43 叔父と甥の果て
人の亡くなる描写があります
団長は国王に娘のことを尋ねられた。内心の思いから国王と目が合わせられずに、軽く礼をしたまま答える。
「ここを脱出してから私の実家に寄り、父と騎士達の護衛のもとで王城に向かわれました」
「そうか、そなたの父が一緒なら安心だ。ご苦労だった」
「勿体ないお言葉。――陛下」
「何だ」
「この件が終わりましたら、申し上げたきことがございます」
しつらえた天幕の中、ろうそくが揺れて団長の姿に陰影をつける。
国王は娘の無事を聞かされて安心し、意識は大公へと向いていた。半分聞き流していたが、団長の口調の重々しさにそちらを見やる。
「今ではなく、後でと申すか」
「はい、今は全力で事に当たりませんと」
引っかかる点はあるが団長が優先順位をつけたのなら、今追及しても口に出すことはないのだろうと国王は結論付ける。
こうと決めた時の団長の口の堅さは長いつきあいで承知していた。
「では、この件が解決したあかつきに聞かせてくれ」
国王の言葉に団長は深々と礼をして天幕を後にした。国王は娘のことを想う。
いなくなってから季節は巡り、随分長いこと娘の顔を見ていない。無事に王城へ――逃亡された日に下した命令が実現された。
早く顔が見たい。娘にとっては迷惑なだけの感情だとしても、会いたくてたまらない。
叔父の所にいたなどとは。本当に予想外で振り回されてばかりだ。
「早く、そなたに」
天幕の外で厳重に護衛をしているだろう近衛達に聞こえないように、国王はそっと呟いた。
翌日作法にのっとり、正式に降伏を求める使者を送る。相手方からもこれをはねつける返答を受けて、叔父と甥の争乱は始まった。
攻める方法は二つ。兵糧攻めと力技の攻めだ。後者は成功率が低い。水をたたえた堀はトンネルを掘らせてはくれない。高い壁と胸壁、攻撃用の狭間は侵入者を足止めし頭上からの攻撃を許してしまう。
季節が夏なことが国王側には有利に働く。砦でも食料は備蓄しているがどうしても保存が難しくなる。加えて先日の火事騒ぎで損害も被っているはずだ。
団長は船団を指揮して、川からの補給を遮断した。陸側からは無論のこと砦に食料を運ばせることなどさせるはずもなかった。
大公側はそれでもよく抵抗した。さすがは大公と言うべきか、防衛の要の東の砦というべきか。物理的な攻撃は寄せ付けず、予想以上にもちこたえた。
それでも先細りは否めない。砦を包囲する間に国王側も簡易の砦を築いて、陣容を固める。
秋の収穫物は国王側には供給されるものの大公側には行き渡らない。
東の国との交渉で川の支配を強めていたことが、有利に働いた。
そしてある夜、胸壁の上からぐるりと輪を描く明かりが確認された。
――夜半、砦の中から大声での騒ぎが聞こえたと思ったら上げられて久しい跳ね橋が、轟音とともに堀を越えて下げられた。これを待ちわびた国王の軍勢がときの声を上げ砦の中になだれ込む。
必死に橋を上げようとしたが間に合わず、侵入を許した大公の軍勢は砦の中で国王の軍勢と切り結ぶことになった。砦の構造については、団長自ら潜入していたためにある程度は解明している。
川側からも油をしみこませた布を巻いた火矢を射かけて、混乱を誘う。
頃合と見て団長も砦に入った。挑んでくる兵士達を切り捨て、あるいは剣で骨を砕きながら大公の居室を目指す。
居住区の上階あるいは篭城用の塔のいずれかと踏んでいたが、敵ほどではないが味方にも損害を出しながら入り込んだ両方にその姿はなかった。
祈祷所は先日の火事で焼失している。ではどこに?
それは団長だったから思いついたのかもしれない。中庭の、焼失を免れた木を見上げそこに近い部屋へ急ぐ。大公の居室とは反対側の端に近い場所は、かつての娘の部屋だった。
扉を開ければすぐの部屋の長椅子に目指す人物は座っていた。
「来たか」
「……大公殿下。これ以上の抵抗は無意味です。降伏なさってください」
鎖帷子はまとっているが、大公の顔色はさえなかった。座ったまま剣を前に立ててその上に両手を乗せている。
「あれに下げる頭はないと、どうしてもと言うならあれを連れて来い」
「叔父上、余ならここに」
美麗な甲冑に身を包んだ国王が抜き身の剣を片手に現れた。団長はその場を譲る。
甲冑の頭部を外し叔父と甥は対峙した。
「久しぶりだな。少しは男の顔になったか」
「叔父上、何故このようなことを。破滅しか招かないことを誰よりよくご存知のはずなのに」
「王冠への執着、義憤、私怨、投げやり……。勝者はいくらでももっともらしい理由が付けられるだろう」
よく似た外見の、しかし海の青の瞳を持つ国王が空の青の大公を睨む。
「事を起こす理由もしかとせずに、いたずらに国内を混乱に導いたとおっしゃるのか」
「お前には話そうとは思わぬ。そうだな、神の選びし者をないがしろにしたからとでもしろ。私の信仰心がそれを赦さなかったから、と」
「叔父上、あなたは」
言葉を切った国王に、大公は静かな視線を向ける。
この目で確認したからには潮時だと思う。少なくとも甥の感情だけは本物だ。
「勘違いするな。私は旧弊なこの国の代表たる存在で、信仰を口にしながら内実は俗物だ。これから国を治めていくのなら私の屍を越えろ。お前自身で決着をつけるがいい」
立ち上がり、剣を鞘から抜く。その際に顔を曇らせたのを団長は見咎めた。
剣を向けようとした団長を、国王は制した。一歩進み出て剣を構える。
