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64  服従か

 嫌な汗がじわりと出てくるのを感じる。夜の寝台で押さえ込まれている状況は笑えるほどに現実味に乏しいのに、かぶさっている重みや自分よりも高い体温、息遣いなどの感覚は恐ろしいほどに肌を刺す。 

 護身術も使えない。手は抱きこまれた中だし、第一この大きな体を引き離すことができない。

 唯一自由になるのは、口だけだ。


「何の真似ですか」

「場所と状況を考えれば、答えは――」


 分かりきったことを、とでも続きそうに囁きが帰ってくる。そんなことは分かっている。分からないのはその理由だ。


「どうして、こんなことを」

「引き止めるため、帰さないため、これからもずっとここにいてもらうため」


 歌うように楽しげな抑揚で言葉が紡がれる。右手が頬から首筋をなでおろしてきて、固い皮膚の感触に背筋がぞくりと震える。

 吐息にアルコールの匂いはしない。酔った冗談でもなく、一時の勢いでもない。

 冷静にものごとを考え合わせて出した結論で、行動に移しているのだろうか。


 手の後を追うように顔が下りてきて、唇が触れる。

 必死に顔を背けながら、それでもこんなことをされる理由が、しかもこの人からという思いが頭を占める。

 逃れるにはあとは大声を上げて助けを呼ぶしかない。

 息を吸い込もうをした矢先に、くくっと笑われた。


「無駄ですよ。今夜の警護は私付きの者ですから」

「全部計画済みですか。――殿下」


 国王と良く似た金褐色の、しかし瞳の色は国王の青とは異なる茶色。その目が笑い含みに至近距離から娘を見下ろしていた。



 広い寝台の上で緊張した呼吸をしているのは自分で、王弟は冷静に見える。

 幾分か抱きしめられた力がゆるんだところで、自分と王弟の胸に挟まれていた手を横にずらす。そろそろと寝台の上を探ると、寝る前に操作していた携帯に触れた。上掛けはめくられているが携帯はその下だ。

 そっと握ってキーに触れる。最後の操作画面が録音一覧。一度クリアキーを押して、メニューを思い浮かべる。それに合わせてキーを操作して、実行になるキーを押した。

 王弟からは見えないように、でもぎりぎりの所まで携帯を移動させる。

 あとは、聞き出すだけだ。この馬鹿げた行動の意味を。



「陛下じゃなくて、なんで殿下なんですか」

「兄はあなたを傷つけない。あなたが好きなあまり自由にしてやろうとするほどに。ただ、私は我慢ならない。だからです」


 笑いの中に自分へ向けられる怒りを感じ、妙に冷静になる。

 うすうす感づいてはいた。国王を拒否するのは赦されない。自分の態度や行動が国王を絶対視するこの世界では、反感を買うだろうと。行き着くのは服従かさもなければ、というところだ。

 国王自身が許容した今回、では誰が一番怒りを、苦々しさを覚えるのか。

 神官長への不審感はあったが、王弟は気配すらみせなかった。

 でも仲の良い兄弟なら、自分に対して反感を持っておかしくない。私情からも、王家の一員の観点からも、次の宰相という国政の点からも。


「兄の言動があなたを傷つけたのは理解しています。それは申し訳ないと思います。

 でも、あなたは兄を何度も拒絶し、挙句最悪な相手を選んだ。狙ったのかと思うくらいですよ。そして、今度はここから消える? 

 あなたがいなくなった後、兄がどれほど落ち込むと思っているんです?」


 婚約までしておきながら――王弟はくい、と顎に手をかけて正面を向かせる。

 自分が傷つけることをしたのは分かっている。国王がその全てを知っていて受け入れてくれたのもだ。

 本当なら誘拐犯に対して抱く必要の無いかもしれない、感謝と罪悪感を持つほどに国王へはもはや嫌な感情はない。

 王弟は、それも歯がゆかったのだろうか。


「寝椅子の件は殿下の仕業ですか?」

「ええ。直接行ったのは私ではありませんが」

「目的は、この部屋への誘導ですか? やけに話を早く持っていこうとすると思いはしたんです」

「すんなり乗ったのは、あなたにも思惑があったからではありませんか?」


 今は手首を押さえられて頭上で一まとめにされている。

 そんな状態で会話を続ける自分も、たいがい暢気だと思わないでもない。ただ王弟がしゃべりたそうにしているから、この際全部聞き出してやる。


「兄の部屋とここはつながっていまして。あなたとの間が進展するかと期待もしたんです。でも想像以上に兄はあなたを想っていました。

 手をだすこともせずに帰還を認めてしまった。夜会は最後の賭けでした。

 あそこであなたが兄と共にあることを選んでくれれば、今、私がこうしてここにいることも無かったのですが」


 冗談めかした誘い、断った時の『残念です』の口調など夜会での王弟の様子が、今になって裏の意味を教えてくれる。

 でも、何故。


「あなたが私を襲っているんですか?」

「既成事実を作ろうと思いまして。兄は私が酒に混ぜた薬で眠っています。事が済んだ後でこちらの寝台に寝かせます。朝になって兄があなたを見れば、責任を取ろうとするでしょう?」


