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39  脱出

 朝の大公の宣告から、その日はあっという間に時間が過ぎた。

 日中はうろうろと歩き回って傭兵隊長にぶつかるは、厩舎では馬丁に不審がられるは、護衛には笑われるはで散々だ。とうとう侍女頭からは強引に座らされて、気分を沈静化するお茶とやらを何杯も飲まされる羽目になった。

 おまけに夜には早々に部屋に引きこもろうとしたのに、いつもは一人にしてくれる入浴も問答無用で全身を洗われ、薔薇の香りのする香油を塗り込められ精神的にどっと疲れてしまった。


「いつおいでになってもよいように、万全の準備をさせていただきます」


 そんな台詞とともに着せられたのは、見ているだけで恥ずかしくなるようなひらひらな寝衣で、この時点で既に気力がそがれている。


「あの、私は一応王妃候補ですが」

「存じております。でも私としましては、あなた様には大公妃になっていただきたいと願っております」


 この侍女頭が大公に心酔しているのは知っているが、理を曲げてもためらわないとまでは思わなかった。

 式前でのこんなことは許容されないのが貴族社会じゃないのかと問い詰めたい。ただそれを言ってしまうと、式をあげれば問題ないと祈祷所に連行されそうだ。今夜ばかりはあそこは無人でないと困る。

 侍女頭は丁寧に髪をとかしながら鏡越しに娘に視線を合わせてくる。


「申し訳ないとは思っております。ただ、大公様の心情も汲んでくださいませ」

「私の気持ちは?」

「返す言葉もございません」


 起きて待っている義理もないのでふてくされながら寝台にもぐりこむと、侍女頭もそれ以上の言及は避けて部屋を出て行った。

 静かに上体を起こして隣の様子をうかがう。いつものように護衛の気配だけになったところで、音をたてないように寝台をおりる。気はとがめるが、ひらひらの寝衣を脱いで薄手の寝具を中につめる。頭の方には黒い布をまとめたものを押し込んで、寝具の中には適当な重しを入れる。


 傭兵が持ってきてくれた動きやすい黒い服を着て、髪の毛をまとめた。こちらも黒い布でおおって靴を履く。

 部屋のドアノブは布でぎゅうぎゅうに縛った。少しの間なら時間稼ぎができるだろう。


 川に面している窓を開けて窓枠に足をかけて立ち、即席の人形を前に抱える。

 できるだけ大声で、注目を集めないといけない。勿体ないが部屋においてあった花瓶を扉に投げつける。花瓶の割れる派手な音で、外から護衛がどうしたのかと声をかけてドアノブを回す。


「私は、大公のものにはなりません、それくらいならいっそ」


 大声で叫んで、人形を放り投げる。それは放物線をえがいて水に落ちる音がした。


「今のは誰か落ちたのか?」

「あそこに白い何か……頭の所が黒じゃないか?」

「舟を出せっ、早急に確認しろ!」


 寝室の扉も慌しくドアノブががちゃがちゃと音を立てている。

 カーテンの隙間から護衛と兵士が窓の鍵を壊して中に入り込むのと入れ替わるように、カーテンの背後にすべりこんで外をうかがう。窓から川の方に大声で指示を出した二人がドアの縛りを断ち切って隣室へ移動したので、そっと外に出て中庭の木に一番近い胸壁に向かった。


 鉤爪のついたロープを木に投げて枝に引っ掛ける。これで最悪足を滑らせても木にはぶら下がれる。

 壊れそうなくらい心臓が脈打っている。呼吸を整えて胸壁の上に座る。ロープを腕に巻きつけて枝を引き寄せた。ここが一番気をつけないと、音に気付かれて見上げられたらばれてしまう。



 タイミングを見計らって強い風がふいた瞬間に木に飛び移った。がさりと音がしたが、木にしがみついて息を殺す。そうっと下を見ると誰も木に近寄る様子がない。安心してそろそろと下りはじめた。

 ロープをぐいっと引っ張っても枝が折れる気配がない。ロープを幹に伝わらせて手足を動かし下を目指す。一度でもこの木に登っていたらどこに手をかければ足を置けばいいか分かるけど、今回はぶっつけ本番だ。


 慎重にすすめていたつもりだったのに、焦っていたのだろうか。足がすべり、とっさにつかもうとしたロープもすり抜けた。バランスを崩して落ちる。まだ距離があったのに間抜けだ。体を丸めたのに地面への衝撃は訪れず、代わりにがっしりと受け止められていた。


