46 夢の後始末
「負傷したか、程度はどうだ」
「問題ありません」
騎乗に耐えられるようになり、すぐに目指した王都。その途中の実家に馬首をめぐらせ父侯爵と対面する。王都から戻ってまだ日の浅い父親は、上官然とした視線を向ける。そこに込められているのは未熟者という非難だ。
太い眉の下のこげ茶の目は、いつも自分など見透かしてしまう。
「……それで、一刻も早く王都に向かうべきなのを曲げてまで、ここに立ち寄った理由を聞かせてもらおうか」
団長は短く息を吸い込んだ。
陛下に続いての二度目の処断を覚悟した。
「そうか」
最中には口を挟まなかった侯爵は、団長が話し終えると短くそう言った。
足を組み、手は楽に体に沿わせているがどこにも隙を見せない。尊敬と共に畏怖の対象だったが、その思いは騎士団に入団してから更に強まった。
身分は関係ない、実力でのし上がる騎士団でも貴族は目の敵にされる。名誉を求めてだの暇つぶしだのと、周囲の目は侯爵の息子などという高位の貴族だった自分にはことさら厳しかった。
理不尽な嫌がらせや、熱心すぎる訓練に歯を食いしばり耐えていた当時の団長は父だった。公私混同などとんでもなく、むしろ誰より厳しく接したのが父だった。ために関係を知らない人間からは、嫌われているのかと心配される程だった。
甘えを許さず、誰よりも短期間のうちに強くなれと鍛え上げられた。どうやら一人前と認めてくれた段階で、父は団長職を退き侯爵としての生活に専念した。
その父にじっと見つめられていると居心地が悪い。
静かに座っているだけだというのに、団長の背中に汗が伝う。
「それでお前はどうするつもりだ?」
「陛下の沙汰を待ちます。その前に団長職は返上いたします」
適用される罪状によって当然ながら処罰内容が異なる。反逆と取られれば死罪、不敬であれば幽閉や謹慎、爵位の剥奪や降格などだが正直どれが適用されるか分からない。
侯爵は肘掛に片肘をのせ、そちらに体を傾けて軽く握ったこぶしに口を当てる。
考え事をする時の癖だとぼんやりと思いながら、団長はその様子を眺める。侯爵家の将来に関わる問題。家の恥となるのは間違いないが、この問題を侯爵家そのものにまで及ぼす気はなかった。
処断されるのはあくまで個人のつもりで、役職を返上して……娘に渡した権利証を思い出す。
「父上。あの方に私の所領の権利証を預けています。私が死罪になった場合、あそこをあの方が相続できるように取り計らってはもらえないでしょうか。その旨の書類と印章は渡しております」
その言葉に侯爵の眉があがる。
「どういう意図だ?」
「あの方は陛下との婚姻を嫌っておいででした。もし婚姻なされずにこちらで過ごされることになれば、収入源が必要です。
あそこを経営するも良し、売却や譲渡するのも良し、いずれにしても生きていくのに困らないでしょうから」
「甘いな。そのようなお立場で自由が得られると思うのか?」
「陛下はあの方を想っておいでです」
侯爵は立ち上がるとゆっくりと団長に歩み寄る。背丈は自分より少し低いが、鍛えていて存在感は並でない。
地味な服もかえって抑えた迫力を感じさせる。
目の前に立った侯爵は、教え諭す教師のような口調だった。
「それとて陛下のお心次第だろう。お前は陛下の寛容にどれだけの我儘を押し付けるつもりなのだ?」
「それは……」
「所領の件だとて、ほとぼりがさめて万が一あの方がお前に下げ渡されるようなことがあれば、そこで暮らすつもりだったか?」
侯爵の表情が厳しさを増す。この目は節穴ではない、息子が伝説の娘を伴ってここに戻った時から少なくとも息子の感情には気付いていた。
娘にしても息子に抱かれた状態で馬から下ろされた時に、息子に身を任せていた様子をいぶかしく思った。
強行軍で疲れているからかとも考えたが、それだけではないと感じたのは息子が甲冑を身につけ、戦の準備をしていた時だ。
