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34  隠すもの残すもの

 娘は夜の道を走り抜けた。この周りなら細い道でも大丈夫だ。

 時間を稼いでくれている主人夫婦に感謝しながら、どうかけがをしないようにと勝手な願いも持っていた。

 ポケットには携帯と短刀、首には騎士団の紋章をあしらったピンが鎖に通されさげられている。大概身に着けているエプロンには貨幣が入っている。これで着の身着のままでもしばらくはどうにかなるはずだ。


 主人夫婦が逃亡の案内人として頼んだ漁師の家の扉を叩く。今のところ団長も、一緒だった騎士にも追いつかれてはいない。

 この家は海に面していて、そこから小舟に乗れるはずだった。静かに扉があいて男性が現れた。家の明かりで逆光になっていて顔が良く見えない。


「あの、女将さんとの打ち合わせ通りに急ですみませんが、舟に乗せてください」


 頷いて引っ込んだ漁師は扉の横にかけてあった外套のようなものを頭からすっぽりとかぶって、娘を船着き場に促した。

 先に乗った漁師に手を引かれ娘も小舟に乗り込む。


「布を上からかけるから、横になっているように」


 低い声で言われ、黒い布がかけられる。用意がいいと感心して、娘はその指示に従った。小舟はすべるように船着き場を離れて、暗い夜の海に漕ぎ出された。できるだけ音を立てず、でも早くと静かに櫂のこがれる音がする。

 身をひそめて波の音と櫂の音を聞きながら、娘はこれからをどうしようかと考える。入り江につけてもらえれば馬車を雇ってでも他の都市なり町に向かおう。東か西か。北は王都を迂回しなければならないので時間がかかる。西は正直よくわからない。西の都に隣接する国は砂漠が多いとも聞いていたので、行くなら東だろうか。

 東は先の王の弟が公爵をしていたはずで、今は傭兵の流入が目立っている場所だ。危険な香りはするが、人の出入りの面では目立ちにくい。


「そろそろ座っても大丈夫だ」


 ずいぶんと沖に漕いだ後で漁師から声をかけられた。もそもそと布を外して、船底から起き上がる。星を見て方角を確認しようと娘は頭を上げた。


「どこに行きたい?」

「東にしようかと思っています。東の方向に船がつけられるような場所はありますか?」

「……東。いいねえ、手間が省けるよ」


 突然、漁師の口調が変わった。口調だけではない、声もだ。飄々と軽い聞き覚えのある声に変わり、娘の目の前でばさりと頭の被り物を外したそこにいたのは、食堂に時々現れていた自称傭兵だった。


「どうして? あの家の漁師さんは……」

「うん? 大丈夫、殺していないから」


 あっさり言われるがその内容は聞き逃せない。殺していないから大丈夫。それはこの傭兵が殺したり、危害を加えたりすることに慣れていることを示唆している。そして海上に得体の知れない男性と二人きりの現状に娘は緊張の色を濃くした。

 傭兵は完全にいつもの口調になっている。軽口をたたき娘を大げさに口説いて、店にも常連にもするりと馴染んだ雰囲気だった。


「僕としてはもっとあの場所で君を口説いていたかったんだけどね、あそこの料理は美味しかったし。でも王都から追っ手が来ちゃったから残念だけど時間切れだ。あの宿に騎士の客は目立つ。きっと君が逃げ込むだろうって、女将さんたちと一番懇意にしていて腕利きの漁師さんの家に先回りしてお邪魔してたってわけ」


 軽やかに説明されてもはいそうですかとは頷けるわけがない。

 娘は逃げ場のない小舟の上で、傭兵の語りを聞いていた。傭兵は情報を隠すでもなく話している、これは娘には何もできないのが分かり切っているからという余裕の表れだ。


「でも、騎士団の団長さん自ら追ってくるなんて、さすがだね」

「あなたは何者?」

「傭兵だって言っているだろう。報酬次第でどちらにも転ぶお調子者さ。ただ僕は退屈が嫌いだから、面白そうなことになら首を突っ込むし雇われることにしているんだ。今回は最高に面白かったね。明るい港町で、伝説の娘さんと知り合いになった上に団長の鼻先で掠め取れたんだから」


