51 傲慢
王城に戻ると侍女は服を着替えに退出した。椅子に深く腰掛けて外を眺めながら公爵夫人のことを考える。
姉妹で公爵や侯爵に嫁いでいるのだから、本人達の元の身分も低くはないのだろう。貴族の女性の考え方や振舞い方が染み付いているのだと思う。その貴族の女性から見て、国王や王妃になる娘はどう捉えられているのだろうか。
人となりを見極めないで考えを披露する愚、自分の行動は随分軽率だとは分かっている。
ただ状況を変えるきっかけになるかもしれない、と考えた。感傷かもしれないが、夫人を団長と侍女の叔母ということで親しみも感じた。
もっといえば味方になってほしかった。
親代わりと言っていた公爵夫人は侍女が可愛くて仕方がないと、隠すでもなく表している。言葉の端々や侍女を見る目で分かる。
その彼女だったら侍女が王妃になるのを願うだろうと話をもちかけた。
――感触は悪くない。ただ、肝心のことを怠っている。侍女の気持ちを確認することを。
見た限りは幼馴染の親愛の情はあるように見える。当然臣下としての忠誠心もだ。ただ時々、過去の話をする中で表情が甘くなったり、現在の陛下の欠点を言いながらも決して嫌いではないというスタンスを感じていた。
嫌いではない、はずだ。なら自分が国王と結婚しなければ、再度の召喚などがなければ最も相応しいように見える。
ただ男性として好きなのかははっきり確認していない。
それなのに、一足飛びに公爵夫人に話をもっていってしまった。
これについては夕食の後にでも侍女に直接聞くか、夕食の際の国王と侍女の様子をうかがうかで判断しようと決めた。
夕食は国王と王弟、娘と侍女の四人で取った。侍女に手本を見せてほしいと頼んでのことだ。
話は公爵家のことになったが、昔の話は意図的に避けられていた。
昔のことが話題になると、必然的に団長を思い出すからだろう。それに気付くと切なくなる。
「公爵家はどうだったか? あそこは代々趣味人が多くて屋敷の調度も見事だと思う」
「はい、華やかで、でも不思議に落ち着いた感じでした」
国王から話しかけられて答えると、苦笑しながら続けられた。
「本来ならそなたは余以外に呼びだてはできぬ。一応婚約者であるので王妃に順ずる身分になっている。公爵夫人が屋敷に招いたのは、夫人の失礼ではなく余が頼んだからだ」
意外な言葉に国王を見つめると、少しだけ国王の耳が赤くなった。
「そなたは王城で塞いでいたから、その、少しでも気分転換になればと」
「兄上、そうだったのですか。私はてっきり夫人が苦手だからかとばかり思っておりました」
横から王弟が笑い混じりの声で横槍を入れる。
国王はひとつ咳払いをして、王弟の冗談を否定した。
「余は決してあのお節介なところが苦手で、できれば顔を合わせたくないなどとは思ってはいない、今回は本当に……」
「そういうことにしておきましょう。でも近日中に夫人は登城しますよ」
そうなのだと呟いてため息をついた国王に内心驚く。
まさかそんな気遣いをしてくれていたとは。侍女をちらりと見ると、微笑んだ後で国王に視線を移して目を伏せた。
一瞬だけ侍女の顔に浮かんだものが気になった。
「陛下、ありがとうございました。いい気晴らしになりました」
「夫人は貴婦人の鑑のような方だ。よく教えてもらうといい。そなたにはまた押し付ける形になるが」
その後の食事は胸につかえた。国王が笑いかけてくるたびに、どう返していいか分からなくなった。
部屋に戻り寝椅子に横たわって、娘は自己嫌悪に陥った。
国王が自分を気遣ってくれてお膳立てしてくれていた。そのことに気付くことなく、行った先の公爵家で王妃になりたくないと言い放ってきた。王妃になりたくないくせに、婚約者の立場には乗っかって王妃教育を受けようとしている。
「最低だ」
口に出すと余計に落ち込んでしまった。王妃教育と称して公爵夫人が貴族の令嬢を連れてくるのを期待している。
