45 わるいゆめ
侍従を目で下がらせた国王と二人。豪華な国王の私室が、尋問室に変わる。
「まず確認をしたい」
眉をしかめながらもあえて落ち着いた声をと心がけた国王は、ゆっくりと目を見ながらの質問をする。
「団長とは寝たか?」
質問の内容に瞬間的に頬に血が上るのを感じる。言うに事欠いてなんてことをと内心は嵐が吹き荒れる。それでも出てのは低い声だった。
「そんなことはしていません」
「叔父上ともか?」
返事をするのも腹が立つ。精一杯の軽蔑をこめて睨むと、それで通じたようだ。
国王は何でもない顔でお茶を飲んで、カップを置いた。
「結構」
質問の答えに怯えていたのを隠し通して、国王は短い言葉に安堵を紛れ込ませる。
身も心も他の男のものであったのなら、ひどい打撃を被っただろう。その最悪は免れた。
ここにいるのは他の男に心だけを許した娘だ。
それなら対処はいくらでもできる。
だが、何故団長は手を出さなかったのかと疑問が掠める。律儀に結婚前の振る舞いを貫いたのか、単に機会に恵まれなかったのか。忠義心でも発揮したのかと皮肉な分析をしている自分に気付く。
目の前にいないのにこの有様だ。もし、眼前に娘と共になどいれば……。
東で団長が負傷し、翌日には国王達が王都に戻るその前夜。見舞いに赴いた国王は団長が寝台から降り、跪いているのに驚いた。
傷にさわるからと楽にするように声をかけたのに、団長はますます頭を垂れた。
「私はあの方をお慕いしています」
爆弾発言だが、それ自体は驚く内容ではない。団長は否定していたが国王とて言動からうすうす察していた。だが、それを口に出すのは別問題だ。嫌な予感がした。
団長の言葉を聞きたくない。だがそれは無情に続いた。
「想いを伝えて、応えて頂きました」
思わず腰の剣に手がかかりそうになって、必死にそれを止めた。今の団長は首を差し出している。
斬り捨てても文句はないはずだ。言動の意味を充分に理解してなお伝えたからには、相応の覚悟もあるはずだ。
だが、今斬るわけにはいかない。個人的な感情で団長を失うほど愚かなことはない、と国王として分析する。斬るにはそれなりの理由が必要だ。
今、それを公にするのは得策ではない。
「……で、余にどうしろと言うのだ」
「いかようにもご処分を。ただ、あの方に責任はないことを申し上げたく」
「そなたが懸想したと申すか」
「その通りにございます」
だが一人で恋愛などできぬ。娘に責があるとすれば、最も厄介な男を相手に選んだということだろう。敵にはできぬ、側において顔を見続けるのは苦痛な相手。
「潔く死ぬつもりか。あれを一人残してもいいのか」
鍛えた肩がほんの少し揺れるのを醒めた思いで見下ろす。責任を取るなどと綺麗ごとを抜かして娘を放り出すなら、なぜ手を出した。
想いを伝えてそれで満足なのかもしれないが、自分の慈悲にすがらねば生きることもできぬ立場でよくも……。
「あの方の側で、守り抜きたい。恐れながら陛下にも渡すつもりはありません。ですが、私は罪を犯しました」
「罪は罪としてすすぐと申すか」
現状、今後、他国との関係など考え合わせてひとまずの結論を出す。
「その怪我では馬には乗れまい。東に残り療養せよ。副団長を残務処理に残す」
「陛下、それは……」
「命令だ。快癒して覚悟が決まれば王城に出頭せよ」
命令と言い切ればそれ以上は抗えない。身に染み付いた上下関係はこんな時にも発揮されている。
どこまでも臣下なのに、娘に関してのみ抗う姿勢を見せるか。
「承知いたしました。ただ王都への途中で家に寄ろうと思います」
「何故だ」
「父にも事情を話します」
元団長の侯爵に話してどうするつもりか。この問いには筋を通すと。
とりあえずはお互いに頭を冷やす時間が必要だ。ただでさえ問題が山積しているのに更なる厄介ごとを抱えて頭痛がしてくる。
明日は早い時間での出立を予定している。もう、休まなければ明日に響く。
部屋を出る際に団長を振り返る。元の姿勢のまま、その姿は錯覚かもしれないが小さく感じられた。
王都への途上、ひっきりなしに飛び込んでくる書類や近隣の貴族達の陳情やご機嫌伺い、街道に立ち並び歓声をあげる民に対応しながらともすれば暗く沈む思いに引きずられそうな表情を無理やりに緩ませる。
手を振りながら王城に戻ったらなんとしようと、そればかりが心を占める。
実の叔父を手にかけた後だというのに、争乱が終わったばかりだというのに、それらに対しては実に冷静に淡々と対応ができる。