 団長の正体を知っていた時点でそうではないかとは思っていたけれど、はっきり伝説の娘と言われていよいよ逃げ場がなくなったのを感じる。ここをやりすごすのは無理だ。生殺与奪は文字通りこの傭兵に握られている。

 できるのは、できるだけ情報を引き出すことだけだ。


 傭兵で雇われなのなら、雇い主がいるはず。東に行きたいと言ったのが傭兵には好都合なら、雇い主は東に住んでいるか東に縁の深い人物に違いない。その上、この傭兵はある程度依頼を自由に受けられる立場のようだ。ならそれを雇えるほどの権力なり経済力がある人物。

 考えていくと、ある人物に集約されていくようだ。


「東の公爵?」


 傭兵はぱちぱちと手を叩いた。


「すごい、やっぱり今回の件は面白いよ。首つっこんでて良かった。僕への依頼はそこに君を連れて行くこと。引き渡せば契約終了だ」


 東の公爵、先の王弟が自分をほしがる理由はなんだろう。国王への牽制か、それとも市井に逃げている伝説の娘を保護して国王に恩を売りつけるのか。どちらにしても春からこの傭兵をよこすくらいだから、思いつきの計画でないのだけは確かだ。

 娘はただね、と続けた傭兵に目を向ける。ふわふわとした髪が海風に揺れていた。くすくすと笑いながら傭兵は言葉を紡ぐ。


「公爵との契約が終了すれば僕は自由の身だから、次は君と契約しようか。依頼がもしあれば連絡してくれる? たいがいのことはかなえてあげられると思うよ。看板に赤い蛇が描かれている店で、店の主人に風をつかまえたいって言ってくれれば連絡がつくからね」


 娘は傭兵の意図がわからない。東に連れて行った後なら、娘の依頼も受けると言う。

 それが東からの脱出であっても聞き入れるのだろうか。


「ん? 何でって顔だね。僕は気まぐれで気に入った依頼しか受けない。君のことは結構気に入っているから、依頼があれば受けようと思うくらいだ。報酬は僕が決める。そんなに高くないから安心して。僕は他で稼いでいるし堅実だから、なんならこのまま愛の逃避行でも構わないくらいなんだけど」

「東に引き渡すまで契約は終了じゃないんでしょう?」

「痛いところを突くね。まあ、この稼業は信用第一だから契約満了までは、雇い主の意向には逆らえないけど君とだったら依頼も追っ手も蹴散らせるよ。自惚れじゃなく、僕はそれだけ強いから」


 船を漕ぎながら傭兵は何でもないことのように言う。息も乱れていない。口だけでなく、本当に鍛えているらしい。ひょろりとしているのに、ばねのようにしなやかな動きを見せている。

 

「公爵のところも、あなたと一緒も気が進まない」

「当然の答えだけど契約だから一旦は公爵に引き渡すね。それからゆっくり考えてよ」


 ふと気づくと再び陸地が近くなっている。どこかに上陸するつもりだ。逃げるならその時しかない。油断なくタイミングを図る娘に、傭兵は櫂を持つ手を止めた。

 猫のようにしなやかに娘に近づく。


「騒ぐだけ無駄だし体力消耗したら、この後大変だよ。だから寝てもらおうか。大丈夫、道中は大事に大事に運ぶから」


 みぞおちに衝撃を受けて意識とともに体がずるりと沈んでいく、抱きとめられたと思ったら耳元で囁かれた。


「公爵にはできるだけ下手に出て、せいぜい持ち上げてやるのが得策だよ。きっと色々しゃべってくれるはずさ」


 雇い主の情報を教えるなんて傭兵としてはどうなのか。守秘義務とかないのかなど思いながら、最後に海に映ってゆがんだ月が目に入った。それが南の最後の記憶になった。


 それからは最悪だった。口を布で覆われ手足を縛られて荷馬車のようなものの中に横たえられ、体に振動を感じながらどこかに運ばれていく。ああ、石畳を走っているようだとか、土のでこぼこ道を走っているなとか感じるが、外は見えないし分かるのは東に向かっていることだけ。

