42 ゆるやかな虜囚
髪の毛が黒いだけで、目の色が黒いだけで特別扱いなのは娘にとっては異様なことなのに、なぜ人が膝を折り深く礼をするのだろう。
ここでは珍しい色でも、元のところではそれこそ何億、何十億といる色彩にすぎない。自分は伝説の娘でも王妃でもない。ただの、召喚されて迷惑をこうむった人間なだけなのに。
王城の正面玄関でずらりと国の重鎮らしき人々に出迎えられて、娘は一層その感を強くした。
久しぶりの王都と王城だった。馬車から見る王城は抜け出した時と変わりなく見える。そこにいたる城下では、遠巻きに馬車と横についている甲冑姿の騎士を見つめる視線を感じた。王城からも迎えが差し向けられて仰々しくなったからか、まるでパレードのようになっている。
「見世物みたい」
呟きは馬車に同乗している団長の実家である侯爵家の侍女が聞いた。
「本来なら、紋章もない馬車などにお乗りになるべきではないのですが。いっそ天井のないものを用意すればよかったんです」
「それだけは、勘弁してください」
何かの罰ゲームにすら感じられる。肩を落として馬車の背もたれに上体を預けて、東へと進軍した団長と一行を思い出す。
元の所だったら古城の彩りとして飾られているような重い甲冑を着込んで、騎士を乗せるための脚の太く大きな馬に乗り去っていった。
直前に手を取られた時の団長の手と唇の熱さは逆に、離れた途端に底冷えのような冷気をもたらした。
命のやりとりをする場所に向かうのを、何もできずに見送るしかなかった。
自分の不甲斐なさに加えて、逃げ出した王城に伝説の娘として戻らなければならない複雑さは、王城が見えたことで余計に増したようだ。
物思いにふけっていると、こつんと外から窓を叩かれた。
小さく返事をすれば元団長、現侯爵が馬を寄せていた。
「侯爵様、どうされましたか」
「もうすぐ到着いたします」
侯爵でありながら騎士団団長まで極めたせいか仰々しいことを嫌って、無骨と自称しながら今も騎乗して護衛役に回っている。
配慮はしてもらいながらも強行軍だったのに、疲れも見せずこげ茶の目は鋭い光を放っている。
「……はい」
威容を誇る王城が、鳥籠のように、見えた。
馬車をおりるとずらりと人が並んでいる。膝をつく人達の中、礼をして顔を上げたのは王弟の殿下だ。
「よくお戻りになりました。東の都はいかがでしたか?」
にこやかに、それでもよく通る声でさも遊びに行って帰ってきたかのような穏やかな内容だ。実際は王城を逃亡し、東の大公に捕捉されて間抜けにも舞い戻る羽目になった、それだけのこと。
こう言い繕うからには大公と国王の叔父甥の間に確執などない、と周りには印象付けろということだろう。
「とても、良いところでした」
「それは良かった。さぞお疲れでしょう。部屋でお休みいただこう。侯爵殿、お久しい。ここでお顔を見ることができて本当に嬉しい」
「殿下にもお変わりなくご尊顔を拝し恐悦至極に存じます。ご覧の通りの無骨者、王都の華やかな空気より田舎が性にあっておりまして」
団長の父親はすっと見事な礼を返して殿下と言葉を交わしている。
ここで領地に戻ろうとしたのを殿下が引き止めていた。殿下の後ろに控えている近衛の騎士も熱心だ。
その間、重臣から注がれる視線を気にしないようにしていた自分の目の前に、長衣をまとった神官長が進み出た。
「ご無事でなによりです。神のご加護があなた様にあるのでしょう」
再召喚の際のような慈愛に満ちた微笑は健在だった。神官長の言葉に重臣達から静かなどよめきが起こる。
神のご加護――東で最後に聞いた言葉。偽悪的だと思ったのに皮肉げに俗物だと自分を評した国王の叔父、東の大公の台詞だ。祈祷所で血を流しながら表情は穏やかだった。
神の加護があるのならそもそも召喚などしないで欲しかった、そう思いつつ礼を返すにとどめた。
元団長は王弟と騎士に押し切られて、しばらく王城に滞在することになったらしかった。それでも客室を嫌がって勝手知ったる騎士団本部に宿泊すると主張していた。本当に騎士としての意識が強い方のようだ。
