幕間 人でなしの独白
『俺はあなたを――愛している』
どんなに嬉しかったか、あなたは知らない。
いきなり現実になったこの世界で、私は必死に抵抗した。
私が国王と結婚? 首を刎ねよと言い捨てた人と?
冗談じゃない。
黒髪で黒い瞳というだけで、勝手に私の人生を取り上げないで。
召喚に応じたからって運命を押し付けないで。
怒りと敵愾心と嫌悪に、すぐに焦りが加わった。
私一人で何ができる? 個人が国家に抵抗できる?
蟻が象に歯向かっているようなものじゃないか。
あなたには単なる任務だった。それも迷惑だろう任務。
あなたは何とかしてここから逃げ出そうとする計画の一部で関わった人で。
逃げるのに必要な知識を得るために、働き出した先の責任者で。
護衛と監視を兼ねた人で、最初は気の毒だった。
だってここから逃げるために、利用するのだから。
それがいつから変わったんだろう。
城下におりた時、助けてもらったから?
はぐれるなと手を引かれたから?
思いがけずに可愛い姿を見せてくれたから?
多分、一定の距離をもちながら守ろうとしてくれたから。
国王との攻防でずっと緊張していた精神をふと緩めるような
穏やかな雰囲気と優しい眼差しにほっとしたから。
これもストックホルムなのかな。違うと思いたいけれど。
任務の一環なのは分かっていても、穏やかな声が、寄り添ってくれる
大きいのに静かな存在感が少しずつ染みこんでくるようだった。
親がいなくなり、日常がなくなり縮こまって凍りついた私の中を
少しずつ溶かすように入り込んできた。
そして雷雨の日。
あなたの体温と、鼓動と、抱きしめてくる力強さに泣きたくなった。
吊り橋効果? ただ温もりにすがっただけ?
あなたの腕の中はひどく居心地がよく、そこにいるのが自然だと思えた。
でもその時には気付かなかった。
再召喚が失敗して、あなたから国王のことを真剣に考えてほしいと言われ
ひどくショックを受けたのを覚えている。
失敗の衝撃だけじゃない。他ならぬあなたから別の男性を勧められたのに
ショックを受けたんだと今なら分かる。
そして私は逃げ出した。
私を見つけ出したのがあなたなのは皮肉なことだと思った。
王城に戻ったら、国王のものになるかもしれないのに、よりによって
――あなたがそれを後押しするのかと。
逃げ出して捕まって、東で。
背中にかばわれながら、どうしてここまでしてくれるのか分からなかった。
任務だから? 私を好きだから? どっちが優先だったの?
だからあなたに告白をせがんだ。
ゆっくりと自分の中で育った想いに目がそらせなくなっていたから。
だから、あなたの想いが嬉しかった。死んでもいいと思うくらいに嬉しかった。
その後の現実は死んだほうがましかもと思うくらいだったけれど。
あなたが実のお父さんに殺される。
あなたが何もかもなくしてしまう。
嫌だ、駄目だ。絶対に駄目だ。
国王の想いと優しさをも利用して、私はあなたの安寧を確保した。
この選択がすぐに行き詰まるのは目に見えていた。
国王を拒否することをこの世界は許さない。
行き着く先は海に張り出したがけのようなものだ。
破滅しかない。
国王に身を委ねたら遠からず心が蝕まれていくかもしれない。
国王に身を委ねなかったら――。
だから、逃げる道を選んだ。帰還という逃避を選んだ。
どこまでも姑息な私は保険をかける。
知己を増やしたり、黒髪をはやらせようとしてみたり傭兵に依頼してみたり。
自分勝手で独善的なのは分かっている。
一人で完結してしまっているのだから。
でもあなたにはもう会うことができない。
お父さんに釘を刺されてしまったから、会えば本当に殺されかねない。
そんなリスクはおかせない。
私は弱くてずるいから、国王が私を見る目に揺らいで落ちる前に、逃げる。
驚くほど変わった国王の側に居続けるのが怖いから逃げる。
色々と諦めたけれど譲れないものを守るために逃げる。
両親にもう一度会いたいから逃げる。
私なりのけじめをつけるために逃げる。
権利にともなって生まれた義務と責任は果たさないといけない。
望まれる代価も分かっている。
あなたは酷薄な人でなしに関わってしまった。これは事故のようなもの。
国王も厄介な人間に関わってしまった。気苦労を増やして申し訳ないと思う。
引っ掻き回してさようならなんて、どこまで勝手なんだとしか思えないだろう。
けれど、これ以上に有効な解決策を思いつかなかった。
解決策は他に無いことはないけれど、選択肢に挙げるにとどめている。
一番穏やかな、と思えたのがここから消える選択だった。
私が消えたなら、遠からずあなたは日常に戻れるはず。
身分も地位も、あなたに相応しい未来も手にできるはず。
身を引く自分に酔っているだけかもしれないけれど、メリットとデメリットを
計算して得た答えがそうなのだから仕方ない。
私は私の中で渦巻いて出口を求める想いの名を知っている。
それを殺す必要があるのも知っている。
どんなに想っても、あなたに伝えることはできない。
あなたの顔を見ることもかなわない。
事態は転がり始め、終わりが見えてきている。
あとはこの身を利用して、いくつかの問題を解決する必要がある。
脅迫者の思惑と私の思惑は皮肉なことに、多分とても近しい。
だからせいぜい高く売りつけてやる。
あなたも、国王もどうか幸せに。
逃げる私に願う資格はないのだけれど。
大好きなあなたへ、人でなしからの祝福を受けてください。