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29  検証と感傷と

 娘の逃亡は各方面に騒ぎを起こした。

 警備に当たっていた者は勿論、門の衛士もみすみす逃したことで秘密裏に注意を受けた。

 団長は副団長と娘の行動を検証して、呻き声を挙げる羽目になった。


「いつから計画して準備していたんだ」


 騎士団で働いたことも、城下に外出したことも全て計画の一環だったように思える。

 王城を歩いて構造や外への門を確かめる。どうすれば門を通れるのか、門の外の城下への道や大まかな地理、王都から他の都市への移動の仕方など、数えればきりがない。

 副団長も苦笑する。


「乗馬も護身術も逃亡生活には助けになるだろうな。それに下働きをしたことで、こちらでも暮らしていけるだろう」

「ああ、さすがに貴族の屋敷は無理だろうが、商家なら充分だろう」


 身元の確かな者しか雇い入れない貴族達はともかく、人手が足りずにいる商家は多い。住み込みの仕事も事欠かないだろう。

 自分のやったあれもこれも逃亡の手助けかと思うと、団長は落ち込むのを抑えられなかった。何食わぬ顔をして、内心どう思いながら自分に笑いかけていたんだろうか。

 そんな卑屈な考えまで浮かんでしまう。


「あまり落ち込むな」


 副団長はそう言って慰めようとしてくれるのだが、近衛の立場からは護衛対象に逃げられたというのは、まぎれもない失態だ。その逃亡計画を検証して、もし同様のことが起きたなら再発を防ぐ必要がある。

 団長はざっと気付いた点を書き出していく。


 働くことで客室での籠の鳥になるのを防ぎ、こちらの生活習慣をお客様でなく知る。厨房で仕事をしたので料理や食事の作法なども見聞きすることができる。外出した城下では庶民の服装や、物の価格、店の様子などを目の当たりにしたのだろう。

 

「俺は星のことを聞かれて方角まで教えてしまった」

「……まあ、気に病むな」


 副団長の慰めに居たたまれなくなってしまい、早々に国王のもとに参上する。祭典は終わったが娘は発見されていない。国王は祭典の諸々の行事で後回しになった書類の山に向き合っていた。


「何か情報はあったか?」

「いいえ、申し訳ございません」


 顔を合わせるたびにこのやり取りがなされ、重い空気が垂れ込める。

 執務室の窓の向こう、秋の空を眺めて国王がため息をついた。


「結局、あれは余を厭うて逃げ出したのだな。再召喚の翌朝に逃げるとは、随分入念に計画もしていたようだな」

「は、祭典の混雑を狙ってのことでしょうし……」


 使用人棟に娘を送った時のやり取りがよみがえった。


『陛下は本気だ。あなたも陛下のことを本気で考えてほしい』

『あなたは臣下の鑑のような方ですね。でも』


 あれが娘の背中を押してしまったのではないだろうか。団長はその思いが拭えないが、これは陛下には言えないと口をつぐむ。本気で考えて逃げたのなら……。

 国王は団長の提出した、今回の顛末の書類を取り上げ目を走らせる。


「しかし、あれは元の世界では間諜ででもあったのか? 小憎らしいほど計画を練っていたようだな」


 間諜という割には護身術を知らなかったり、暴力を嫌っていたりしたようで否定的ではないかと思う。国王も本気で言った訳ではないようで、自嘲気味だ。

 ともかくここにいるのは、娘に逃げられた哀れな国王と間抜けな団長という図式か。

 どちらも面目は潰され、それ以上に自尊心が傷つけられている。


「襲撃者は以後どうだ」

「王城内では音沙汰がありません」

「城下で若い娘が襲われた話は?」

「生死に関わるような話は、捜索の騎士や兵士からは上がってはおりません」


 男性二人で食欲の湧かない夕食を取った後、団長は引きとめられて陰気な酒盛りに付きあわされていた。側で侍女がこれまた浮かない表情で酒や肴を手配している。



 国王は忸怩たる思いだった。再召喚で結局誰も来ず娘がやはり相手なのだと認識したのも束の間、怯えられそっとしておこうとしたら翌朝逃亡された。以前城下に外出した際に持たせた指輪と直筆の書き付けは、丁寧に包んで部屋に残してあったのも自分の物など見るのも嫌だったのかと思い知らされて懊悩を深めた。

 全ては自分の最初の対応のせいかと、後悔先にたたずを噛み締める。

 団長は団長で、どろどろした思いに蓋をするように酒を飲むが酔えない。

 その様子を眺めていた侍女がいきなり予備のグラスを手に取った。


「陛下、兄様、ご相伴に預かってもよろしいでしょうか?」


 兄妹とはいえ、今は国王の前。国王とは幼馴染とはいっても今は主従の関係。

 礼を失した発言だが、国王はそれをゆるし団長が酒を注いだ。侍女はそれを一息にあおる。


「おい、そんな飲みかたをして大丈夫か」

「大丈夫です。もう一杯お願いします」

 

