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54  胎動

「――これでひと段落か。川向こうはきな臭いがな。まあそこはお前が上手くやってくれるんだろう?」

「ここから逃げた傭兵が多少なりあちらに雇われたらしい。その中に手の者を一定数紛れ込ませているからな」


 川の見える部屋で酒を酌み交わしながら、語り合う二人は平然としている。

 砦の修復にも手がつけられ、傭兵が盗賊と化したのを取り締まり、分裂気味だった東の騎士団を建て直しようやく今後のめどがたったところだ。

 今夜の酒盛りは副団長の送別の意味合いもある。

 明日には王都へと旅立ち、王都騎士団の団長代理として戻る予定だ。

 気心は知れている仲だ。途中会話が途切れても全く気にする様子はなく、ただ自分の配分で杯をあけて飲み干していく。


「王城に戻ったら例の件をよろしく頼む」

「分かっている。できるだけ早く結果を伝えるようにする。しかし参ったな」

「ああ、これだけ綺麗さっぱりなくなっているとは思わなかった」

「思い当たる場所は探したって言うのにな」


 今は亡き大公殿下の私室や執務室、書類を置いて不思議ではない図書室。焼失したが祈祷所のあった場所や宗教関係の絵画や彫刻が置いてある周辺など、宝探しかのようにしらみつぶしに消していったのに、どうしても見つけ出せない物がある。

 争乱で大公を筆頭に側近はかなりが死亡していて、口を割らせることもできない。

 生き残った人間に問いただしても知らないとのことで、視点を変えて仕切りなおそうかとしていた矢先の副団長の帰還命令だった。


「王城に入って今回ばかりは厩舎が後回しなのは気に入らんが、陛下と殿下に概要を報告しよう」

「ああ、本部の連中にもよろしくな。びしびし鍛えなおしてやってくれ」

「お前ほど迫力は出ないが、まあやってみるさ」


 よく言う、その言葉を団長はしまいこむ。自分とは別の迫力を充分に有している。その手に乗馬鞭が握られた日には、悪夢が襲うとまで表現されて恐れられている。


「そしてあの方に面会を申し込む、だな。ただあの方に分かるだろうか」

「これは賭けのようなものだな。こちらでも引き続き捜索は続ける。些細なことでも情報があればそれだけでありがたい」

「何か、伝えることはあるか?」


 副団長の問いに、団長は黙って杯を空にした。川から吹いてくる幾分か湿った風は、それでも凍てつく冬のものから早春といっていいぬるみを伴っている。副団長は黙って杯に酒を注ぐ。それを手にとり団長は視線を固定する。


「――いや、別にない」

「そうか、妹君にはどうだ?」

「お前の口から話してくれるだけでいい」


 簡潔に答えた団長に副団長はかすかに眉をしかめることで応じた。

 ここに来た時よりは顔には生気が戻り、山のような残務処理と並行して砦や都の修復や復興もこなしている。

 自らが傭兵隊長として潜伏していただけに、傭兵をはじめ下の者からも慕われている。傭兵の中にはここに残って働く者まで出ているほどだ。

 

「お前、いいのか?」

「何がだ」

「手をこまねいて見ているつもりかってことだ」


 団長はことり、と杯を置いた。目は暗い川に向けられている。

 

