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56  緊張

 神官の身にまとう雰囲気は不思議だ。長い髪の毛と長衣のせいでより強調されているのだろうか。清らかで静かな、深い森の中の澄んだ湖のような、ついそんなものを連想してしまう。

 神殿のおごそかな空気も助長しているように思える。神官と向かい合いながら、娘はそんな感想を持つ。


「これが召喚陣を写したもの、こちらが再召喚の陣ですね」

「では……」

「ええ、そうです」


 円陣を元に複雑な模様が組み合わされている。どれも似ているけれど、少し違う。その違いで作用が異なるのだ。見慣れない意匠なのに、なぜか懐かしい。


「円は基本、完璧な調和を表します。太陽、月、そのあたりからの連想かもしれませんが、神の全知全能を示していると言われています」

「そういうものですか」


 描きこまれた陣の写しに見入りながら、祈りで日々鍛えられているのだろうすべらかで静かに人に染み入るような抑揚を持つ神官の言葉を聞いている。

 

「では、これらの呪もいいですか?」

「構いませんが」


 神官はそう言うと静かに呪を唱え始めた。歌うような囁くような不思議な旋律が、部屋を満たしていく。

 娘は息をつめ、物音を立てないように神官の呪に聞き入った。

 神官は順番に呪を唱えていき、余韻を残して終わった。


「……ありがとうございます。そんなに長いものではないのですね」

「ええ、大事なのはこれに込める祈りであり願いです」

「祈りと願い」


 歴代の神官の中でも力があるとされ、次代の神官長はほぼ約束されているらしい。娘は神官の静かな表情を見つめる。

 この人が焦ったのは、自分が召喚直後に殺されそうになった時と、再召喚で誰も来なかった時くらいかと思い出し笑いが生じる。


「ですがお話をいただいた時は正直驚きました。私にはその発想はありませんでしたから」

「そうですか? でも考えれば不思議ではないでしょう。召喚と再召喚なのですから」

「ええ、ですが……」


 神官はやや困惑した様子だ。無理もないかな、と娘は思う。

 再召喚自体これまで誰もやらなかったとされている。よく春から秋の祭典の間の短い期間で再召喚の陣を構築したものだ、と感心するくらいだったのだから。

 おそらく以前から密かに研究はされていたのではないかと考えている。研究班の面々と話していればなんとなく分かる。真理の追究、純粋な研究心というものはどこまでも果てがないから。


 個人としては良く分かる心理だけに、それが組織になると厄介になる。

 政治的な意図などというなじみのなかった要素が絡むと本当に複雑になって、何が本当で何が嘘か分からなくなってくる。


「そう言えば神官長様はどちらにいらっしゃるんですか?」

「あの方は今は王都を離れていらっしゃいます。本当に精力的に各地に神の教えを広めようとされる、あの姿勢にはいつも尊敬の念を持ちます。あの方ほど神を信じ敬う方はいらっしゃらないのでしょう」


 慈愛に満ちた眼差しと、包容力を感じさせる雰囲気を確かに神官長は持っている。


「そんな方が神殿の運営にも当たられるので、発展したのでしょうか」

「確かにあの方が神官長になられてから各地の神殿の建設や拡充がすすみました」


 しばらく神官長の話になって、娘は神殿から王城に戻る時間になった。

 感謝を述べる際に神官に頼む。


「このことはどなたにも……」

「承知いたしました」


 神官が頷くと、それにあわせて長い髪の毛がさらりと落ちる。


「神官様は召喚や再召喚をなさった時にはどんな準備をされるんですか?」

「儀式は、そうですね。さすがに二度やると気、集中力の高め方にも慣れますね。最初は一月近く、二度目の時は十日ほど前から召喚の間の隣に寝起きして、召喚の間で気を高めました」

