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55  さざなみ

 国王の部屋の前まで来ると、近衛が扉を叩いて中へと合図ししかる後に通された。

 そこには侍医や王弟が待機していた。王弟は国王の分までの執務に追われているのか、少し精細を欠いている様に見えた。

 それでも娘と侍女を迎えてくれた。


「お呼びだてして済みませんが、あなたが見舞えば兄も喜ぶと思いましたので」

「かえって顔を見たくないのではないですか」


 小声で尋ねると、王弟もひそ、と返す。


「大丈夫です。とにかくこちらに」


 控えの間、応接の間を経て私的な部屋を抜け小さく扉を叩いて、王弟は娘と侍女、侍医とともに薄暗い室内へと入った。

 国王の寝室は初めて入るが、広くて落ち着いた色調で統一されている。中央に大きな寝台が置かれ、今はこんもりとした塊が見える。

 近くまで寄って王弟が声をかけた。


「兄上、見舞いに来ていただきました」

「――余計なことを」


 ひどく掠れた声が返ってきた。無理して起き上がろうとする国王の顔が赤みを帯びて、熱があるのが丸分かりだ。

 侍医が寝ているように指示しても聞かずに、結局背中に沢山の枕をあてて上体を起こした。背筋が伸びずに枕に寄りかかっている様子が、病状を物語る。


「体調を崩したと聞きました。いかがですか?」

「大事ない。季節の変わり目に時々熱が出る。今回は時期が悪かった」

「あの?」


 何の時期が悪かったのだろうかと国王の言葉の続きを待とうかとした時、王弟がくすくす笑いながら引き取った。

 侍医には合図をして薬を置かせて引き取らせている。

 娘と侍女を見ながら、悪戯っぽい目つきも付け加えた。


「兄上は仮病と思われるのが嫌だったんです。それとも執務に没頭した結果、熱を出したのが不甲斐なかったのか」

「余の心情を勝手に作り上げるな。どちらでもない」

「あまり、しゃべらないで下さい。喉が痛いんじゃないですか?」


 娘の指摘に黙った国王はふい、と視線を向こうにそらした。

 やはり気まずかったのだろうか、と娘は侍女に視線を送り国王に話しかけた。


「長居してもいけませんからこれで失礼します。薬を飲んで温かく、安静にしてください。お大事に」

「行くな」

「いえ、でも」

「行くな」


 苦しげな熱い息とともに吐き出される内容に、侍女と顔を見合わせているうちに背後から王弟が囁いた。


「もう少しだけこちらに、兄の近くに居ていただくわけにはまいりませんか? 薬を飲めば眠ると思いますので」


 侍女も頷き、国王の側に椅子まで用意された。


「何か食べたんですか?」


 半分諦めて椅子に座り、寝台上で起きている国王と同じ目線で聞いてみる。

 近くで見ると熱はかなり高いようで、瞳が少しとろんとしているようだ。

 国王はだるそうに首を横に振った。


「何か冷たいもの――そうだ」


 侍女の耳に口をよせてこれこれこんな、と相談すると侍女は目を見開いて料理長に聞いてみると寝室を出て行った。王弟は部屋の壁際まで距離を取っている。


「わざわざすまない」


 国王の謝罪に今度は娘が首を横に振る。病人に気を使わせるとは情けない。

 しばらく待っていると、侍女が戻ってきた。盆に載せてもって来たものを受け取って国王に差し出す。


「冷たいものなら入るのではないですか?」

「これは?」

「氷を削って果汁と蜜をかけたものです」


 ちょっと眺めた後、国王はひとすくいしたものを口に運ぶが、手元がおろそかになって深皿が傾いていた。皿を国王から受け取って迷った後で、国王の手からスプーンも取って、中身をすくって口元にもっていく。

 この行為に国王のみならず侍女も動きが止まり、壁際から王弟のものだろう小さな声も聞こえた。もう一度国王の口の高さまでスプーンを持っていくと、しぶしぶといった様子で国王が口を開けた。顔がさっきより赤い。

 口の中に中身を入れるとややあって、ごくんと嚥下した。

 飲み込むのも喉の痛みを伴うのだろう、瞬間顔をしかめた国王だが口の中での後味を確かめた後で感想が述べられた。


「口当たりがいいな。冷たくて喉ごしもいい」

「もう少し口に入れてください。その後でお薬を飲んでください」


 一口、もう一口と傍から見ればまるで雛の餌付けのように口元にスプーンを運んで、国王にかき氷を食べさせた。

 恥ずかしいのは最初のうちだけで、あとは何とか食べてもらえないかとそちらに使命感が生じる。ようやく中身も空になり侍医の用意した薬も飲んだ国王は、今度こそ横になった。


「醜態を見せた」

「病気の時は強がらないでください」


 しばらくすると少し楽になったのか、さっきよりも声の掠れはおさまったようだ。


「夫人から、話は聞いたか?」

「はい、ただ上手くいくかどうか」

「夫人は実力者の一人だ。大人しく担がれていればいいだろう」


 側でみているうちに国王はありがとうと呟いて目を閉じ、そのうちに寝入ってしまった。それを機に侍女と王弟と三人は寝室を出て、入れかわりに侍従と侍医が室内で待機する態勢になる。

 

