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68  末路

人が死ぬ残酷描写があります。

 ばたばたと慌しい部屋の中で、痛みに呻き続ける神官長のある意味醜悪な姿に、同情の目を向ける者はいない。

 護衛の連れて来た医者に止血の状態だけを確認させて、国王は命令する。


「重犯罪人用の牢に。決して人目に触れさせるな」

「はっ」


 短く返事をして、護衛が神官長を立ち上がらせる。

 血と涙にまみれた顔が苦痛と憎悪に歪む。


「神を、その教えを広める者をないがしろになさるか。あなた様はやはり未熟な国王だ。大公様ならよほど――」

「ここで切り捨てられたいか。きさまなどが叔父上の名を挙げるな。汚れる」


 一片の温かみも感じさせない、冷え切ったそれに神官長も口をつぐんだ。

 引き立てられながらも、医者が娘の側で厳しい顔つきになっているのに、歪んだ笑いが生じている。

 堕ちるのならば道連れを。

 鍛えなどしてもいない、しかも腕を失って血と体力を失っている身だ。護衛は一人で適当な布に神官長を包んで担ぎ上げる。

 夜明けの気配がしてきた外を歩きながら、塊に何ごとかを囁いた。

 束の間、塊の動きが止まり、その後は抵抗もせずに大人しく運ばれた。


 王城の最深部、娘が入れられた牢の更に奥。見張りを立て窓もない、そこは特別な牢だった。手枷、足枷をしてそれを鎖で壁に繋ぐ。暗く、湿って、かび臭い。

 ここに入れられた者の末路は総じて悲惨だ。病を得るか光も希望もない室内で己の精神を壊すか。


 ただ、神官長はどちらも選ぶつもりはなかった。

 自身の価値――王家の代々の秘密や恥部を知りぬいたこの身、国の唯一の宗教の最高指導者、それに大公派に連なる貴族達とはひとかたならぬよしみを通じている。何より王城には最高の共犯者がいる。

 一時はこの屈辱に身を任せようとも、必ずやここを出てあの国王に、伝説の娘に、団長に復讐してやる。いや、復讐などではない。


 神の裁きであり、鉄槌だ。


 神を、その使徒をないがしろにした罪は到底赦されるはずがない。

 神官長は止血した部分から今もにじみ出る赤を忌々しげに見つめながら、歪んだ思惑を支えとした。

 ――自身では歪みと気付きもせずに。



 見張りがいる扉を抜けて、狭い廊下を誰かが歩いてくる。格子の下から食事が差し入れられた。砕いて武器にするのを警戒してだろう、木の椀に具のほとんどないスープと、やはり木でつくられた皿にパンが載っている。

 熱を出しかけて朦朧としていた神官長はとても食べる気になどならず、壁によりかかっていた。ここには寝台もない。寝るのなら鎖の範囲内で直に石の床に横になるしかない。

 食事に見向きもしない神官長に、それを持ってきたおそらく牢番は低い声をかけた。


「食べないと体がもたない。パンだけでも手に取れ」


 その物言いに何かを感じて、のろのろと顔を上げた時には既に牢番の姿はなかった。

 じゃらりと鎖を鳴らしながら、粗末な食事を手にする。スープは冷えて油だけが浮き、水分を取るためだけに供されたような有様だ。

 パンはそれに比べればまだましな方だが、神官長の口には到底あいそうにない。


 そのまま皿に戻そうかと思って、ふとパンへの切れ込みに気付く。

 中に手をやると、中身をすこし取り出して代わりに紙切れが入っている。

 そこには小さな文字で助けること、次の連絡を待つことと書かれていた。そしてこの紙は食べてしまうようにとも。

 神官長は紙切れを何度も見返し、声を出さずに笑った。

 

