71 見えてくるもの
神殿上層部には大きな衝撃を与えた春となる。
神官長は死亡、国王の婚約者の娘が一時重体とそれだけでも神聖な神殿にあるまじき騒動だったのに、神官長が大公の内乱に関わったことを知らされて、上層部は顔色もなかった。
熱も下がって少し回復した頃には、王家から神殿側に通達が行った後だった。
儀式に備えて召喚の間の隣に詰めていた神官は、憔悴した面持ちで娘と面会した。
神官には娘が誰に襲撃されたかは内々に知らされたらしく、左腕を曲げて幅広の布で吊った姿を痛ましい目で見つめるばかりだった。
「此度のことは何と申し上げてよいやら。どれだけ詫びても足りません」
目覚めれば春の祭典はとっくに終わっていて、それに密かに落胆していた娘にとっても神官のやつれようは気にかかる。
神官のせいではない。神官長の暴走だと返事をした娘に神官は首を振った。
「神官長様……いいえ、神官長に私も薬を盛られていたのです。おそらく帰還の儀を行えないようにと。私の不注意です」
神官と自分の両方に手を伸ばすことで、帰還を邪魔したのだと知って、寝台の上で娘は思わず息をのむ。同席した国王と王弟も厳しい顔つきだ。扉を守るように立っていた団長にも、声は届く。
召喚の間の控えの部屋で横たわっていたのを確認した神官が、眠らされていたと報告を受けたのは奥殿を封鎖した後のことだった。不自然な睡眠状態からそれと知り、娘の治療の後で侍医が診察した結果がそうだった。
神官長の執念と、手段を選ばぬ行為は今更ながらに部屋の空気を重くした。
王弟と娘の間の緊張も相当なものだ。
国王に続いて入ってきた際、思わず体が逃げそうになった娘を何の表情も浮かべずに見つめ、次に微笑した王弟は神官長よりたちが悪い。
それを見て、すっと頭が冷える。隙をみせたらそこからやられてしまう。
ただでさえ王弟が有利な状況なのだ。できるのは考えること、時期を計ること、できるだけこちらに有利になるようにもっていくことだ。
表面上は病状を気遣う言葉とそれに感謝するやりとりをしているが、互いの目は相手の今後の出方を探っている。
団長は背後から、そんな二人を観察する。抑えた中に漂う張り詰めたものは、この二人が静かに戦っている様子を伝えている。やはり殿下に注意しろとの言葉は言い間違いではなかったようだ。
そんな中で国王が娘に神殿の、代々の神官長に伝えられた記録のことを説明している。
「召喚された人の記録は見せてもらったけれど、それを利用していたのですか?」
そのことに神官はうなだれ、娘は呆然とする。
国王は冷えた口調で言い切った。
「表沙汰にはしない。だが神殿側は今までのような恩恵は期待せぬことだ。代々の召喚に関係した不正は見過ごせない」
代々の王妃を召喚してきた神殿、それゆえに王家に対しての特権を持っていたのが今後は通用しない。王家と神殿の力関係が決まった瞬間だった。
「名目は後ほどとするが、召喚そのものについても考え直す。よいな」
神官――神官長が亡き後では次の神官長にほぼ決まっている彼は、言葉もなく恭順の意を表した。
召喚制度がなくなるかもしれないことに、娘はほっとしたのとともに複雑な思いを感じる。
もう、無理につれてこられる人は出ない。元の世界と切り離されて苦しむ人は出ない。それは喜ばしいことだが、別世界の人間を一人連れてきたことで保たれてきた均衡は崩れる。
国王か、次の代からはこの世界の人が王妃になる。元々、それに伴う争いを避ける目的で召喚が始まったらしいのに逆戻りだ。国内外を巻き込んだ政略結婚が新しい火種になるかもしれない。
国王は娘の様子に苦笑する。
「そのような顔をするな。面倒だが御せないようでは話にならない」
ふと表情を改めて神官を見つめる。
「次の儀式は早くても秋だな?」
「はい」
その間こちらにとどめるのに成功した王弟と亡き神官長、足止めされた自分。いくらでも王弟は手を打つことができる。対する自分の持つカードは少なく、頼りない。
王弟としても邪魔者の排除と証拠隠滅に動くだろう。王弟のテリトリーに居続けるのは、自分の首を絞めるようなものだ。
どうにか身の安全を確保しつつ、王弟の力を削がないといけない。
本当に蟻が象に挑むようなものだと、相手の大きさに内心は呻くような思いがしている。今回のことで神殿に手を回されて儀式を邪魔されれば、帰還することもできないのが痛い。
