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48  婚約あるいは

 本来なら娘が国王の部屋を訪れるはずだったが、娘の状態を心配した侍女の懇願によって国王が娘の部屋に姿を現した。

 娘は立ち上がって礼はしたが、元気がなかった。

 椅子に座り顔を横に向け、長椅子においてある詰め物を抱えて外を見ている。


 午後の執務は可能な限り片付けて、弟に後を任せている。話があると訪ねた以上こちらから話しかけるべきだったが、何故か声をかけそびれじっと娘の姿をながめてしまうことになった。

 しばらくそうしていて、傍らの侍女に声をかけた。


「何かすることがあるのなら席をはずして構わない」


 それを聞いて侍女はもう一度お茶を淹れなおして退出した。相変わらず娘は窓の方を向いている。

 無視されることには慣れていないので最初こそじりじりしたが、いつしかそんな気持ちもなくなりこちらを気にしない娘の様子を存分に堪能することにした。疲れは隠せていないが、黒髪に縁取られた顔は静かな印象すら抱かせた。

 結局その日はそれで終わった。翌日も似たようなものだった。



 三日目ともなると弟からはしぶい顔をされながらも、同じ時間に娘を訪問した。変わらずに飽かず、外を眺めている。

 どれくらいそうしていただろうか。国王は横を向いたままの娘から声をかけられた。


「何をしにいらっしゃったんですか?」

「そなたの顔を見に。それと――謝罪だ」


 娘の前のお茶がすっかり冷めた頃、娘は椅子においてあった詰め物をぎゅっと抱えてそれに視線を落とした。


「検査の報告は聞きました?」

「ああ」

「……あれは、やる必要があったんですか?」

「王家と婚姻関係を結ぶ者には必須だ」


 国王に視線を合わそうとせずに、娘は続ける。詰め物がまるで身を守る盾であるかのようだ。

 その姿は頼りなく、子供っぽく見えた。


「好きな人のための検査だったら、恥ずかしくても我慢できました。でも――」


 続くのは好きでもない人間のために、苦痛を覚えたというところだろう。

 国王はそう分析した。


「そなたには辛く、恥ずかしかっただろう。済まなかった」

「私、夢を見ているんですって」


 突然変わった話題に目を瞬かせると、娘は詰め物越しにお茶を見つめている。

 国王に語るというより、自分自身に言い聞かせているようにも思えて、何も言わずに娘が続けるのを待った。


「あれが夢なら、私はずっと悪い夢を見ている気がする。ここに召喚されたのも、帰還できなかったのも、また王城に戻ったのも。いつまで夢を見ればいいんでしょう」


 国王はたまらず娘の前まで来て膝をついて目線を合わせようとした。

 それを嫌がるように、娘は詰め物に顔を埋めた。


「……大嫌い。召喚制度も、それをやる神官も」

「そうか」

「黒髪黒目だからって顔も見たことない相手と結婚しようとする陛下も。罵ったくせに、牢に入れたくせに態度変えて愛しているとか信じられない」

「済まなかった」

「一緒にいるって言ったのに、必ず戻ってくるって言ったのにこないあの人も嘘吐き」

「……そうか」

「でも一番嫌いなのはあの時に絶望してしまった自分。ここに来てこんなことに巻き込まれる隙を作った自分が嫌い」


 途中までは至極当然の罵りというより言及だったのに、最後のにはっとする。

 詰め物に埋められて顔が見えないのが残念だ。自虐的な表情を見せたくなかったのだろうか。その代わりにさらり、と黒髪がすべり落ちて揺れる。

 意思を通す娘のようにどこまでも真っ直ぐな黒髪だった。


「自分を責めるな。悪いのは余だ」

「そう? 伝統だったのでしょう? その後の騒動の元凶は陛下だとしても」


 そこだけきっぱり言い切られて複雑だが、今はそんな瑣末なことにはこだわってはいられない。

 これだけ近づいても身を引くことなく、独白に近い言葉が続く。


「陛下が変わったって噂話を聞いてちょっと見直していたのに。あんな検査を強いるなんて女心が分かってない」

「済まない」

「団長や大公殿下と寝たのかとか、直接言う? 男の人ってみんなそうなの?」

「済まない」

「国王は謝罪しないんじゃなかったの?」

「そなたに関しては別だ。謝罪することだらけだ」

「本当にそうね。でも陛下だけが悪いんじゃない、か」


 詰め物を間にして奇妙な会話が続いている。いつの間にか敬語でなく話をされているのに気付くが、不快ではない。


「私が逃げて処罰された人はいる?」

「直接的にはいない。厳重注意というところだ」

「でも、迷惑はかけた。私にしてみれば誘拐国家がどうなろうと知ったことじゃないけど」

「そなたが余を厭うた結果だから、余が悪かったのだ」

「でも逃げずに戦えばよかったかもしれない。陛下も悪かったけど私も人の気持ちを分かろうとしなかったのは同じ」


 散々悪いと言われているのに不思議に憤りを感じていない。当然だと思ってしまう。

 言葉の端々に娘が自分を責めているのが気にかかる。


