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62  夜会に向けて

 国王は王弟に娘がここから元の世界に戻りたいと希望したことを伝えた。


「しかし、兄上。先の再召喚も失敗したのに、今度の帰還とやらがうまくいくのでしょうか?」

「それは分からんな。なにぶん日時も迫っている。再召喚の時のように、先に品物で試してからということになるだろう」

「そうですか……」


 王弟は手を顎の下にもっていって、難しい顔になった。

 ひとしきり考えた後、兄に問う。


「兄上はそれで納得されたのですか?」

「再召喚の時も送り出したではないか。あれには不本意な結果に終わったが」

「あの時とは状況が違います」

「そうだな。だが、帰ることを望むのだ。仕方ないだろう」


 縛り付けても母親と同じ思いを味あわせる。国王ののみこんだ言葉を汲み取って、王弟はそれ以上の追求をやめた。それでも状況の把握につとめる。


「では神官長と、儀式を行う神官に話を通さなければなりませんね」

「ああ、その時は同席してくれるか?」

「勿論です」


 呼び出した神官長と神官、そして娘と、国王お呼び王弟は顔を合わせた。

 娘は緊張気味で一人掛けの椅子に座り、国王と王弟、神官長と神官がそれぞれ横並びに長椅子に座った。


「陛下。何のご用でしょうか」


 神官長が落ち着いた声音で会談が始まった。国王は神官長に要望を出す。


「此度の春の祭典で、これを元の世界に帰してやってほしい」


 神官長は初耳だったようで驚いて娘を見つめる。それに応じて娘は頷いた。

 儀式を行う神官は半ば予想していたのだろう、静かに座っている。

 ややあって、神官長が口を開いた。


「――元の世界にお帰りになられる。そのような例は今までにはありませんでした」

「でも再召喚の研究の一環で、帰還の陣と呪ができたんです。だから私は元の世界に帰りたいんです」


 神官長は娘からちらりと神官に目線をやった。神官はゆっくりとした声で説明を始めた。


「私も最初に聞かされた時にはとても可能とは思えませんでした。ですが神殿の研究班が召喚と再召喚の構築や呪から、純粋な帰還要素を取り出すことに成功し、独立した帰還陣と呪が一応完成したのです」

「失礼、仮にもこちらに来られた方の行く末を左右するものが、『一応』完成とは」


 王弟があからさまに異議を唱える。確かに人間を移動させるものに一応、などという頼りない冠がつけば不安になって当然だろう。

 娘本人は再召喚もぶっつけ本番だったので、今度がそうでもさほど恐れることはないと思っている。最悪別の場所に飛ばされる可能性はあるが、神官からもらった陣を描いたものとこっそり録音した呪がある。それを使えばどうにかなるのではと考えていた。


 召喚すら訳のわからないことなのだ。何が起こっても不思議ではないだろう。

 それに品物を使った再召喚は成功し、自身もここからもう少しで切り離されそうになった感覚を味わっている。

 楽観的にすぎるかもしれないが、帰還はうまくいくのではないかと思う。

 こちらへ引き止める力が少なく、自分の帰りたい意思が強ければ、だが。

 

「それについては私が危険も承知の上で、とお願いしています。どんな結果でも神殿や神官様に責任はないと考えます」

「陛下。帰還とおっしゃいましたが、代わりの方を召喚するおつもりはないのですか」

「そうだ。もう、こんな騒動も思いもしたくないのでな」


 こと国王の婚姻に関する儀式だ。代わりの者を召喚しないのであれば婚姻する意思がないか、最悪国王の直系が絶える可能性すら生じる。

 王弟はまさにそのことを憂慮している。物問いたげに娘を見る。


 娘はかすかに首を振った。一時は侍女と国王は似合いではないかと考えた。だが、公爵夫人に一刀両断され、人の気持ちを操り動かすことなどできない、やってはいけないと思い至った。

 国王が自分のいなくなった後で誰と婚姻を結ぶか、またその意思があるかは国王次第であり口出しはできないとの意味合いで、王弟に応じた。

 王弟も意図を汲んだのだろう、かすかに溜息をついた。無造作に前髪をかきあげ、ふと目が細められる。


「では、私にもその帰還の儀について教えてはもらえないでしょうか」

「そうですね。召喚の間はしばらく私以外立ち入れませんが、神殿で資料を見ながらご説明するほうがよいかと思います」


 神官が王弟を誘い、神官長も一緒に神殿に移動することになった。

 国王は公務に、娘は自室に戻る。


「神官長に特に含むところはないように見えたが」

「……そうですね。私の考えすぎだったようです」


 自分に言い聞かせるように娘は呟いて、国王に微笑を向け扉をくぐる。

 その後姿を国王はじっと見送った。



 神官が帰還の儀の準備に入り、祭典もあと数日後に迫っていた。

 祭典の準備と帰還の儀の手順を覚えるのも重なって、国王も娘も忙しい日を送っている。

 娘の方は公爵夫人が持ってきたドレスを前に着せ替え人形よろしく、頭のてっぺんから足先までいいように弄ばれる。


 髪型や装飾品にはじまり、化粧はドレスの色に合わせるか装飾品に合わせるかで公爵夫人と侍女の間で譲れない言い争いが起き、手袋をするべきか、するなら長さはどうするのだなどはっきり言ってどっちでもいい、さっさと決めてくださいとげんなりする時間を過ごす。