「まだ、全然足りない。実績も武功もだ。だからまだ迎えにいけない。少なくとも隣国との決着をつけるまではな」


 川を挟んだ向こうの国王が先だってはこちらの国王にやりこめられ、不本意な条件で川の通行に関する条約を結ばされたのを逆恨みしている。

 そこに降って湧いたような『内乱』に近い騒動に、乗じようとしても不思議はない。

 砦を攻撃する間に川向こうからやられるのを警戒しつつ、どうにかことをおさめたのだ。


「あっちにも傭兵が流れたからな。砦も修復中となれば、ここで動かずにいつ動くといった心境か」

「まさか、酒を注がせている側女がこちらの手の者とは思っていないのだろう」

「寝台でも口が軽いらしいぜ、あの国王」

「うかつだな」


 側女として上がった女性も副団長の采配だ。東の国王好みだぜと連れてきて、密かに面会した女性は肉感的な美女だった。

 それに夜な夜な秘密を漏らし、こちらに筒抜けなのに気付かないのも間抜けな話だ。


「おねだりがてら、焚き付けてもいるんだろう? 今なら東の砦を落とせると」

「そうだ。東の国王はすっかりその気らしい」

「いつだと思う?」


 攻撃の時期はいつか。さほど考えるでもなく、答えは出る。

 人の出入りが激しくなり、往来が活発になる。


「春の祭典だろう。食料の備蓄も進んでいるし、壁の修復も済んだ。王城からの騎士が要所もしめている。あちらの船への工作は?」

「鋭意進行中だ」

「なら、負けない。勝つ」


 迷いのない短い言葉がどれほど戦場で味方を鼓舞するか。団長はその効果をよく知っていて、またそんな時の言葉はたがえられることは少なかった。

 副団長も、団長がこう言いきったからと安心する程には信頼をよせている。

 明日からしばらくは離れることになる。団長も副団長も手元の酒をあおった。


「王城に戻ったら、こっちにもう少し人員をよこす」

「弓の上手い奴を優先してくれ」

「分かった」


 明日の出発を見越してあまり遅くまで飲むことはしない。自然、これでお開きの流れになった。

 普段は体と頭を極限まで働かせ、糸が切れたかのように寝台に倒れこんで眠ってしまうのに、今夜ばかりは団長はなかなか寝付けない。

 何度か寝返りをうち、目を閉じて規則正しい呼吸を心がけるがとうとう眠ることを諦めた。

 剣を手に露台へと出て中庭とそこに生えている木を見下ろす。


「感傷にふける暇はないはずだが」


 つい出てしまった呟きでも、眼下の静かな風景は変わらない。

 この木をつたって逃げるなど無茶をする――つい思い出すのは未練の対象となっている一人だ。

 この砦のそこかしこに残像のように気配がある。

 振り払おうとしても無駄だと悟ってからは、無理に押し殺すことなく時間があれば思い出を追う。

 そして再び仕事に戻る。

 東での成果をより早くより確実にするために、やれることは何でもやる。


 未練がましく、みっともなく、無力な自分から脱却すべくだ。

 砦内部については掌握した。都の住人から大公の影響は拭えていないが、ひどい反感は買っていないと感じる。

 

「あれが見つかれば更に荒れるかもしれないが、禍根は絶つべきだ」


 大公殿下が残したかもしれない物を思い、夜空を仰ぐ。娘に教えた北の星は光って見えている。

 ほうっと吐き出した息ももう白くならなかった。




 娘は国王がすくい取った自分の髪の毛を手にとり、眺めている。

 あの日以来国王とは顔を合わせていない。本当に婚約が二人の間では形だけのものになり、今後のことを考える余裕がでていた。


「準備はできまして?」


 華やかな女性らしい声とともに、公爵夫人が現れた。娘も外出用の服に着替えている。同じく侍女服から着替えた侍女とともに、

馬車に乗り込む。今日は夫人の提案で城下にいくことになっている。

 下働きをしていた時には歩いて行った道を、今日は馬車で通り抜ける。城下で前に見た店などが娘を感慨にふけらせる。


 王城を逃亡する際に備えて、探りをいれるために城下に来たこと、悪質な両替商に困っていた時にふいに現れた――。

 娘の身を案じて指輪や紙片をよこし、小遣いと称した現金を渡してくれた――。

『思い出』ができるほどにここで過ごしここに関わりをもったのだと、『時間』を重く受け止める。

 馬車が止まったのは一番の大通り、目抜き通りに店を構えるところだった。



 突然現れたきらびやかな――通常の貴族の夫人や令嬢よりは抑えてはいるがそれでも素材や仕立てのよさから人目を惹く服を着た一行に対しても従業員は特に動じることはなかったが、娘の黒髪を認めた際にはさすがに慌てた空気を生じた。

