにした。
「美味しくできているといいんですが」
「ほう」
3段重ねの重箱には色とりどりのおかずや俵結びが入っており、つまむにはちょうどいい。だが、何故だ。口に入れると、シュワシュワするのは。
「山本だっけ?女の子に囲まれて、やらしい」
後ろから声がして振り向くと、そこに立っていたのはヴィクトリア。確かにブルーシートの上に座っているのは、俺を除けば恵美・初音・カーミラ・鈴奈・明日香と見事に女しかいない。俺が外野の立場なら「リア充爆発しろ」と舌打ちの一つもしているだろう。というか、遠巻きにしている男どもの視線が刺さるように痛え。
「ヴィクトリアさんもいかがですか?」
鈴奈はそう言うと、彼女は「あ、おいしそう」と言って鶏のから揚げを一つ指でつまんで食べた。もうちょっとお行儀よく食えねえのかと思った次の瞬間、ヴィクトリアは何も言わずに卒倒した。リアクションにしてもおかしすぎる。一体どうしたと言うのか?
「……薬品の匂いがする」
明日香は彼女が食いかけたから揚げをつまみ、手であおぐようにして匂いをかぐとそう言い、カーミラは「これ、あんたが作ったのか?」と彼女に問い質している。一体どういうことだ。
「鈴奈!!あんたが料理を作ると、何故か成分が化学薬品に変わるからやめろって言ってるじゃないか!!」
普段、料理は鈴奈の母親が作っているらしい。だが今回は自分で作り、結果料理が化学薬品と化したと。道理で、口当たりがしゅわしゅわするわけだ。俺や初音が食べても平気だから自分も食べようとした矢先に、ヴィクトリアの犠牲で助かったカーミラには「賢者の石の胃袋ってすごいんだな」とジト目でにらまれたが俺に言われてもなあ。




