35 対面
髪の毛の色が戻っている。ということはここの主は、自分を伝説の娘として扱うつもりだと解釈した。
服はそのまま。寝かされていた寝台から起き上がった姿勢で、首の鎖を指で探る。ずるずると引き出すと、先端には騎士団の紋章を頭部に装飾されたピンがでてきた。
取り上げられていなかったことにほっとして、その騎士団の紋章をじっと眺める。
宿屋での団長は勿論騎士団の制服ではなかったし、着ていたものにも紋章など騎士団をうかがわせるものはなかった。それでもこれを見ていると騎士団での日々や団長、副団長を思い出す。
手の中できゅっと握り、また服の中に戻した。
そこで少し落ち着いて周囲を見る余裕ができた。寝台の横には小さなナイトテーブルが置いてあって、その上にエプロンのポケットに入れていた財布と、生え際を隠すのに使っていた布が置いてあった。服のポケットにいつも入れていた携帯と短刀はない。あの傭兵が酔狂にも見逃してくれた時に隠したから当たり前なのだが、無意識に探ってはその感触を確かめていたので何もないことが不思議に思える。
外はどうなっているんだろうか。
空暗くなっているが一部に薄明るいところがあり、夜に入るか朝になるかだろう。北の星はここからは確認できなかった。
窓も小さく外壁側は人も通れないほど、壁の厚みを利用して室内側にむかって広くなっている朝顔のような漏斗のような形になっている。石の壁は厚い。そこに窓ガラスがはめこんであって、窓の下には座れるようなベンチが置いてある。王城よりも壁が厚いかもしれない。防御のための場所なのだろう。やっぱり国境沿いの東に連れてこられたのか。
窓から目をやれば扉は一つきりだった。木の扉だが鉄で補強してある。部屋を横切り、扉に触れてみると当然のように鍵がかかっていて開かなかった。手は縛られているのに厳重だなあとつい笑いそうになった途端に、お腹がくうっと鳴った。
「こんな時でもお腹がすくんだ。結構図太いなあ」
「お目覚めですか」
独り言に別人の声がかぶせられてぎょっと声の方向を見る。部屋の角、暗がりになっているようなところに女性が座っていた。
ずっと娘のことを見ていたのだ。
立ち上がって近づいてきたその女性は、娘の前で礼をした。そしてすっと背筋を伸ばして向き直る。細かいところは違うが王城のような侍女服を身につけた女性だった。ここの侍女か。王城の、団長の妹よりも年長で笑顔はない。いかにも有能そうで厳しそうな印象だ。
「ようこそ、東の都へ。私はここで侍女頭をしております。お休みの間に髪の毛に触れたことをお赦し下さい。支度の時間を逆算いたしますと、どうしても先に髪の色を戻して乾かすことが必要だったものですから」
「支度?」
「私達の主である東の大公様が、あなた様との会食を望んでおられます」
東の大公と聞いて娘は内心ため息をついた。意識が無い間に大公のところに運ばれてしまったか。あの傭兵はきっちりと依頼を果たしたわけだ。本当なら東の公爵なのだが国王の叔父ということで、大公と呼ばれているのだろう。
「朝食ですか、それとも夕食ですか」
「朝食です。あなた様はずっとお眠りになっていたのです」
馬車に転がされていたから体が疲れきっていたのかな、それにしても本当に図太いと忍び笑いがもれた。この侍女頭はずっと付き合って部屋の中にいたわけだ。ご苦労なことだ。
「道理でお腹がすいていると思いました」
「こちらにいらしてください。顔を洗われたらお召しかえをしていただきます」
「その前にこれを外してもらえませんか」
侍女頭の前にぐいと縛られたままの手首を出す。侍女頭はリズムをつけて扉を叩いた。それに応じて外から鍵があく音がして、女性の兵士が中に入ってきた。またすぐに扉が閉められて鍵のかかる音がする。
部屋の外には警備兵か。しかも複数いるらしい。厳重な警戒態勢だこと、と思いながら娘は兵士が手首を縛っている布に手をかけるのを見つめた。しばらくほどこうと苦戦していたが結び目が固くで無理なようだ。諦めた兵士は短刀を取り出してぶつり、と布を切った。
あの傭兵が痕が残らないように縛ったと豪語していたが、本当に痕が残っていない。縄でなくで幅広の布で縛っていたのも痕を残さないためだろうか。変なところまでプロ意識があるんだと、手首をさすりながら感心した。
侍女頭に連れられて洗面器の置いてある鏡台に案内される。顔を洗ったあと、側においてある服に着替えさせられた。当然のように裸にされそうになって必死に抵抗する。
「下着くらいは自分でやります」
「そんなわけには参りません。私が職務怠慢と言われてしまいます」
「いやっ本当に無理です、触られたくないんです」
腕を抱え込んでうずくまると、侍女頭は頭痛がしたかのようにこめかみを指で押さえた。そのまましばらく考え込んで、下着を手渡してきた。
「失礼ながら私は向こうを向いていますので、その間にお着替えください」
「ありがとうごさいます」
「私に礼など不要です」
「そうですか? でも感謝していますから」
「……私には敬語も不要です」
女性兵士の方を見ると、これもさりげなく視線をそらしてくれる。急いで下着を着替える。すとんとしたワンピースのような下着は肌触りがいい。