「やっぱりこの色のドレスがよく似合うわね」

「叔母様、では靴と装飾品はこちらで……」


 ようやく意見が統一されたようで、そうなると夫人も侍女もセンスが良くこれらに関しては選びなれているので。あっという間に娘を飾り立てるあれこれが決まった。


「陛下達には当日まで内緒よ。ドレスの色だけはお伝えしますけどね」

「そういうものなのですか」


 もう何でもいい、好きにしてください。そんな気持ちを込めて娘は夫人に対応する。

 夫人は厳しい目線で娘を吟味する。納得がいったのか唇が弧の形を描いた。


「最高ではなくて? 当日が楽しみだこと」

「お二人も招待客なんですから、当日を楽しみにしていますね。どんな衣装でいらっしゃるんですか?」


 二人は顔を見合わせて笑う。娘もつられて笑顔になった。この叔母と姪は仲が良く、本当の親子のようにも見える。

 自分の母親とは似てはいないけれど、二人のかもしだす雰囲気は懐かしく胸を締め付ける。

 あと数日で、両親の所に――。

 それは嬉しいことだが、同時にこの世界との、特別な人との別れも意味する。


 顔も見ず、いきなり消える。自分がやられる立場だったらとても悲しくやるせない。耐えられないかもしれない。

 ――団長と一緒に元の世界に帰ることはできない。

 団長は当然ながら戸籍もない、言葉も通じない。働くにしたって難しい。佩いている剣はそれだけで警察沙汰になる。

 自分がここで生きるよりもはるかに難しい生き方を強いる。ここにいれば騎士団団長という選ばれた地位のままだ。

 それぞれの世界で生きていくのが結局は幸せなのだと、自分を納得させる。


「秘密よ。でも髪の毛は、ね」


 そうだ。帰還が失敗した時、城下におりなくてはいけなくなる。黒髪は染めるにしてもずっと染め続けるといずれはぼろがでる。

 なら黒髪を流行させればそれを真似ているのだととってもらえ、唯一の黒よりは目立たなくなるはずだ。

 夫人も、夫人のお友達も、侍女もその計画に乗ってくれている。

 元が国王の発案だったと聞いて驚いた。


『あなた一人が黒ではなくて、他の人も黒だったら少しでも疎外感が薄れるのではないか、ですって』


 笑い含みに言われた日のことを思い出す。夫人は計画を練り、他の人も巻き込んで夜会の目玉を決めてしまった。

 今回はもう一つ趣向があるとも言われている。顔を晒さない工夫と察して入るが、こちらはぎりぎりまで明かしてくれる気はなさそうだ。


 「いよいよですね」


 春風がふわりと髪の毛を揺らす。




 国王は早馬で来た書簡に目を通している。子供の頃にふざけて作ったら意外によい出来で以後暗号として使っている文字の書かれた手紙だ。これを知っているのは自分と、弟、そして団長とその妹だけだ。

 団長からの手紙には、貴族の名の書かれた書類は貴族達が大公派として名簿に名前が載っていること、ある懸念を抱いて名簿にある東の都の貴族を詰問した旨がつづられている。

 そして東の国王を捕虜として王都に連れてくることが記されていた。


「これが本当なら……」


 国王は呻いた。とんでもない騒動になりかねない。

 時期としては最悪だ。ただ確認は取らなければならない。

 国王は王弟に声をかけた。


「神官長はどこにいる?」

「お待ちください。調べさせます」


 王弟は自身の側近に耳打ちして調査をさせるらしい。しばらくしてから側近が戻ってきた。

 低い声での報告を聞き、王弟は国王に向き直る。


「城下の懇意にしている家で重い病の人間が出たとかで、そちらに行っているそうです。祭典中日の朝には戻るとのことでした」

「分かった。ご苦労だった」


 助かる見込みのない病人の所にいっては、最後の祈りを捧げる。神官長はこれをよくやる。

 そのため国民からも敬愛されている。

 無理に王城に引き立てると病人が哀れではあるし、調べて何もでなかったらそれも後々の問題になる。


「神官長を監視せよ」

「……わかりました。私の手の者を張り付かせましょう」


 王弟も団長の書簡を見て眉間にしわをよせている。ややあって、一言。


「気に入りませんね」


 国王も同意見だったので頷く。俗世とは離れているが故に清廉で、神秘的であるはずの神殿の長が。

 にわかには信じられないが、団長がこんなことで嘘をつくとも思えなかった。

 団長のよこした情報が本当なら密かに監視させ、証拠を掴まなければならない。


「この時期にか。たしかに面倒だ」

「本当に」


 なんとなく不穏な空気が漂う。互いに書類の山を減らすべく取り組みながら、今回の情報のもたらす影響を考える。

 これを使えば貴族の支配がより迅速に進むだろう。


「奴の手柄か」


 もとより現品を見ないことには判断は下しにくい。

 団長が戻るまでにできるだけ執務をこなしてしまおうと、春の日差しも関係ないとばかりに二人は書類に没頭した。


 そして祭典が始まった。

 夜には娘が初めて公の場に姿を現すのが注目されている夜会が控えている。

 東の国に対する戦勝記念とすれば盛り上がるだろう。


 正装した国王は、大広間への王族専用の扉の前でやってきた娘の姿に目と心を奪われてしまう。

 娘はそんな国王の心情を知らず、硬直したように不自然に動きを止めて自分を凝視する相手に小首を傾げて見せた。

 慌てて我に返り娘の手を取る。

 中から二人を紹介する声が聞こえる。一瞬の静寂の後高らかに音がなり、重厚な扉が開かれた。


 娘にとって最初で最後になる夜会が、始まった。




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