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73  伝説の娘の消えた日

 王弟は椅子に座り、長い足を組んでいる。余裕たっぷりの王弟に対して娘の方は、体は強張り手の平には嫌な汗をかいている。

 それでも冷静にと、暗い森しか見えない窓を背に立っている。

 

「殿下は私をどうするつもりですか?」

「どう、されたいのですか?」

 

 まずは軽い探りあいだ。時間を稼いでいればそれだけ傭兵の準備も整う。

 

「秋の祭典で元の世界に帰ります。周りの人に手出しをしないでください」

「――随分と都合のいい」


 からかいと呆れを含んだ声は、絶対の自信に裏打ちされているようだ。それもそうかと納得する。自分は味方のいない異分子で、対する王弟は国王に次ぐ権力を有している。目障りだと思う人を消すのも簡単だろう。


「私と神殿、神官長を共倒れにしたかったのでしょう?」

「そう、半分だけ成功です。完全ではない。そして残った半分は危険きわまりない」

「最初から神官長に私を殺させて、邪魔者を一気に排除するつもりだった?」


 王弟はゆっくりとかぶりを振った。


「いいえ、まさか神官長があんな暴挙に出るとは思いませんでした。私はあなたを説得してもらうつもりだったのですから」

「『最後の』説得ですか」


 再生した神官長の台詞を思い出す。あれは神官長と王弟の間で、説得が失敗に終わったその後も話し合われていたからこその内容だ。

 でなければ神官長が王弟を脅迫と同義の『祈り』に誘うはずもない。

 しばらくの沈黙の後で、王弟がふう、と息を吐いた。


「どちらでも良かったのですよ。共倒れになろうが、片方が生き残ろうが。今でも死にたくなければ、兄の側にという選択肢も提供してさしあげようと思っているのです」


 ようやく王弟が認めた。政治的な思惑に、個人的な感情を乗せて夜会の夜に寝込みを襲われた記憶が生々しくよみがえる。

 きっと王弟の中では、幾通りもの筋書きが書かれていたに違いない。

 

「あまり驚いていないようですね。私からも、おそらく神官長からも負の感情をぶつけられたでしょうに」

「世界を嫌う者は世界から嫌われる。世界を拒んだから、世界から拒まれる。その具現がお二人だったと思っています」


 頑なに何かを貫こうとすれば、摩擦も生じる。こちらの姿勢が強硬ならその分反発も大きく跳ね返ってくる。

 例えるのなら作用と反作用のようなものだと漠然と思っていた。死ぬほど嫌だと思っていたから死にそうになったのだと。


「結果、あなたは生き残りました。で、どうして兄に真相を話さなかったのです?」

「私の言葉を信じるか――証拠はありません。あなたに言いくるめられたら終わりです。神殿の腐敗を正すのと召喚制度を廃するのは、私の希望とも一致します。そこにあなたの関与は余計な混乱を招く。最後に陛下が気の毒だからです」


 最後の言葉に王弟が身じろぎした。

 足を組み替えて、ややあって低い声で問いただす。


「兄が気の毒」

「血の繋がった弟のやったことに、今の陛下だったら胸を痛めるでしょう。公になればあなたも処罰される。

 ただでさえ血族が少ない上に問題が起きているのに、あなたまで陛下の側を離れるようなことになれば、国にとっても損失な上に陛下には打撃になるでしょう。だから穏便に済むようにあなたを説得する道を――」


 続けようとした言葉は、王弟の嘲笑でさえぎられた。おかしくてたまらないと笑っているのに、ふいにそれが止んだ後には張り詰めた空気が漂う。

 思わず背中を窓に押し付けて、その冷たさにもう一度落ち着きを取り戻す。


「私を憐れんでいるのですか? そんなのは実力と余裕のある方の特権です」

「勘違いしないでください。私が気にしているのは陛下です、あなたじゃない」


 たたみかける様に、選んだ言葉を紡ぐ。

 多分、王弟と思うことのやりとりができるのは今夜しかない。過ぎれば、どんな形でも距離を置くことになる。これは国王には告げられない王弟の闇の部分だから、ここで消化なり昇華しておきたかった。


