40 嘘吐きの告白
「あなたは俺を殺す気か?」
団長の言葉の意味が分からずに、娘は色々と考える。別に誰を殺すつもりも危害を加えるつもりもない。
自分が団長を殺すなどとんでもない。何故そんなことを言い出すのだろうかと首をかしげる。それよりも鎖帷子が当たって地味に痛い。そう訴えると慌てて体が離れた。
「私は誰も殺したりする気はありませんが」
殺すなどと過激な言葉に不快感を滲ませたのに、団長はいや、と短く否定した。
「あの穴だらけの計画でそう言うか。最初は本当に川に飛び込んだかと肝が冷えた。中庭も物見も巡回の兵士がいたというのに。物見の方は距離があって気付かないからいいとして、中庭の兵士は川の方に注意が向いている隙に気絶させたからよかったものの、そうでなければすぐに見咎められて剣か矢を受けたに違いない。
あまつさえ木から落ちるとは。俺が受け止めなかったら怪我をしていただろう」
鎖帷子を脱いで、肩と腕を回しながらも団長は厳しい指摘を続ける。
「堀を渡るのだってあなたの細腕では時間もかかる」
「だって、一人でできることをと思ったらあれしか方法がなかったんです。部屋の周りは護衛がいて人は近づけないし、それに急がないと大公――殿下が部屋に来てしまうと……」
娘はうつむいてきゅっと服を握り締めた。大公、の言葉に団長が反応する。
「大公殿下があなたの部屋に?」
「出立が三日後と言われてその前に逃げないと側におく、って」
うつむいているので団長の表情は分からないが、顔を上げられない冷気というか威圧感が迫ってくる。しばらく二人とも無言でいた。はあ、とため息が聞こえて呆れられたのだとますます顔が上げられなくなった。
「だから、俺にぶつかって『今夜脱出』の伝言を手渡したわけか」
「厩舎でもです」
今度は喉の奥でうめくような声がして、さすがに娘は顔を上げた。団長は額に手をやり眉をしかめている。団長の手が伸びて頭の布を取り去った。まとめていた髪の毛もほどかれ、癖がついていたが黒い髪の毛が肩から背中を覆う。
それを手櫛ですきながら団長はじっと見つめてくる。視線の強さに気恥ずかしくなって目が泳いだところで、頭をなでられる。
「擦り傷はあるが、無事でよかった。港町で見失ってから、大公殿下の所で姿を確認するまで生きた心地がしなかった」
しみじみと言われて団長を宿屋に残して逃げ出したことを思い出す。同時に王城に戻るようにと言われたことも。
団長は任務で東までやって来たのだ。逃げ出した伝説の娘をつかまえて王城に送り返すという国王の命令を実行するために、髪の毛を染め傭兵としてもぐりこんだのだ。
「陛下から逃がすなと言われたから、今回守ってくれたんですか?」
「そうだが、それだけではない。俺自身があなたを守りたいと思ったからだ」
「任務だから?」
「違う」
強く言い切られて再び抱き込まれた。自分のものよりも低く早い鼓動を直に感じる。
顔を上向かせると苦しげな顔で見つめられていた。
「もう、任務より私情の比重が大きい。俺はあなたを……」
「――?」
耳飾をはずして語尾を上げた単語に、団長が目を見張る。嘘吐きな人だ。
これがどうやったら『雷の音が違って聞こえませんか』になるんだろう。
そう思えば笑えてしまう。もう一度耳飾をつけると震える指先が耳に、耳飾に触れた。
「……言葉が分かる、のか?」
「王城では語学の教師もついていたし、意識して耳飾を外して言葉を覚えようとしましたから」
「じゃあ、あの時も分かっていたのか?」
こくりと頷くと、背中に回っていた腕が緩められた。立ち上がって一、二歩後ろに下がった団長は片手で顔を覆い、ははっと乾いた笑いが漏れる。
その後で獣のうなるような声になった。
目をあわさずに団長が自嘲気味に呟いた。
「滑稽だろう。これでも必死に踏みとどまろうとしたんだ。あなたは陛下が召喚した、陛下の伴侶になる人だと」
雷雨のさなかに落ち着かせようと抱きしめた時、その抑制がゆるんだ。耳飾を外してしまえば理解されないだろうと、身内でうねり膨れ上がった想いを囁いた。あれを正しく聞き取っていたのなら、自分はとんだ道化だ。そして見事に黙殺されたのだ。
団長はとっくの昔に告白をしていた自分を恥じるように、両手で顔を覆った。
だから背中に回ったものが何か分からなかった。胸にすり寄せられたものが分からなかった。触れてきたものに目をやると娘があの雷雨の時のように、背中に手を回して心臓の上に耳をつけていた。
この状況は何だ。あの日の再現か?