「神よ感謝いたします。私は、必ずや……」


 そして紙とパンを口に入れ、咀嚼し、スープで流し込んだ。

 娘が怪我をして、帰還の儀を行うはずの神官があの様だ。当分は神殿の騒ぎでこちらには本格的な尋問は始まらないはずだ。

 なら、その間にできる限り体力を戻して次に備えるべきだ。


 何より心強い味方がいるのだ。やはり引き入れて正解だったと、熱と悪寒に苦しみながらも神官長は昼とも夜ともつかない牢獄で見果てぬ夢を見続けた。

 次の食事ではパンには細工がされていなかった。落胆はしたができる事は待つことしかない。

 なくした腕のその先の痛みと、熱に浮かされながらも神官長は床に横になり続けた。



 また食事が差し入れられた。ぼんやりと牢番を見る。

 ひげで顔の下半分を隠すような牢番は、表情をのせずに低い声で囁く。


「このパンは食べずに取っておけ。合図がるまで決して中を探るな」


 期待と興奮をこめて頷き返して、スープだけを空にした。

 牢の中でパンを隠せる場所などそうはない。自分の懐にそれを入れて時を待ち続けた。

 待って、待ってどれくらい経っただろうか。耳が小さな音を捉えた。

 足音をさせずにやってくる気配が格子の前で止まった。


「待たせたな。今から言うことを実行してくれ」

「分かった」


 さっきと同じ声が密やかにパンを割るようにと言ってくる。真ん中で割っても中には何も入っていなかった。

 どういうことだ?


「おい、これは」

「片方よこせ」


 言われるままに半分を渡すと男はパンを押しつぶし、ふっと笑い含みの息を吐いた。


「大丈夫だ、こちらに入っている。そっちの半分は食べちまいな」

「あ、ああ……」


 食欲もなく、スープもないのにもそもそとパンを食べるのはと思ったが、言うことを聞かないと男は動くつもりがないようだ。

 小さくちぎって口の中に入れていたが、ふいに呼びかけられた。


「手伝ってやる」


 何を、と思う間もなく口いっぱいにパンが押し込まれた。慌てて吐き出そうとするより早く口を押さえられ鼻も塞がれる。

 喉を塞ぐ水気のない塊。空気を求めようとも口と鼻は押さえられ取り込むことができない。枷をはめられた手で必死にどかそうとするが、ぴっちりと服に覆われた腕を傷つけることすらできない。

 喉から呻き声が聞こえる。獣のようなそれが自分からの?

 頭が締め付けられるように痛み、目の前が暗くなっていく。

 最後に聞いたのは、あざ笑うような囁き。


「お前の行くところに神はいないだろうよ」


 あとは――暗黒。




 娘を探索していた騎士と、神殿からよこされた護衛から別々に報告を受けて、王弟は必要な処置を取った。

 二日後の夜、側近から報告を聞く。


「神官長が?」

「ええ、夜中、食べずにいたパンをかじっていたのが喉に詰まったようです」

「そうか。それは気の毒な」


 王弟は全く気の毒そうな表情を浮かべずに報告を受けた。

 国王と団長が神殿へと連れて行った護衛の半分は、王妃の部屋を警護していた。つまりは自分の手の者だ。

 それが神官長を牢へと連行する際に、警告を発した。


『味方になるお方がいらっしゃいます。静かに時期をお待ちください』


 説得が失敗すれば神殿へ。こんな事態は想定はしていた。展開は予想外だったが。

 牢番もこちらの息がかかっている。わめかれてもごまかしようがあるが、知る者は少ないほうがいい。

 娘と東の国王への対応に忙殺されている兄に、神官長への尋問を請け負った。


「本格的に尋問をと思っていたのに残念だ」


 側近は頭を下げるにとどまった。


「ああ、神官長は丁寧に埋葬してやってくれ」

「よろしいのですか?」

「ああ。表向きは罪人として処理するが裏ではちゃんとした墓を作り、それを神殿側に伝えろ」

「それは、さぞ神殿側は殿下に恩義を感じることでしょう。で、神官長本人はどうします?」

「知れたこと。顔を潰してどこぞの穴にでも放り込め」


 尋問せずとも罪は明らかだ。これに乗じて神殿が秘匿していた文書も押収した。

 その記述と叔父の遺した手記を読んで、王弟は自嘲する。


 ――王家の恥は決して表には出しません、叔父上。

 ――私も王家の存続を願う者。兄を国王として傷のないようにと願う者。

 ――秘密を知る一人は永久に沈黙しました。あと一人は……。


「義姉上の容態はどうだ?」

「侍医によれば出血がひどかったとかで。手は尽くしたそうなのですが」

「そうか」


 破滅の縁に片足をかけている心境で、王弟はその感覚も楽しんでいる。

 どちらに転んでも策はある。


「叔父上、あなたは本当に得がたい方だった」


 そう言うと、用意させた花束を持って王家の霊廟へと足を向けた。




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