07 接触
お使いを頼まれて庭を横切っていると、国王が向こうからお付を従えて歩いてきた。嫌な確率で遭遇してしまった。
娘は一瞬引き返そうと振り返るが、建物からは少し離れていて隠れられそうな場所がない。仕方がないので、端によって頭を下げ国王が通りすぎるのを待つことにした。
目の前を国王一行が通り過ぎる……何故か足が止まっていた。
礼をして下げた視界に靴が見える。その爪先がこちらを向いた、と思ったらできれば聞きたくなかった声がかかる。
「お前は何を始めたんだ?」
面を上げるように命令されて、不承不承顔を上げる。視線を合わせると黒いのがばれてしまうから伏し目がちにするようにと侍女から注意されていて、今もそれを守って国王の胸元あたりを見つめている。
「働いています」
娘は傍から見るといかにも丁寧に、その実慇懃無礼に国王に受け答えしている。伏し目がちなのでいかにもしとやかそうに見えるが、国王は目を合わせてこないことに苛立ちを感じている。
働く必要などないと言いかけたところで、娘が仕事が残っておりますので失礼いたしますと完璧な礼をして立ち去った。
侍従や近衛などごく身近にいる者は、娘の素性を知っている。
召喚の間でのやり取りを知らない者は、娘が国王との結婚を嫌がり働くことを酔狂だと思っていた。
歴代の伝説の娘はいきなり連れてこられたことを悲しみはしても、これ以上ないほどに丁重に扱われていくうちにほだされて、あるいは諦めて国王と結婚していった。
今回の娘のように頑なに結婚を拒み、使用人として働くなど考えたこともなかった。
国王とて娘を働かせようなどみじんも思わなかった。客室から王妃用の部屋に移動させ、教育を施しながら時期を見て婚儀を挙げるつもりだったのに。
それもこれも自分が最初に娘を拒絶したせいか。内心は頭を抱えているが、国王の立場上それを表すのは許されない。
どうすれば娘は態度を変えるのだろうか。
生まれてこの方即位の騒動以外ではかしずかれるばかりで、反抗する者など思いもよらなかった国王にとって、娘は初めて現れた意のままにならない存在だった。
娘が仕事を終えて部屋に戻ると、国王が呼んでいると伝言が残されていた。一日目は伝言が風に飛ばされたことにした。二日目は部屋の前で、侍女が困り顔で待っていた。逃げられなかった。
場所が分からないだろうからと国王の私室まで連れていかれた。
扉の両脇の近衛は連絡がいっていたのだろうか、すんなり開けてくれて中に入ることができた。
案内された部屋で国王は遅い夕食を取っていた。
とりあえず礼をして、扉の横に立っていると不機嫌な声がかけられる。
「座れ」
「嫌です」
「いいから座れ」
押し問答の末、娘は控えている侍従から目で促されて、しぶしぶ食卓を挟んで国王の向かいの椅子に座る。
「食事は?」
「もう済ませました」
牢で倒れて以来、食事は取っていると報告を受けていた国王はちらりと娘の様子を確認する。お仕着せの服を着て、茶色の髪の毛をしている娘は別人のようで、不思議な感じだ。
全くなびこうとしない、頑なな意地っ張り。
「茶くらい付き合え」
拒否は許さぬと告げると、娘はため息をついた。
侍従が茶器に香り高いお茶を淹れてまた壁際に控えた。
色も香りも素晴らしい。口に含むと砂糖も入れていないのにほのかに甘い。
さすがに国王はいいお茶を飲んでいると娘は感心する。使用人の飲むお茶とは雲泥の差だ。
「お前は何故婚儀を嫌がる」
「私のところでは結婚は双方の合意が必要です。それを無理やり呼び出した挙句、不細工呼ばわりで消えうせろ、首を刎ねよ、牢に放り込め。
そんな相手と結婚する気になれるでしょうか? いいえ、なりません」
きっぱりと最後の台詞を言われ、思わず飲みかけの茶をむせそうになって、国王は慌てた。まだ根に持っているのかと言いかけて止める。この娘に言えばおそらく火に油を注ぐに違いない。
「召喚の方はどうなっているのですか?」
「祭典の日に再召喚を行う、それに向けて集中力を高めている状況だ」
「お好みの人が来ればいいですね」
お茶を飲みながら、娘は他人事のように言い放つ。
国王を前に敬意のかけらもない。
そんな娘をどうにか自分の方を向かせたくなる。白々しく伏せた目を向けさせたいと。
「もし再召喚で伝説の娘が現れたら、お前はどうするのだ?」
娘は茶器を置いて食卓の上で両手を組んだ。
「元の所に帰してほしいです。かなわないなら、ここを出てどこかで生きていくので、そのための環境を整えてください」
「一生髪を染めてか?」
「そうならないように、できれば帰してください」
「――もし、伝説の娘が現れなかったら?」
国王の問いに娘は初めて顔を上げた。黒い瞳の視線は静かなのに強い。
見据えられると、なんとなく落ち着かない。
「気は変わりませんので、何度でも召喚をしてください」
不敬の極みの発言に、侍従や部屋の中にいた団長は一瞬硬直した。また娘が『処分』されてしまうのではないかと気を揉む周囲の中、当の国王は一瞬だけ怒りを覚えたが、それとともにずきりと胸が痛んだ気がした。
この娘は恐ろしく強情だ。それが気が変わらないと言い切ったからには、相当の長期戦を覚悟しなければならない。
既に召喚の準備はさせているが、国王はこの娘で構わないと思っている。
その本人からの嫌われように、自業自得と自覚はしているが苛立たしい。
国王の母親も召喚されてきた者だった。父親との間に子供をもうけても、故郷を、家族を懐かしんでよく泣いていた。笑顔よりも憂い顔の方が印象に残っている。結局心が弱かったのか、この世界を厭うたのか早くに亡くなってしまった。
個人的には召喚の儀を馬鹿馬鹿しい伝統だと思っている。伴侶を――それもただの伴侶ではない、王妃を異世界から召喚するなど博打もいいところだ。
歴代の娘達は美人という実績があったので、なんとか召喚を受け入れたのに、あの日の娘の様子はひどかった。
あれほど目が腫れるとは、どれだけ泣いたのだろう。――何故泣いていたのだろう。
国王はそのことにようやく思い至った。