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74  ほろ苦い思い

「色々と聞きたいことはあるんだが」

「先生の秘密を守れる度合いによります」

「ふむ、ならまずはこの傷だ。刺されたと言ったな?」


 肩の包帯を外しながら元王城侍医で、今は少々愛想の悪い医者になっているその人は、厳しい目を傷口に注ぐ。刺された凶器の短刀を見せる。


「これか、さぞいい切れ味だっただろう」


 使われたのが初めてだったので、他人の血による感染や破傷風などの恐れがないのだけが救いだ。

 抜糸はされているので消毒程度だが、医者はそれよりも手や指の動きや感覚の方が気になるようだ。しばらくそちらを診察して傷口には小さな清潔な布を当てて、手当てが終わった。


「こっちは訓練次第でどうにかなるだろう」

「ありがとうございます」


 医者は診察用の部屋の外に待機していた傭兵を呼び入れて、三人でテーブルを囲むことになった。


「その髪色と髪の短さは……」

「色々とありまして」

「今後の生命の危険は?」


 思わず傭兵の顔を見ると、少しだけ小首を傾けた後でいつものようなのんびりした声が応じる。


「最大の危機は越えたし、あとは湧いても雑魚みたいなものだから」


 胡散臭いとしか見えない傭兵の顔を、医者はしばらく見つめてから娘に視線を移す。


「この男の言うことは信用できるか?」

「手荒な世界のことに関しては無条件にできると思います」

「そうか。で、あんたはどうするんだ。こんな所に来たからには王城は出たと見なしていいのか?」

「はい。秋までどこかで働きながら過ごそうと思っています」


 医者は腕を組んで眉根を寄せた。

 しばらくそのままの姿勢でいた。傭兵は我関せずでお茶を飲んでいるので、傭兵にならって医者の反応を待った。


「その傷はまだあまり無理をしないほうがいい。とりあえずどこかに落ち着いてから、ゆっくり考えたらどうだ」

「それじゃ、ここに入院したら?」

「こっちは構わないが」


 荷物の中に忍ばせたお金は南の食堂での賃金と、最初に王城を逃げ出す前に王都を見学した時に国王がくれたものだ。これで秋まで入院費が払えるんだろうか?

 革袋の中身を空けると医者は乾いた笑いを漏らした。


「十分だ。二階の手前の部屋を使ってくれ、個室になっている」


 傭兵が部屋を調べると言うので一緒に上がる。窓を開け、下や周りを念入りに調べて傭兵は注意をする。


「こっちの窓は開けないで。人目につきやすいから」


 寝台の配置も変えてとりあえず満足したのか、傭兵は扉に手をかけた。

 ひょろりとした長身にふわふわとはねる薄い色目の金髪と、緑と茶色の混ざったような瞳はなんでもない風に尋ねる。


「王弟はあのままでいいのかい? 殺しておいた方が後々の面倒が減るのに」

「陛下には大事な人なんだからいいんです」

「君は陛下をどう思っているの? 随分と気にかけているようだ」


 納得のいく答えが得られるまでは動きそうにない様子に、付き添い用に置かれているらしい椅子に腰を下ろした。両手を組んで考えをまとめる。


「最悪な人から嫌いではない人くらいには、自分の中で評価の上がった人かな。あとは不幸を乗り越える強さを得た人だと思っている」

「そっか。……君にとってこの世界はどう? 今でも大嫌い?」


 傭兵の目は探るようにまっすぐに見つめてくる。

 世界を嫌う者は――。


「望まない役割を押し付けてくる世界は嫌いだけど、いい人も楽しいこともあったから、完全には嫌いじゃない」

「死にかけたのに完全には嫌いじゃないんだ」

「あなたみたいに助けてくれる人もいるし」


 虚をつかれた顔をして、傭兵はしばらくしてから頭をかいた。

 ぶつぶつと何かを言ってはいるが聞かせるつもりもないようだ。


「……契約は秋まで延長だから時々顔を出す。後からかつらをよこすから」

「お願いします。本当にありがとうございました」


 扉が閉まり鍵をかけて一人になった部屋で寝台に腰かけ、そのまま後ろ向きに寝台に背中を預ける。簡素な木の天井が目に入る。往来をいく人の話し声がかすかに聞こえてきた。

 外の、何でもない日常にじわじわと緊張がほぐれていくのを感じる。

 国王の婚約者の立場から、神官長の憎しみから、王弟からの執念から離れてここにいる。きっと傭兵とおそらく王弟の配下の者からも監視は続くのだろうが、それでも王城の枷からは一応は逃れた。


 あとは秋までやりすごせばいい。

 そう思うのに、あまりにも色々なことがありすぎて、一度沈んだ寝台から抜け出せそうにない。

 抜け殻のような心持ちで随分長い間、天井を眺めていた。




「あの人は最後まで面倒を押し付けてくれる。まあ、断るつもりもなかったからいいんだけど」


 かつら屋に行きながら傭兵は呟く。今はこの世にいない王族は、浅からぬ因縁の持ち主だ。

 娘に関しての依頼と法外な報酬は抵抗なく受け入れたが、まさかここまで首を突っ込むことになるとはと、あまり物事に執着しない自分を知っているだけに意外な展開だ。

 まあ娘に本名を教えた時点で、巻き込まれる運命だったのかもしれない。


「特定の国家に肩入れすると、傭兵失格なんだけどな。まあ、一番面白そうな国でもあるし。伝説の娘に魅入られる血なんだから仕方ないか」

 

 娘の隠れ家の手配を念頭において、傭兵は歩いていく。

 遠からず医者のところが賑やかになるだろうことを疑わずに。

 