そこに流れる抑えた空気は紛れもなく互いの身を案じるものだった。
危険を共に潜り抜けたから、と考えることは可能だった。ただそれだけのことだと。
見送りの様子でも半信半疑で、もしやの領域だったのに。
――馬鹿息子が。
己のなしたことが、なそうとしていることがどれほどのものか、この期に及んでも理解していない。
けして個人の問題ではなく、家と王家と国まで巻き込むことになるのに、己の首さえ差し出せば解決するかのように思っている。
「自分に酔うのもたいがいにしろ。陛下の宝に手を出すからには家も家族も道連れだ。頭を冷やせ」
みぞおちに入った渾身の一撃に、体が前かがみになる。見上げた父はひたすら苦々しくどうしようもないものを見る目だった。
顔面にもう一撃をくらい、そこで世界が暗転する。
どさり、と床にのびて意識を失ったのを確認して侯爵は使用人を呼んだ。
「これを縛り上げて貯蔵庫にでも転がしておけ。窓の鉄格子と足を鎖で繋いでおくのだ。私は今から王城に向かう。戻ってくるまでけして逃がすな」
慌しく周囲が動く中王城への支度を行いながら、侯爵は気が重かった。
息子がここに来たのは陛下も承知の上のこと。王弟殿下までは聞き及んでいるに違いない。であれば、次の行動も読まれているはずだ。
何が一番合理的な解決策か。
上着を羽織り、外套を手に持ちながら愚痴ともつかぬ独り言が零れ落ちる。
「女性を泣かせる趣味はないのだが。――馬鹿息子が」
そうして王城にあがり内々に王弟と面会した後で、娘との正式な面会をとりつけた。
今から追い詰め、諦めさせ、一切の関わりを絶たせなければならない――伝説の娘。内心どうであれ、息子とは何の関係もなかったのだと、これからもあるはずがないのだと本人の口から言わせなければならない。
おそらくは心の支えにしているだろう相手の父親の立場で引導を渡さねばならない。
たとえ、息子を想ってくれたことが父親としては誇らしく嬉しくても。
娘への好意と敬意を抱いていたからこそ、余計に辛い一時だった。
背後で服を握られ抑えた息遣いを聞きながら、ぎゅっと目を閉じていたことはきっと娘は知らないだろう。
面会の後で呼ばれた執務室で陛下と殿下と顔を合わせる。
「このたびはまことに申し訳ございません。幾重にわびても足りませぬ。私の監督不行き届きです。罰はいかようにもお受けいたします」
「侯爵、頭を上げよ。何をわびているか余には分からぬ。何かあったのか?」
顔を上げて目を合わせて、そのまましばらく。
「いえ、何も。――何もございませぬ。老いたせいか勘違いをしたようで」
「そなた、年よりくさいことは申すな。誰よりも若々しいくせにな。余の留守中に騎士団員が訓練でへばったと聞き及んでいる」
「なに、あれくらいで根を上げるようではまだまだ」
和やかな会話だが抜き身の剣を互いの視界に入れているような緊張感が漂っている。その中でなお、笑顔を絶やさない互いの精神力はさすがなのだろう。
侯爵は執務机で書類を処理している国王を、年長者の目で観察する。ここ一年ほどで格段に老成した印象がある。腹の探りあいは王族のたしなみであっても、ここまでの押し出しはなかった。
問題はなにもなかったのだと。だから謝罪も必要がなく、ましてや息子たる団長の処罰もないと。
当初の予定通り、東の復興責任者の名目で王都から名誉をもって遠ざける運びを暗黙の了解とともに受け入れた。
「しばらく騎士団も落ち着かないだろう。こちらに来ることがあれば、また鍛えてやってくれ」
「ありがたきお言葉。精一杯努めさせていただきます」
頃合をみて退出しようとした際に問いただされた。
「なにを伝えた?」
「――夢を見たと思ってお忘れくださいと」
「そうか。わざわざの来訪、ご苦労だった」
夢。ひどく甘かっただろうがすぐに消えた儚い夢だ。ただそれだけのこと。