国王は嫌々ながらの婚約だと承知の上で、色々と考えてくれているのに。
自分がひどく薄汚れた気がする。そして侍女と、国王に対しての罪悪感を覚えた。
数日後に登城した公爵夫人は、豪華な王城にも負けぬほどに優雅な姿だった。姿勢がきれいで仕草が洗練されているので、ただ歩いているだけでも人目を惹く。
午後のお茶の時間に合わせて来たので、国王と侍女が同席していた。
「国王陛下におかれましては麗しいお姿を拝見でき、恐悦至極に存じます」
「堅苦しい挨拶はよい。ここでは繕う必要などない」
「まあ、それでは私が随分と澄ましやに聞こえますわ」
「いや、そういう訳ではない」
早くもいささか国王がおされ気味に見える。夫人の方は優雅に扇で口元を押さえているが目は、じっくりとこの場を見定めようとするかのような光をたたえている。
「急な願いを聞き入れてもらい感謝する。よろしく頼む」
「お任せくださいませ。王城の細かいしきたりは侍従長の方が詳しいでしょうから、私は女性側からのあれこれをと思っております」
「これは、今までとは全く異なる場所に呼び出してしまったので、特に作法や社交に関して心細いだろうからよろしく頼む」
少しだけ間をおいて、夫人が頭をさげた。
侍女が呼ばれて退席し、国王も執務に戻ったところで夫人と二人になる。
流れるようにカップを持ち上げお茶を飲んで、それを置いて夫人はふうっと息を吐いた。
そして正面から見つめられる。
「あれから色々と考えましたの。この国にあなたのような方がいらっしゃったいきさつはご存知でしょうか」
「はい、神殿で記録を読みました」
「でしたらお分かりですね。私が、国内の貴族である私が再び混乱の元になりそうなことに手を貸せるかどうかは」
「姪御さんのためにはそれでも、と思っていましたが、ごめんなさい。私が浅はかだったんです。姪御さんの件は忘れてください」
夫人は器用に片方の眉毛だけをあげた。
それだけで詰問の意図を感じる。社交の場では元の世界以上に察する能力や、言葉に含みを持たせる必要がありそうだ。
「あら、そうですの」
「ええ、彼女の気持ちも聞かずに条件が合うからと話を進めようとしました。これじゃまるで……」
最初の頃の国王のようだと続けようとして、夫人にそこまで話す必要はないと語尾を濁す。
夫人は扇を口に押し当てて少し考えているようだ。
ややあって、扇を外したその表情に怒っている様子はなかった。
「私の見立てではあの子は陛下のことは決して嫌ってはいない、むしろ初恋の延長かもしれませんが好意はあるようです。あなたのおっしゃるように、確かめもせずに進める話ではないですわね。でも、あの子に問いただしても認めないでしょう。
生真面目なところは両親によく似ているし、なにより今はあなたがいらっしゃる」
「それは私の……」
「本意ではない、そうおっしゃりたいのですか。でもご婚約は現実の話ですし、それに陛下からではなくあなたからの話だと噂では聞き及んでおりますが」
夫人の言葉のひとつひとつが柔らかな棘のように、ちくちくと苛んでくる。
確かに自分から言い出した婚約話だ。
「間違いでしたかしら?」
「いえ、その通りです」
「でしたらそこに割って入るにもまいりませんでしょう? ましてや可愛い姪を」
夫人は手首をかえして扇を片方の手に柔らかく当てる。
たったそれだけの行為なのに、妙な迫力が出た。
「みすみす争いに巻き込むつもりはございませんの。それに先程の陛下のご様子からもね。あなたに対する陛下のお気持ちを知りながら姪を差し出そうなんて、傲慢ではありませんか?」
傲慢――ずんと響くがその通りだと思う。その上浅はかではどうしようもない。
「私も自分勝手なのは分かっています。ですから姪御さんの件はお忘れくださいと申しました」
「既に結論が出ているようで安心しましたわ。同じ理由でお友達の令嬢達の紹介も諦めてくださいな」
自分の身代わりに貴族令嬢作戦はあっけなく潰えた。
