44 再会
――いない。何度探してもその姿はなかった。
そのうちに団長だけでなく、副団長の姿もないことに気付く。二人はどうしたのだろう。
怪我か、まさか、と足元がふわふわする感覚に陥りながら立っていた娘に、国王が近づいてきた。
逃げ出してから一年以上会っていない。
今の国王は甲冑を身につけ雰囲気が違う。
神殿の時のような熱に浮かされた瞳ではないが、視線はずっと当てられている。
近づくにつれて口元が緩んできている。娘の前に立った国王は微笑を浮かべていた。
「今、戻った」
お帰りなさいと言うのも変な気がして、娘は頭をさげるにとどめた。すぐに万歳とかお帰りなさいませとかの言葉が周囲から降ってくる。王弟が進み出て国王に挨拶をしているのを横で聞きながら、娘は未練がましく懐かしい顔を見つけようとしていた。
「兄上、無事の鎮圧、おめでとうございます。団長と副団長の姿が見えませんがどうなさいました?」
王弟の質問に、はっとしながら聞き耳を立てる。王弟の近くに控えていた元団長の侯爵も、注意を引かれていた。
「副団長は東の残務処理に当たらせている。本来は団長にと思っていたのだが、東で傷を受けて今は療養中だ」
「その傷はいかほどのものでしょうか、陛下」
国王はこの質問にちらりと娘を見やってから、元団長をなだめるような口調で応じた。
「大したことはない。大事を取っているだけだ。落ち着いたら実家に寄ってから王都に帰還する予定だと本人が申していた」
「――そうですか。しかし受傷するなどまだ未熟。陛下、此度の遠征、まことにお疲れ様でございました」
「侯爵、そなたがこれを守って王城にまで足をのばしてくれたことを嬉しく思う。息災か?」
「おかげさまで。ただ愚息が領地に顔を出すと申しているのなら、失礼ながら私はこれにてお暇しようかと思っております」
息子の団長が命に別状がないと知らされ、表情が柔らかくなった元団長は国王と王弟と談笑している。
間接的に消息を知ることができて娘は安堵した。この場には来ることができずに部屋で控えている侍女に、このことを早く教えたいと引っ込むタイミングを見計らう。
それをさえぎったのは国王だった。
「まあ、そう急くな。ゆっくり話をしたい。そなたの領地は東の都に比較的近い。情報を共有していた方が何かと有用だろう」
「承知いたしました」
「報告などは後でまとめて聞く。早く身軽になりたいものだ。――行こうか」
最後の言葉を娘に向けて国王は手をさしのべた。
国王はためらう娘の手を取り、周囲の祝辞ににこやかに応じながら王弟や侯爵、宰相を伴い自室へと引き上げた。
皆を待たせ着替えをしてから戻ってきた国王は、飲み物を運ばせて今回のことに関しての議論や私的な会話をはじめた。
その中で娘は大公が亡くなったことを知らされた。大公の死によって今回の争乱は鎮圧されたのだと、その生々しさに身がすくむ思いになる。以前弟と王位を争った国王は、今回は叔父とのそれに勝利したのだ。
「東の砦には誰を据えるべきか、人選をしてくれないか」
「血縁でなおかつ腕が立つ必要がありますか。なかなか難しいことをおっしゃる」
「任せた。どうせ祝勝会も開くのであろう? その時にでも候補者を検討しよう」
いったんそこで話が終了した。娘も立ち上がって国王の部屋を出て行こうとする。
しかし一人だけ引きとめられた。
「話がある、そなたは残ってくれ」
宰相や侯爵は何も知らないが、事情を知る王弟だけは心配するような顔になった。
それを笑っていなし、国王は娘だけを残した。
侍従が新たにお茶を注ぐ。その間は黙っていた国王は、侍従が扉の横に控えるとようやく娘を真正面から見据えた。
「久しいな。随分と長く会っていなかったな。病や怪我などしてはおらぬか?」