少しも気が晴れずに侯爵は王城を後にした。
「夢、か。侯爵もあれでなかなかの詩人ですね、兄上」
「あれにとってはこれからは悪夢でしかないだろうがな」
二人して今後を考えると沈黙しかない。勝手としかいえないこちらの都合で今日、娘の希望を打ち砕いたのだ。鳥の羽をもいだに等しい。それを逃がさぬように厳重に鳥籠に閉じ込める。
国のため、娘の心を踏みにじる。そこまでしておいて王妃として側に置く。
「随分と矛盾したことだ。本当に召喚制度が正しいのか自信がなくなってきたぞ」
「兄上、それは……」
王弟も今回の件に平静だったわけではない。無理に召喚してこちらの都合だけ押し付ける、その相手はまだ若い娘とくれば痛ましさが胸を刺す。兄の暴言で今回は特にその感が強い。それでも芯の強い娘のことは好ましかったし、万が一でも兄と上手くいってくれればとも願った。
だが結果はこのざまだ。
今回の処置は国を動かす立場からは正しい。もう一度同じ状況になっても迷わずこの展開を選択するだろう。
ただ後悔や娘への憐憫がないわけではない。それを表に出すのが許されないだけだ。人に非情を強いたのであればそれを後悔する資格などないのだ。思い悩むことなど明かしてはならないのだ。
自分以上にその制約が厳しいはずの兄が、弱音を吐いた。娘に関わるようになってからの兄の変化には驚かされるばかりだ。
娘に振り回され弱くなった点もあるが、恐ろしく強くなった面もある。
疑問を口にするのもはばかられていた召喚制度。神殿という、王家とはまた別の国の支柱になっている存在にあって召喚制度はその優位性を表す最たるものだ。人間を異世界から呼び寄せる。その人間が王家を作っていく。
この点で王家は神殿に依存し、その配下に下ることになる。
今回の娘のせいで、神殿は召喚のみならず再召喚の式も構築できるようになった。また神殿の影響力が増す。そこに兄の疑問だ。王弟は絶対と信じてきた召喚制度、ひいては神殿との関係が変化していく気がした。
だが娘への懺悔はこっそりさせてもらおうと考えている。神官がいなくても、部屋で祈れば神には通じるだろう。
娘には決して通じることはないだろうが。
侯爵は館に戻って真っ直ぐに貯蔵庫を目指す。そこには憔悴しきった団長がいた。
手の縛めだけはほどく。
「王城に行ってお前の言うあの方から、印章と権利書を返していただいた。お前達の間には何の関係もない」
「父上!」
「黙れ、陛下の温情とあの方の決意を軽く見るな。次はない」
頬がこけて目ばかりに狂おしい光をたたえた団長は、言い切った侯爵をしばらく見つめた後でうなだれた。
侯爵は追い討ちをかける。
「お前には落ち込む資格はない。その権利があるのはあの方だけだ。お前は覚悟が足りなかった、馬鹿馬鹿しいほど甘かった。
それを思い知れ。陛下のご婚約の報がなされたら、お前は東での復興に携わることになる。王都に戻ろうなどとゆめゆめ思うな」
うつむいて顔は見えないが、顎の辺りにくっと力が入ったのはおそらく歯を食いしばっているのだろう。
侯爵は待った。足に鎖を巻き文字通り手も足も出ずに、勝負に負けた息子の反応を。
「俺にできるのは東に行くことだけなんですね」
「そうだ、死ぬことも逃げることに許されぬ。失った信頼を取り戻せるかは分からないが、下された温情を無駄にはするな。
あの方は身を挺してお前を守ったのだ、それに応えろ」
守りたいと思った娘に守られた。手の平に爪が食い込むほどにこぶしを握って、その残酷な現実を受け入れる。
侯爵はかすかな苦笑をもらす。
「お前の馬鹿のせいで、私まであてられた。一瞬とはいえ、馬鹿げた夢を見そうになった」
顔を上げた息子の視線には、もう応えはなかった。
国王陛下と伝説の娘の婚約が報じられ、国がわきたつ中団長はひっそりと東へと向かった。