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72  森の訪問者

 森の中の隠れ家のようなところだと思った。

 小さな、といっても元の世界の豪邸のようなサイズでも王城とは比べようもない。森に抱かれるようにひっそりと建てられた落ち着いた離宮だった。

 

「母はほとんど人を側につけずに、ここに滞在していた」


 国王はどこか複雑そうに離宮内の居間に腰を下ろした。全体的に女性らしい内装で、しっとりと落ち着いている。

 ここに引きこもるように、逃げるように来ていたという先代の王妃――周囲の人の話や手記の記載から傷が癒されないままに、召喚されてしまった人を思う。緑しか見えない景色に何を感じていたのだろう。


「私も、母上が亡くなってから中に入れたんです。それまではこっそり、遠くから窺い見るくらいしかできませんでした」


 窓辺に立って外を見ていた王弟が、視線は外に向けたまま低い声音を発した。

 想像してみる。森の中からそっと木立に身をかくして建物を見やる子供達。それは幸せな光景ではない。母親を求めて拒絶された子供達を思うと、胸が痛くなってくる。自分の子供時代と比べると――。

 王族としての家族だから密接にはなりにくいだろうけれど、それでも柔らかく感じやすい時期に付けられた傷は深く残っているのだろう。

 しばらくは静かに、窓の緑と木々を揺らす風の音だけを感じた。


 神官長の記録と大公の手記を彼らに返して、方針を聞く。


「神官長とそなたは神殿で暴漢に襲われた。結果、神官長は死亡。神官長には叔父上の件に関係したとして罪を問うた。神殿は神官長の動きを見逃していたことと、代々の召喚にかこつけた不正を内々に追求し、体制を刷新させる。

 召喚制度については暴漢に情報が漏洩した恐れがあるとして凍結、いずれは召喚を続ければ世界に致命的な亀裂が生じることが判明したとして撤廃にもっていく」


 政治的決着というやつに異論はない。

 いずれは陣も呪も、召喚の間も破棄されてしまうのだろう。歪な制度はなくなってしまえばいい。

 

「そなたの扱いだが、帰る意思が変わらなければ秋に帰還の儀を行う。そなたの不在と婚約の解消を折をみて発表する――これで、よいか?」

「――はい」


 少しの間刺すような視線を感じる。顔を上げたときにはその空気は消えていた。

 

「ゆっくりと養生するといい。しばらくは忙しくて、こちらへは顔は出せないだろうから」


 そう言うと、国王と王弟は護衛と共に馬に乗って森を抜けていった。

 ゆっくりと屋内に戻る際に肖像画が目に入った。黒髪に黒い瞳で、視線を少し横にそらし気味の綺麗な女性。先代の王妃だろうとそれを見上げる。ほっそりとしていて、どこか少女めいたあどけなさも感じられる。国王と、王弟とは髪の毛も目の色も違うが、なんとなく面影もあるような気もする。


 病を得て神官長から危害を加えられる前に亡くなった先代。子供を二人もうけても、ここに馴染んで根付くことができなかった人。

 もし、存命ならどうなっていただろう。

 説得されただろうか。それとも同情されて逃亡を助けてくれたか、思いは一つとばかりに帰還にとなったかもしれない。

 分かるのは、召喚がこの人にとっては不幸だったということだ。

 そして本人もそうだろうが、子供達にも傷を残したということだ。



 神が本当にいるのなら、召喚が神の思し召しというのが本当なら、随分と罪つくりだと思う。

 元の世界の絶望から遠く離れた場所にくるのが幸運だった人がいるのも事実だ。でも、確実に不幸と感じた人達がいる。

 物事に表と裏があるように、召喚が全部善でも悪でもないことも分かっている。

 ただ、振り回された人達がいるのだ。

 もの言わぬ肖像画の女性を、食事の準備ができたと呼ばれるまで長い間見つめ続けた。


 夜、ここで唯一の寝室に落ち着く。この部屋だけは他と雰囲気が違う。もしかしたら王妃の故郷の意匠なのかもしれない。変わった柄の壁紙と、それに合わせたカーテンが側面を覆っている。

 寝台も一人用で、ここが本当に避難場所だったのだと思わせる。

 明かりは落としてはいるが、一旦着た寝衣を部屋着に着替えている。

 どっちが先かと思ったけれど。


「今晩は。待っててくれたんだ」

「こっちの方が忍び込むのが楽でしょう?」


 一瞬だけ木を揺らす風が室内に吹き込んだが、すぐに空気の流れも止まった。夜にまぎれやすい、活動しやすい色彩の服を着て、髪の毛も布で覆った傭兵と久しぶりの対面だ。

 無遠慮な眼差しで上から下まで眺められる。特に布で吊ってある左腕を重点的にだ。ややあって、盛大に顔をしかめられた。


「何やっているの。依頼主死亡で契約不履行っていうのが、傭兵には最も不名誉なんだけど」

「ごめんなさい。色々事情があって……」

「誰にやられた?」

「神官長。彼はもう死んだと聞かされている。もう一人問題の人物がいて」


 声を潜めたやりとりをする。

 王妃は読書が好きだったようで、隣に壁一面に棚をしつらえた部屋があり本が残されている。そこに案内して、テーブルを挟んで椅子に座る。

 

