59 嫌な予感
早馬で届けられた副団長の書簡は簡潔だった。騎士団で通じる書き方で、『侍女頭、塔の部屋、大公妃? の部屋』の三つの単語。
部屋は封鎖して、侍女頭を呼び出す。現れたのはいかにも有能そうな女性で、濃い茶色の髪の毛をきっちりと結い、金茶の目は静かに団長を見る。
「何かご用でしょうか」
「大公殿下から、何か預かり物はないだろうか」
「――何をおっしゃっているのか、分かりかねますが」
見事な無表情でいなされるが、答えるまでに生じたわずかな間で確信する。
この女性がありかを知るか、手がかりを握っていると。
侍女頭を向かいの椅子に座らせ、団長も腰をかける。じっと見つめると、侍女頭は少し目を伏せている。
有能な女性。おそらく大公殿下も信頼していたに違いない。そして彼女が名指しした女性。
「我々は、大公殿下が遺したかもしれない物を探している。ありかや情報を知っているなら教えて欲しい」
「ですから、私は一介の侍女です。何をお探しかは知りませんが、大事な物を託される立場ではありません」
「あなたのことは、この間までここにいた方から伺った。あなたが知っているのではないか、と」
瞬間膝の上で握られていた侍女頭の手に力が入ったのを見て取った。
「あの方、が。ではあの方はご無事なんですね」
「ああ、今は――王城にいらっしゃる」
「陛下とご婚約されたというのは本当なのでしょうか」
「そうだ」
侍女頭は伏せていた目を上げた。何故だろうか、大公殿下がそこにいるような気がする。雰囲気が大公殿下とこの侍女頭は似ている。
いまだにここには大公殿下の息吹が残っているかのように感じられることがあるが、人の中にも残っているのだろうか。
「私が、あなた方に――大公様を傷つけ、死なしめた人に何かを教えるとお思いでしょうか」
「心情はよく分かる。だが、事態は急を要する。それが無ければ、大公殿下の死は無駄死にに等しい」
「大公様を侮辱する気ですか?」
「履き違えるな、このままだとそうなる。大公殿下は単なる王冠欲しさに内乱を起こした反逆者になってしまう」
激高した侍女頭に、しかしひるむわけにもいかず、女性に向けるにしてはいささか強すぎる視線と口調をぶつける。
副団長とも捜索の合間に話し合ってはいた。大公殿下の一連の動きが、腑に落ちないと。
「大公殿下は思慮深く、物静かで、信仰心の篤い方だろう? その方が浅慮から事を起こしたとは考えにくい。我々は大公殿下のお気持ちを紐解きたいだけなのだ」
淡々と告げると侍女頭は力を抜いて、椅子に深く腰掛けた。
「大公殿下が誤解されたままで、反逆者とされたままでいいのか?」
この言葉に、侍女頭はうなだれた。
「できうる限り、大公殿下の名誉が保たれるように努力する。頼む、何か知っていれば――」
「分かりました」
侍女頭は立ち上がり、ついて来る様に促した。大公殿下の部屋と反対側の端の部屋、かつて彼女が過ごした部屋に入り、寝室へと移動する。
寝室の暖炉の前は寄木細工のように床が美しい文様を描いている。侍女頭はそこに膝をつくと、床材の端を薄い刃物をいれて持ち上げた。それを規則正しく移動させていく。まさしく寄木細工を解体するように、縦、横と床材を動かし、ついにぽっかりとした穴があいた。
そこに手を入れ、包みを取り出す。
侍女頭はそれを差し出しながら、低い声で言った。
「これがお望みの品です」
「あなたは中身は」
「確認しておりません。大公様だけがご存知です。手記は国王陛下か王弟殿下、あの方のみに閲覧を赦すと仰せでした。」
包みは油紙で包まれ丁寧に梱包されていた。侍女頭の心根がしのばれる。
大事に受け取って侍女頭を見つめる。
「ありがとう。感謝する」
「いえ、これで、私の最後の仕事が終わりました」
「――あなたは死んではいけない」
侍女頭は顔を上げる。そこにあるのは諦観だった。
大公殿下に心酔していたに違いないこの女性は、これを守るためだけに今までここにいたのだろうが。