「あなたが私にしようとしたことを知って、陛下が喜ぶはずはありません。あなたは兄のためと言いながら、最も陛下が苦悩する未来を選択しようとしている。陛下の側に? それが陛下の幸せではないと、とっくに察しているでしょうに。

 無理に形式を取り繕っても破綻するだけです。この離宮を遠くから見つめるかわいそうな子供を再び作りたいのですか?」


 びくりと王弟の肩が動いた。

 この離宮に二人していた時の雰囲気、国王は寂しそうで王弟は苦い過去を振り返っていた。


「目を覚ましてください。私はあなたの母親じゃない。子供を遠ざけた母親の記憶を上書きしようとしても」

「黙れ」


「いいえ、あなたは黒髪黒目の伝説の娘が国王と幸せな家庭を作るという幻想を追っているだけ。だから、この期に及んでも陛下となんて言葉が出てくる。

 私を殺すのが最も簡単な解決法だと分かっているのでしょう?

 それなのに手を出さなかったのは陛下に知られたくないから。陛下と一緒に私のところに顔を出して隙を作らないようにしていた」

「黙れ」


「母親は貞淑だったのに不幸だった。私は他の人に心を移した挙句に逃げ出そうとしている」

「黙れと言っている」


「どこまでいっても私は陛下を愛さない。愛せない。もし先代の時に帰還の陣があったらと思ったのでは? また捨てられると」

「黙れっ」


 がたん、と椅子が倒れ王弟が近づいてくる。手は剣の柄を握っている。

 ここまで激高するのだから、ある種王弟の傷を抉っているのだろう。

 国王と王弟の二人に共通するのは、母親である先代の伝説の娘の不幸に起因する負の思い出だ。国王はそれを乗り越えたようにも見えるが、王弟が固執していたのはただ単に政治的な配慮や兄への思いだけではなく、自身の傷を癒したいと思う隠れた望みがあるのではないか。

 そのために血筋に疑いを挟ませるな、という大公の手記を無視するような行動を起こしたのではないか。


 傭兵と会話を記録していて思い至った可能性の一つだ。

 王弟の理性をなくさせる目的の誘導が、実は地雷だったというわけか。

 いつ剣が抜かれるのかと、窓を背に王弟の手元を見つめる。

 あと少し、のところで王弟の歩みは唐突に止まった。


「はい、そこまで」


 場にそぐわないのんきな声はカーテンの陰に隠れていた傭兵のものだ。既に抜いた剣が王弟の喉元に迫っている。

 立ち止まった王弟の背後をとって、傭兵はてきぱきと剣や他の武器を取り上げた。


「この男は?」

「雇われて動いている一介の傭兵です。あ、彼女のお相手として手を上げた過去はあるよ」

「……状況をややこしくすることは言わないで下さい。殿下、これを聞いてください」


 武器のない状態で、近くに来てもらった目的は果たした。音量を最小にして再生した録音の一部を聞かせる。王弟は目を見開いてぎり、と唇を噛み締めた。


「なるほど、お守りというわけか」

「これを陛下に聞かせることもできます。でもそうはしたくない。全てを見逃してもらえませんか」


 王弟は皮肉げに口元をゆがめた。


「あなたがたの口を封じれば、このような得体の知れない物など証拠にもなりません」

「録音を書き写したものがあるんです。こちらの要望を聞いていただけないのなら、これを元に歌か劇をつくるつもりです」


 王弟が頭の中で計算しているのだろう。程なく結論に達したようだ。

 ぎらつく視線に頷きを返す。


「陛下には言いません。背景もぼかします。吟遊詩人に歌わせるか、旅回りの劇団に上演させるか。ともかく国外から始めてそうですね、いずれは王都ででも……。知る人が聞くか観ればどこの国のことで登場人物が誰かはわかるかもしれません」