 奥から主人とおぼしき老人が出てきて、挨拶をする。


「これはこれは、いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか」

「あら、ここはかつらと染め粉の店ではなくて? それ以外の物も売っているの?」


 公爵夫人がからかうように言うと、他に売っている物などございませんと礼をした。

 色々な髪の色、髪型のかつらが壁に大きくとった棚に並び、かつらの手前では染め粉と思われる物が多数そろっていた。


「かつらをね、注文したいの。髪型は……そこのと同じでいいわ。ただし、色は、黒にしてちょうだい」

「黒、でございますか。しかしそれは」


 王妃しかまとわない黒の髪の毛。それに遠慮してか、棚にも黒色のかつらはない。

 公爵夫人は扇をぱちり、と鳴らした。それだけで主人は公爵夫人の迫力に押されている。


「黒よ。大丈夫、この方の許可は得ているから」


 夫人はそう言うと、娘の背中に手を当てた。主人は今までになかった黒色のかつらという注文に困った様子を見せている。


「しかし、よろしんですか?」

「許可を得ていると言っているでしょう? 出来上がりまでどれくらいかかるかしら」

「ご主人、大口の注文ですよ。ご主人にはいい風が吹いているように思えますが。私でもこんなのなら風をつかまえたいですね」


 娘がそう言うと、主人はちらりと公爵夫人と侍女をみやった。その後で素材見本帳なる分厚い本を取り出して何か調べ始めた。


「黒でこのしなやかさと光沢をだせるか、どの素材なら可能なのか」


 ぶつぶつと言いはじめて、見本帳の素材の上に指を走らせる。

 ああでもない、こうでもないとぶつぶつ言いながら、娘に頭を下げた。


「不躾ですが、お髪を触らせてもらってもよろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」


 そう言うと主人は娘の髪の毛を一房取り寄せて、握ったり緩めたりを繰り返したかと思うと、指で触れた。


「素材は何がいいか。摩擦のすくなそうな素材を探さないと。絹か、光沢のある糸を使うか、人毛なら……」


 職人らしい考えにふけった主人をよそに、女性三人であれこれと目を移し手にとりしばし時を忘れた。

 ようやく顔を上げた主人は娘をじっと見る。


「素材の取り寄せに多少時間がかかります。質は確かなのでご安心を。そうですね、三、四日というところでしょうか。

 それからかつらの製作に入ります。完成は一週間から十日後になります。これでよろしいでしょうか」

「よろしくてよ。ああ、私のお友達があとから複数いらっしゃると思うの」


 鷹揚に夫人が頷き、娘も当然頷いた。前金としていくらか渡し、あとは完成後に支払うという形でまとまった。

 この店での用事が済んだとドレスの裾さばきも優雅に、公爵夫人が店を出た。

 娘と侍女も同じように店外にでようとした時、主人がお辞儀をした。

 それに娘も軽い会釈で応じた。



 馬車は遠巻きに見つめられている。確かに王家や公爵夫人からは質素に見えるだろうが、実は素材や加工は一流の職人の手がけた馬車なのでいかにも身分の高い人物が乗っていそうに見える。

 しかも御者はいるのは当然だが、馬車の背後に一人、馬に乗った騎士が複数いるのだから、目立つなと言うほうが無理な話だ。

 髪の毛をまとめて帽子に押し込む。それだけで黒髪黒目は帽子の影に隠れてしまう。



 再度馬車に乗り込み街を散策する。夫人の計画とやらは上手くいくのか疑問で不安だが、本人は機嫌よさげにして成功を確信している。

 侍女も叔母には苦笑気味だ。親類でさえそうなのだから、出合って数ヶ月の自分など太刀打ちはできないだろう。


「叔母様、ご招待するのは何人でよろしいのですか?」

「小さな夜会に準じて。ただしこの間王城でお茶会をしたお友達は全員いれておいてね」

「分かりました」


 次に連れて行かれたのが仕立て屋でここでは主に侍女が犠牲になった。娘は王城に戻れば夜会用の衣装をはじめ、困らないだけの服があるのでここで作る必要もなく気楽にしている。

 その後は装飾品をおいてある店、次は靴屋など夫人曰く『黒髪を愛でる会』用の一式を侍女が見繕われた形になった。

 帰りの馬車では侍女が一番疲れているようだった。お疲れさまとねぎらって王城に戻る。


 馬車から手を取られて降りると、公爵夫人は王城までのりつけた馬車に乗り込んで去っていった。

 侍女を下がらせ、散歩がてらに神殿に赴く。神官長が地方に滞在しているのを確認のうえだ。

 しばらくそこで珍しいものを見て過ごし、夕食前に部屋に戻った。



 公爵夫人のやろうとしていること。上手くいけば娘にも益になる。

 椅子に身を預けてゆったりしていると、珍しいことに王弟殿下から伝言が届いた。


 国王が体調を崩して寝込んでいると言うことだった。

 可能なら見舞いに来てくれれば兄国王が喜ぶといった内容で、腰を浮かしかけたがもうすぐ夕食となってしまった。

 できるだけ急いで夕食を取り、侍女と護衛を連れて王の部屋を目指した。





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