03 牢から出て
ぼんやりと目をさますとそこには覚えのない光景があった。
高い天井を見上げて、横をみれば広い部屋の大きな寝台に寝かされている。
天国に来ちゃったかな。
そう思いながら、娘はふうっと大きな息を吐いた。
「お目覚めですか?」
柔らかな優しい女の人の声が聞こえて、その方向に頭をめぐらせる。
制服のような足首まで隠れる服と、まさしくエプロンとしか言えない上掛けを着た女の人が、微笑みながら立っていた。
「……ここは?」
「王城の客室です。陛下がお連れになったのですよ」
陛下? あの失礼な人か。牢にいたはずなのにどうして客室なんかに連れてくるんだろう。
女の人は背中を支えながら起こしてくれた。娘の背中に枕があてがわれる。
「お医者様のお話では、食事をしていないことでお倒れになったとのことでした。まずはお水をどうぞ」
「いりません」
「あら、困りましたわ。私が陛下から処分されてしまいます」
「まだ、そんなことを」
「ええ、困ったものですわ。ですから、私を助けると思ってこれをお飲みください」
にこりと笑いながらも杯に入れた液体を勧めてくるこの女の人は、やり方が上手いなと感心した。
こうやってもっていかれれば、抵抗しにくい。
こちらのものが体に合わないかもしれない、と思っていた。食べる気にもなれなかった。
牢の中では飲食を拒否してきたが、言い方は柔らかいが女の人には有無を言わさない雰囲気がある。
ためらいながらも杯に口をつける。久しぶりに口にものを入れた。
水にはほんのりと甘みをつけてある。ゆっくりゆっくりとそれを飲んでいった。
「胃は痛みませんか? ではこちらもどうぞ」
野菜を煮潰してしてときのばしていますと出された小ぶりの容器をながめ、しばらくしてから匙を口に運ぶ。
「しばらくは消化のよいものにしましょうね。起きられるようになりましたら、湯浴みをいたしましょう」
どんどん女の人に乗せられてしまう。
背中の枕もはずされて、また横になるように促された。
横になって今寝かされているのは広い部屋だ。客室って言われたっけ。
なぜ、消えうせろと言った自分を牢から出したんだろう。
召喚をやりなおすって言っていたのに。
久しぶりに胃になにか入れたせいか、そこからじんわりと温かくなってきた気がする。
そう言えば、両親が亡くなってからばたばたしていて、ろくに食べていなかった。夜だってよく眠れなかった。
ここに勝手に呼ばれてからも、とても眠る心境じゃなかった。
体が悲鳴を上げていたんだろう。
また眠気にさそわれて、娘はとりとめなく考えながらゆっくりと目を閉じた。
次に目覚めたのは夕方で、さっきの女の人が側についていてくれた。
「よくお休みでしたね。先程陛下も様子を見に来られたんですよ」
国王に寝顔を見られたかと思うと、腹立たしさが生じる。眉をひそめたのを女の人はあらあらと受け流す。にこりと笑って、手を出された。
「湯浴みの用意がしてあります。こちらにどうぞ」
起き上がってもふらつかないのを確かめてから、女の人は浴室に案内してくれた。
「今日は心配ですので、中までご一緒させていただきます」
有無を言わさずに服を脱がされ、子供のように体を、髪を洗われる。
「なんて見事な黒なんでしょう。濡れると一層綺麗ですね」
髪を拭いて梳かしながら女の人から感心したように言われるけれど、別に珍しいものではないと醒めた思いになる。
黒髪、黒い瞳。この条件なら誰でもよいはずなのに、何故かあの失礼な国王に無理やり呼ばれたんだ。
お金持ちそうだし、顔も悪くなさそうなのになぜあんなに失礼な言い方なんだろう。あれがなければ目が眩んで王妃におさまる女の人には事欠かない気がするのに。
考え事をしているうちに着せ替えも終わって、夕食らしい。
広い食卓には消化のよいものということで作られたらしい料理が並ぶ。