 食事時には手の拘束は解けるが一日寝て運ばれているので食欲もない。第一傭兵の手からのものは食べたくない。


「いらない」

「食べなきゃ君が大変だよ」


 無理にスープのようなものを飲まされる。きしみそうな体を動かして身奇麗にすると、また手足を縛られる。


「どこが大事に運ぶなの。荷物じゃないんだから」

「手も足も痕がつく縛り方じゃないよ。振動を和らげるために敷物もしているだろう?」


 傭兵基準ではこれでも大事に運んでいるのだと言う。御者の男と交代で馬車の中で眠りながら東を目指す。止まるのは食事と買い物の時だけだ。監視は厳しくて逃げ出すことも、声を上げることもできない。

 いつも傭兵は顔に笑みを貼り付けている。甲斐甲斐しく世話をやきながら、それでも娘を自由にはしない。

 それでも、人家がないと口の布ははずしてくれて会話ができた。


「東で持ち物を取り上げられるかもしれないけど、捨てられて困るものはあるかな?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「預かっておこうかと思ってさ。絶対に壊したりなくしたりしないよ」

「……あなたを信用しろって? 笑える」


 横になりすぎて痛む腰をかばいつつ体を起こそうとすれば、背中に何かを当てて荷馬車の壁にもたれることができるようにしてくれた。無駄な優しさだと娘は思う。

 傭兵は娘の前に座り込んで、目を覗き込む。緑と茶色の混じったような目が、ひどく真面目に見据えてくる。


「どうせ、君が眠っている間に持ち物は好き勝手にされる。失いたくない物や、反対に体からはずしたくない物を教えてくれないかい? あの食堂のご飯が美味しかったし、君も楽しかったからこれは下心なしの行為だ」

「何に誓う? 口だけでしょう?」


 また斜めに体がかしぎそうになるのを傭兵が支えた。

 困ったなあと頬をぽり、と掻くと妙に人間くさく見えた。それまではどこか決められた役割を演じているような気がする。何に誓えばか、と一人ごちた後で耳元で名前を呟いた。


「僕の本名。調べたら素性はすぐに知れる。人相書きと合わせたら簡単に僕を捕まえられる情報だ。これに誓う」


 娘は必死に考える。これも嘘な可能性は高い。

 そうやって自分から大事な物を奪うのではないか。この傭兵は信用できないが、仕事に対しては真面目なのはここ数日で嫌と言うほど知らされた。なおも頷こうとしない娘に、本当に強情だねえと苦笑する気配がした。


「こんな状態の君に手を出さないんだ。少しは信用してくれてもいいんだよ」

「……公爵からの依頼だから……でしょう?」


 でも目が覚めて一切が無くなっていたら。公爵の人となりを見極めてからでないと身につけている物、特に携帯はやっかいな代物になるかもしれない。神殿からもらった耳飾もだ。


「携帯と短刀は失いたくない。耳と首の飾りは肌身離さずにしておきたい」

「了解」


 じゃ、と傭兵は娘の拘束を解いた。意味が分からずにいた娘に時間をあげるから隠しておいでと提案してきた傭兵は、口笛を吹きながら馬車を出て行った。首だけをめぐらして娘に釘を刺すのは忘れない。


「あ、逃げようとするのは無駄だから、じゃ頑張って隠してね」


 一人荷馬車に取り残されて娘は呆然とした。預かろうとせずに隠せとは、一体何を考えているんだろう。でも、と思い直す。公爵の所に行けば短刀はまず間違いなく取り上げられるだろう。

 ポケットの中の物を握り締めて娘は荷馬車の外に出た。ここがどこかは分からない。目印になるものの近くに隠せばいいだろうか。

 迷いに迷って娘は品物を隠した。見計らったように傭兵が戻り、また手足を縛られた。

 

「もうすぐ公爵の屋敷というか城、そこに到着する。元気で」

「今更気遣われても」

「まあまあ、ここでお別れだからね」


 傭兵は最後までにっこりと笑ってまた娘の意識を奪った。


 次に意識が戻った時、手は縛られていたが足と口は自由になっていた。手の前で縛られているのは力を入れてもほどけない。

 窓から外を見て、ここがどこか、逃げられないか確かめないと。

 起き上がった時に娘は違和感に気付いた。さらりと顔の横をすべっていく髪の毛。


 その色が黒に戻っていた。





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