「十日、ですか。召喚の間以外で儀式はできるのですか?」

「他の場所でやった例はありませんので、分かりかねます」

「その際には陛下はそこにいる必要があるのですか?」

「召喚の際には必須ですね。再召喚の時にも、ですから同様にお立ちいただきました」


 娘と神官と国王で三角形になるように立って、再召喚の儀をやったことを思い出す。

 正直、あの後の衝撃の方が大きくてよく覚えていないのが現実だが。


「ただ、物の再召喚の時には陛下はいらっしゃらなかったですよね?」

「そうです。物であればあまり大きな気を必要とはしませんので」


 伝説の娘の部屋とされるこの部屋は、召喚後しばらく暮らすために整えられている。

 壁には大きな本棚があり、色々な本とともに今回娘の召喚の後で、国王が召喚をやり直した際にこちらに届いた品物も飾ってある。

 どれも黒くて、それだけが共通項だ。


「この品をお借りしてもいいですか?」

「構いませんが、内密にお願いいたします。研究班にとっては貴重な品ですから」


 目立たないように袋に入れてもらい、陣の写しと一緒にして王城に戻る。

 一人になったタイミングで、こっそり忍ばせていた携帯を手に取り、操作する。確認して、また電源を切って携帯をしまう。


「クリアする問題が多いなあ。めげそうだ」


 椅子の背もたれに頭を乗せて天井を見ながらひとりごちる。時間との戦い、同時並行ですすめられている計画、横槍になりそうな要素。

 考えるほど次々に問題がわいてくる。


「できる限り計画をたてて、あとは成り行きまかせと臨機応変さが大事と」


 そして神殿から持ってきたものに目を通して、時間を過ごした。



 その人がやって来たのは公爵夫人が指導に来て、侍女と三人でお茶を飲んでいる時だった。

 立ち居振る舞いや必要と思われる作法、貴族の相関図を頭にどうやらたたきこんで、体にもどうやら無様にならない程度に教えこめたと夫人が満足そうな中、しごかれた生徒よろしく少しだけぐったりしながらお茶で喉を潤していた。

 扉が叩かれ、珍しく興奮した様子の護衛――騎士団の騎士が来客を告げた。

 本来なら来客は面会の申請を取り付け、それがかなってから指定した日時に面会にやってくる。

 それを飛ばせるのは王族や、緊急の時くらいだ。


「お久しぶりです。お変わりありませんか?」


 大股で入ってきてびしっと直立の姿勢から騎士の礼を取ったのは。


「お久しぶりです。ありがとうございます。変わりは、ありません。副団長様も」

「様はよしてください」

「まあ、お久しぶりですこと。あなたもお元気そう。東からですの?」


 あいさつと簡単なやり取りが終わった後で、好奇心で目を輝かせている公爵夫人が話に加わる。

 侍女ももの問いたげな視線で副団長を見つめている。

 女性だけのところに臆することなく腰を下ろして、副団長はさわやかな笑みを浮かべた。


「ええ、またすぐに戻りますが。――団長もそこにいるんです」


 娘から侍女に団長が東にいることだけは伝えてあったので、これは普通に受け止められた。

 穏やかでないのは夫人だ。甥のことでもあり、色々思うところもあったようで質問を浴びせようとした瞬間、副団長が娘の方を向く。


「王城に戻られてからあまり外出もされていないのではないですか? これから馬場に行くつもりなのですが、よければご一緒にいかがでしょう。

 私が責任を持って護衛し、こちらに送り届けますので」


 す、と夫人が身じまいを正す。侍女も真面目な顔になった。二人とも副団長の誘いの裏にあるものを感じて、一線を引いた。


「では私はおいとまいたしますわ。ごきげんよう。お顔を見られて嬉しいわ。あなたが王都にいないと若い娘達が寂しそうですもの」

「いえ、それは買いかぶりでしょう。私などまだまだ」


 傍から見ると言葉遊びのようなばかしあいのような応酬で、副団長が夫人を見送った。侍女も同時に席を立って仕事に戻る。

 副団長は護衛の騎士に少し離れてついてくるようにと指示を出し、娘を外へといざなった。



 春の日差しとようやく呼べそうな暖かな光の中を、歩いていく。騎士団で働いていた頃は毎日、使用人棟から王族や貴族と顔を合わせない裏手の道を通って本部へと通っていた。今は表側を歩いていく。

