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70  仕切り直し

 まだ頭がぼんやりしていて、現実味がないままで上から下りてきた唇を受け入れていた。口に広がった薬の苦味も、それを流す水のぬるみもまだ夢の続きのような気がしている。

 ただ繋がれ絡められた手の重さや唇の柔らかさ、何度か角度を変える際に顎に当たるひげのちくちくした感触、なにより間近で覗き込んでくる茶色の瞳のに、じわじわとこれが本当のことなのだと実感する。

 

 顔が見られるなんて思わなかった。ここにいることに正直驚いた。

 のんきなことを考えていた脳裏に、侯爵の顔が浮かんでとっさに繋がれた手をはずそうと体が動く。

 ――王都にはよこさない。私的に会えると思うなと釘を刺されていたのに。何より、息子を斬ると断言していた人だ。

 駄目だと思うのに、手はさらに深く抑え込まれてしまった。

 ようやく解放された時に見せた辛そうな表情が妙に印象に残る。

 

 刺されて目の前が暗くなる直前に顔を見た気はしたけれど、ひどく曖昧な記憶でその後は暗闇に引きずりこまれていた気がする。

 足を引っ張るのは神官長だったり、――王弟だったり。

 ぼんやりした記憶が、ゆっくりと繋がる。途端に背筋に悪寒を覚えた。そうだ、神官長と王弟が敵になった。自分を排除しようとした。

 ぶつけられた言葉や感情を思い出し、ようやく大事なことに気付く。

 ――携帯。

 手首にストラップを通していたはず。つい左手を上げようとして、肩に痛みが走る。

 そういえば、刺されたんだ。

 

「動いてはいけない。今、医者を呼んでくる」


 そう言って、長椅子に寝ていた侍女を揺り起こして隣の部屋へと消えた。

 周りを見る余裕ができて、ここが神殿の中の部屋だと気付いた。神官長はどうしただろうか。国王がいた気もしたけれど、王弟はどうだっただろう。

 考えは涙で濡れた侍女の顔で中断された。


「お目覚めになられましたね。本当に良かった」


 手を取られてそっと握り返すと、綺麗な顔が涙でくしゃくしゃになっている。

 自分を案じてくれる、優しい――彼の妹。王弟には目障りな彼の、妹。目覚めたのを知ったら、王弟はどう出てくるだろうか。ここに刺客をよこすだろうか。

 皮肉にも自分が生き証人になってしまっている。ともすれば四散しそうなとりとめのない考えをまとめているうちに、隣から彼とお医者様が戻ってきた。

 侍女に王城へ、国王へと知らせるようにと言い、侍女は自分に泣き笑いのような顔を見せて目の辺りを拭いながら出て行った。


「ご気分はいかがですか。傷口は小さいのですがかなり深いものでした。手指は動かせるでしょうか」


 医者から傷の状態を確かめながらの質問に応じる。指は動く。でも一部で感覚がひどく鈍い。肩を刺されたから、手にいっている神経にも傷をつけたのだろうか。

 医者は時間がたてば変化するかもしれない、と言ってはくれた。

 殺されそうになったことを思えば、これくらいで済んだのはありがたいのかな。

 上掛けをめくられて目の当たりにした左手首に携帯はなかった。どうしてしまったのだろう。神官長に取り上げられてしまったか?


「質問をしてもかまわないだろうか」

「意識が戻ったばかりですので、手短に。あとは栄養のあるものを取って体力を戻すのが大切です」


 お医者様の注意に承知した、と短くかえして彼がさっきの場所、すぐ近くの椅子に座った。


「どうして神官長に刺されるようなことになったのか教えてもらえるか?」

「あの、神官長は……」


 少し言いよどんだ後で、重々しい声で言葉を選びながら教えてくれた。


「牢の中で事故で死んだ」

「事故で……」


 自分が助かったのなら、神官長は捕まったはずだとまでは予想しても、死んだとは思わなかった。タイミングが良すぎる。これじゃまるで。


「どうして?」

「陛下の話ではパンを喉に詰まらせたとか」


 それなら確かに事故かもしれない。


「神官長はどうして牢に」


 こっちの質問攻めに彼が苦笑した。でもすぐにそれを真面目なものに改める。


「大公殿下の書類から、大公殿下と通じて内乱の一翼をになった疑いがあることと、あなたへの襲撃だ」


 思いがけない名前に驚いてしまう。大公と神官長、内乱と宗教。ここで前に感じた疑問が一つ氷解したような気がする。

 争いを禁じたはずの宗教の信者だったはずの大公が、内乱の首謀者になったことの矛盾。口癖のように、『私は俗物だから』と自嘲していたのは、『聖』なはずの神官長を少なからず意識していたのだろうか。