「秋まで敵から身を守りつつ、関係者に手出しをさせず……か。どんどん難易度を上げてくれるね」


 一通り事情を話すと溜息とともに言われるが、表情がそれを裏切っている。

 まだ余裕があるのだ。


「敵を殺すか、事情を暴露すれば早いのにどうしてやらない?」


 やらない理由を話すと少し呆れられた。


「甘いっていうか、夢を見すぎというか。相手は敵だよ。確実に仕留めないと厄介なことになるのは分かる? 獣も手負いが一番危険なんだ」

「私がそうするのは彼のためじゃない。陛下のため」


 思惑を探る見つめあいがしばらく続き、傭兵が力を抜いた。


「……そう。で、どうするつもり?」

「聞き書きはできる? 今から聞かせるものを書きとめて、それをもとにして……」


 この部屋に残っていた紙の束と筆記用具をテーブルに持ってくる。そして腕の包帯をほどいた。

 傭兵は出てきたものに目を細める。元の通りにセットして電源を入れたそれを、興味深げに見つめた。


「ああ、これ。随分面白そうなものだね」

「再生は一回だけだから、時間としてはそんなに長くはない。場面は二つ。よろしく」


 再生した醜悪な会話と、それを書き留める音だけがそこを満たす。息も潜めて、余計なおしゃべりもせずにおこした会話を書き留めた。

 最後までいって電源を落とし、電池パックを外す。

 傭兵は書きとめたものに目を走らせる。上げた顔には複雑なものを漂わせていた。


「これは、なんとも……。誰か他に聞かせた?」


 首を振るとそうだろうね、と同意される。


「随分と衝撃を受けるだろう人物が一人、いや二人か。君の想い人にはとても聞かせられない内容だ」

「いや、今はそんなことは問題じゃなくて」

「これを聞かされて、相手を殴らない自信は僕にはないよ。当人はなおさらじゃない?」


 言われて納得もする。もし、彼が王弟を殴れば、即座に不敬罪だ。手加減しなかったら傷害とか下手したらそれ以上のことにもなりかねない。

 これを聞かれたら自分がされたことも分かってしまうから、それも恥ずかしい。きっと顔が見られなくなってしまう。


「題材としては申し分ないね。秋の祭典あたりの目玉になりそうだ」

「人物はほのめかすくらいで十分だと思う」

「それは同感だけど、僕を信用してもいいのかな? 報酬で敵味方関係なく転ぶ傭兵なんだけど」


 紙の束をひらひらとさせながら傭兵は確認してくる。口調は軽いが目は真剣だ。

 

「契約の終了が帰還ないしは、で続行中だしそのへんは信用している」


 一流を自負するなら、傭兵の仕事に誇りもあるだろう。

 かつて自分の本名を教えてくれたこともある。仕事のためなら手段は選ばないだろうが、本質は悪い人じゃないのではと思ってもいる。

 包帯をほどいた時に一緒に出てきた手紙を渡す。


「これに書かれているのって、あなたのことでしょう?」

「参ったな。最後まで釘を刺されたってわけか」


 あの大公は、とぶつぶつ恨めしげに呟いていた傭兵は、にこりと笑った。

 

「君の援護をすることで報酬をもらっているし、面倒は見るよ。この計画も面白そうだし」

「他に危険が及びそうな人は……。団長も手は打っているとは思うけれど」

「こっちからも人を出す。ここに僕も使用人として潜り込むよ」

「いつ、来ると思いますか?」

「そうだね、早々だと君がここにいるのを知っているごく内輪ってばれてしまうから、少し噂を流してからってことで来週くらいかな」


 傭兵の予想に居住まいを正す。それまでに準備をしなければ。

 

「怪我は腕じゃないんだ」

「ああ、肩を刺されたんです」

「無茶をする。僕はもう一つの契約条件を履行するつもりはないんだけど、依頼人が危険な目にあうのも我慢がならないんだ」

「ごめんなさい」


 心配の雰囲気があるので素直に謝る。

 傭兵が報酬後払いと言ったのも、本当の意味では契約を実行する気がないのだと知っている。

 紙の束をしまって傭兵が窓から出て行こうとした。


「で、団長さんはどうするの? 独自に動いているみたいだけど共闘してもいい?」

「いいように判断してください」

「じゃ、状況に応じてってことで」


 来た時と同じように傭兵は姿を消した。

 手紙と携帯をまた包帯の中に隠す。側に置いた短剣を引き抜いて、その刃先を見つめる。自分の血で汚れたそれは、血を拭い綺麗に磨かれている。指先を当てるだけで刺さってしまいそうな切っ先は、引き込まれるように硬質な光を放って美しい。

 危険と背中合わせの誘惑を王弟も感じているんだろうか。

 物事の裏を読取れ。それをつきつめると、あまり嬉しくない結論に至る。


「来週か」


 寝室にもどって着替えながら王弟との対決に思いをはせる。きっと本人がやってくると妙な確信がある。

 それまでに傷がどこまで治ってくれるだろうか。



 王城では国王と王弟は東の処理に忙殺された。国王本人と、というより本国との折衝により少なからぬ賠償金と川向こうの砦を含む一帯、川の完全なる通行権に加えて上流の金山の権利を手に入れることで、決着を見た。

 そうなれば条約の締結後に東の国王を送り届けなければならない。人選は自明だ。

 王弟にとっても、最後の機会と感じられた。



 春から初夏にかけての風の気持ちのよい夜、離宮には秘密の訪問者があった。

 


「待ってもらっていたようですね」

「話し合いを、と思いまして」

「今更ですか?」


 そう言って王弟は笑う。

 獲物をなぶる肉食獣のような声音だった。






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