 途中は副団長もほとんど話はせずに、ただ娘の歩調に合わせて馬場へと向かった。

 厩舎で懐かしい馬を見て、ようやく娘の顔がほころぶ。

 馬の首筋に手を当て、喜ぶ場所をかいてやると馬も顔をすりつけてくる。

 娘がかつて乗馬の訓練で乗った馬にかかりきりになっている間に、副団長は一頭一頭の馬の様子を見て回り、馬丁から話を聞いて馬具の点検をする。

 馬具を愛馬と、娘の馬に装着した。


「お乗りになりませんか。気分も晴れますよ」


 手綱を引いて馬場に馬を引き出す。今日はドレスなので、横乗りで馬を操る。

 しばらく乗馬はやっていなかったのに、体が覚えているのか程なくこつを取り戻して娘はゆっくりと馬場を周回した。

 副団長もそれに付き合う。


「横乗りよりも普通に乗りたかったです」

「でも横乗りもお上手ですよ」


 副団長は柵をあけさせて並足で馬と娘を散歩に連れ出した。

 天気は良く、景色は美しい。おまけに馬に乗ってなので副団長の気遣いどおりに、本当に気分が晴れていくのを感じる。

 ずっと緊張した状態が続いていたのだと、束の間でも解放されて気付く。

 小高い丘のようになっている場所で馬は歩みを止めた。ここはもう王城の端に近い部分だ。

 風が吹き抜けて、本当に気持ちがよかった。


「ありがとうございます。本当に来てよかったです」

「それは私も嬉しいです。春の景色も美しいでしょう? 馬上からだとまた格別なんです」


 思い切り同意して娘は目を細めて頬を緩める。

 横では副団長がそんな娘を観察していた。


「あいつは東で元気ですよ。東に来た当初は幽霊みたいでしたけどね」

「――そうですか」


 呟いて娘は副団長を見る、副団長も目をそらさない。探り合うような見つめあいの後、笑ったのは副団長の方だった。


「そんなに熱い眼差しで見つめられると、妙な気分になりそうです」


 風が娘の髪の毛を揺らしている。日差しを浴びてつやつやと光る黒髪は、触ればさぞ気持ちがよいだろうと思わせる、馬の毛よりもずっと細くなめらかな質感をたたえている。

 黒い瞳も吸い込まれそうだが、今そこにあるのは甘やかなものではない。


「怪我をしたと聞いていましたが、それも大丈夫なんですか?」

「ええ、丈夫さがとりえのような男ですから。今は残務処理と、それに付随する問題に当たっています」

「元気なら……」


 そこまで言って、顔にかかった髪の毛を払う。視線は副団長から目の前の景色に移っている。


「何か、あいつに伝えることはありますか?」


 しばらく考えた後で、娘は首を横に振った。

 副団長はそれを見つめ、そして話題を変えた。


「ここまで来ていただいたのは、内密に話をしたかったからです。まず、私達は大公殿下の遺したと思われる物を探しています。あなたが何か知っているのではないかと思いまして」

「物とは何ですか?」

「大公殿下の印章と、日記、書類ですね。殿下は几帳面な方でしたので残っていると考えているんですが、一通り探しても見つからなかったんです」


 印章、日記、書類。指に紋章のついた指輪をはめていたのは覚えている。静かに書き物をしていたのもだ。

 ただそれをどこに保管したかまでは分からない。


「私にも分かりませんが。殿下のことですから祈祷所とか宗教関係の場所にあるのでは?」

「そう思って探しましたが。祈祷所は焼失しています」

「側近の方に託したのでは」

「あの争乱で側近はあらかた死亡。生き残りにも尋ねましたが見つかりません。侍従も亡くなっていますし」


 大公の側にいた人、大公が信頼し大公に心酔する人で、死後も命令を守り抜きそうな人などいるだろうか。

 東での日々を思い出しながら世話をしてくれた使用人や、私兵、大公直属の騎士達が脳裏に浮かぶ。傭兵も沢山集めていて、傭兵隊長は赤毛の――。そう言えばこの人も馬丁で潜入していたっけ。