「侯爵様も息子縛って転がすなんて、そこまでするんだ」

「侯爵は目的のためには手段は選ばぬ。団長とて油断していたのであろう」


 侯爵と団長の話になって、目の前の詰め物は皺がよるほどに抱きしめられていた。

 少し息遣いが荒くなっていて、泣いているのかと思われた。

 ただ肩を震わせることもなく、また沈黙がおちる。



 今度の沈黙は長かった。どうしたものかと思い悩む。触れると嫌がられるだろうしと考え結局そのままだ。

 足先まで椅子の上に上げて膝を曲げている。大腿と体の間に詰め物を置いてそれを抱いて膝の前で手を組んでいる。子供のような仕草で行儀が悪いと叱られてしまうものだが、今この部屋には二人しかいない。

 咎める者もなく、そのまま見守る。


「再召喚で誰も来なかったとき、陛下が怖かった。あのままだと有無を言わさずに王妃にされてしまいそうで……逃げた」

「そうか」

「でも逃げても変わらなかった。どこにいっても伝説の娘だし、未来の王妃だし」

「……そうか」

「あの人と逃げたとしても、安住の地はなかったかもしれない」

「そうだな」


 詰め物から娘が顔を上げた。真っ直ぐに黒い瞳が見つめてくる。

 さっきまで窓から外を見ていたどこか茫洋としたけぶるような眼差しではなく、挑戦的なそれに心臓が跳ねる。

 

「私と婚約してください」


 まさか娘の方からこうも直接的に、挑むように言われるとは思っていなかったのでとっさに二の句がつげない。

 膝立ちのまま、目線だけを合わせて硬直してしまう。


「婚約」

「ええ、婚約です」


 逃げることを止めたのだとその眼差しは物語る。ここで踏みとどまって自分に戦いを挑んでくるのだと。

 婚姻ではなく婚約。猶予があり、破棄もできるそれを選択してきたか。

 そうでなくては。どこからか愉快な気持ちが湧いてくる。

 ここに来た時には萎れた、心の折れた娘を想像していたのに。


「逃げても無駄なのならここで変えたい」

「何をだ」

「色々と」


 そう言うと何かを考えるそぶりをした後で、目を伏せて笑った。

 久しぶりに見たそれは思わせぶりで同時に魅力的な笑いだった。色々と何をする気なのだろうか。

 そそられ、見届けたいと思った。

 とりあえずは囲い込める。それ以上踏み込むのは酷だろう。


「ならば婚儀の日程は未定にしよう。猶予は最大で数年はあるはずだ。その間にやりたいことをやれ」

「無理強いはないでしょうか」

「そなたの意に染まぬことをして、寿命を短くするのは今回限りだ」


 意図がなんであれ、婚約者としている気になったのなら言うことはない。

 この婚約が団長を救うのが主目的としてもだ。


「一ついいか」


 小首をかしげるのを好ましく思いながら念をおす。


「余はそなたを想っている。今回の婚約を好機としてそなたをなびかせるつもりであるから承知しておけ」

「私は今回の婚約を好機として、あなたに対抗できる力を得るつもりなので承知しておいて」


 確かに自分達は似たもの同士かもしれないと思う。意地っ張りで素直ではなくて、鏡を見ているような気さえする。だが。


「そなたの強さは好ましい」

「上から目線は腹が立つけど、前よりはいい国王になっていると思う」

「ならそれはそなたのおかげだ。感謝する」


 頭を下げると驚きで目が見開かれた。

 以前に比べ感情の振幅が大きくなっているのを感じる。これを快く思う自分がいる。

 団長に嫉妬し、娘に振り向いてもらえずにもどかしく思い、卑怯な手を使ってでもとみっともなくあがく。

 今だって国王の威厳などないに等しい。娘の目の前で膝をついて感情を向けられるのを請い願っている。


「愛している。そなたにもいずれは愛してほしい」

「……無理」

「なに、そなたから婚約する気になったのだ。希望はある」

「それは侯爵様が」

「余は何も命令してはおらぬ。だから……そなたから求婚されて嬉しいぞ」


 婚約してくれというのが求婚と同義と言われて、娘の顔がいかにも嫌そうに歪む。

 どんな風に対抗手段を講じるのかと思うと、不謹慎ながらも興味をそそられる。


「陛下を嫌いって言っているのになぜ笑っているんですか?」

「ずっと無視されると思っていたから、反応があるのが嬉しい」


 変態と呟かれた気はしたが、構わない。無関心よりはよほどましだ。

 愛ではない。諦念まじりの嫌悪というべきか。それでも自分に向けられる感情だ。

 愛していると言い続ければ、受け入れはされないにしてもその想いだけは承知してくれるかもしれない。


「寝椅子の寝心地はどうだ」

「……床よりは柔らかいです」


 いつか……とは口には出さずに詰め物で防御している娘を見つめる。

 隙を見せたならおそらく喉笛に食い付きかねない、危険な存在と思うのに楽しみですらあるのが不思議だ。

 重臣との会議で婚約を発表する時まで、この高揚感は続いた。




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