違うのは互いの髪の色か。茶色だった髪の毛は黒になり、自分の茶色の髪の毛は大公殿下には似合わないと評された赤だ。
心臓の音にだけ注意を向けるかのように閉じられていた目蓋がゆっくりと上がる。
そこにあるのは黒い瞳。二人といない、召喚された者の色が見上げてくる。
「もう一度言ってくれませんか」
「何を、言えと」
「『俺はあなたを』の続きです。あなたの口から聞きたいんです。――お願い」
最後の殺し文句に抗えるはずがない。すがるような眼差しをされればなおさらだ。
道化を演じたのだ。最後まで演じきるのが求められた役割か?
そろりと腕を回して団長も娘を抱きしめ、目を合わせる。乾いた唇を舌で舐め、二度目の告白をした。
「俺はあなたを――愛している」
伝えてどうなる想いではない。口にするとあっけなくいっそ陳腐にも聞こえる。
聞いた娘は何も言わない。そっとうかがうとつむじが目に入る。沈黙が落ちて耐え難い。腕の中のぬくもりに未練を感じつつ手を離そうとすると、背中に回った手に力が込められた。
何がしたいのだろう。
「手を離してはもらえないだろうか」
胸にある頭が小さく、横にふられて団長の困惑を深める。普段なら体格差もあって娘に押されてもどうということはないはずなのに、胸元に一層強く頭をよせられて半歩ほど後退する。背中の手がきゅっと服を掴んでからひたり、と背中に当てられる。
随分長く娘を抱きしめていたようにも思えてきた頃、小さくかすれた呟きが耳をうつ。
「いつから?」
「もう、覚えていない」
「今も?」
「……ああ」
頭が胸から離れたが、相変わらず肩から下は密着している。うつむき気味の顔が上げられ目が合ったが、とてつもなく恥ずかしくて気まずくて視線がそれる。
こうして触れているのも告白するのも赦されない相手だ。
しかも羞恥と後悔しか残らない告白の後だ。こんなことがなければ、そしてねだられなければ口にするはずがなかった想いを伝えた後で、高揚感が急激に醒めていくのを感じた。
手を離して、距離をとって、以後は臣下として接すべきだ。
そう割り切ろうとわきまえようとしているのに何故娘の方がすがり付いている?
「あなたは嘘吐きです。あの時、愛しているって言ったくせに全然別のことだとはぐらかした」
「ああ、そうだな」
「でも私も嘘吐きです」
意外な言葉にそらしていた顔を正面に戻した。固い表情で、それでも見つめる瞳の中に必死な色を見て取った。
「言葉が分からないふりをしました。そのまま帰還しようとしました。雷雨の時こうしてなだめてもらってから、誰よりどこより安心できるのはここなんだということに気付かないふりをしたんです」
ひどく都合のいい夢を見ている気がした。これは自分の願望が見せる夢で、娘が甘い言葉を囁いてくれているのではないかと思った。
それほどにありえない。このまま続くと渇望してやまない、絶対に自分に向けては言われることのないはずの言葉が告げられるのではないか。
そんな錯覚に陥る。
「認めるのが怖かった。認めるともう元の所に戻れない気がしました。こっちに好きなものが好きな人ができたら、帰還への引力が弱まってしまう。だから見ないふりをして、いいえ再召喚の時には気付かなかったのかもしれない。でも」
黒い瞳に射抜かれる。見つめていたいと思って見つめて欲しいと願った。
その瞳に魅入られていたので気付くのが遅れた。
「あなたが、好きです」
よく聞こえなかった。うつむいてしまった娘の髪の間に見える耳が真っ赤になっているのだけは分かった。聞き間違いかと思った。声は小さくそれ以上に内容がありえない気がした。
「今、なんと……」
「あなたが好きです」
「それは嫌いではないということだろうか」
「違います」
震えてしまう手で華奢な背中をなでた。髪の毛を、頭をなでた。この感触は現実のものだ、ではこの言葉も現実なのか。
「俺と、同じ想い、なのか?」
「――はい」
「一時的な気の迷いでは?」
「違います。吊り橋効果なんかじゃありません」
よく分からない単語が挟まったが、しつこい程に問いただしても返ってくる内容は変わらなかった。
うつむいた顔の両側から手を差し入れて頬を包んで促すと、ゆっくりと顔が上がる。頬が赤らんでいてさっきの自分同様に恥ずかしがっている。
でも今は消えないうちにこの現実を確かめたかった。
額をあわせて互いの吐息を肌の上に感じるほど近づいて、想いの全てをのせる。
「愛している」
潤んだ瞳が閉じられた。睫毛が震えている。そのまま誘われるように唇を重ねる。
己が唇への感触はひどく柔らかく、立ち上る薔薇の香りにめまいさえ感じそうだった。