王弟がその気になれば祭典中日に神官をどうにかするだけで、自分は足止めされ続けるのだ。
どうすればいいんだろう。
左腕に吊った布の下で包帯で巻きつけた携帯に触る。これを最高の形で使わないと。協力者が要る。その顔ぶれと方針を色々な可能性とともに考える。
黙りこんだ娘を、国王が気遣った。
「傷が痛むのか?」
「……だんだんと和らいでいます。指はまだ痺れたままですが」
指先をすくい取られて固い指先が触れてくる。順番に触られてもやはり感覚が鈍い部分がある。
首に傷跡を残す国王も、こんな痛みや後遺症があったのだろうか。加えて実の弟からの暴力。自分も夢で見たように、国王も引きずり込まれるような思いをしたのだろうか。
こんなことで同情するのもおかしな話だが、触れてくる無骨な指は嫌ではなく国王が五本とも指先を触り終えるまでそのままでいた。
「今後だが、いつまでも神殿にという訳にもいかないが、王城も騒がしい。召喚制度の凍結や廃止となればもっとうるさくなる。どこかで静養できればいいのだが」
「では、母上のいらした離宮はいかがですか」
王弟が国王に提案する。首をかしげると、国王は少し寂しそうに笑った。
「森の中に離宮があってな。母がそこに滞在していたのだ」
父親である先代と、本意ではなく生んだ子供達に耐えられなくなった時に、時々避難するように滞在していたのだとにおわされる。
人目につきにくく静養するなら申し分ない。王城の地続きなので警備もしやすい。
馬で移動すれば、そんなに離れてもいない場所でうってつけではある。
「そなたはどうする?」
国王から尋ねられ、提案した王弟に視線を移す。森の中。人目につきにくい。危険極まりない。ただ反対にまぎれやすい。
伝説の娘に逃げられないように、当然ながら神殿内の部屋に抜け道などない。王城だと人が多くて逃げ出しにくい。
危険な賭けだが、王弟からの宣戦布告でもある。ゆっくりと頷いて同意する。
日を選んで移動することになり、国王は離宮の手入れを王弟に頼んだ。
国王と王弟が王城に戻る時間になり、団長は扉を開けて見送る。
神官が王弟に話している声が耳に入った。
「殿下。今回のご厚情、ありがとうございます」
「いや、礼には及ばない」
「しかし……」
王弟は手でそれ以上のことを制して神殿を後にした。引っかかりを覚えて団長は神官に尋ねる。
「殿下がいかがしたか?」
「いいえ。殿下はこのようなことになったのに、神官長さ……に配慮してくださったのです。密かに墓に葬ってくださったのです」
表向きは反逆の罪なのでおおっぴらには葬れないが、と墓碑銘はないが墓を用意してくれたのだと神官は呟いた。その場所を聞き出して団長は神官と話をする。
神官長となっても当面は茨の道だろうが、帰還の鍵を握っている人物だ。
「今回は残念なことになったが、帰還の陣と呪は守り抜いて欲しい」
「陛下もそのおつもりのようですし、命にかえましても」
「あなたが命を落としたら、儀式を行う者がいない。ご自身を含めて気をつけてほしい」
「承知いたしました」
神官も部屋を出たのを確認して、寝台の上で難しい顔をしたままの娘の側に立つ。
見上げた娘の顔を忘れないようにと見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「帰還の意思は変わらないか?」
表情を強張らせた後で、かすかに頷いた娘と目線を合わせるように、床に膝をつく。
「――分かった。無事に帰ってご両親を見送れることを祈っている。どの場所にいようと、どの世界で生きようと幸せを祈っている。
俺はあなたの警備からは外れることになる。代わりに信頼できる者を側に付ける。何かあればその者を通じて連絡を取ってくれ」
今の状態では娘のお荷物だ。緊急事態も一応は山を越えた。今後は当初の目的のもう一つ、東の国との交渉とそれに伴う残務処理に当たらねばならない。
おそらく賠償を取った上で国王は東に送り返すことになる。命があればそれに随行して東にとなるだろう。
「俺は道を外れてあなたを掠め取った。ただそれがあなたを苦しめるだけの結果になってしまった。陛下と殿下のお考えがどこにあるかはこれからだが」
続きを胸にしまって娘の反応を待った。