「叔父上、いざ」
大公はゆっくりと構えを取った。国王が踏み込んで剣がぶつかり耳障りな音を立てた。
団長と騎士は、大公を守っていた騎士や兵士達と剣を交える。視界の端で叔父と甥が踏み込み、突き、剣をかわすのを確認しながらも手を出すことができずにいる。
大公は手負いだ。祈祷所の剣さばきから明らかに速度と威力が落ちている。
それでも真剣勝負で、王族の矜持は国王以外と剣は交えないだろう。
大公の手から剣が跳ね飛ばされ、首に朱が走った。
剣の落ちる音は空虚に響き、豪華で女性的な部屋に沈黙がおちた。
大公が床に膝をつき、ゆっくりと横倒しになった。床に血だまりができ、それが広がっていく。
見る見るうちに顔色が白くなり、大公はいくぶんかうつろな視線を傍らで膝をついた国王に向ける。
「叔父上……」
その声は少し掠れていた。そんな国王に大公はうっすら笑ったように見えた。
声にならぬ呟きを発し、夢見るように目蓋が閉じた。
沈黙を破ったのは主を失った騎士だった。呆然とし、そのうちに全身を震わせてから叫んだ。
「う、わあああっ」
振りかぶった剣の先には団長、大公と国王に気を取られて反応が遅れた。
王城では娘は気の休まらない日々を過ごしていた。王城と東の都は距離がある。伝令が慌しく往復し状況は伝わってくるとしてもじれったいほど時間がかかる。側に控えてくれる団長の妹である侍女も、じりじりしながら情報を待った。
砦を囲んでいること、膠着状態なことなど聞かされて見えるはずもないのに、日に何度も東の方向に目をやる。
王城に不本意な帰還をしてからは当然のように自由はなかった。厳重な監視は娘を何重にも囲む。特に護衛の騎士達は一度娘の逃亡を許した苦い経験から、蟻の這い出る隙間もないほどに監視網を構築する。
これには元団長の指揮がものをいっていた。
騎士団本部の団長の使っている部屋に転がり込んだ侯爵は、元団長の肩書きで本部内を自由に歩き残留している団員に訓練を施し、気の荒い馬を手なずけてすっかり王城と本部に馴染んでいる。
合間に王城内で王弟と戦況についての分析をし、東に兵力を割いている現状での北と西の守りについて指示を出す。
自身を老体と自称するがとてもそうは思えない精力的な人物だった。
娘が侍女をしている関係からもちょくちょく娘の所に顔を出してくれた。軟禁状態の娘とそれに律儀に付き合っている侍女には何よりの気晴らしと慰めになってくれた。
さすがに話上手で沢山のことを知っていて、この侯爵とのお茶会が娘のともすれば沈みがちな気持ちを引き立ててくれる。
それでも夕暮れ時や、深夜たまらなく、胸をかきむしられるような思いになる。
焦り、苛立ち。恋慕。
名称をつければそんなところか。何もできずに遠い所から心配するだけ。
そのじりじりと身を焦がすような思いは睡眠不足と食欲低下に直結した。
侍女が思わしげな視線をよこしても、気持ちは似たようなものだけに二人同時にため息をつくこともあった。
娘は団長が侍女あてに書いた手紙を見せていた。侍女は文面を穴が開くほど眺め、何度も読み返して重いため息をついた。次にはわざわざ火をおこしてそれを燃やした。
そして娘の手を取り、これは妹としての感謝だと前置きして頬に唇を当てて囁いた。
「兄様を好きになってくれて、ありがとう。妹としてこれほど嬉しいことはありません」
身近に味方を得て、娘は少し泣いた。
王弟にも団長は手紙を書いていた。それは渋面で読まれた。細かく引き裂いてやはり火にくべながら王弟は娘に向き直った。
「趣旨は理解しました。ただこれは公表することも、現時点では容認することもできません。争乱が終わるまでは少なくともあなたは伝説の娘で、兄上の伴侶と目されている方のままです」
「殿下……」
「今後のことは兄上が、陛下がお戻りになられてからです」
当然すぎる王弟の反応に、娘はきゅっと口を結んだ。
神官長は娘を神殿に誘う。厳重な警備で神殿に赴くと神官長は娘とともに祈りに時間を費やす。
自分はここの神を信じていない、と言う娘に神官長は微笑む。
「それは当然でしょう。何でもいいのです、あなた様の願いをここで祈ってください」
願い。争乱の終わることと皆の無事を祈って、娘は目を閉じて手を組み合わせる。
どうか――と祈る。
国内の貴族から伝説の娘にと贈られた品物は全て送り返すか必要とする場所に回された。相応しい場所がなければ換金して国の予算に組み込んでもらう。
無事を祈る姿と傍目には無欲にうつる様子が、皮肉にも評判になっていることは知らなかった。
そしてついに待ちに待った知らせが王城にもたらされた。国王の軍勢が争乱を鎮圧して、王都に帰還していると。街道沿いでは祝賀になっているために、いくぶんか時間をかけて国王達は戻ってきた。
伝説の娘として、また内心では断固拒否の王妃候補として、娘は正面玄関で一行を出迎えた。
季節は夏から秋を過ぎて冬にかかろうとしていた。
それでも日差しは暖かく、それ以上の熱狂に王城は包まれている。
国王がひらりと馬から下りた。甲冑はつけているが頭部はむき出しで、金髪が陽光にきらめいている。
万歳の叫びと興奮のざわめきの中、娘は国王の後ろに続いた隊列に目をこらす。
騎士団員は本部の方に移動する。正面玄関まで来るのは国王の近衛だけ。
次々と馬からおり、頭部の兜をはずして小脇に抱える。
その中に団長の姿は――無かった。