「ありがとうございました。この数年来熱は出していなかったのですが」


 王弟からすまなさそうに言われ、侍女とともに神妙な顔になるのを感じた。


「叔父上の件から色々あって疲れていたのでしょうね」


 王弟はさらりと流して笑みを浮かべた。沈みがちな空気を払拭するかのように軽い話題を持ち出して、会話を繋ぐ。それに応じているうちに、ぎこちない雰囲気もどうにか和らいでいく。

 わざわざ娘の部屋まで同行した王弟は、最後に人目をはばかりながら尋ねてきた。


「兄上とは、どうしても、無理なのでしょうか」


 どこまで聞かされているかは分からないが、王弟の言い方だと駄目になったのだけははっきりしているらしい。

 そう判断して、娘は軽く目を伏せた。


「――ごめんなさい」

「そうですか。いえ、残念だと思いまして」


 王弟もそれ以上は深追いせずに引き取った。

 翌日、侍女が国王の発熱は改善傾向にあるらしいとの噂を仕入れてきた。良かったと思いながらもそれを表には出せない。

 出す資格はないことは分かっている。ただ弱った国王を思い出すと、漣のような思いは拭えなかった。

 


 国王が回復し、執務を再開した王城に登城した公爵夫人は、事情を知った上でいつもと同じ態度で振舞う。

 その強さが羨ましくもあり、私情を見せない貴族としての姿勢を寂しくも思ったりする。

 この世界では立場は元の世界よりも強固に人を縛って、なかなか仮面を外せない。しかも一度道を踏み外すとその後が大変になる。こんな変な実感をするとはつくづく不思議に関わってしまった。

 

「あなたが表に出るのはこれっきりのつもりで、やってくださいな」


 一度きりなら失敗は赦されない。この機会に印象付ける必要があるとなれば、準備にも力が入る。

 夫人がかつらを頼んだ店から使いの者がよこされた。使いは夫人と、そのお友達のいる時にやってきたが、緊張のあまりか顔色は悪く声も震えて気の毒なほどだった。それを夫人達にからかわれて一層慌てて、かつらの見本や材料を取り落とすのは軽い笑いを誘っていた。


 娘のところにもかつらが飛んだ。思わず受け止めてまじまじと見てみると、実によくできている。綺麗に巻き毛を作って結って飾りを挿してあるので、手元に置きたくなってそのまま残すことになった。

 若いかつら屋の使用人は、夫人たちから厳しい注文を受けて肩を落とし、また王城から城下へと下がっていった。

 



 夜半、鍵をあけていた窓のカーテンがかすかに揺れた。

 むくりと起き上がると、影は静かにすべり入り人の気配が消えた。じっと目をこらして闇に慣れた頃、黒尽くめの姿を認める。


「来てくれてありがとうございます」

「さすがに王城の警備は厳重だ。もっと早く来るつもりだったのに。――お久しぶり」


 そう言って影は近づいてくる。寝椅子の側に半球状の詰め物の上にかぶせた形のかつらをひょい、と手に取ってすっと飾りを外す。

 娘は黙って受け取った。


「無断で加工したんですか?」

「棒状の装飾品に似せたんだよ。柄が邪魔だったから可能な限り削っただけだ」


 元々の所有物が少し形を変えて戻ってきたのを抗議すると、悪びれない答えが返ってきた。


「まあ、いいです。もう一つの方は?」

「それはこちらに。はい、ちゃんと返したよ。……しかし、見逃すから荷物を隠せと言ったのに僕の荷物に入れるとはね。見つけた時はびっくりしたよ」

「どこよりも安全でしょう? 自称凄腕の傭兵が持ち歩くんだから」

「他称でも凄腕、にしといて。で、これだけのために呼び出したのかい?」

「これを返してもらうのも一つ。後、二つ三つお願いが」


 依頼内容を告げると、のんきな顔だったのがあからさまに眉間に皺が寄った。

 しばらく黙り、確認を取ってくる。


「それ、本気?」

「勿論です。多分あなたにしか頼めない。できるでしょう?」

「いやできるけどしたくないというか、できれば回避したいというか」

「凄腕の傭兵さん?」


 からかうように呼びかけると、はああっと大きな溜息をつかれた。珍しく、本気で困っているようで腕組みして背中を少し丸めている。

 半分やけになった口調で、ああ、もう、と聞こえた。


「久しぶりだよ。そんな依頼」

「受けてくれてありがとう。報酬は?」

「もう、受けたことになったんだ。――報酬は、後払いでもらう」


 今度は娘の方が眉をひそめる形になる。後払い。それは――。何か言おうをしたのを察して、言葉が浴びせられる。


「駄目だよ。それ以外の支払い方法なら受けない。嫌なら依頼を取り消して」

「取り消しはできません。それで結構です」

「じゃあ」


 傭兵はまた、窓から消えた。見咎められて騒ぎになるかと思ったのに、室外や屋外の近衛や警備はどうごまかしたのだろうか。

 さすがにプロは違うと感心しながら、手元に戻った品をぎゅっと握り締める。

 これをどこに隠そうか。色々な場所を思い浮かべてこっそりとしまいこんでから寝椅子に横たわるが、目がさえて眠れない。

 材料は手元に揃いつつある。目標も絞られつつある。

 不安要素だらけだけど、目標を定めたのならそれに向かうしかない。

 娘だけでなく、思惑を持つ者は少なからずいてそれが錯綜する。


 春の祭典まであと一月。


 契約の夜から程なくして、副団長が王都に帰還した。




 


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