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49  冬の温室

 婚約が正式に発表されたとの知らせがなされた後、娘は温室でお茶をいただいた。

 侍女がそれまで元気のなかったのを気遣ってくれて、あれこれと負担にならない程度に和ませてくれようとしている。

 

「冬の庭ですが、温室は見事ですよ」


 案内されたのはさすがに王城なのだなと感心するほどに広く、甘い花の香りの漂う温室だった。

 春に植える予定の苗木があったり、時期をずらして咲かせている花があったり、献上されたらしいもっと南よりの地域の花があったりと自然の色や香りは確かにどん底のような気分を浮上させてくれた。


 中にしつらえてある場所でお茶を飲んでいると、侍女が遠慮がちに話しかけてきた。

 今は無理を言って同席してもらっている。

 優雅な手つきでカップを操りながら、侍女は――団長の妹で侯爵の娘は切り出した。


「婚約の件、本当によろしかったんですか? 皆は陛下が押し切ったように思っておりますが、あれは兄のためなのでは……」


 父親である侯爵が面会を求めた後からの様子でうすうす察してはいたが、どちらかといえばその後の検査の方が衝撃的でもともと落ち気味だった食が一気に細くなり、夜に至っては寝台では眠らずに床で丸くなっている姿を目撃していた。


 冬の王城の床だ。機密性に優れていようとも広く寒いのは否めない。

 部屋に、特に寝室や浴室など無防備になるところに人が入るのをことのほか嫌がる娘のために、どうすることもできずにただ上掛けを増やし、寝台は見るのも嫌だと抑揚もなく呟いたので陛下との面会の間に寝台を運び出して寝椅子を代わりに置いた部屋を用意した。

 ――きっと検査をした部屋自体が厭わしいだろうから、と。



 陛下が三日執務の都合をつけて通った後で、重臣達に婚約の報告がされた。

 ただし、との条件つきだった。伝説の娘は自身を取り巻く状況の変化にとまどい混乱している。まずは世界や王城に慣れることを最優先として婚儀への期限は設けない。

 侍女は直接は知らないが、先代の王妃が決して幸福とはいえない日常だったというのは公にはできないが、王城で密かに語られていた話だ。


 ましてやその子供である陛下や、先代から仕えた重臣達が知らないはずもなく、この条件は特に異議もなく了承されたと聞いた。

 東の大公の下に一時期いたことは公然の秘密ながら、陛下がそう言えば重臣も頭を垂れるしかない。


「うーん、いい選択じゃないなとは思っているけど、それしかなくって」


 花の香りを邪魔しないようにとすっきり淹れたお茶を口にして、娘は困ったように笑った。

 国王との婚約をいい選択ではないとは、貴族の令嬢に聞かれれば殺されかねない台詞だが侍女は内心同調している。

 自分もれっきとした貴族令嬢にも関わらずだ。

 温室の出入り口は限られていてそこには警備の者が立っている。他の侍女達も今は温室内を散策しているからほぼ内緒話の呈だ。


「逃げても身動きが取れなくなったっていうのが正直なところで……」


 妹である自分にも決して兄のためだとは言わない。父はいまだに懇意にしている重臣もいることから、早馬でこの知らせは受け取っているはずだ。

 さすがに今回ばかりは手紙をしたためる気にはなれなかった。


 この温室の中にあっても、娘の黒の色彩は際立っている。神秘的といっていいだろう。何にも染まらない色は、そのまま娘の芯の強さにも現れている気がする。

 女の自分でも目を引くのだ。ましてやと考えると陛下や、王城での時間を共に過ごした兄が惹かれても仕方がないのだろう。

 髪の毛を染めて目を隠していた時でさえ、誘いがあったのも知っているからなおさらだ。



 騎士団本部では団長と副団長の不在で落ち着きを欠いているうえに、娘の正体も知らされて動揺が走っているそうだ。

 伝説の娘が――王妃でもいいが、皿洗い、食事の配膳やお使いをしていたのだ。

 むさくるしい集団にあっての清涼剤のような存在だっただけに、衝撃は大きかったようだ。

 知らずに口説いて過酷な訓練を強いられた従騎士に至っては、絶句した後にみるみる顔色を失い、まず顔を合わせることはないと思われる裏門の衛士に立候補したと聞いている。



 時々使いで兄を訪ねていた自分でさえ浮ついて迎えられたのに、相手が娘では……

 当の娘は知ってか知らずか、一頃の生気を失った様子からは浮上しつつある。


「そう言えば……陛下って苛められて喜ぶ性癖なんですか?」


 感慨にふけっているところにいきなり落とされた発言に、飲みかけていたお茶がむせる。吐き出さなかったのが幸いだが、礼儀からは失態だ。

 でもそんなことを考える余裕もなく、娘の言葉がぐるぐるとこだまする。

 とても、いや絶対に聞き捨てならない。


「私、そんな性癖は存じ上げませんが」

「そう? じゃああれは人を選んでのことかな?」


 なにやら難しい顔でぶつぶつと言う娘と、陛下との間には何があったのか。

 娘のところに通った三日間のうち、最初の二日は何もなくただ向かい合って座っていただけだ。

 視線すら合わさず、娘は外を見て陛下はそんな娘を見ていた。ただそれだけなのに、見ている方が苦しくなりそうだった。

 それが三日目、人払いをした後で娘は目に意思を宿し、陛下は……抑えてはいても機嫌が良かった。

 きっと苛められて云々のやり取りはこの三日目になされたに違いない。


「陛下は苛めることはあっても、苛められるような方ではないと思います」


 子供の頃のことを思い出しながら伝える。男の子の常で兄と外遊びをするのが大好きで、それについていこうとすると迷惑そうな顔をされたのを覚えている。ただ最後は仕方ないとでもいいたげに手を出されて、嬉しくてぎゅっと握った。

