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76  秋の日

「道を踏み外すか。ここまでくればいっそ滑稽だ」


 馬上で剣を手にしながら血しぶきを上げながら、団長はひとりごちる。

 砦に逃げ帰ると見せかけて伏兵に側面を突かせたために、東の国の陣は崩れが出ている。そうでなくても敵国の砦を先の条約で手に入れ、篭城の構えは万全だ。これを失った東の軍とは条件が違う。

 加えて川の制圧もしているために、気分は格段に楽だ。


「後方にお下がりください」


 進言する声を聞かなかったことにして、勝負を挑んでくる相手に向かう。

 ――死んでもいい。皮肉なことに投げやりな心情が恐怖をねじ伏せている。

 敵と相対すれば訓練の成果か、武人の血か、高揚感が体を支配して切りあい討ち果たす。その合間にも周囲の様子や遠くの状況は己の耳目や報告で大勢を把握している。目の前の敵だけに夢中になると、必ず足をすくわれる。それに留意して全体を見渡す癖は自然な習いだ。


 朝方から始まった戦いも、ほぼ決着がつこうとしていた。あとはどこまで追うか。

 あの国王は王都にこもったまま出て来れまい。前線では敵兵はとうに腰が引けて撤退名目の実質敗走を始めている。散り散りに敗走する敵兵達の通過しそうな場所に潜伏させている、こちらの兵の働きはどうだろうか。


「団長、敵の将軍が討ち取られました。敗走を始めています」

「深追いはするな。地の利は相手にある。下級の兵は寄せ集めだが将は手練だろう。馬を狙って射落とせ」


 川向こうの自国からもこの様子は見えているだろうか。のろしをあげたくとも、戦場のいずこからか火があがってそれにまぎれてしまう。

 大勢は決した。あとは東の国王の首だけか。

 この二年、死んだも同然だったのに戦になると体が動く。己への嫌悪は感情を平坦にして、敵への情けを奪い去った。おそらく今回が一番屠った敵の数が多いだろう。

 甲冑の重さがだんだんとこたえるようになったのに気付くと、愛馬も汗にまみれ湯気がたっている。なだめるように、首をたたいて馬首をめぐらす。

 秋の日差しの下に地に伏す兵達……。吹く風はどこか寒々しい。



 砦を取り戻そうとした東の軍は敗れ、主だった将は王都へ逃げ帰る途中で捕縛された。陛下からは捕縛した際の扱いについての命令がなされている。

 一度ならず二度までも武力で仕掛けてきたのだ。

 その罪は己の首であがなうがいい。

 無造作に払った剣に飛ぶ首は、その目が極限まで見開かれて断末魔の苦悶の表情を貼り付けていた。


「首をこちらに。気を抜くな。陛下の到着を待って東の王都に進軍する」


 大音量で勝利を喜ぶ兵に手をあげて応えながら、戦場の酔いにまかせてみなぎっていた高揚感がすうっとさめていくのを感じる。

 砦に戻って川の向こうまで既に進軍していた陛下を待つ。

 自室にしている部屋に戻り、兜を外させて一息ついた。


「陛下の読み通りに挑発に乗せられた東の国王はほぼ自滅。内部の工作もものをいった形なのは、殿下の戦略か」


 あの秋の祭典以来、正式に宰相となった王弟殿下の知略はうるさがたの貴族をも黙らせていた。主に王弟殿下が――もう宰相閣下と言うべきか、表と裏をさまざまに使い分け、しかも裏は知られないように上手に転がしていく。そうやって大公殿下の内乱に加担した貴族や、死んだ神官長のゆかりの神殿関係者の処分をすすめてきた。

 国王陛下と王弟の宰相閣下の二人で、国内の建て直しは急速に進んでいる。

 加えて東の国との今回の戦も、ほぼ勝利が見えてきた。これで領土が広がり、国の勢力が一層増す。


「団長、陛下の船が川向こうを出航しました」

「分かった。すぐに下に行く」


 沈み行く日を見ながらようやくの終わりの予感に、不思議に平静な気分になる。

 彼女からは『生きて』と言われた。だが自分は陛下に『死』を願った。この戦が終わったらそれが現実になる。

 長いようで短いこの二年間は、生きながら死んでいたも同然だった。東の国の川沿いの砦に入り、糧食を蓄えて砦の把握と抜け道の発見に力を注ぎ、来るべき東の侵攻に備える日々は忙しく充実はしていた。

 だが、ふと我に帰ると虚無が身内を支配する。


 彼女を想って幸せであったが、その彼女に対して苦痛を与えることしかできなかった自分が何故のうのうと生きている?

 忠義面して働いてはいるが、とっくに騎士の資格を失っているのに。


「だが、これでようやく……」


 陛下が東の王都を制圧した暁には、生き恥をさらした身にも終焉の時がくる。

 今なら家にも傷をつけることなく終わることができる。遺すことになる父と妹への事務的なあれこれや、後継者となるべき者についての手配も滞りなく進んでいる。

 騎士団はあいつがいれば大丈夫だ。

 戦で混乱している時期であれば、急死であっても不審は持たれない。

 階段を下りながら安堵にも似た思いを抱く。



 彼女を想ったことに後悔はない。立場に縛られた自分にとって、国王陛下の伴侶になるというある意味絶対的に定められた運命に抗おうとするその精神は、眩しく感じられて自然に惹かれていった。いつも自分で考えて、最悪の状況の中でも最善を掴み取ろうとする姿も好ましかった。

 そんな彼女の弱いところにつけこんだ自分は薄汚い。

 それでも彼女が欲しかった。



 ただこの世界を離れて冷静に振り返れば、彼女の自分への想いは錯覚であったとなるのではないか。彼女にとっての異常な世界から平和な世界に戻れば、ここでの全てが厭わしい思い出になるのではないか。そんな思いが拭えない。

 確認するすべはないのに。

 想ったことに後悔はないが、自分が想いを伝えたせいで結果的に彼女を苦しめたことには悔いが残る。何もできなかったあまりにも不甲斐ない自分の罪、それをすすぐ時がようやく来たのだ。


 ――あなたは平和な世界で生きて幸せに。


 馬のいななき、兵の気配。

 膝を折って主を迎える。自分の主君で断罪者となる国王陛下。


「ようこそおいでくださいました。東の王都への進軍とあいなります」


 東の王都まで保存した首とともに進軍する。

 自分にできるのは命を奪うこと、せいぜいが身体を危険から守ること。こんな、戦うしか能のない自分が心を求めたのが間違いだったのだろう。

 自分しか知らない彼女の表情や声、彼女の名前を胸にしまって偽りながら騎士の顔になる。逃げずに踏みとどまる選択は、苦痛に満ちた生に繋がる。死以外でどうやって罪をあがなえばいいのだろう。

 これが最後の自分の仕事。

 東の王都が自分の死に場所。



 死ぬには悪くない時期だとふと思う。

 彼女を想ったまま死ねるのなら、それは幸せというものだろう。







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