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69  おかえり

「聞こえているか、死ぬな。頼む」


 ここまで呼びかけて団長は、はっとする。娘が意識を失った。出血に伴うものだろうが、流れる血の色が鮮やかでこの色の場合出血が早く、量も多いのは経験から知っている。

 止血をしなくては。だが、娘に触れられるのは、その資格があるのは――自分ではない。さっきは我を忘れて側にいたが、ここは。

 振り返って神官長の側にいた国王に視線を送る。国王はゆっくりと立ち上がり、寝台の側までやってきた。


「陛下、止血を」

「そうだな」


 国王が寝衣に手をかけて左の肩をあらわにする。傷は小さいが深く刺さったのか、中で血管を貫いたのか今も血が出続けている。


「清潔な布を。湯もよこせ」


 短く伝えて団長は神官長が転がっているあたりまで下がった。

 国王陛下の婚約者たる娘の肌を見てはならない。

 娘が以前騎士団で働いていたのは、騎士なら知っていることだ。

 ここにいる護衛も食堂の下働きだった娘と、責任者だった団長のことは承知していた。さっきのはかつて自分のところで働いたことのある、いわば部下に向けた発言としてぎりぎりおかしくはない。

 それ以上娘に関わるのは、傍から見て不審を招く。

 内心は娘を介抱した嵐の時のように波立ち、荒れ狂いながらも、その心情は表には出せない。


 こんな自分にうっすらと笑って『嬉しい』と言ってくれたのが何より愛しくてもだ。


 託された四角い箱のような物を握り締めて、ひたすらに医者の到着を待った。





 国王は眼下の娘を眺める。顔色はとうになく、血の色ばかりが鮮やかだ。

 肩を露出したことで、首飾りが目に入った。先端が鋭く針のように尖らせてある。そこに血が付着しているのを見て取り、神官長の顔の傷に合点がいった。

 その装飾部分に思わず眉がよる。騎士団の紋章に黒い石がはめ込まれている。意匠と黒い石は否が応でも娘と団長を連想させる。

 先ほどの二人の様子に入り込めないと感じたが、意識を失ってさえ、娘は自分のものではないことを思い知らされた。

 湯に布を浸して、傷口を拭う。きれいに拭いてもすぐに出血がある。

 力をこめて傷口を寄せるようにして押さえる。本来なら痛みに呻いてもおかしくないのに、反応がない。それが恐ろしい。

 どれくらい出血したのだろうか。国王は傷口を押さえながら、団長を呼んだ。


「脈を取ってみてくれ」


 幾分かためらいがちに近寄る気配がしたかと思うと、そっと無骨な指が娘の右手首に当てられた。

 しばらくの沈黙の後に、低い声で団長が応じる。


「かなり弱っています」

「こんな所で死なせるわけにはいかぬ」


 娘を挟んで二人の男が側に付く。ようやくと思える頃に侍医がやってきた。


「この二人は暴漢に襲われた。神官長は腕を切られ、これは肩を刺された。応急処置として止血をしている」


 侍医に場所を譲りながら国王がそう伝えた。同時に護衛に強い眼差しを向ける。

 護衛は正しく国王の意図を察して、礼を取った。

 ただ神官長だけがわめいている。いい加減気に障ると、止血の状態だけを確認させて、国王は護衛に投獄を命令した。

 呪詛を吐きながらも神官長が消えた後、国王と団長は侍医の処置を見守った。


「かなり出血が多いです。傷口は縫いますが中で血がたまるかもしれません。動かすのは危険ですから、しばらくここで」


 消毒をして、傷の深さを確かめながら侍医が厳しい顔になる。

 流れる血を戻すことなどできない。後は、娘の体力次第ということになる。


「熱が出るかもしれません。微熱程度なら二、三日もすればおさまります。その後で高熱になれば、傷が膿んでいる恐れがあります」


 出血に発熱が追い討ちをかけるとすれば、致命的になりかねない。

 