「おかげさまで元気です。……陛下は」
「余も怪我などしておらぬ」
国王はカップに口をつけた。金髪に青い瞳、豪華な部屋に負けない存在感で座っている国王からは血なまぐささなど感じられない。
「大公殿下は亡くなられたのですね」
「余が討ち取った」
だから、国王が言ったことが最初よく分からなかった。
討ち取る……討って、何を取ったのだろうと考え、唐突に悟る。まさかと思いながら国王を見れば重々しく頷かれた。
「余が剣で叔父上を斬って殺した」
あの大公を国王が、と口元に思わずやった手が震える。
大公は静かな印象で、あれこそ虜囚だったというのに色々話をした。逃げないのかとからかわれ、早く逃げないとと脅すと言うより背中を押した気さえする大公のことを思い出す。祈祷所で副団長と剣を交えていた最後の様子を、神のご加護をと笑った顔を思い出す。
血の繋がった者同士がと国王の口から聞かされてもすぐには信じられない。
「……本当に?」
「ああ。叔父上は、どういえばいいのだろうか。長引くのを望んでおられないようだった。幽閉でも毒による死でもなく、死ぬなら一思いにというようだった。余を待っていた気さえした」
大公が国王を待っていた。
「叔父上は『国を治めていくのなら私の屍を越えろ。お前自身で決着をつけるがいい』と。皮肉なことに弟を殺した時よりも堪えた」
自分に殺させることで命を背負えと言われたような気さえしたと、両手を広げて目を落とす。
そこに血の痕はなく、だが手は感触を覚えている。
剣同士がぶつかって生じる衝撃や重み、肉を割いたひどく柔らかい感触など、薬を盛られた状態で剣をつかった弟の時の比ではなく生々しい。
「ああなってしまえばどちらかしか生き残れない。叔父上は辱めを受けるよりは戦って決着をつけるのを望まれた」
国王は自分に言い聞かせるかのように、ゆっくりとこぶしを握った。
伏せていた目を上げると自分を凝視する娘がいた。口元に手を当て、顔色が悪い。
「怖いか。そなたは人の死には慣れておらぬのだったな」
「いえ、理屈は分かります、ただ知った人がと思うとそれが」
かつて娘のいた世界をぬるま湯と評した国王は、動揺しながらも理解を示した娘を複雑な思いで眺める。召喚されなければ暴力や殺し合いとは縁遠い生活を送ったはずだ。
それが、望まぬ状況に巻き込まれてここにいる。
「叔父上は最後、笑ったように見えた。それだけが救いだったような気がする」
「笑って……」
小さく掠れた声で呟いた娘とこうして向かい合って叔父を思う。叔父の死を悼み死を背負って生きていく。
すとん、と悟る。
首を刎ねよと簡単に言い捨てたかつての自分のあまりの底の浅さを。
それまでも人を傷つけ、命も奪った。それをあまりにも軽視していたことを。
反省はこれまでもしていたが、それすら反省したつもりだったのかもしれないと。
「余は叔父上の思いを、持っておられた願いを受けていかねばならぬ。それが生き残った責務だろうな」
しばらく二人とも何も言う気にならなかった。
それを破ったのは国王で、それまでとは表情が異なっていた。叔父を殺めた苦渋とは別の苦悩が満ちる。
「団長は」
その一言で娘が顔を上げる。手はもう口を覆っていない。
黒い瞳には自分以外を心配する光がある。それを感じて国王は深淵に引きずり込まれるような気がした。
「叔父上の護衛の騎士に剣を受けた。甲冑をつけていたから大事には至らなかったが、治療の後で余が強引に東に残した。――話は、聞いた」
こくり、と娘の喉がなった。
愛しくて会いたくてたまらなかった。その娘が別の男を想っている。
よりにもよって。
きっと今自分は醜い顔をしているだろう。国王にはその自覚があった。