 捕まってしまったかと身が総毛立つ。

 でも。

 その気配はよく知るもので。その手も知っているもので。

 

「なんて無茶を。心配させないで下さい」


 とがめるような、安堵するようなその声もよく知っているもので。

 知らずつめていた息を吐き出した。


「ありがとうございます。脱出します。祈祷所に」


 それだけで通じたのだろう。地面におろしてもらい、手を引かれたまま走り出す。見ると似たような闇にまぎれる色目の服だ。決行今夜とは伝えられたけれど、ずっと待機してくれていたのだろうか。

 走って祈祷所にたどり着く。堀に面した奥の壁には装飾にまぎれた扉がついていて、開けると階段があり下りた先には外から見えないように小舟が用意してあった。


「先に行ってください」


 促されて足を踏み出そうとした時、低い声が聞こえた。


「やはりここだったか」


 視線の先には大公がひどく静かな様子で佇んでいた。

 一歩近づいてきたのをさえぎるように、背中にかばわれる。刹那、背後で息をのむ。


「あなたと改修の話になった時に予感はしていた。ここを嗅ぎ付けるのではないかと」


 言いながら無造作に剣を引き抜く。研ぎ澄まされた刃は見ているだけですくんでしまうような迫力を秘めている。娘を背にかばった方も剣に手をかけている。


「お久しゅうございます。大公殿下」

「お前も息災と見える。こんな形では会いたくなかったが。その髪の色は似合っていないな」


 二人とも油断なく慎重に位置を決めて相手の出方を図っているのに、会話はむしろ和やかな挨拶だ。

 娘だけが喉をひりつかせ、緊張から汗をかいている気がした。

 髪の色を揶揄されて、ふ、とため息とも苦笑ともつかない音がもれた。


「からかわないで下さい、お恥ずかしい。大公殿下、武器を捨てて投降される気はございませんか」

「あれの温情にすがれと? それは願い下げだ。第一ここにどれだけの兵力が集まっていると思う?」

「……外の騒動が聞こえませんか?」


 その言葉につられるように大公も、娘も祈祷所の外に注意を向ける。

 大声で怒鳴りあう声や、慌てたような音の合間に火事だ、との声が聞こえた。


「貴様……」

「私が一定時間内に戻らなければ、潜んでいる配下の者が火をつける段取りになっていました」


 火を消せと呼ばわる声がする。分散しろと叫んでいるのは、火の気が複数なのか?

 余計な力を抜いているように見えながら、威圧感のようなものを滲ませている背中にかばわれたまま娘は足が動かなかった。

 

「それにしても、あれの命令でここまでするか。臣下には恵まれたというべきか」

「殿下。陛下を愚弄なさらないでいただきたい。私は勿論、本来あなた様も陛下の臣下なのです」

「私は俗物なのを自認しているがあれに下げる頭はもたぬ。父親にそっくりで人の気持ちを知ろうともしない、人を踏みにじる者などに」


 そこで大公は娘に目を向ける。


「あなたや義姉上を泣かせるような国王などに」

「陛下はお変わりになりました。いつまでも子供ではありません」


 互いの剣を持つ右手に力が入った、ように見えた。

 祈祷所の扉から祭壇までの細長いスペースは、まるでフェンシングの演台――ビストのように見える。そこに剣が交錯する。鋼のぶつかり合う音、衣擦れ、鎖帷子のこすれあう音がめまぐるしく聞こえた。

 騎士団の演習場での訓練とは比べようもない緊迫感に、娘は息をするのも忘れたように見入ってしまう。頭ではこの間に奥の扉へと思う。それなのに目が離せなくて足が動かない。


「どうした、動きが鈍い。そんなに後ろが気になるのか」

「……っ」


 大公は優雅に見えながら隙をついた鋭い剣さばきを見せている。一方はそれをかわしてねじ伏せながらも冷静で、力と速さを剣に乗せる。


「さすがだな。――団長」

「お褒めにあずかり、光栄、ですっ」


 ひゅっという音とともに傭兵隊長に扮した団長の染めた赤毛が一房宙に舞う。対する大公も右腕の服を切り裂かれている。

 互角のように見えた戦いもやはり、大公よりも若く日々騎士として訓練している団長に分があるのか、次第に大公がおされ気味になった。ぶつりともごつりとも言えない嫌な音がしたと思ったら、大公の肩口から血が滲んでいる。