「どうぞ」
言われて少しずつ食べる。どれも味付けがやさしくて美味しく感じる。不意に母親の作ってくれた料理のことを思い出した。
両親と囲んだ食卓はにぎやかで、楽しくて。料理は美味しくて。
胸がいっぱいになって手が止まってしまったのを、女の人が気遣う。
「お口にあいませんでしたか?」
ふるふると首を横に振る。そしてどうにか食事を終えた。
食後のお茶をのんでゆっくりしていると、先触れの後で国王が入ってきた。あの時の神官も一緒だ。
神官も顔を見て驚いている。
女の人が隅に控えて、三人と宰相といわれる人の計四人で話し合いが始まった。
「この国は代々王妃を召喚している。国内外での王妃争いを避けるのが最初だったようだが、今では慣例になっている」
随分と、本当に随分と身勝手な国だ。それだけ代々の娘さんを泣かせてきたということか。
でも黒髪、黒い瞳の娘を召喚し続けたのなら、国王の髪や目の色はおかしい。
黒は強く次代に出てくる色だと思うのに、それが全く見受けられない。
それが顔に出たのか、神官が説明してくれる。
「なぜか、王妃様の色は子供には受け継がれないのです」
不思議な話だが、そもそも異世界とやらから人間を召喚するのだから、なんでもありなのかもしれない。
国王は不機嫌そうに見つめてくる。
そんなに嫌なら別の人を召喚すればいいのに。
「娘が嫌がって帰った例や、他の人を呼んだ例はないのですか?」
神官は分厚い本を持ってきていた。歴代の神官長の覚書だそうだ。
ちらりと国王を見やって穏やかな声で娘の問いに答える神官は、長髪や衣装といい浮世離れした雰囲気を持っている。
「そういったことは記録にありません。歴代の方はそのまま国王陛下と婚儀を挙げています。ですので再召喚が可能かどうかが不明です。……それに、あの後何度か召喚を行ったのですが、人間は召喚できませんでした」
「何度やっても召喚できなかったのだから仕方がない。お前も諦めろ」
「嫌です」
人をののしり、消えうせろとまで言い切った人と結婚なんて考えられるわけがない。
第一印象が最悪なのに加えて、ここまでに挽回できる要素がない。
国王だからかものすごく偉そうだし、言い方は高圧的だし、すぐに人を脅すし。
……すごい、どんどん印象が悪くなっていく。いっそどこまで突き抜けるか見てみたい衝動に駆られそうだ。
好悪で言えば迷うことなく悪、はっきり言って大嫌いだ。
「婚儀を挙げないとお前はただの異分子だ」
「だったら消せばいいでしょう。それで利害が一致するはずです」
そう言うと悔しげにか顔をゆがめた国王と、気遣わしげな神官は押し黙った。
しばらく考えた国王は、提案をしてきた。
「日をおいて再度召喚をする予定だ。それまで猶予をやろう。好きなことをして過ごせ。次の相手が召喚できればお前の希望を入れよう。その間に気が変わればよし、もし召喚できなければ諦めろ」
絶対に気は変わらないと思う。
もし再召喚が可能なら、次の召喚相手は気の毒だけど自分はこんな国王と結婚する気はないし、次の娘さんはすんなり結婚を承諾する人かもしれない。
なら再召喚を待ちながら、最悪の状況を考えて知識を蓄えるのがいいかもしれない。
とりあえず国王の顔は見ていたくないので、絶対に顔を合わせないところに行きたい。
「どこならあなたの顔を見なくてすみますか?」
国王に言うとこめかみに青筋が立った。握り締めた手が震えている。
冷静に考えたら世界をこえて拉致されたようなものだ。よく歴代の娘さんがすんなり結婚したものだと、そっちに驚く。
しかも初対面での暴言つきだ。これで結婚するならどうかしている。
「修道院……」
「絶対に駄目だ。城からは出さん」
「牢に……」
「そんなことをしたら、今度こそ牢番を処分する」
国王ってこんなに俺様なのか、と呆れてしまう。