 そうして、ここに吸収されて同化してください。

 寝衣の胸元をくつろげてそこに顔を寄せる王弟の言っていることはめちゃくちゃだ。


「私が言いなりになるとでも? 陛下に、あなたのしたことを言えば――」

「お二人には媚薬でも使いますよ。寝乱れた寝台で隣にあなた、記憶はないにせよ兄には幸せな光景でしょう。朝の光の中ででも抱き合えばいい。

 それに、少なくともあなたはもう団長には顔向けできないでしょう?」


 その言葉に抵抗して身をよじっていたのも忘れそうになる。

 

「あの人を、傷つけるために?」

「臣下の分際で国王の伴侶に想いをかけた慮外者。騎士としても不忠の極み。本来ならとうに命はありません。出自と地位、なにより兄が頼りに思っていたので手を出さずにいたんです。ああ、あなたが体を張って守ったのも一因ですがね」


 団長への怒りと自分への怒りが、帰還で一気に噴出したわけか。

 どうすれば最も効果的に傷を与えることができるか、その結論がこれか。

 

「兄は身内二人に裏切られました。その上、伝説の娘にも逃げられたとあっては間抜けな国王のそしりは免れないでしょう。代わりの人を召喚しないのならなおさらです。

 王家の権威も損なわれる。ですから逃がさないように手をうつことにしたんです」


 どんなにか残酷なことをしているかは、理解の上で王弟は娘を組み敷く。 

 個人の身でここまで世界に、制度に抗い続けたのはある意味賞賛に値する。その考えは兄を変え召喚制度まで動かした。

 自分を失わない強さは、母親にはなかったもの。母親は父親を嫌悪はしたが、諦めてしまった。とても悲しい目をしていたのを覚えている。ただその頃は召喚制度を変えようなどとは到底思いつかなかった。せいぜいが次に来るはずの、兄の伴侶となる相手に思いを馳せる程度だった。