 時々はその手の中に虫がいて、最初の頃は悲鳴をあげて泣いたものだった。

 そのうちに慣れてしまった。兄や陛下の弟君が気遣ってくれて随分助けられはしたが、今思い出すのは表情豊かな陛下の顔だ。


 次第に勉学や鍛錬に時間を取られるようになり、男女の差もあって一緒に遊ぶこともなくなった。

 兄とは騎士団で一緒の時期もあったが、自分は侯爵領か親類の館で過ごすことが多くなり久しぶりに顔を合わせたのが侍女に上がってからだ。

 その時にはもう、陛下は優しくはあったが女の子に悪戯を仕掛けたり可愛らしい苛めをするような状態ではなかった。

 前国王陛下の崩御と付随した騒動で、その優しささえ封印されてしまった。

 以後はどこかに冷たいものを抱えた、絶えず何かにさいなまれているような有様だった。


「きっと、あなたに会われて変わられたのでしょう」


 鎧がはずれ、はりつけた仮面も取れて一言でいえば人間らしくなった。

 暴言だけは赦しがたいが、人を想って行動し頭を下げるまでになったのは喜ばしい変化だ。

 それだけに兄のことは残念でならない。


「もし兄のことが分かればお伝えしましょうか?」


 まだ動静は分からないが今までの兄だったら、手紙をよこしてくれる。娘にとっては酷かもしれないが、知りたいかもしれない。

 娘は何度かまばたきした。


「今は……いい」

「承知いたしました」


 二人してお茶を飲んでやりすごす。急に強くなったような、むせ返るような花の香りはくらりとめまいを感じさせる。

 体調の回復していない娘にはこれ以上は負担かもしれない。


「そろそろ戻りましょうか」

「はい」


 温室を出ると、風の冷たさが身を切るようでふるりと震える。しっかりと服をかき寄せて温かい空気を逃がさないようにしても、それはすぐに去っていってしまう。


「王城の冬は寒いんですね」

「そういえば、昨年は南にいらっしゃったとか」

「ええ、海風は冷たかったけれどこんな感じではなかった」


 さっきまでの温もりはとうになく、警備や侍女達と足早に王城に戻る。

 娘の感じている冷気はきっと気候だけではない。

 心が冷えると、手足は実にたやすく凍えてしまう。

 温かくしておいた部屋で、もう一度熱いお茶を淹れる。ほうっと息を吐いたその姿すら絵になると思いながら、異世界から来た、本人は割に強いのだがいかにも庇護欲をそそる娘を眺める。

 その娘が顔を上げてあのね、と囁いた。


「あの手紙、まだ持っていたら――処分してください」

「――そのようにいたします」


 礼をしてあてがわれている部屋に引っ込む。広くはないが清潔で、持ち込んだ小物でほっとする空間になっている。

 暖炉に火を入れて書き物用の机の引き出しから、鍵のかかった小箱を取り出した。

 中には父や兄からもらったちょっとした装身具や大事な手紙などが入っている。

 目当ての一通を取り出した。


 几帳面な兄には珍しい走り書きのそれは、慌しい中で書かれたものと推察される。

 中は簡単な経緯の説明と、娘の助けになってやって欲しいとの真摯な願いがつづられている。

 陛下への謝罪も、だ。

 黙ってそれを読み返す。もう何度も目を通しとっくにそらんじている。

 これを処分したら娘と兄の繋がりまで消えてしまいそうで、火を前にしてもくべるのにはためらいがあった。



 でも処分して欲しい、と。それが娘の願いなのだから。

 火の上にかざすと端からゆっくりと燃え移る。さして大きくもない手紙だ。

 炎をあげて黒い物体に変わるまでそれほど長くはなかった。火かき棒でそれを粉々にする。

 あっけなく兄の想いは、それを形にしたものは消えた。

 どうしようもない胸の痛みだけを残して。

 自分が感傷に浸っても意味はない。それは分かっていながらもしばらく暖炉の前から立ち上がれなかった。




 娘も手紙に目を通していた。ここにいなくて渡されることのなかった副団長への手紙だ。部下にではなく友人にあてて書かれたそれに、目をこらす。

 命より大事だと書かれた部分にそっと指を這わす。本当に嘘吐き。

 一時の温もりだけを残して消えてしまった。


「でも無事なら、それで」


 一度だけ手紙を胸にあてて誰も聞く者のない呟きをおとす。

 ぴり、と手紙を裂いて火に落とす。ゆらり、と炎が揺らめいてのみこんでいく。

 ぽっかりとあいた穴にごうごうと風が吹く。外の風の音とあいまって冷気が背筋をはいのぼる。


「ここは……寒いの、すごく、寒いの」


 寝衣の上の肩掛けをぎゅっとにぎって寒いと繰り返しても、包み込んでくれたあの温かさは戻らない。

 

「会えないだろうけど、会いたい」


 今は消息も分からない、大事な人を想って流した涙は誰にも知られずに布に吸い込まれた。




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