関心がないわけではない。国内を揺るがしかねない事態との認識もある。
それとは別に娘への政治的な立場と私的な感情が、今後のことを考えあぐねて棘のようにちくちくと自分を苛む。
ようやく王城に到着して、ずっと会いたかったその顔を目の当たりにした。
そして、目の前には緊張を押し込めた娘がいる。
皮肉にもお互いを人質に取られたような状態なのに、気付いているのかいないのか。
「そなたは、どうしたいのだ?」
娘の意思を確認することも目的の一つだ。表情をかたくしていても。直に見つめられるのがどれほど自分の鼓動を乱れさせるのか、知らないと見える。
「できれば、ここを出て……」
「二人でどこかへか」
甘いとあざ笑えばそれまでの、ひどく幸せでささやかな願いだ。
「どのみち団長が来ないことには話にならぬ」
「待ちます」
それだけは短く澄んだ声で言い切られた。
自分を待ってくれていればどんなにか幸せだっただろう。願う資格は早くに失い、それは挽回できていない。
ただ政治的な意味合いからは、今回の騒動が落ち着く間くらいはここにいてもらわないと不都合だ。
「そうか」
侍従を呼んで娘を下がらせる。自分もひどく緊張していたらしい。扉が閉まった途端に大きく息をついて椅子に沈んだ。
夜には王弟と兄弟の晩餐を取る。報告しあう案件は数多く、早速の決済などが必要な書類が既に机には積み上げられている。
「時に兄上、あの方と団長の件はどうなさいますか」
「何もしない。黙殺するだけだ」
ほとんど条件反射のように、平坦に言った兄王を王弟は見つめる。
ややあって、頷いた。
「それが最善ですね。幸いなことに団長のことはほとんど知る者がおりません。皆、叔父上との噂に花が咲いておりましたので」
「あれは否定したがな。恨まれるだろうが侍医にも確認をさせろ。それで噂とやらは沈静化するだろう」
今なら犠牲は二人ですむ。団長は伝説の娘を東から救い出した功労者で、娘は王妃候補で召喚された大事な娘のままだ。
何もなかったという娘の言葉が真実なら、侍医が視認してもかまわないはずだ。
せめて産婆や物慣れた侍女をその場につかせておこう。それでも殴られるか張り飛ばされる覚悟もいるだろうが。
「ただ団長はしばらく王都や王城には寄せない方がよいでしょう。名目は、そうですね、東の正式な主が到着するまでの復興の責任者としておきましょうか」
「あれと王城で会う約束をしているらしいぞ。それはかなえてやる義理があるか?」
「さあ……。侯爵家に寄るのでしょう?」
団長の父親の性格をある程度知っている国王と王弟は、そこで会話を途切れさす。
侯爵は昼間に顔を合わせた後で領地へと帰還している。この数日のうちに親子の対面もなされるだろう。
おそらく侯爵の取るだろう行動は自分達の利害とも一致する。
まずは静観、ついで必要書類の整備を行う。
「兄上、その後は兄上次第ですか。私は応援いたしますが、どうぞ頑張ってください」
「状況は振り出しよりも後退しているがな」
とはいえ、娘は王城に戻り包囲網もしかれた。
時間はこちらの味方になる。逃亡を防ぎながらゆっくりと囲い込んでいけばいい。
「あの方も母上のように泣くのでしょうか」
ぽつりと呟いた王弟の言葉はやけに重かった。はかなく憂う雰囲気の母親が記憶のかなりを占めている二人には、王妃が国を厭うというのは精神的な外傷に等しい。
今回はまさにその事例に当たってしまった。いや当ててしまった。
「待つつもりではいるがな」
望めば誰だろうとすぐに手に入れられるはずの国王が、待つという。
団長に心をよせた娘を義姉上と呼べる日が来るのだろうか、と兄には伝えられない危惧を王弟は胸にしまいこんだ。
当面、騎士団本部では団長と副団長が不在になる。副団長は戻ってくるにしても求心力や一時的な戦力の低下が否めない。
個人的には団長には複雑な印象を抱いてしまう。はっきり言えば不快だ。不敬にも兄の想い人で国にとっても重要な意味合いの娘と……とは。今は遠くにやるだけに留めるが、なんらかの罪状をつけるべきかと王弟は冷徹に思案する。
侯爵の息子で騎士団団長だ。騎士団に入った時に身分は関係なくなるとはいえ、侯爵家には他に息子がいない。いずれは領地と爵位を継ぐ立場にいる、それゆえに幼い頃から自分達兄弟に親しくすることを許された人物。
追い落とすとなればよほど巧妙にやるか。排斥するだけの罪状をとなれば大事になってしまう。