「コルセットは勘弁してもらえますか。あれで気分が悪くなったことがあるんです」
王城にいた時コルセットは拷問器具かと思うほどに、ぎゅうぎゅうに締め上げられたことがある。当然内臓が圧迫されて何も食べられないどころか気分が悪くなって、それ以来断固拒否の姿勢を貫いた。
侍女頭の眉が動いた。非常識なことを言っているのだろうとは思うが、駄目なものは駄目なのだ。
「失礼いたします」
そう言われていきなりウエストをぎゅっと掴まれたのには驚いた。本人はいたって真面目な顔でお腹や背中も手で触ったり押したりしている。どこから取り出したのかメジャーのようなもので胸囲、ウエスト、腰のサイズを測られてしまった。
「しばらくお待ちを」
扉を叩いて侍女頭が姿を消した。監視の兵士と幾分気まずい思いをしながら待っていると、服を手にして戻ってきた。
「お待たせしました。こちらを着用してください」
コルセットなしでも着られるものをもってきてくれたのだ。こちらではどうも女性の方が有能で、自分の気持ちなども配慮してくれるような気がする。そう思いながら服を着る。背中にボタンがありそれをとめてもらう。
胸と背中は結構露出されている服だ。でも腰まわりは苦しくない。
「髪の毛は今日は結わないようにと申し付けられております。首飾りなどはいかがいたしましょう」
朝食を食べるだけでこんな思いをするのかと、娘はげんなりしつつ侍女頭の申し出を断った。耳飾は鏡を見ながら赤と、琥珀色のものを残した。首飾りは先端のキャップを指先で確認して、騎士団の紋章が見えないようにと服の下に押し込む。
簡単に化粧をされてできあがりのようだ。
「ここにあなた様をお迎えできて、光栄かつ嬉しく存じます」
深々と礼をされて醒める。どう聞かされているかしらないが、ここに連れてこられたのは全くもって不本意だ。王城の関係者など絶対にお近づきになりたくなかったのに、どこまでも好き勝手をしてくれる。
「私は王城では下働きを、外では食堂や宿屋の従業員をしていました。敬われるような立場ではありません」
「なにをおっしゃいます。その髪と目をもつ方のことはこの国の者なら子供でも知っています。そんなお方が働くなど……」
この侍女頭は身分制度に染まっているんだ。いや、王城が柔軟だったのかと改めて思う。
働きたいと言った娘をいぶかりながらも意見を尊重してくれた。逃走計画のためとはいえ、かしずかれての生活など柄じゃなかった。あそこで働けたからこそ、港町でも全く何もできずに困るということもなかった。
時間が迫っていることに気付いたのか、侍女頭は娘を案内しながら部屋の外に連れ出した。扉が一つきりの時点で、壁が異様に厚くて窓が小さいことからもなんとなくそうじゃないかとは思っていたが、部屋を出て目に入ったのは階段だった。石造りのものがらせんを描いている。
牢でないだけまだましかな? ぐるぐると階段を下りながら娘は考える。
これから会う大公、国王の叔父で国王の弟をそそのかしたとされる人物。今は傭兵を東に集めている。聞けば聞くほど胡散臭く狡猾な狸親父のイメージが先行しているが、本人はどうなのだろう。
階段を下りたところにも頑丈そうな扉があって、そこも外から鍵をあけて通ると狭い廊下が続いていた。
「万一の時のために人が通りにくくなっているのです」
侍女頭の説明で一度に兵が押し寄せないようにする工夫かと気付く。寝かされていたのは篭城用の建物なのだろう。言い換えれば幽閉や監禁にももってこいだ。
狭い廊下をしばらく行くと、また扉が見えた。それはくぐった後で見ると反対側には装飾が施してある。廊下が広くなり、窓も大きくなって明るい。
「ここは国境の砦も兼ねているので、王城と比べると無骨ですが大公様が随分と手を入れられたんですよ」
石の壁は厚いが壁掛けや絵画も飾られていて、石造りの古城といった雰囲気になっている。外は日が昇り明るくなっている。随分と歩かされてようやく目的の場所についたらしかった。
扉の両脇には鎖帷子を着た兵士が槍を片手に、腰からは剣をさげている。侍女頭が兵士に用件を伝えると兵士が扉を叩き、中から応じる声がして大きな扉が開かれた。通る時に兵士をちらりと眺めると、目は伏せてはいるが好奇心はむき出しで様子をうかがわれている。
何か変かと思って、ああと納得する。黒い髪の毛、今は目も隠してはいない。今は召喚されてからの短い間でしか晒していなかった本来の自分なのだ。黒髪、黒い瞳は王妃の証だ。
注目するなという方がおかしいのだろう。
広い室内には長いテーブルに、眩しいくらい純白のクロスがかかっている。
正面には男性が一人、大きな絵画を背に座っていた。それが立ち上がって近づいてくる。
背は高い。太った狸親父を想像していたのにそれは外れた。
騎士団員と遜色ないほどに鍛えているように見える。髪の毛は国王と同じ金髪、目の色は国王よりは薄い海よりは空の色に近い青だ。
渋い美形と形容するほか無い男性がすぐ近くで立ち止まり、優雅に手を取った。
慣れた仕草で手の甲に唇を落とし、頭を戻す。
口から出たのは低めの魅惑的な声。
「ようこそ、東へ。あなたを歓迎する」