「お世話になりました。ありがとうございます」
「いえ、この老体が栄えある責務を果たすことができたことは望外の喜びです。感謝すべきは私の方ですな」
そこで『出迎えの儀』は終了したらしく娘は王城の客室へと案内された。前後を複数の護衛で固められて、その数は大公のところよりも多い。
大げさだと思う。侯爵家の侍女は元団長とともに騎士団本部に行ってしまったので、王城の侍女が荷物を持ってくれている。
廊下を歩きながらつい左右を確認してしまうのは、召喚されてからの悪い癖だ。
ただ、今回は逃げられそうにもないし、逃げるつもりもない。
『王城でお待ちしています』
『必ず、あなたのところに戻る』
――そう約束したから。
案内された客室は以前と同じ。団長の妹もそこにいたが、侍女も人数が増えている。
本当に大げさなことだと笑おうとして、上手く笑えなかった。
東へと急いだ団長と騎士団は国王の本隊と合流した。砦を兼ねる東の城を包囲するように陣を展開して対峙する。
団長は慌しく陛下の待つ天幕へと参上し、久しぶりに主に対面した。
戦装束の陛下はりりしく、身にまとう威圧感もあたりを払っている。
息をするのと同じように自然に膝をつき頭を垂れて陛下の言葉を待つ。様々な感情を押し込めて、罪悪感の分だけ頭が下がる気がしていた。
ああ、と声がかかる。待っていたと、よく来たと。
本心から待ちわびていた旨を伝えられ、顔をあげればかすかな笑顔でいる。
謝罪の言葉が浮かぶが今はその時期ではない。浮かんだそれを再び沈める。
「立ってくれ。戦況の分析を」
傭兵として潜り込ませていた兵士や先遣隊の報告、団長自身の見聞きしたことと併せて東の戦力を検討する。
副団長は無事に脱出できたらしい。陛下の横で来るのが遅いと文句を付けられた。
「先だってに起こした火事で建物の損害も確認しています」
さすがに祈祷所の裏手からの抜け道は塞がれたとのことだ。当然ながら相手は篭城のかまえを取っている。元が鉄壁の守備を誇る建造物だ。
不用意に攻撃するとしっぺ返しを食らうのは当然だろう。
だからといって奇襲するにも、あまりにも隙がない。こちらの被害が甚大になる。
「陛下が隣国と交渉されたおかげで川の通行権に関して当方が優位です。隣国を介しての物資の補給は以前より困難なはずです」
それまで比較的発言の少なかった副団長が手をあげた。
「大公殿下は利き腕の肩に浅からぬ傷を負っていらっしゃい――いえ、負っています」
副団長に視線が集中するが、真面目に頷かれる。大公殿下の利き手は右――右肩に傷と、そこで祈祷所のことが団長の脳裏によみがえる。
鎧や下に装着する鎖帷子を嫌い、あるいはただ娘を連れ戻すためだったのか防具をつけずにいた大公殿下とあの場で対峙した。
切り結んだ最中に、右肩に剣先が入ったはずだ。
副団長を見やれば再度頷かれた。
あの時点で右手だけでは剣を持てずに両手に握りなおしていた。さらに、あの後で副団長と交代したのであれば更に傷が増えていてもおかしくない。
「火の気が祈祷所に近くなった時点で、見失ってしまいましたがおそらく重傷のはずです」
大公殿下がその状態であれば衝突の先頭に立つことも、もしかしたら甲冑を身につけることすら困難かもしれない。
加えて先日の火事での被害も無視はできない。武器庫や食料庫などを狙うように指示してあった。
「叔父上は……」
陛下の言葉に周囲は水をうったように静かになる。
「使者を送れば降伏される意思があるだろうか」
「おそれながら、私が最後にお会いした際のご様子では、それはないかと」
あれに――陛下に下げる頭は持たぬ、と断言していた。
本人が一番よく分かっているはずだ。一度目は尻尾をつかませずに逃げおおせたが今回で二度目。
これだけ目に見える形であったのが意外だが、言い逃れができるはずもない。
王族の矜持はどちらも高い。決して屈しないと断言されたからには最後までその姿勢を貫くだろう。
「そうか」
判断の言葉は短かった。