02 先々代の王妃
平和な村だった。戦が起こったと聞いても遠い遠い世界のことで、村ではいつもと変わりなく過ぎていた。
――敗走した兵が盗賊まがいに村を襲うまで。
信じられない光景が広がっていた。家々には火がつけられ、真昼のように赤くまがまがしい炎をあげている。逃げ惑う人や、泣き声があちこちで聞こえる。
そんな中、目の前の光景に声もでなかった。
倒れている両親、妹である私をかばって剣に刺された兄。そして兄の体の下から引きずり出された私。
「若い娘だ」
「ろくな物がない村だったが、拾いもんだな」
「飽きたら売り払おうぜ」
粗野な、下卑た会話も目の前で赤い血を流し倒れる家族の前では入ってこない。
ただひたすらにもう動かない家族を見つめていた。
「おい、逃げるぞ。追っ手が来やがった」
「ちっ、こいつはどうする」
「顔を見られている。殺せ」
慌しい会話の後で、頭上に剣が振りかぶられた。兄さんの血がついている。
ああ、これで死ぬんだ。そう思った時に世界が変わった。
何がおこったのか分からずにぼんやりと前を見る。土の感触が石に変わっているのだけは分かった。
こちらに近づいてくる人がいる。前まで来てその人はかがみこんだ。伸ばされた手が耳に触れ、何かをはめられた感触がした後で話しかけられた。
「私が言っていることが分かるか?」
「……はい」
なだめるようにゆっくりとした口調につられて返事をする。その人はようこそ、と手をさしだした。しばらくその人を見つめて、恐る恐る手を重ねる。
大きな手には太い指輪がはまっていてきらきらと光を反射している。今までの人生にそんな綺麗なものはなかった。
手を握られて立ち上がる。
「ようこそ、わが国に。わが王妃」
その日、私は世界をこえて召喚された。
兄の血で染まったのを浴室で丹念に拭われて、肌触りのよい上等の服を着せられて専用の部屋とやらに通されている。
訳がわからずただされるがままだったのが、ふかふかの椅子に座らされて今まで飲んだこともないようないい香りのお茶を出してもらい、一息ついてからようやく頭が回り始めた。
殺されかけていたのが一瞬でこんなところにいるのだから、さっきの人や神官長という人が教えてくれたように世界をこえてきたようだ。
でも王妃というのが分からない。私は田舎の村娘で王妃というのは王様のお妃様だということは分かるが、なぜ私がそう呼ばれたのだろう。
きっとたちの悪い冗談に決まっている。
「お疲れでしょう。お休みになってください」
優しく世話をしてくれた女の人に言われて、寝室へと案内される。何人でも寝られそうな大きな寝台で、しっとりとした肌触りの寝具に包まれる。明かりの落とされた部屋でかえって柔らかい寝台に寝付けずに、何度も寝返りをうつ。
この大きさなら家族で寝ても落ちないだろう。
父と母、兄……。最後の光景がよみがえる。炎に照らし出された、人形のように転がって赤に染まりもう動かない……。
喉元に嗚咽がせりあがる。慌てて口を押さえても、代わりのように涙がでた。
「お父さん、お母さん、兄さん……」
ひくっと喉が鳴る。涙もかれることなく流れ続ける。目が溶けるのではと思うくらいに泣いた。泣いて、泣きつかれて、いつしか眠ってしまった。
「お目覚めですか?」
気持ちのいい声で呼びかけてくれたのは昨日と同じ女の人だ。
「はいっ、お早うございます。ああ、水汲みと家畜の世話を……」
飛び起きた周りには見慣れた家の質素な家具ではなく、大きな寝台と贅沢な家具が置かれている。
ここは、と思い、そうかと気付く。昨日不思議な世界に呼ばれたのだと。
また綺麗な服を着せてもらって寝室を出る。こんな丈の長い服は初めてで、裾を踏んでしまうのではないかとはらはらする。
卓の上にはご馳走が並んでいる。こんなのは村祭りの時くらいしか食べられない。村長さんの食卓よりも豪華で品数の多い皿に、びっくりしてしまう。
今日はお祭りなんだろうか。そう尋ねると女の人――侍女だと名乗った――は、ふふっと笑う。
「確かに祭典の最終日ですが、これは普通の食事です」
しかも一人分と言われて唖然とする。家族全員分としてもいいような量が一人分、しかも普通だなんて。冷めないうちにと椅子を勧められて座り、豪華な食事を促されて食べ始める。
どれも美味しくて、食べているうちにまた涙が出てくる。
「どうなさいました。お口に合いませんでしたか?」
「いいえ、違います。こんな美味しい料理は初めてで、家族に食べさせたいなと思ったら……」