 母親を見ていたから、兄の伴侶となる人には優しくしようと考えていた。心を慰めるために、兄を受け入れてもらうために。笑ってもらえるように。


 だが娘は予想以上だった。

 王城を逃げ出し、叔父の大公の手駒になりそうになって、戻ったと思えばあろうことか団長と恋仲になったなど。

 周囲の、無論自分も関与した圧迫で娘が兄と婚約した際には、その直前に強いた行為を申し訳なく思いながらも安堵した。

 娘への謝罪をこめた祈りは密やかに続けている。それは今後も変わらないだろう。

 こと、今夜の罪状を加えるのだから。


「あなたの強さとしなやかさは、きっと兄の助けになる。どうか、ここに残ってください。

 そうおっしゃっていただければ、これ以上の無理強いはしません」


 汗ばんだ肌を味わいながら、最後の通告をする。

 頷いてくれれば媚薬をのませてこのまま眠らせて、兄を隣に移動させる。

 そうでなければここで抱いて、以後はそれも脅迫材料にして兄の側に縛り付ける。

 歪んでいると思う。だが、兄の幸福を優先してこの道を選んだ。


 だが、娘はさすがに折れない。


「残ることはしません。それに泣き寝入りもしません。あなたに襲われたことを伝えて、王城からは去ります」


 ああ、と思う。半ば予想した答えだ。

 それに妙に安堵してる自分もいる。抱いても自分のものにはもとより、兄のものにもならないと言うか。

 本当に――強い。無理にねじ伏せたくなるほどに。


「死んでも、嫌なほどにですか?」


 娘は答えないが、目が物語っている。

 すばやく状況を組み立てる。この茶番には意味がないことになった。

 やってもやらなくても無意味。ではこれ以上の時間をかけるのは無駄というものだ。

 なれば次の段階に移る。


「――そうですか。残念です。あなたを義姉上とお呼びしたかったですよ」


 懐に手をやり、用意していた小瓶を出す。口に含んで、娘の口に押し付ける。抵抗するのを鼻をつまんで口を無理やりに開けさせる。

 口移しで内容を含ませる。そのまま飲み下すまで赦さなかった。

 しばらくしてから顔を離す。開いた胸元の首飾りが目に入った。その装飾に眉間にしわが寄るのを感じた。

 この期に及んでも、団長への想いを持ち続けているのを示す装飾。

 鎖に手をかけて引きちぎりたい欲求を感じた。


「なに、を」

「痺れ薬です。あなたは、ご自分に起きることは知っておきたい方でしょうから」


 意識を失わせずに体の自由を奪う。残酷な薬だ。娘を待つものを考えればなおさらだろう。

 だがその気の強さがどこまで保てるか興味もそそられる。

 娘の手が寝台の上をさまようのを眺める。

 震える手で四角い物を取り、輪になっているところに手首を通す。


「それは?」

「私の、おまもり、です。一緒に……」


 ややろれつの回らなくなった口調で、それでも必死に頼んでくる。お守りとして大事にしている物なら、側にないと不自然か。


「あと、まく、らの、し……た」


 そこを探ると細長い物が出てくる。両手で引っ張ると短剣だ。

 娘の頭に飾りとして挿してあったのを覚えている。おあつらえむきの品か。

 もう、体を動かせなくなった娘にそっと口付ける。




 団長が王城に到着した時には、既に深夜で祭典初日の興奮の残滓しか残っていなかった。

 出迎えた侍従に特に信頼している騎士を呼び出させて、東の国王とその側女を高貴なる虜囚用にあつらえた部屋に放り込む。

 厳重な監視体制をひかせて、自身は王城の奥、国王陛下の部屋へと向かった。

 非常識な時間なのは承知の上で、それでも目を通してもらわなければならない品がある。

 近衛に開けさせた扉の向こうには侍従が控えている。それに国王陛下への目通りを願う。


「陛下は寝室にいらっしゃいます」


 王弟殿下も先ほどまで一緒だったと聞かされ、国王陛下に見ていただいた後で殿下のところにうかがうか、先に殿下に来ていただいたほうかいいかと迷いながら待っていたが、しばらくしてから侍従が何ともいえない顔で戻ってきた。


「扉を何度叩いても返事がないのです」


 侍従とともに寝室の扉へ向かい、最初は小さく、段々と叩く音を強くする。

 それでも中は静か過ぎるほどで、不安がよぎる。自分の知っている国王陛下はここまで眠りが深くないはずだ。


「何か起こっているのかもしれない。近衛をこちらに、万が一を考えて侍医をよこすように」


 頷いて部屋を出た侍従と入れ替わりで入ってきた近衛と扉、窓の両方から再度中をうかがう。やはり反応がない。

 扉を叩いて寝室に入る。カーテンを開けて外の近衛のために窓の鍵をあけた。

 寝台の上には一人分の塊。国王陛下だ。だが、人が入ってきたのにぴくりともしない。

 近寄って声をかける。


「陛下。夜分に申し訳ございません。緊急を要する件で参りました」


 寝息は聞こえる。だが起きない。その不自然に深い寝息に、おかしいとする空気が漂った。

 侍従が連れてきた侍医は慌てて国王陛下の様子を診察する。

 口元に顔を寄せ、辺りを見回して卓に乗せられた酒とグラスに指をつけて舐めている。

 こちらを見た侍医の顔は、厳しいものだった。


「陛下はおそらく眠り薬を服用されています。私は、陛下にこのようなものを処方はしておりません」

「気付け薬はあるか?」

「やってみます」


 慌しく、陛下の周囲に明かりがともされ、水を飲ませたり薬を飲ませたりする光景が展開される。

 その間にこの状況を考える。

 眠り薬を持ってきたのは王弟殿下で間違いないだろう。理由はご本人に伺えばすぐに分かるだろう。兄君思いの殿下だから、お疲れのご様子を見過ごせなかったのかもしれないし、陛下ご本人の希望だったのかもしれない。

 ただ騒ぎになっているのに、姿を見せないのが気にかかる。

 それに、国王陛下の部屋に入る前、周囲の様子にも違和感があった。


「隣の王妃の部屋には誰かいるのか。護衛の者が立っていたが」

「はい、あそこには」


 近衛の口から、娘が隣に、王妃の部屋にいることを聞かされた。

 何故その部屋に。衝撃をかくして婚約者だから不思議でないと思いつつ、国王の件について何か知らないかと側付きの者に確認させる。もし、可能なら陛下のご様子を直接伺いたいとの侍医からも希望があったからだ。

 夜会があったそうなので、その際に薬物が混入する機会がないか確認を取る目的だった。


 だが、報告は芳しくなかった。王妃の部屋、その寝室には誰もいなかったとのことだった。出て行くのには誰も気付かず。




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