 そこまで思い、一人の顔が出てきた。


「まだいらっしゃるかは分かりませんが、侍女頭の女性はどうでしょう。大公殿下に長い間仕えていたようですし」

「侍女頭、ですか。その人はこんな感じの人ですか?」


 風貌などの特徴は娘の記憶と一致する。頷くと確認させる、と副団長は短く言う。

 宝探しの手がかりの一つがようやく手に入ったのだ。


「私は兵を指揮して東に戻りますが、この情報は早馬で伝達させます。他に思い当たることは?」

「いいえ、宗教熱心で、母親思いくらいしか」

「――そういえば、あなたは東でどの部屋に滞在されていましたか?」

「最初は塔のようなところで、そのあとは殿下の部屋とは反対側の部屋ですね」

「そこも捜索します」


 馬がじっとしているのに飽きたのか少し動きたそうにしている。ゆっくりと馬を歩かせながら、副団長は娘に切り出す。


「あいつはどうしようもない奴ですが、大事な友人でいい男だと思っています。あいつを、待ってやってくれませんか?」

「私といれば未来がないのに?」


 あまりにも静かに返されて、副団長は二の句が告げない。

 娘はやけになっているようでもない。考えなしの言葉ではない。


「私は、あなたはあいつのことを好きだと」

「好きですよ」


 今度は間髪いれずに娘が返す。うっすらと微笑んで、副団長が見惚れるくらいに美しい表情だった。


「では……」

「あの人が築いたものを壊したくない。足を引っ張りたくない。理由としては充分でしょう?」

「あいつはあなたを得られるなら、何を捨てても惜しくないでしょう。それでもですか?」

「私が捨てさせたくないんです。あの人は騎士団の団長で、侯爵の跡継ぎで、国を担う人材でしょう。 それに捨てるものの中には友情とか、信頼とか忠誠心とか多分失ったら、あの人があの人でいられなくなるものがある。

 多分命も捨てることになる。それを許容できると思いますか?」


 淡々とあげられる内容は、娘がずっとこのことを考えていたと知らしめる。

 それでも親友のために、食いさがりたかった。


「あいつは、あなたを得るために、実績を積もうとしています。おそらくそれは実現するでしょう。愛情を捨てたらそれこそあいつはあいつでいられなくなる。それでもですか?」

「私、公爵夫人と今度夜会を開くんです」


 突然変わった話題だが関連があるのだろうと、口をつぐんで副団長は先を促した。


「どうにかね、黒髪を伝説の娘だけの特別じゃないものにしたいんです。国で一人きりの孤独と重圧感って分かりますか? しかも異世界ですよ。

 どこに行っても黒髪黒目は異分子の象徴です。でも、黒髪だけでもどうにかしたい。珍しいけど唯一じゃなくなったら少しは気が楽です」


 娘は自分の黒髪を手に取る。

 東の大公の下で、そして今は王城の国王の庇護の下で、黒髪は毎日丁寧に梳かれて上質な髪油を馴染ませてある。

 つややかでさらりと娘を彩る色あい。


「それでも普及するかは分からないし、時間もかかる。時間は私の敵です。もうあまり待てないんです。だからあの人も巻き込めない」

「あなたは何をするつもりなんですか?」


 副団長の質問にあいまいな笑みがかえる。口元だけをかすかに上げた娘は、それ以上は明かそうとしない。

 これ以上は引き出せないと感じた副団長は、馬首を元来た道へとめぐらす。

 

「ただ、あいつを見くびらないで下さい。決めたことは必ずやり遂げます」

「親友のあなたがそう言うのなら、そうなのでしょうね。でも命あっての物種ですから、無茶はなさらないように」


 もうすぐ厩舎と言うところで娘がぽつりと呟いた。


「私があの人の想いを無理に言わせたんです。だからあの人が縛られる必要はないんです」


 謎かけのようだった。

 そして娘を護衛しながら送り届けた副団長は、夜、緊急に本部から王城へと呼び出しを受けた。


 娘の寝室の寝椅子が切り裂かれ、剣がつきたてられていたのだ。





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