 謀反や反逆といわれることに加担したのなら、神官長が牢に入れられてもおかしくない。

 考え込んでいたら、こっちの番とばかりに質問された。


「先程の質問に答えてもらおうか」

「……婚儀を挙げずに帰還するのを選んだのが、神を冒涜している。だから私を消して、改めて伝説の娘を召喚するからと」


 今度は彼の方が驚いていた。黙り込んだ彼の周囲に殺気のようなものが漂った気がした。

 ひとつ分かったことは、神官長はもはや危害を及ぼせないということ。自分を疎ましく思うのが、王弟に絞られたということだ。

 王弟の声を記録した携帯はどこだろう。


「私の携帯はどこですか?」

「携帯?」

「四角い、わっかが横に付いている……」

「ああ、これのことか」


 無造作に取り出された携帯に安心すると同時に、どうしてこれを彼が持っているのだろうと疑問に思う。

 彼は覚えてないのか、仕方はないがとくしゃりと頭をなでた。


「刺された後で、これを守れ、誰にも渡すなと俺によこしたんだ」


 全然記憶にない。受け取ってみると律儀に電源もオフになっている。起動してメニューを確かめる。

 記録時間を考えると多分いけているだろう。それをメディアにもコピーした。

 彼に聞かせようかと思った。ただそうと知れば、王弟は彼も抹殺に動くだろう。

 それでなくても、王弟には目障りな存在として認識されているのに。

 

 何度も再生するわけにはいかない。電池は有限で、ここでは充電はできない。

 できるならとびっきり効果的な時を選んで、王弟に、他の人にも証拠を突きつけるべきだ。

 それにさっきから妙に眠くて、ここで再生すれば聞き終わりまで起きていられるか分からない。眠ってしまって電池切れなんてことになったら最悪だ。


 そう考えて彼に聞かせるのを、ここで再生するのを思いとどまった。

 もう一度電源を落として、電池パックを外す。

 彼に手渡してまた持っていてもらえないかと頼むと、黙り込まれてしまった。


「俺は本来ここにはいてはならない存在だ。いつまでも王城や王都に留まれない」


 それは、近いうちにいなくなるということだろう。

 嫌な予感ほど、ここではよく当たる。

 でも勝手に帰還しようとしたのだから、最初に手を離すのを決めたのは自分だ。

 それに、王弟から離れる方が安全に決まっている。

 ただ、携帯は寝ている間に持って行かれてしまうわけにはいかない。なら、とあることを彼が提案し、すぐさま実行してしまった。

 左腕に携帯と電池パックをおいて、包帯でぐるぐる巻きにしてしまった。

 確かにこれなら枕の下よりは安心かもしれない。


 急に疲れがおそってきて目蓋も重くなる。彼も頃合と思ったのか、髪を梳きながら優しげな口調になった。


「ゆっくり眠れ」


 でもこれだけは言っておかないといけない。右手を伸ばすと握られたので、自分の方にひきよせる。

 顔をよせてくれた彼の耳元で、彼だけに聞こえるようにと。


「殿下に気をつけて。殿下が……」

「王弟殿下のことか?」


 引きずりこまれるような睡魔に、熱さましに眠くなる成分が入っていたのではないかと思い当たる。

 もっと詳しく言わないといけないけれど、言うと巻き込んでしまう。

 どうしたらいい、と自問するうちに手から力が抜けた。


 

 殿下に気を付けろとはと、団長は胸の中で呟いた。

 根拠もなく言い出すことはないように思う。高熱というほどでもないから、熱に浮かされてのことでもない。刺されたことによる混乱の可能性は否定はできないが……と、そこまで考えて陛下の言葉を思い出す。


「物事の裏を読め、か」


 王弟殿下は兄思いで頭は切れるが周囲にそうと悟らせずに、にこやかに微笑んで柔らかく事態を収拾させるのに長けている。

 まさしく宰相に相応しい方だという評価を得ていて、ご本人も宰相を目指している。今はまだ若輩だからと先代国王からの宰相についている段階だ。

 自身も個人的に親しくさせてもらって、今回の件では特に恩義も感じている。

 

 そんな王弟殿下に裏などあるのだろうか?


 意識が戻ったのだから、後は陛下にゆだねて王城を去るつもりったが、密かに調べてみようかという気になった。こと王家の中枢に位置する人物である。疑惑を持ったなどとちらとでも悟られれば、即、反逆扱いされかねない。慎重を期すに越したことはない。

 

「こんな時にあいつがいれば」


 東にいる優秀な同僚で、大事な友人を思い浮かべる。奴なら納得すれば何も言わずに協力をしてくれる。しかも惜しみない協力をだ。

 遠く離れていることでそれもかなわないのを残念に思いながら、まずは神官長の死の様子から調べるかと考える。あとはそれとなく陛下や周囲の者から聞き出す。


 今や数少ない血族、しかも同腹の弟君を大事に思っていらっしゃる陛下に、当の弟君を調べるとは悟られてはならない。

 彼女が目を覚ましたことは遠からず陛下から殿下に伝わるだろう。

 きっとお二人ともここにもいらっしゃる。その際にこちらの疑念を感じ取られることのないように、とぐっと腹に力を入れる。

 調べて何もなければそれでいい、彼女の杞憂ということになる。だがもしかしたら別の意味での戦が始まるのかもしれない。

 戦なら、負けられない。

 


 国王と王弟は娘の意識が戻ったのを執務中に知らされた。


「そうか」

「良かったですね、兄上」


 短い言葉の中に安堵を滲ませた国王と、ほうっと息を吐いて頷いた王弟。

 別々の思惑を内に秘めて何かが動こうとしている。






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