「何故です。大公様はもういらっしゃらない。ここは、大公様を亡き者にした人の巣窟です。ここで私が生き残ってどうしますか」
「それでも生きてくれ。大公殿下を実際に知る者がその様子を伝えてくれないと、いずれ歪んだ話が一人歩きしてしまう」
侍女頭の金茶の瞳は呆けたような光を放っている。
ゆるやかに、言葉がしみこんでいったのか。ひどく静かに涙が流れた。
「大公様のお姿を、ですか」
「そうだ。あなたは誰より近くで大公殿下を支えた一人だ。語り継いでくれ。ここは、東の都は大公殿下の都だろう?」
「――ええ、その通りです」
涙は流れているが、侍女頭の顔に誇りが戻る。
大公殿下が発展に尽力した都とこの砦を兼ねた居住区は、今後もここにあり続ける必要がある。
先人を知る者が、後発の者に歴史を伝えてくれなければ、大公殿下の所業が卑属なものになってしまう。
この書類を確認しないことには何とも言えないが、おそらく勘は外れていないはずだ。
「どんなことをしても、生き延びる。これはあの方の受け売りのようなものだがな」
「本当に、不思議な方でした。王妃にも、大公妃にも魅力を感じない。流されているようで決してそうでない」
その生き方を自分のせいで曲げた。忸怩たる思いが駆け上がるが、今は自己嫌悪に陥っている暇はない。
「この資料を調べる。他言無用に願いたいのだが」
「承知いたしました。では、失礼いたします」
そして資料を書斎に持ち込んだ。印章と書類のつづり、帳簿類、手記、そして封蝋をした手紙が二通。
あて先は国王陛下と、彼女にだった。
手記と手紙は開けるわけにはいかないので、書類と帳簿類に目を通す。
半ば予想していたことだが、大公派と目される貴族の一覧、それに繋がる諸国の重要人物名が記されていた。
これはまだいい。この名簿を元に調べ上げれば必ず証拠もつかめるだろう。
彼らは大公殿下が討たれたことで、一時的にせよ国王陛下に恭順の姿勢をとっている。東との紛争に便乗しようとする外国勢力と呼応さえしなければ、今は放っておいていい。
それとは趣を異にするのが宗教関係の書類だった。神典と呼ばれる根幹となる教えをまとめた文書の解析、考察はさすがに宗教に傾倒した大公殿下と感心するが、これについては神殿関係者の方が注目するだろう。
今、注目すべきは大公殿下と神官長の親密さを示す書類だ。なぜここにあるのかと考えると、大公殿下はこれが人目に触れることを想定してここにまとめていたに違いなく、つまりはこの親密さに意味があるということになる。
大公殿下がかなりの額を寄進して神殿建設や神殿関係の拡充に努めている。熱心だからと言えばそれまでだが、そのうちにおかしなことに気付く。
神殿の建設費や神殿に寄付する額が、多すぎるように感じられるのだ。
国王の叔父、広大な東の領地を有するので大公殿下は経済的には裕福な部類に入る。それでもいささか行き過ぎに感じられる額が投じられている。
特に建設費は、内装や調度まで含めてもこの金額には至るまいとの額になっている。
神殿への肩入れ。宗教熱心な大公殿下、母君も熱心な方だったと聞いている。
妙な符号だ。
それに神官長の国内遊説先が、先の貴族一覧と妙に一致している。
まるで、神官長が大公派の貴族の間を飛び回り――橋渡しをしている?
では神官長は大公派ということになるのだろうか。
そこよりも王城に近く、王家の中枢に食い込んでいる神殿、その神官長が反国王派ともいうべき大公派。
今、大公殿下を失った神官長は、今度は誰を取り込むのだろうか。
宗教と政治、経済は決して無関係ではなく権力という下地を基礎に、それらは密接に絡み合う。
反国王派が誰に目をつける? 誰なら王家に対する影響力が大きい? 国王に対立しているのは?
じわじわと嫌な予感がはいのぼる。ある一人の人物が形作られていく。
この上無く国王陛下に影響力を持ち、しかも抗う。
その身は王城内の中枢にあり、この世界のしがらみを負わない。
「まさか」
呻く言葉は半ば確信めいて紡がれる。
「確認と、保護を。ないしは……」
――隔離を。