布で目元を拭いながら答えると、まあ、と侍女は気の毒そうな表情を浮かべた。昨日のうちにここに来る直前のことは話してあったので、同情してくれたのだろう。
ひとしきり泣いて落ち着き、食事を再開する。
椅子に座っていると扉が叩かれ、神官長と名乗った人が後ろに神官と思われる人を連れてやってきた。神官長は目尻の皺が優しそうな人だが後ろの人はまだ若い。ぎらぎらとした目で見つめられて少し怖い。
私の前の椅子に神官長が座り、改めて事情を説明された。
つまり黒い髪、黒い目を持つ私は『伝説の娘』という特別な存在として招かれたのだと。そして目的は国王のお妃様になることと聞かされ、驚きのあまりお茶を床にこぼしてしまった。
昨日私の手を取ったのが国王陛下その人で、あの方のお妃様――王妃になるのだと。途方もない話についていけずに、言葉もない。
「お辛い目に合われたでしょうが、神のお導きによってあなた様はここに迎えられました。どうぞ陛下とともにこの国の行く末を繁栄に導いてください」
「私が、国王様と、ですか?」
「はい。召喚がなければおそらくあなた様は生きてはおりませぬ。一度無くした命と思い、生まれ変わった気で生きてみてはもらえませんでしょうか」
「私は神様に救われたんですね」
神官長と背後に立つ若い神官は力強く頷いた。何の疑問もなく、神の御業を受け入れる頷き方だった。
しばらく召喚された神殿の中の伝説の娘の部屋で過ごして王城へと移った。
村しか知らない私にとって何もかもが圧倒されることばかり。その大きさ、豪華さは天国だといわれても頷けるような気がする。
村娘の私に皆がこの上なく丁寧に接してくれるのが空恐ろしい。
元の世界の身分は何の関係もない。大事なのはここに召喚されたことであり、それこそが王妃の証なのだと言われても気後れするのは仕方が無いだろう。
二度目に陛下に対面した時は、緊張のあまりその場から動けなくなってしまった。
陛下はそんな私を見て小さく笑った。
「わが王妃は可愛らしいな。何も怖がることはない、ここにはあなたを害するものなどおらぬゆえ」
わざわざ私のところまで来て手を取ってくださった。
その時、いいえ、最初に会った時から私は陛下に恋をしていた。絶望の世界から救い出してくれた陛下に。
何の素養もない私のために教師をつけこの国の歴史を教えてくれた陛下は、一日の終わりに顔を出してくれる。その日の私の習ったことをお聞きになり、ご自身の一日も教えてくれた。こういった会話術も自然にこなせるようにと、誘導される。
本当に陛下は私の命の恩人であり、神がいなければ私はここにいない。
陛下への敬愛と神への感謝はすぐに私に根付いた。
盛大な婚儀の後で私は陛下の妃になった。優しく気遣ってくれる陛下は夜、家族の夢を見てはうなされる私を抱きしめてなだめてくれる。
一人生き残ったのが心苦しいと漏らせば、思い出を引き継げば家族がずっと心の中で生き続けるのだと諭してもくれた。
本当に幸せだと思った。
世継ぎになる息子に恵まれ、その下にも息子を授かった。陛下が喜んでくれ、あまりにも順調すぎて夢を見ているのではと思うほど、優しく穏やかに日々が過ぎる。
神への感謝は奉仕の喜びで表現することになる。私への予算や個人の収入など、一介の村娘には卒倒しそうな金額が入ってくる。
それを神殿に収め、更なる発展の礎にしてもらえれば神への恩を少しでも返せるのではないかと考えた。神官長様はとてもお喜びになる。いつも神の教えを説いて、神の素晴らしさを教えてくださる。
比較的束縛のゆるい下の息子を連れて、私は神殿によく通った。
上の息子はあまり宗教には関心がないようで残念ではあったけれど、下の息子の方は色々な疑問を口にしては、次の神官長とされているあの召喚に立ち会った神官にやり込められていた。
「これを神殿にと思いまして」
ある国から献上された珍しい宝石を譲った。不思議な色合いのそれは神殿によく似合うのではないかと思ったからだ。神官長様もその宝石に魅了されたようだ。
顔を上げられた時、興奮でその目が輝いていた。
「何と素晴らしい贈り物だ。感謝いたします。今度新しく作る神の像に埋め込みましょう。きっと映えることでしょう」
そう言って神官長様は軽く私を引き寄せた後で私の手をとり、手の甲に接吻した。神殿の役に立てれば、神官長様の喜ぶ顔が見られれば私は満足だった。
でも下の息子は帰り道では様子がおかしかった。難しい顔で人をよせつけない。その日以降、沈みこむような様子を見せる息子は気がかりだったが、それ以上の問題が持ち上がった。
私も体調を少し崩して神殿から足が遠のいたさなか、陛下がお倒れになったのだ。