「非常に危険な状態です」


 侍医の言葉が重く重くのしかかった。



 しばらく見守った後に、国王は王城へ戻ると宣言した。今回の処理とどさくさにまぎれてはいるが、虜囚の部屋に入れてある東の国王に対処する必要があるからだ。

 娘がこんなことになり、帰還の儀は行えるはずもない。

 今の国王には神殿で祈る気すらおこらない。今日一日を降って湧いた懸案処理にあてることにした。


「賊が侵入したと神殿側には伝えよ。騎士団から人をよこして、奥殿を封鎖しろ」


 そこまで言うと、国王はじっと団長を見た。


「そなたは残れ。増員される騎士の配置を行い、ここで、守れ。側にいることを許す」


 込められた気遣いに、団長は深く頭を下げた。

 ありがとうございます、とは口には出せない。ただただ感謝の意を込めて国王が出て行くまで頭を下げ続けた。

 肩の傷は縫合を終え、消毒の後に清潔な布で覆われた。唇の傷も消毒された。侍医は娘の左側に椅子を用意して腰を下ろす。熱が出るようならと熱さましを調合した。

 団長は娘の右側に腰を下ろす。殴られて腫れた頬を冷やしながら、ひたすらに祈る。

 いかないでくれ、と。



 国王は自室に戻り、どかりと長椅子に身を沈めた。程なく扉が叩かれて、侍従長が王弟を伴って入ってきた。


「兄上、何事でしょうか」

「どこに行っていた」

「兄上と寝室で話をした後で、人と会っておりました」

「そなた――余に薬を飲ませたか?」


 兄の詰問に、王弟はかすかに頷いた。


「その通りです。でないと兄上は今夜も眠れなかったでしょう。いずれ倒れてしまうと思いましたので。申し訳ありません」


 弟の済まなさそうな口調に、国王はそれ以上の追及をやめた。

 たいていの薬物には耐性があるはずなのだが、それを知っていて眠らせる作用のある薬を選んだのだろう。そこにある種、自分を確実に眠らせようとする熱意を感じるが、自分を思うあまりならば責められないか。

 国王は話をそこで終わらせて、夜半から今までの出来事を王弟に伝えた。


 話を聞きながら王弟は表情を真面目なものに改め、考え込むそぶりを見せた。


「義姉上――あの方がいなくなったのは、神殿からおびき出されたのでしょうか」

「分からぬ。正直、あれなら抜け道を見つけ出していても不思議ではないからな」

「そして、神殿で神官長から危害を加えられたと」

「そうだ」


 王弟は、国王の前にひざまずいて目の高さをあわせた。

 その様子は自分を案じていて、瞳が不安げに揺れている。


「兄上、神官長の尋問は私に任せてください。今から神殿へと行って、神官長が何故このようなことを起こしたのか、関係しそうな書類などを押収します」

「そなたにはまだ見せてはいないが、叔父上からの手記に神殿側と伝説の娘側の双方の召喚について書かれたものが存在するそうだ。それを手に入れてくれ」


 分かりましたと王弟は立ち上がり、国王を気遣う。


「兄上、ひどいお顔です。少しでも休まれてはいかがですか?」

「とても眠る気になれない」

「でしたら、できるだけ早く問題が解決できるように図ります」

「頼む」


 側近を連れて王弟が出て行くのを目線だけで見送り、国王は背もたれに頭を持たせかけて手で顔を覆った。


「なんて夜だ」


 嵐のように通り抜けた春の夜の災難は、国王に決して忘れえぬ祭典の思い出として刻まれた。



 娘の出血はようやくおさまった。

 団長は短い休憩と食事を挟み、可能な限り側についた。国王も日に何度となく意識のない娘の部屋に顔を出す。

 それまでのじんわりと血の滲んだ布に、言いようのない思いを持ちながら時間を過ごしていた身にとって、出血量が減ってきたのに大の男二人は心底安堵した。


 ただ侍医が宣告したように熱が出始めた。そんなに高くはないが、辛そうだ。

 食事もできるはずがなく、果汁を絞ったものや、娘が国王の看病をした時のように氷室から取り寄せた氷を削って蜜をかけたもの、スープなどを口に少しずつ流し込んでいる状態だ。

 世話にはどうしても女手がいる。口が堅く事情に通じているということで、団長の妹が密かに神殿によこされた。

 侍女はそこに兄がいることに驚き、娘の状態に絶句した。


 きっと国王と団長をにらみつけた。


「どうして、こんなことに」


 その答えを欲しているのは自分達の方だと、その言葉を飲み込んで二人は娘の体を拭いたり、着替えをさせる世話を任せた。

 侍女が世話をしている間、二人は部屋を移して向かい合わせに座った。

 国王が軽食を持ってこさせていて、それを団長にすすめる。


「そなたも何か食べろ。ひどい顔だぞ」

「陛下こそ」


 二人して眠れず食事も満足には取らず、国王はひげは剃ってはいるが、団長の方は無精ひげだ。

 それでも体力が大事なのは承知しているので、食事を始めた。


「神官長が、牢で死んだ」

「死因は何ですか」


 自殺でも管理不行き届き、他殺なら大問題だ。国王は冷たく言い放った。


「パンを喉に詰まらせたそうだ」

「事故、ですか」

「そのようだ」


 あまりに呆気ない神官長の死。図ったようなこの絶妙の時期は何だ?