「あなたは兄を、王家を笑いものにするのか?」

「いいえ。笑いものになるのは、義務を果たさないおろかな娘になるでしょう。行く末は悲惨なものになる予定です」


 そして沈黙がおちる。聞こえるのは木々のざわめきと、遠くでの獣の鳴き声、室内の押し殺したような息遣いだけだ。

 王弟はどうするだろう。

 こんな甘い脅しに屈してくれるのだろうか。

 内心のじりじりする思いとは裏腹に、随分と長く沈黙は続いた。


「あなたはどうするつもりなのですか」


 ようやく、王弟が呻くように質問してきた。

 それを聞くまで自分の呼吸が浅く、早くなっていたのに気付かなかった。


「ここを出て、秋の祭典まで待ちます」

「団長と連絡をとって駆け落ちでもする気ですか?」


 黙って首を振る。


「もう、関係はないんです。別れのあいさつもされました」


 ここに来てから得たもの、失ったものが胸を去来する。辛いことも多かったように思うけれど、そんな中でも楽しい思い出と名づけられるものもあった。笑うこともできた。完全に幸せではないけれど不幸せでもない。その結論で終わりたかった。

 考え抜いて別の道を歩くことを彼も決めた。きっとそれを守り通すだろう。騎士の本分を一度は外れた、自分が外させた人だけれど、決めたことは違えない人だと思う。

 王都を去って、もう顔を合わせることもないはずだ。


「私がそれを信じるとでも?」

「監視をつけても結構です。ただ私や関係者に危害が及ぶようですと、生死に関わらずさっきの計画が実行されると思ってください」


 埋めた地雷をそのままにするか、上に立って爆発させるかは王弟次第だ。

 秘密は薔薇の下に埋めたままの方がいい。そう思ってはくれないだろうか。


「口封じを考えているなら、僕も組織をあげて戦うつもり。一応の二つ名は『風』っていうんだ。知っていてくれれば光栄なんだけど」


 傭兵が援護射撃のつもりか口を挟んでくる。

 王弟に名乗るなんて無謀にすぎると慌てた自分に対して、王弟は名前に心当たりがあったのだろう。こぶしを一度握った後に体の力が抜けたように見えた。


「さっきのお守りといい、この傭兵といい……あなたは最後まで幸運な人だ」


 最後まで。王弟は肩をすくめた。


「あなたは見事に私の弱点を抉りました。兄に知られたくないこと、私の過去のこと……他の人物が同じことをやれば生かしてはおきません。

 あなたがどこに行くか知るところではありませんが、もし他国や貴族達に利用されるようなことがあれば容赦はしません。計画とやらが発動されてもあなたを消します」


 王弟の監視と、傭兵の護衛があればその危険は減る。

 娘は黙って髪の毛を一つにまとめて、そこに団長からもらった短剣を差し込んだ。手を引いてうなじのあたりからぶつりと髪の毛を切った。

 髪の毛の束を王弟に渡す。


「これを使って伝説の娘は死んだとでもなんでも、好きにしてください。もう、黒髪の呪縛から逃れてもいいのでは?」


 王弟は呆然と手の中の髪の毛を見つめる。

 決別の意味をこめて渡した娘の方は妙に晴れ晴れとした顔をしている。

 目で合図をして、傭兵が剣を引いても王弟はそのままだった。軽くなった頭をふり、カーテンの裏に隠していた荷物を取り上げた。


「殿下、私はこれで」

「待っ」


 窓を開けて外に出た娘は一度振り返って王弟を見つめる。


「お母さんとの幸せな記憶も、思い出してください」


 王弟が見送る中、娘と背後を守るような傭兵は夜の闇に溶け込んで消えた。



 静かに寝室の扉を開けて入ってきたのは団長だ。王弟はそれに目をやり、手の中の髪の毛を握り締めた。団長は王弟の近くまで来て頭を下げた。


「殿下、牢番と殿下の側近からの証言を得ております。また、神官長の書付も見つかりました。殿下に忠誠を誓った騎士の動きも把握しております。どうか、これ以上のことは」