頑健で病気らしい病気をしてこなかった陛下が、執務の最中に気分の不良を訴えられて自室へ戻られた。慌てて侍医を呼び、王城内がひっくり返るような騒ぎになった。
いつもは穏やかに微笑む陛下が、眉間に皺をよせ熱を出して苦しそうだ。
「陛下、しっかりなさってください」
「ありがとう、移ったらいけないから。……あなたも体調が悪いのにすまないな」
「何をおっしゃいます。私のことなど」
熱で赤らんだ頬を無理に緩めて陛下が私を気遣う様子に、胸がふさがれる。
いっそのこと陛下の病気を私に移して欲しい、それで陛下がよくなるのなら喜んでこの身を差し出すのに。
当初はただの風邪だと診断された陛下だが、いつまでも熱が下がらずに体力が奪われていく。昼も夜も寝室に詰めて、陛下の側に居続けた。
心の中では狂ったように神に懇願している。陛下が快癒しますように、また寝台から起きだして笑ってくれますようにと。
神殿の方でも昼夜分かたずの祈りが捧げられていると聞いた。
それでも病状は回復せずに、とうとう陛下がお亡くなりになった。
私の太陽が消えてしまった。大きく、温かく、包み込んで道を照らしてくれた私の太陽が。命よりも大事と思えた人が。
呆然としているうちに、葬儀も息子の戴冠も終わった。
私はそれに立ち会っているのに、他人ごとに感じられる。どこか遠くで行われているような、乖離した状態だった。
息子が国王となってしばらくしてから、召喚の儀が行われた。伝説の娘としてやって来たのは繊細な美しい人だった。
元の世界に婚約者がいると聞いて、引き裂かれたその悲しさを思うとかける言葉も無い。召喚のきっかけとなる『絶望』がその婚約者の行方不明だと知った時は、皮肉なものだと思った。
私のように召喚が救いになった人にならば、体験したことやその当時に抱いていた思いを伝えることもできただろう。
でも彼女にとってはここは厭わしい世界なのだ。したり顔で経験を押し付けるわけにもいかない。
私の時と違って息子の婚儀は難航した。結局随分してから、そして一部に囁かれたようにお腹に子供ができてから、ようやく婚儀があげられた。
豪華な衣装も贅沢な王妃の間も、彼女にとっては慰めにはならないようだ。部屋を訪れると儚げな笑みは浮かべてくれるけれど、幸せではないことは見て取れた。
息子である国王に大事にするように、陛下が示してくれたような細やかな気遣いをするようにと諭しても、駄目だった。執着と狂愛――逃げる分だけ追いかけて王妃となった彼女を囲い込むようになった息子には、誰の声も届かない。
できうる限りは守ろうとした。
王城では気が休まらないほどに参っていた時には、森に離宮を作る手助けもした。
「おばあ様」
懐いてくれる孫に陛下と私の血の流れを感じ、何ともいえない愛しさを覚える。愛くるしいこの子達は、しかし両親の愛にはあまり恵まれていない。
私と陛下の息子なのに、国王は愛し方が分からないのだろうか。育て方が間違っていたのだろうか。
下の息子の方は兄の後に婚儀を挙げたが、すぐに死別して以後は独り身でいる。
「あなたは次の方を迎えないの?」
「そのような気になりませんので」
私の代わりに神殿と宗教の庇護を手厚く行うようになった、今は大公となった息子は言葉少なに微笑んだ。
次の方を迎える気にもならないほどに愛していたのか、他の考えがあったのか。大人になった息子の心の内は計れない。
「おばあ様、僕の伴侶になるのは黒髪の人なのですか?」
無邪気に問いかけるのは次代の国王、私の可愛い孫だ。
その頭を撫でる。近頃はめっきり寝台で過ごす時間が長くなっている。今日も見舞いに来てくれた孫達に、目を細める。
「そうね、神様があなたにぴったりの人を見つけてくれて神官様が呼んでくれるの」
「おばあ様、僕には?」
不満そうに弟の方が口を挟む。大きくなったのにたまに見せる子供っぽさに、その頬をそっと撫でる。
「そうね、そうやって来るのは国王になる人にだけなの。だから叔父の大公にはいないでしょう?」
「うーん、僕も黒髪の方がいいです」
「あなたのお姉様になる人だから、優しくしてあげてね」
そう言うと頷いた孫達は、帰る時間だとしぶしぶ引き上げた。母である王妃が亡くなり、その寂しさを身をよせあって埋めようとしてる子供達。
――不憫なこと。
願わくばあの子達の先が少しでも明るく、温かいものになりますように。
ひどく疲れを感じながら私は目を閉じた。
何故か懐かしい陛下の気配を感じながら。そっと宙に手を差し伸べる。
ああ、私は幸せでした。