召喚制度の始まりを考えれば、そしてその混乱を望まなければ公爵夫人が頷くはずがなかった。肉親の情が勝るかと思っていたけれど、考えていた以上に彼女は貴族でこの国を思っている。
屋敷での様子との違いは、この数日の間に熟考を重ねての結論なのだろう。
当然だと納得はしたが、一方で失望もとめられない。また他の手段を考えなくてはならない。
夫人を見つめていた目線が、手元に落ちてしまう。
「あらあら、そんなにしょげないで下さいな。代わりといってはなんですが私のお友達を紹介いたしますわ。
息子しかいないとか、娘は嫁いでいるとかで陛下の縁戚になる可能性のない、でも権力や見識はある信頼できるお友達をね」
はっとしてうなだれてしまっていた顔を上げると、そこには母のような眼差しの夫人がいた。
「皆さん国内外にある程度の影響力はある方ばかりだから、知り合いになって損はないと思います」
令嬢達は紹介できないが、その親世代を紹介してくれるらしい。
公爵夫人の友人なら一筋縄ではいかないだろうが、味方にできたらさぞ頼もしいのだろう。
「ありがたい話ですが、王妃一直線の気がします」
「そこを上手くさばいてこそ、ですよ」
優雅に微笑む夫人は、なるほど国王が押されるはずだ。決して正面だって敵対することはせずに、己の有利になるようにもっていく。
今だって自分に諦めさせながらも、希望をもたせようとしている。
しなやかでしたたか。まるで境遇は違うのに、食堂の女将を思い出した。
それから後は、会話術と称してお茶を飲みながら相応しい話題や会話の運び方の教授になった。
あくまでも優雅に、品位を失わない程度に注目を集める要素を入れろなど、難しいことを平然と要求する。
果たして夫人を満足させされるのだろうか。とてもそこまでいけるとは思えない。
夫人が王城を辞去する際、扉近くまで見送りにでた。
と、夫人が目の前に立ってそっと頬に手をのばした。柔らかくしっとりとした手に包み込まれて、夫人と眼差しをあわせる。
「こんなこと無礼の極みですが、お許しください。――何を焦っていらっしゃるの?」
何を? 決まっている。そう思うのに口は別の言葉を紡ぐ。
「冬が、終わるから」
「春はお嫌い?」
「そういう、わけではありませんが」
夫人は一瞬だけ真面目な顔になってから、目を細めた。
「時間は新しい何かを連れてきてくれるかもしれません。待つこともよいものですわ」
「こちらでは、待ってあまり良い結果にならないことが多いのですが」
「でも焦れば大切なものを見誤り、見失います」
「……そうですね」
脳裏には一人の姿が浮かぶ。夫人はくすりと笑った。
「強気かと思えば弱気だったり、年頃の女性って本当に可愛いものですね。うちは息子ばかりでその楽しみがなくて。今度はお友達を連れてきますわ」
優雅に礼をして、夫人は屋敷に戻っていった。
何を焦っているのか。一つだけではなく答えが浮かんでくる。
団長の行方が知れないこと、国王の気遣いや優しさに動揺していること、婚約者としてのありかた、でも一番大きいのは多分これだ。
春が来るから。春になって祭典の日を迎えると自分がここに来て丸二年になる。
時間の流れが同じかは分からない。でも、丸二年とすればあちらでは三回忌に当たる日だ。納骨も、一周忌も過ぎてしまった。三回忌まで、と思うとどうしようもなくじりじりと胸が焦がれる。
この短期間で国王が帰還へ頷いてはくれないだろうと、どこかで悟っている。
第一自分から婚約を言い出しておいて、と身勝手さが際立つ。
国王と同じ気持ちにはなれそうもない。それでも婚約者としての義務は、それに伴う恩恵にあずかる限り無視はできない。
無視しようとして持ちかけた、令嬢を王妃にという企みはあっけなく水泡に帰した。
義務を果たせば待つのは王妃への道だろうか。それともその途中で、別の道を見つけることができるのだろうか。
寝椅子で枕を抱えながら、答えの出ない問いにその夜はよく眠れなかった。