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33  二度目の逃亡

 王城の頃なら困ったような顔をするだけだと思っていたのに、娘は真正面から団長を見つめきっぱりと言い切った。


「嫌です」


 思わずまじまじと見つめると、にっこりと笑われた。その笑顔が市場で見た時のような屈託のないもので、それだけで団長の心拍が上がる。


「は? え、と」

「だから、いやです。戻って私になにかいいことがありますか?」


 盆に空いた皿を重ねながら、ふふっと笑われてどう話を続けてよいものか迷ってしまう。ここは泣かれるのを引っつかんでも連れて行くような心境だったはずなのだが。傍目からは団長が毒気を抜かれてしまったように見えた。


「いや、あの」

「まさか結婚がいいことなんておっしゃいませんよね? 私、そこから逃げたんですよ」

「今は、お変わりになられて……」


 つい、と娘が立ち上がり、手をテーブルに置いて上体を団長の方に寄せた。それだけで、騎士団の団長――泣く子も黙るおそらく国内最強のはずの大男が、反射的に上体を後ろにずらした。なおも微笑みながら団長の方に顔を寄せる娘は楽しげだ。


「さっき、『あなた以外は召すつもりがない』って春の召喚をしなかったとおっしゃいましたよね? それって私を帰さないってことでしょう?」

「あ」


 失言に顔をこわばらせた団長に比べ、娘は笑顔を崩さない。それがいくぶんか皮肉げになり、目が笑っていないように見えた。


「戻ったら、結婚一直線? まさかあなたがその片棒を担ぐとは思いませんでした。私、本気で考えての結果ここにいるんですよ」

「外は危険で……」

「城の外で危ない目にはあっていないんです。私にとっては王城の方が危険なんです。色々と」


 娘はまた椅子に座り、酒をグラスに注いで団長に渡した。条件反射で受け取り、娘の言った意味を考える。娘はもう一つのグラスにも酒を注いで、扉の前に控える騎士にも渡した。固辞しようとするのを許さずにグラスを持たせる。

 色々と危険。それは単に襲撃者のことだけではないと匂わせている。戻れば、おそらく陛下は軟禁に近い状態に娘を置くだろう。結果として娘の未来は一つしかないことになる。

 それが娘の幸せか? 先ほどまでの狂気じみた執着が揺らぐのを感じた。

 王城に連れ戻せば間近にはいられる。ただ、もうここでのような笑顔は見られないだろう。

 考え込んでいた団長は、娘の雰囲気が変わったのに気付かなかった。


「だから、ね」


 そう言うと娘は息を吸い込み、大声を上げた。


「きゃあああ、お客さんにさらわれるううっ」

「なっ」


 慌てて立ち上がろうとするが、娘はすばやく扉の前まで行っている。そこで騎士が娘を押さえにかかった。

 下から慌しい足音が二人分聞こえてくる。どんどんと扉が叩かれた。


「大丈夫かい? ここを開けな」


 かんぬきをかけていなかった部屋の扉はやすやすと開けられた。なだれ込んだ主人夫婦が見たのは、娘を羽交い絞めにしている男と、椅子から腰を浮かしかけた大男の図だった。亭主の目が剣呑になり、護身用なのだろう太い棍棒を手に部屋に入り込む。


「伯母さん、追っ手」


 娘の一言で理解したのだろう、女将はぎりっと宿泊客で今はただの暴漢と認識した団長達をにらみつけた。


「あんた達がそうかい、変態の所には連れ戻させやしないよ。あんた、やっちまいな」


 のっそりとした体格とは裏腹の俊敏性で亭主が棍棒を振り上げ、娘を拘束している騎士に殴りかかった。そのままでは娘に当たってしまうと騎士はとっさに娘を放した。ぶんぶんと棍棒を振り回すので扉に団長達が近づけない。その下をかいくぐり娘が扉に到達する。