 大公が両手で剣を握り、じり、と腰を落とした。

 堀側の扉が開いたと思ったら見知った顔が現れた。


「おい、お前何やって……」


 団長に呼びかけ、途中で止めてやはり剣を抜く。


「おい、交代だ。お前は早くここから逃げろ」


 大公がそちらに目をやりかすかに笑う。


「副団長までお出ましとは。私も随分買われたものだ」

「大公殿下。失礼ながら私がお相手つかまつります」


 服装は馬丁のものながら雰囲気はすっかり騎士団副団長のそれに戻っている。はあっと短い掛け声をかけて、副団長が大公に切りかかった。


「行きましょう」


 団長から奥へと押しやられながら、大公と副団長に視線を投げる。


「でもっ」

「いいから、行くんだ」


 最後に見た大公は眉をひそめながらも、うっすら笑っていた。


「神のご加護を」


 


 細い階段をおりて小舟に乗る。団長が勢いよくこいで堀を渡った。舟が堀の割れ目のようなところに入り込む。そこには地中に続く通路がしつらえてあってしばらく進むと階段になっていた。それを登りきると隠し扉が開いたままになっている。

 ここを副団長が通ってきたのだろう。地上に出ればそこは墓地の片隅の石碑のようなところだった。


「こんな所に……」

「早く、馬をさがしてここから離れる」


 団長が周囲を警戒しながら早口になっている、そこになんとものんきな声がかかった。


「馬ならここに用意しているよ」


 気配を感じさせなかった相手に、団長が一瞬で戦闘態勢になる。

 手を振りながら現れた傭兵に脱力しながら、団長には敵ではないと告げた。


「馬の用意をしてもらった人です」


 墓地の柵の向こうに鞍を置いた馬が二頭つながれていた。

 近寄って見覚えのある、額や足の色や模様に娘は傭兵を見つめた。


「ばれた? 厩舎の馬だよ。勝手に連れてきたら怒り狂った馬丁さん、あ、副団長さんに追いかけられてね。面倒だから殺しちゃおうかと思ったけどまあいいやと思い直して、ここの抜け道を教えたんだ。向こうで会えた?」

「貴様、何者だ?」

「僕は今は彼女の依頼で動いている。敵ではないね」


 団長が目線をよこしたので肯定の意味で頷く。

 馬を検分して傭兵を振り返った団長は固い声で質問する。


「速度と持久性は?」

「あの厩舎で一、二を争う」


 娘を馬に乗せようとした団長は、何を考えたか二頭のうちの大きいほうに娘を横向きに乗せた。続いて自分がその後ろに乗る。

 団長は馬上から傭兵を見下ろした。


「頼みがある。もし、副団長がここから出てきたらこの一頭を引き渡して欲しい」

「んん? そこまで契約した覚えはないけど、まあいいか。厩舎の他の馬は水を沢山飲ませているから使い物にならないし」


 適当に納得して、傭兵はあっさりとその提案を受け入れた。娘に鞄を渡してにっこり笑って手を握ると、またね、と挨拶をした。

 団長は娘を抱き寄せて手綱を片手で握り、馬を走らせた。傭兵が小さくなっていく、最後までずっとひらひらと手を振っているのが見えた。


「舌をかまない様に注意しろ」


 ひたすら口をつぐんで団長は馬を走らせた。墓地から街道に出ても速度を落とさず、西の方へ向かう。随分と走ったあとで山間の小さな小屋にたどり着いた。

 近くの川で馬に水を飲ませた後で小屋の裏手に馬をつなぎ、中にあった桶で川の水を汲んで粗末な室内へと入った。

 傭兵から渡された鞄を調べると、携帯食や布、簡単な薬、短剣など役立ちそうなものが入っていた。まずは二人とも水を飲んで携帯食を口にする。人心地ついたところで、団長が恐ろしい顔つきになった。


「あなたは」


 短く言われたのも低い声で、怒っている気配が濃厚だ。

 座っていたところから腰が引ける。上体を後ろにと思ったところで、ぐいと前に引き寄せられた。目の前が暗くなる。抱きしめられたのだと思ったら、頭の上で呻くような声が聞こえた。


「あなたは俺を殺す気か?」




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