 王弟は自室で書類に目を通す。前には微動だにしない側近が一人。


「殿下……」

「団長にどこまで話した? 主を裏切るような者は不要だ」

「お待ちください。騎士団長には何も言ってはおりません。ただ、やってきてじっと顔を見つめたままで言われたのです。

『素直に墓に入れておくべきだったな。放り込んでおくのなら特徴を無くすか服を変えておけ』と。ただそれだけだったのです」


 その返事に王弟は書類にわずかに力を込めた。

 はったりだったのか。だが、別の尻尾もつかまれているだろう。本気になった団長に、自分付きの騎士が持ちこたえられるとも思えない。

 何より知った上で口をつぐむのは無言の威圧に他ならない。

 娘との取引で手が出せないのを知らない上で、独自に娘を守ろうと動くのだから性質が悪い。

 父親に恫喝されて尻尾を巻いて逃げたのとは訳が違う。自分で決めて離れるらしいので、肝もすわったのだろう。


「殴られなかっただけ、まだ忠誠心があると見るべきか」

「殿下?」

「なんでもない。元は私の失言だったからな。今後は細部まで詰めるべきと教訓を得ただけ収穫だった。お前もこれまで通りに側仕えだ」


 人目に晒すことも捨てることもできない髪の毛の束を、布に包んで机の引き出しに仕舞った王弟は、娘の不在をもっともらしく言いつくろう筋書き作りを始めた。新たな黒髪の呪縛に捕らわれているのを半ば楽しみながら。




 国王は執務に没頭する手を休めて、団長を呼び出した。


「今回の帰城は侯爵には話をしておくので、任務上必要なこととして不問に処す。あちらからの条約締結の使者が来るだろうから、それが終われば東の国王とともに行くがよい。――秋に一時帰休するか?」

「承知いたしました。――いいえ、敵国の砦に赴くのですから甘えたことはできません」

「伝言は?」

「ありません」


 迷いなく言い切った団長に国王は目をすがめた。


「いいのか。これきりだぞ」

「どこでどうしようと、元気でいてくれればと。元の世界でご両親を見送るという願いが果たされればよいと思っています」

「元の世界とやらで別の男と、とは思わぬのか?」

「それで幸せになるなら」

「手も出さずに見守るだけか」

「目も届きませんが、それでいいと思えるようになりました」


 そこで団長は居住まいを正した。

 深く頭を下げてそのまま言葉を続ける。


「陛下、此度の様々なことに関しましては詫びのしようもございません。東が平定された際には、死を賜りたく」

「死んで詫びるか。あれもおらぬ世界に未練はないと」

「最後の仕事とさせてください」


 国王は椅子から立って執務机の向こう側から団長の前まで歩み寄った。

 顔を上げさせた団長をおもむろに殴りつける。渾身の一撃に大柄な団長がよろめいた。


「そうだな。法に照らせばそなたは死罪だ。考えておくのでせいぜいその日まで励むが良い」


 団長は再び礼をかえし、退出した。

 背後に扉の閉まる音を聞き、窓から外を眺めながら独り言がもれる。


「あれも団長も、反対を向きながら背中がぴたりと合わさったような物言いをしおって」


 自分への気兼ねが察せられるのが面白くない。状況を見て感情を抑えた挙句にある意味破滅を選ぶとは。

 一人は自尊心や肉体を犠牲にして、別の世界に。

 もう一人は相手の危険が去るまで守り動くことのできる立場に留まり、それが終われば死の世界へ。


「余が悪者のようではないか。まあ、最初のあれに関しては悪者以外の何者でもなかったのだが」


 国王とは難儀なものだと自嘲しながら、ふと思いついた計画が果たして実行できるだろうかと検討を始めた。




 傷跡も順調に癒えて、入院とは名ばかりでリハビリがてら医者の家事手伝いや看護助手のような日々を過ごしていた。

 男一人の所に住むのもと、近くに小さな家を斡旋されてそこから医者の家に通うことになった。

 市井の家ながら傭兵が探しただけあって、襲撃されにくい、それでいて監視の目は届きやすいそんなつくりだ。夜陰にまぎれて公爵夫人とその姪や、騎士団の副団長などが訪れる。国王と王弟も一度やってきて、物置かと言われたのには笑うしかない。


 医者は侍医だった頃のことを話してくれる。

 先代の王妃はふさぎがちだったけれど調子の良い時は子供達と庭を散策していただの、国王や王弟が熱を出したりして寝込むと短時間でも側についていてそれを先代の国王に引き離されたりしただの、子供に寄せた愛情を感じる話をしてくれた。

 覚えていないくらいに小さい時の話なんだろうか。覚えていればよかったのに。


「陛下も他に目がいかないくらいに惚れこんでいらっしゃったから、余計にお気の毒だった」


 お茶を飲みながら医者がしみじみ言うのに共感する。以前公爵夫人の友人達の会話で、身が持たないからと王妃の懇願で側妃をめとった経緯を聞かされたことがある。もし、王妃が早くに亡くならなかったら、一緒の時間を過ごしていたなら。

 今となってはどうしようもないことではあるが。


「あんたはどうなんだ?」

 

 水を向けられて曖昧にごまかす。自分は国王との未来が考えられなかったから元の世界に戻る。それだけのことだ。それでいいんだ。

 たとえ、無意識に首飾りに触れている自分に気付いたとしても。

 激しい雷雨で耳を塞ぎながら、名前をよびそうになっても。


 そして秋の祭典の日、秘密裏に神殿を訪れた時には予想通り、そこに団長の姿はなかった。




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