「伯母さん」

「あとはあたしらがやるから、あんたは手はずどおりに逃げな。元気でね」

「伯母さん、伯父さん、ごめんなさい、ありがとう」


 娘をかばって扉前に陣取った女将が一瞬くしゃりと顔をゆがめたが、すぐに元に戻して団長達をねめつける。その手にも勇ましく棒が握られている。

 団長はぱたぱたと階下を走り下りていく足音を聞いた。

 とっさに首をめぐらせて窓に飛びつくも、先ほど外を眺めた時に気付いてはいたが、格子がはめられてそこから抜け出すことができない。


「宿代を踏み倒す奴対応さ。さあて、あんないい娘を追い回すなんざ、ろくなもんじゃないね」


 団長も騎士も共に剣を身につけてはおらず、しかも民相手では手も出せない。防戦一方になっていた。亭主が扉に近づけさせないように棍棒を振るいながら、女将に叫ぶ。


「ここは俺がやるからお前は騎士様か巡回の兵士を呼んで来い」

「待て、その必要はない」


 どうにか隙を見つけ、団長が大声で呼びかける。懐を探って、騎士団の紋章を興奮している主人夫婦に見せる。


「我々は騎士団員だ」

「へ? 騙そうって言うのかい、そんな話誰が信じるって言うんだ」

「私は王都から来たが、こいつはここの常駐だ、見覚えがあるだろう」


 亭主が騎士の顔を見て棍棒を振り回すのを止めた。女将はなおも信じようとしなかったが、亭主が動きを止めたのを見て取ってしぶしぶ棒を引っ込めた。団長から騎士団の紋章を奪い取ってしげしげと眺める。


「こいつは本物かい? 本物の騎士様なのかい?」

「ああ、そしてあの方、あの人を王都に連れ戻す任務を担っている」


 娘は近所の腕利きの漁師の家に逃げ込ませて、小船で近くの入江か海上の船に連れて行く手はずだと聞き出せた。団長は地元の地理に詳しい騎士に、行方を追わせた。亭主は後片付けをして、女将は椅子に座ったまま団長と向かいあう。

 一度厨房に戻った亭主が冷たい飲み物を持ってきてくれた。それを団長は一息に飲み干す。


「あの人からどんな風に聞かされていたんだ? 教えてはくれないか」

「目の色が珍しいからって連れてこられた、身の危険を感じたからそこから逃げ出したって言ってた。もし誰かが追ってくるなら腕の立つ人間だろうともね。それは本当の話かい?」

「……大筋ではあっている」


 嘘は言っていない。ただ随分と大雑把な説明なだけだ。この様子では娘の素性も、連れて行かれた場所についても聞かされていないようだ。

 さっきの娘のさらわれる、追っ手だという台詞も嘘は言っていない。

 絶妙な誘導に団長は力が抜けるような感覚におそわれながら、秋の脱走劇を思い出した。その知略に、勇気に心中かなわないと思ってしまいそうになる。


 主人夫婦の様子からは、娘は追っ手がやってくるかもしれないと打ち明けていたようだ。それにこの夫婦が応えた。文字通り体を張って娘を逃がすために、立ちふさがったのだ。

 腕の立つ人間が追っ手になると分かっていても、立ち向ってきた。剣で切り捨てられるかもしれないのにだ。赤の他人だろうに、何故ここまでするのだろう。その疑問を女将はあっさり解消した。


「亭主は天涯孤独、あたしにしたってたった一人の妹は行方不明、子供もいなかった。あの娘が来てくれてから一緒に店をやって、……まるで娘ができたみたいだったんだ。明るくてよく働いてくれたし、だから追われているならなんとかしてやりたかったのさ。あの娘は危ないと反対したんだが、あたしらがこうやって時間をかせぐって決めたんだ」