 ざらついた、不快ななにかが周囲を取り巻いている、そんな薄ら寒い心地になる。

 黙って顔を見合すことで、同じ感想を抱いているのが察せられる。


「どのみち神官長には死あるのみだったから、それが多少早まったというだけなのだが」

「秘密裏に処理すべきであったので、事故で決着がつくならむしろ」


 ひどく曖昧な、それでいて最高の落としどころだ。


「物事の裏を読め――か」


 ふと呟いた国王の顔はひどく寂しげだった。

 団長の視線に気付き、皮肉な笑みを浮かべた。


「そなたが持ってきてくれた叔父上の手記にあった言葉だ。余は、傲慢さと鈍感さから随分と大事なことを見落としてきたようだ」


 物事の裏を読め。そこに大公殿下の真意が込められているのだろう。今回の出来事の裏は何だ。団長は考え、そして鍵を握る娘に思いを馳せる。

 侍女が着替えが終わったと呼びに来て、国王は娘の顔を見て王城へと戻る。側にいると言い張る妹を長椅子に座らせて、団長は寝台の側の椅子に腰を下ろす。

 じっとその顔を見つめる。頬の腫れはひいたが、唇の端はまだ少し切れたままだ。

 熱のせいで頬に赤みが差しているのは皮肉な話だ。



 傷口が膿んでいる様子はないのが幸いだが、熱がひかなければ体力が持たない。剣を床に立てて手で支えながら、しばらくそのままでいた。侍医は王城に戻っている。

 ふと気付くと、妹が長椅子で眠り込んでいた。自分の仮眠用の毛布をかけてやると、妹はそれに潜り込むようにして寝息をたてた。考えてみれば妹の寝顔を見るのも久しぶりだと、しばらくぶりに口の端が緩む。

 彼女に至っては寝顔を見たのは一度きりだ。

 今の、怪我で苦しんでいるこれを寝顔とは取らなければ、だが。



 こうして側で護衛ができるのも、ひとえに陛下の温情だ。自分のためにではなく、彼女のためにそのようにしてくれた。王弟殿下も神官長の件が片付いたらこちらに顔を出すと、伝言と見舞いの品をよこしてくれている。

 本来なら王都に顔を出すことは勿論、彼女の側になど近寄ることもできないはずだったのに。今だって妹と一緒だからと部屋の周囲には護衛を配しても、中に立ち入らせないでくれる。彼女の容態が危ないから、そう配慮してくれているのだ。

 陛下の温情と殿下の気遣いに、この恩義は返しきれないと痛感する。


「とても陛下のようにはなれない気がする。あなたへの独占欲だけを膨らましていた俺など。しかし、もう生きていてくれさえすればいい。ここでなくても、どの世界であろうとも」


 たとえ目も手も届かなくてもだ。

 陛下が先にたどり着いた心境にようやくか、と不甲斐なさを感じるが自分で見つけた答えは、すとんと納得できるものがある。


「あなたは強い。でも時々、不安に潰されそうに瞳が揺れるんだ。それをどうにか無くしたくて、あなたが笑ってくれたらそれだけで嬉しくなった。しっかりした考えに感心して、行動力に舌を巻いた。気付いた時には深みにはまって抜け出せなくなっていた」


 そっと髪の毛をなでると、かすかに身じろぎをしたように思えた。

 しばらくそのままでいたが、目は開かない。


「あなたの弱いところを見せられて、俺が守りたいと思ったんだ。いつも凛としているあなたの落差にやられてしまった」


 ぽつりぽつりと言葉を選びながら、髪の毛を梳く。


「結局は俺が守られる形になってしまったが」


 ゆっくりと顔を近づけ、額と額をあわせる。感じる熱は彼女の方が高い。

 

「戻ってきてくれ。あなたには苦痛しか与えなかった世界かもしれないが、あなたを想って心配している人が沢山いるんだ」


 頼む、と名前を呼びかけても反応はない。

 顔を離し、身を引こうとした瞬間、服を引っ張られていることに気付いた。

 どこかぼんやりとした黒い瞳が、こちらを向いている。

 目をやれば服の裾をつかまれている。


「……ほん、もの?」

「ああ。――おかえり」


 こみ上げてくるものを隠すように、密やかに口にする。抱きしめたいが怪我人と我慢する。

 

「あなたは刺されて、三日眠っていた。出血が多くて正直危なかった」

「刺された……」


 記憶が混濁しているようで、今、無理に思い出させることもないと判断した。

 妹を振り返り、起こそうとして途中でやめる。


「熱が出ているので熱さましをもらっている。飲んでくれ」

「は、い。痛っ」

「こら、動くな」


 起き上がろうとして痛みに硬直したのを慌てて寝かしつけて、熱さましを手にとる。侍医は飲みやすいようにと水薬にしてくれていた。

 それを口に含んで、彼女の唇に重ねる。ゆるく開いた中に少しずつ注ぐと、こくりと喉が鳴った。驚きで彼女の目は見開かれたままだ。

 飲み下したのはいいが口に残るそれに、揃って顔をしかめてしまった。


「苦い」

「なら、口直しだ」


 水差しから水を汲む。意図を察して熱で赤い顔はもっと赤くなり、瞳が潤んでいる。

 無事な右手を繋ぎ、指を絡めて寝台に押し付ける。体重をかけないように覆いかぶさり、顔を寄せる。

 ゆっくりと彼女に口付ける。おそらく最後となるだろう口づけを。




 

 

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