 それも飲んで、侍女はグラスをテーブルに置いた。そして二人を見る。


「私は、自分が赦せません。無事に帰れることを祈ったのは本当です。でもこちらに残ったらと思ったのも本当です。それが分かっていたからここを出て行ったんだわ。

私は……圧力をかけて追い詰めたんです」


 その言葉に国王も団長も黙り込む。それは共通の思いでもあったからだ。

 再召喚はした。だがこちらに残ればいいと、帰還がかなわなければいいと思ったのも事実だ。


「今頃一人でいるかと思うと。たまらなくなります。でもお二方は何をなさっていらっしゃるんです。ここで顔を合わせて自棄酒ですか? お二人なら、お二人にしかできないことがあるのではないですか?」


 自分も自棄酒ではと思いつつ、言うことは尤もだ。ここで腐っていても状況は好転しない。逃亡された事実は事実として受け入れ、その上でやれることをこなさなければあの娘は見つけられない。


「あれの逃亡計画から、その後の動きを予想できるか? 裏をかこうと思っているならそれを暴け。その裏であればこちらもその水準で考える。そなたがあれならどうする、どう動く、どう逃げる?」


 団長は娘のこれまでの言動や興味を引いたものなどを思い浮かべる。

 自分が逃げるなら。


「余はできるだけ執務をこなして時間を作り、視察の形で国内を回る。そなたも各地の騎士団および街中の警備の兵士からどんな情報でもよい、集めるようにしてくれ。そのための情報網の構築をせよ。そなた達兄妹がおそらくあれの一番側にいて、あれの思考回路を知る立場にあった。その目線で考えて行動してくれ。頼む」


 国王は兄と妹に頭を下げた。

 酔いも醒めはて、おおまかに方針をつめて団長は妹と御前を辞した。

 廊下を歩きながら低い声で妹に問う。


「俺はあの方を追う。お前はどうする?」

「私は……身を隠すのが望みならそっとしておきます。残していかれた物の手入れはしますけど」

「そうか、分かった」


 角を曲がり、別れようとした時に兄様、と呼びかけられた。

 妹は真剣な顔をして、手を組み合わせている。


「追い詰めないようにしてあげて。無理にここに連れ戻すと……」


 それは陛下の命令に反する。なによりそうしないと危険だと分かっていながらも、妹はあえて口にしたのだろう。

 返事をせずに背を向ける。是とも否とも言えない。


 暗闇の中立ち止まって見上げた夜空には星が瞬いている。あの時とは星の位置はずれてはいるが、北には変わらず動かない星がある。

 夜の旅で方角を教えてくれる貴重な星だ。

 隣で見上げていた姿を思い出す。元の所とは星の配置も違うのだろう、ただ同じように北に指標の星があると懐かしそうに言っていた。


「どこにいる? 危険な目にあっていないか? どこかでこの星を見ているか?」


 残された荷物の中に、騎士団の紋章の装飾品は見当たらなかった。あれは今も一緒にあるに違いない。自身の制服の紋章をそっと撫でる。国と王城、王族を守るためにできた騎士団、その紋章。かなうなら、あの方も守ってほしい。

 北の星を見上げながららしくもなく願う。

 明日以降は国王の視察の計画に合わせて、警備体制を整えなければならない。忙しくなる。

 星から視線を落とし、団長は決然として騎士団本部へと戻っていった。




 数ヵ月後王都から南の港町に赤い髪、ここいらではお目にかかることのない黒い瞳の娘が宿屋と食堂を兼ねた建物の前の道路を掃いていた。

 赤い髪の毛はゆるく編んでたらし、異国風の布は生え際を覆うように結んで耳の横に結び目を持ってきている。耳には色とりどりの耳飾が揺らめいている。

 通りかかった常連が声をかけた。


「よお、今日の料理はなんだい?」

「こんにちは。魚を揚げたのと甘酢の野菜の付け合せたものと、鳥の岩塩焼き。あと手作りの果実酒が飲み頃で封を開けるわ」

「そりゃ美味そうだ。後で寄らしてもらうよ」

「はあい、開店時間はいつも通りだから」


 明るく答える娘に屈託はない。常連に手を振ってまた掃き掃除に戻った。

 しばらくして道具を片付けていると、食堂の中から呼ぶ声が聞こえた。


「掃除が終わったなら市場に買い物に行ってくれるかい? 岩塩がなくなりそうなんだ」

「はい。他にいる物があれば言って。一緒に買ってくるから」


 町娘の格好で箒の代わりに買い物籠を手に取って、娘が尋ねる。厨房からは明るい声が答えた。


「そうだねえ、じゃ、明日の朝のパンも頼もうか。気をつけて行くんだよ。最近港から東に向かう傭兵が増えて柄が悪いんだから」

「伯母さんは心配性ね、でも裏路地には入らないから安心して。行ってきます」


 籠に財布を入れて娘が食堂を出た。

 夏の日差しが眩しくて娘は目を細めた。通りでは蜃気楼のように空気が揺らめいている。逃げ水に目をやりながら歩く娘の周囲には喧騒がまといつく。

 顔なじみになった人と挨拶を交わしながら、娘は市場へと向かっていった。




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