「あの人はここで楽しかったのだな」

「そう思うよ、本当にくるくるとよく働いてくれたんだ。ああ、でも雷雨の時は別だったけどね」


 雷雨。女将の言葉に顔を上げれば、懐かしむような顔に笑いが浮かんでいる。

 視線に気付いて、笑いながら頷いた。


「苦手だって話は聞いてたが、本当に駄目なんだねえ。窓のない地下か寝台の中に引きこもって、耳を塞いでやり過ごしていたよ」

「お一人でか」


 再度頷いた女将は、そう言えばと記憶を探る。

 

「前に抱きしめてなだめてくれた人がいたって言ってた。すごく安心できたって」

「そうか。そんな風におっしゃっていたのか」


 あの日のことだろう。もう随分前の、ただ一度だけのことだ。

 邪まな感情を自覚した日でもある。あれから王都で、視察先で雷雨の際にはどうしているだろうかといつも以上に心配だった。

 安心――自分はその寄せられた安心を不安に変えてしまった。守りたいと思いながら、不本意な状況を強いている。

 帰城を嫌ですと言い切った娘の眼差しが、職務に忠実たれという根幹を揺さぶっていた。


「どうしてもあの娘を連れ戻すのかい? 変態貴族なんだろう?」

「主は変態では……。ただ王都にというのは命令だ」

「それであの娘は幸せになるのかい?」


 心底娘を心配する口調で女将が尋ねる。その声音は期間は短いながらも、一緒に過ごした娘への思いやりに満ちていた。

 団長は口をつぐんでしばらく考える。

 王城に戻れば物質的には何不自由はない。陛下と婚儀を挙げれば身分すらこの上ないものになる。そして生きた伝説として、大事にされて過ごすことになる。

 これらは全て表面的なものだ。実際には陛下の言動に傷つき、元の所に帰還する望みも一度は断たれ、逃亡生活を選んでいる。


「正直、俺には分からなくなった。主はあの人を想っているが、それがあの人には幸せかは」

「あんた、あの娘に惚れているのかい?」


 つい俺と言い、陛下への不敬とも取られかねない心情を吐露した団長は、続いた女将の言葉に動揺した。狼狽し、みるみるうちに赤くなる団長に女将はやれやれという思いをもった。

 大の男があんな若い娘に振り回されているのかい。しかもこの男は、自分も好きなくせに主とやらの命令でつかまえにくるなんざ、その性根がいけない。まあ騎士なんて剣を振り回してなんぼだから、人の気持ちなんて難しいのかね?


「なんで惚れた相手を別人に引き渡す真似をするんだ、あたしにはわかんないね」

「俺は……」


 その時、行方を捜させた騎士が戻ってきた。近所を聞き込んだところ、漁師が床に縛られ転がされていたとのことだった。漁師曰く扉を叩かれ開けた途端に襲われたので、相手が誰かは分からないということだ。

 その漁師の名前を聞いて女将が青ざめた。それが、娘を逃がす役割を頼んでいた人物だったからだ。


 小船は一艘なくなっていた。娘は海の上に違いない。一人か。もしくは誰かが一緒か。その誰かが漁師を縛り上げたのなら、ろくな奴ではない。

 至急、船を出してもらうように女将に頼み、荷物と剣を持ち宿屋を後にする。固辞する女将に宿代と、金貨の袋を押し付ける。娘が世話になった謝礼の意味合いだと告げると、しぶしぶ受け取った。

 出て行こうとする際、団長は振り返った。


「他言無用に願う。あの人の――あの方の髪の毛は黒髪だ」


 目を丸くした女将に一礼して、夜の港町に出て行った団長は、暗い海を眺める。

 程なく乗せてもらえた船でまずは女将の言っていた入江に向かうが、そこには船も人もいなかった。

 海上には船の明かりをうかがわせるものはない。夜が明けての本格的な捜索でも、娘を海上で乗せたという船は見つけられなかった。

 


 港町の宿屋兼食堂では、女将が腰を抜かしてその後数日寝込んだとの噂がたった。

 数日して再開した食堂に看板娘の姿はなく、残念がる常連に女将も亭主も急に迎えがきて大陸に戻ったと言葉少なに説明した。




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