「見る目はあると褒めるべきなのだろうが、全く厄介な」
娘への敬意は感じながら、騎士団の穴をどう補完すべきか、新たな問題に王弟もため息を禁じえなかった。
団長の帰還を待っていた娘に面会の要請があったのは、しばらく経った後のことだった。人物は意外にも元団長の侯爵だった。
娘の侍女に軽く笑顔を見せ、娘と応接用の部屋で向かい合った。人払いをした後で見せた侯爵の眼差しは、娘の背筋にひやりとしたものを感じさせた。
「お久しぶりでございます。お変わりはないでしょうか」
「はい、王城にはまだ慣れませんが、だいぶ落ち着きました」
まずは型通りの挨拶を交わして侯爵はいきなり本題に入った。貴族らしからぬ、騎士の性質上だろう。
「単刀直入に伺います。息子と約束をしたとか」
「……はい」
「そのお気持ちは変わらないのですか」
「はい」
頷いた娘に、侯爵はこれまで見せたことのない厳しい表情を浮かべた。
「では、私は息子を斬らなくてはなりません」
きちんと座っていた娘の上体が、侯爵の方に勢い良くかしいだ。目だけでどういうことかと訴えてくる。
侯爵はいくぶん痛ましい思いで、黒髪黒目の娘と視線を合わせた。
「言葉の通りです。息子は不敬、反逆を働きました。今は館の貯蔵室に転がしてあります。急ぎ戻り息子を斬りましょう。
陛下には領地と爵位の返上を内々に奏上いたします。娘も連れ帰らねば」
「待って、待ってください。どうしてそんな話になるんですか」
「あなた様をいただくということは、息子が王位を簒奪すると同義になるということです。建国の折から我が家は王家をお守りする栄誉を担い、侯爵位を賜りました。
――息子はその誇りを汚しました」
陛下の信頼を裏切り、無事に連れ帰るはずの娘に懸想した、あまつさえそれを陛下に申し上げた。
侯爵は淡々と事情を伝えた。
「貴族も息子とあなた様が一緒にいることをどう思うか。黒髪で黒い目の方は王妃であると刷り込まれているのです。それを臣下が手にしてそしられないとお思いか?
息子は田舎に引っ込むつもりだったようですが、この国に居場所などあろうはずもない。それすら分からぬとは、そんな愚かな息子ならここで斬って捨てたほうがよほど世の中のためです」
侯爵の一言ひとことに段々と娘の顔から血の気が引いていく。
かつて大公も同様のことをほのめかしていたではないか。伝説の娘を手にする者が――と。
「お家や娘さんは関係ない」
「陛下を裏切った息子の家をのうのうと存続させろと? 娘にしてもこれが公になれば醜聞になり、縁談どころではありません」
国王でなく、団長を想ったのが間違いなのか?
伝説の娘とやらで召喚されたのに国王を嫌がったのが間違いだったのか?
「あなた様のお気持ちが確認できた以上、急ぎ処分をいたします」
「待って、ください。侯爵様はどうされるんですか?」
侯爵はふっと表情を緩めた。そして当然のことのように続ける。
「老いぼれが生き永らえるとお思いか?」
では、と立ち上がり扉に向かおうとした侯爵に、必死に追いすがった。
背中の服を掴んでその場にとどめようとする。
「待って、違います。約束なんてしていません。だから――」
「だから?」
侯爵は振り返らずに尋ねる。敵を追い詰め包囲して、じわじわと包囲網を縮めて戦意を戦力を削いでいく。
相手はあまりにも無防備で、戦術すらも持たない娘。
勝負は最初から見えている。
「どうすればいいんですか」
降伏の言葉。
それに応じる侯爵の声はひどく優しかった。
「陛下とのご婚約の発表を。それが聞こえた時点で息子を解放しましょう。ただし王都にはよこしません。私的には息子にはもう会うことはないと思っていただきたい」
背後では抑えた息遣いだけが聞こえてくる。服を握る力がふっと消失した。
絨毯は足音を吸収する。扉が小さく開閉する音だけが聞こえた。
しばらくして、背後に気配が戻ってくる。
「これを。お返しします」
掠れた声とともに差し出されたのは、印章つきの指輪と権利証。
頷いてそれを受け取り、侯爵は深く礼をした。
「数々のご無礼、申し訳もございません。――夢を見たのだと思ってお忘れください」
娘は一人残された。かくんとその場に膝をつく。
かなり長い間、そのままだった娘の口からひび割れた一言が漏れた。
「ゆ、め。どれも、これも――わるい、ゆめ」
数日後、重臣を集めた席で婚儀の日程は未定としながらも、国王と娘の正式な婚約が発表された。