「これから、どうするんですか?」
「ここと離宮の警備体制を整えて、東の件の決着を待つ。それから先は流動的だ」
計画はあるが口に出さずにいる。
「王城から、王都からは離れるんですか?」
「命があればな」
その言葉に娘がうつむけていた顔を上げる。瞳が強い感情を宿していた。
「生きてください。どんなことをしても、死んだら駄目。生きていればなんとでもなります」
強い口調に圧倒される。
「私もどんな手を使っても生き抜きます。殿下は陛下を伴侶にしないで帰還すると決めた私を、そしてあなたを憎んでいます。妹さんも神官も危なくなるかもしれません」
「分かった。手をうとう」
殿下の意図を知り、方針も固まった。早速に実行に移すことにして、団長は娘を見つめた。
「俺のどこが好きだった?」
しばらくの沈黙の後に、言葉が紡がれた。
「――不器用な優しさと、ちょっと情けないけど頼りがいのあるところ」
「頼りがいは全くないだろう」
「いいえ」
ふわりと花がほころんだような顔を娘は見せた。
それに胸をつかれる。
こぶしを握ってゆっくりと左胸に当てる。頭を下げて戻した。数瞬、見つめあう。誰よりも綺麗だと思った黒い瞳を焼き付けた。
団長が静かに立ち上がり、部屋を出て行くのを見送る。
けじめをつけたのだと、思った。何も言わずにいなくなろうとした自分の気持ちを受け止めて、折り合いをつけたのだと。その目には前に南で見せたような引き止めるような光はなかった。
どこにいても幸せを祈っている。口調に嘘はなかった。
本当はもっともっと好きなところはある。照れた顔も、真剣な表情も。雷雨の時にすっぽりと包んでくれた温かさも、東で、神殿で守ってくれた際の厳しさも。迎えに来てくれなかった時でさえ本心からは嫌いになれなかった。
異常な緊張状態の心理といえばそれまでなのかもしれない。いつか、平和なところで思い返せば錯覚だったのだとなる感情なのかもしれない。
それでも変わった陛下よりも求めてしまっている。
彼が何かを考えて動こうとしているのはおぼろげながら察せられる。
きっと自分のためなのも。危ないことはしてほしくない。深入りしてほしくない。
でも黙って動くのだろう。
「好きだった? ……過去形じゃないのに」
夜中、人気のない墓地の一角でざく、ざくと土音が響く。
「墓荒しか。呪われそうだが」
土が柔らかいのを幸いに掘り下げていくと、あまりいかないうちに固い感触に行き当たる。
棺が姿を現すまでしばらく堀り、ようやく重いふたをどけることに成功する。
夜の闇の中でも、中に何も入っていないのは確認できた。
「なら次は……」
元のように土をかぶせて、墓荒しは共同墓地へと歩を進める。その端にある竪穴のようなところには罪人や身元の知れない死体が底に折り重なっている。時期も性別も年齢も様々なそれから目印を手がかりに、次々と転がしていく。
程なく目当てのものにたどり着いたようだ。顔は分からなくなっているが切断面には見覚えがある。
口の中の物は取り出されていた。左腕を調べていると、割れた爪に何かが挟まっている。
「ふ、ん……」
白い服を着ている本人のものではない、黒い繊維を確認する。
それ以上の情報は得られずに、穴を這い上がって服をはたいて王城へと戻る。
「詰めが甘いな」
そのまま、地下の牢へと赴く。話を聞いた牢番はひげ面で、話ならもうしたと少し迷惑そうだったが、もう一度とせがんだ。
重犯罪人用の牢番をするだけあって肝も据わっていて、体格も見事だ。簡素な黒い服に包んでも隠し切れない筋肉が見て取れる。
一通り聞き出して、報告書用の書付をした後で牢を後にした。
己の勘が囁いている。だがこれだけでは足りない。
おそらくは離宮に舞台が移る。自分が側を離れるのも計算のうちだ。
自分と副団長が離れている間に騎士団がどれだけ殿下の影響を受けているかが問題だが、腹心はいる。殿下の護衛を長く務めた者を外して、それらを配置するのに時間を費やす。
騎士団本部には戻らずに、東の国王の滞在している部屋に顔を出すと、当初の勢いからは随分しおれた東の国王が泣き言を言ってくる。
どう泣き喚こうと本国と陛下の交渉次第だ。
まだしばらくこちらは時間がかかるだろう。
同時進行でおこる問題をあざ笑うかのように強い風が吹く。
「嫌な風だ」