「不忠者の諫言など聞かぬ」

「お怒りはごもっともです」


 団長は自分の剣を王弟に差し出した。その身に騎士団の団長を表す紋章は外している。黙って王弟の前にひざまずいた。王弟は自分の剣をすらりと抜く。


「さっきの会話を聞いていたのか?」

「いいえ、お三方の声は小さくて聞こえませんでした」

「彼女の計画を知っているのか?」

「それも存じません」


 団長は動揺もなく答える。王弟は切っ先を団長に向けたままなおも尋ねた。


「ここで死ねば、彼女がどうなっても手出しできないぞ」

「頼りになる護衛がおりますれば。団長職も返上した私よりも、よほど安心して託すことができます」

「女一人で道を踏み外すとは」

「ええ、でも不幸とは思いません」


 そのまま目を閉じた団長は、断罪の時を待った。

 鋭い風切り音が聞こえた。次に肩を衝撃が襲う。団長は苦痛の呻きを飲み込んだ。

 王弟は冷ややかな視線を外さず、言い捨てた。


「この離宮をそなたなどの血で汚すつもりはない。さっさと兄上から処断されればよい」


 一度抜いた剣を鞘に戻し鞘で肩を打ち据えた王弟は、団長の横を歩き去った。

 しばらく肩を押さえて痛みに耐えた団長は、壁の一部に目をやった。

 そこが音もなく開き、出てきたのは国王。


「陛下……」

「昔から弟は嘘をつくとき、まばたきが極端に減るのだ。余に薬を盛ったくだりでおかしいと思ってはいたが。――余のためだろうが、おろかなことを」


 国王とて完全には聞き取れてはいない。ただ、娘と弟の間の緊張感に気付かぬほど暗愚でもなかった。自分と娘を二人きりにしようとしない弟に抱いた懸念は、探らせれば今夜の結果だ。

 人知れず溜息をついた国王は、団長を促して離宮を後にする。


「陛下、先程の隠し部屋は」

「父上が、母上のことを心配するあまりに作らせた仕掛けの一部だ。どうしても囲い込んでいたかったのだろう」


 独占欲の塊のように母親を愛した先代国王は、離宮に逃げ込んだ王妃も見逃さなかったということだ。密やかに監視するための隠し部屋や秘密の通路を作らせていたのだ。

 あのまま娘を無理に側に置いたなら、いつか自分もあの場所で娘を監視していたかもしれない。そんな未練を断ち切るように国王は星の見えない夜空を見上げた。


「団長職は一時預かるが、そなたを自由になどしてやらぬ。東の国王を送り届けよ。その後は川向こうの砦を守って奪還されぬよう、またそこを足がかりに侵攻できるように整えよ。そなたにはそうやって借りを返してもらう」


 団長は、国王にひざまずいて礼を取った。いつまでも顔が上げられなかった。



 夜の森の中を二人が進む。


「これからどうするつもり?」

「抜糸をした傷を診てもらおうと思っているのと、どこかの店で働こうと思っている。あ、一つかつらを頂戴」

「それは構わないけど。また随分思い切ったね。そんなに短くして」

 

 首のあたりが寒々しいほどに短く不ぞろいになった髪の毛が、歩みにあわせて揺れている。結える長さの髪の毛がなければ、一人前の女性とみなされないこの世界だ。自分なりのけじめのつもりもあった。

 そんな娘に傭兵はあの部屋にあった、自分達以外の二人の気配については言うつもりはなかった。

 まだ薄暗い王都の、とある町医者の家の扉が控えめに叩かれる。

 寝ぼけ眼の初老の医者は扉を開けて立っていた人物を認めて、目を丸くした。


「あんた、その姿は」

「色々あって、肩に刺し傷があります。抜糸は済んでいますが結構深い傷なので、診ていただきたくて」

「何をやらかした」

「まあ、色々と」

「……入りな」


 ぱたん、と音をさせて扉が閉まる。この日、伝説の娘が王城から消えた。




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