幕間 副団長の好きなもの
副団長が手にした何かを見て、かすかに口元を綻ばせている。こいつがこんな顔をするのは十中八九、いや絶対にあれがらみだ。
付き合いも長く、それゆえに理解しがたいその性癖も熟知している自分は、それを横目で眺めながら決済の必要な書類に目を落とす。
一人でやると味気なくてすぐに飽きてしまうから、と団長室に机を持ち込んで一緒に執務をしているこいつも、書類にペンを走らせてはいるものの時折さっき見ていたものに視線を走らせてはふ、とゆるんだ空気をかもし出す。
「……俺に聞いて欲しいのか?」
「ん? ああ、いや、単に感慨にふけっているだけだから構わなくてもいいぞ」
「なら、そのにやけ面を止めろ。気色悪い」
自覚がなかったのか、己の頬をつるりと撫でる奴を見ながら内心ため息をつく。
随分長い付き合いだが貴公子然としたこいつの根幹は、変態だ。いや上品に言うなら馬への偏愛に満ち溢れている。
その外見や毛並みの良さ、馬術は勿論のこと剣の腕も良く、女性から絶大な人気がありながらその愛情に満ちた眼差しが注がれるのが馬。体調や機嫌を気にかけるのも馬。その一挙手一投足に心を配るのも馬。
不可解なのはそんなこいつの性癖を知ってなお、その一途さが素敵と一層女性が熱を上げることだろう。
妹に言わせれば『夢中なのが馬なら嫉妬のしようもないからでしょう』なのだが、女性の考えることは分からない。
ともかくそんな奴がうっとりとした視線を寄せているのだが、男の自分がそんな様子を見ても胸をときめかせることなどは決してなく、ああまたかと思うと同時にむしろ見てはならないものに遭遇してしまったかのような、そんな感覚を覚える。
「まあいい、お前には見せてやろう」
もったいぶった口調でこちらに寄越されたのは、何か記号のようなものが大きく書かれた厚い紙だった。
「これは?」
「栗毛の方に書いていただいた。あの方のところの『馬』という文字らしい」
栗毛の方。こいつがそう言い表す女性。その単語にどくんと胸がはねるが、こいつは気にする様子もない。
「そうか」
「なんでもたてがみをなびかせて疾走する馬の様子を表しているらしい。素晴らしい発想と思わないか。ここがたてがみで、ここが胴体で、この点のようなものが疾走している脚を表しているんだろう。これ一つであの美しい姿態を表現するとは」
ずっと続きそうな物言いに肩が落ちる。こうなると延々といかに馬が美しく、賢く、素晴らしいかの話に付き合わされる羽目になる。
「お前のこの情熱が何故女性に向かないのか不思議でならん」
「何故比べる? 馬に失礼だろう」
言い切られて魂が抜け出ていくような錯覚にとらわれる。頼むから女性の前でも、女性に恵まれない男性の前でもそのひどすぎる本音は晒さないでくれ。男性的で整っていて騎士団の連中がやっかむ前に人間のできが違うのだと諦めるような顔で、そう言うのだから破壊力は半端ではない。
こいつは自分が馬に生まれなかったことを悔いてやしないだろうかと、尋ねたい衝動に駆られることがあるのを知らないのだろうか。
「それに俺はきちんと女性と付き合いができるぞ」
「寄ってくるのから、得になりそうな女性を選んでの付き合いだろうが」
国内でも有数の馬場の持ち主の令嬢であるとか、評判の馬具職人の娘であるとか、とにかく馬関連の女性だ。
女性が途切れる様子がないのも、忌々しいというか苦々しい。
騎士団に入ったのも家の事情もあるのだが、王城に名馬が集められているからという理由を聞かされて、神聖な騎士団になんという罰当たりと憤慨したのも今となっては微笑ましすぎるような思い出だ。
あれからこいつはどんどんと変態の度合いを増し、それを隠そうともしない。
もうこいつはこういう奴と諦めてどれくらい経つだろうか。
「それにしても、お前はあの方が誰かも知らなかったのに馬に乗せたのだろう。珍しいな」
視察から戻って騎士団本部に顔を出す前に馬場に直行するのはいつものことだが、居合わせた従騎士からその話を聞かされて意外に思った。
大事そうに『馬』の紙を机の引き出しにおさめたこいつは思い出すようなそぶりをして、ああと頷いた。
「無心に馬を眺めていたのが印象的でな。見れば髪の色は栗毛で隠していた目は黒だろう。黒目がちでまさに栗毛の色調だった。受け答えは落ち着いていて理知的だしますます賢い馬そっくりだったからな。それで乗ってみるかと誘ったんだ」
どこまでも馬基準。聞いた自分が馬鹿だった。
「後でお前から正体を聞かされた時には興奮したね。髪の毛も目も黒なんて青毛じゃないか。うっかり惚れそうになった」
「なんだそのうっかりって台詞は」
「さすがに懸想する相手じゃないってことだ」
最後の台詞はやけに重い。何重にも意味を持たせていることくらいは長い付き合いだ、すぐに分かる。
しばらくこっちを見つめたかと思うと、仕方がないとでも言いたげに笑われる。
「ま、自制してできるものでもないからな」
自分で言って自分だけが納得しているようだ。馬以外では悟り澄ましたようなところも腹が立つ。机に肘をつき頬杖をついた姿も、こいつがやると様になるのがまた癪だ。
こいつには自分のことなどお見通しなのもだ。
執務もひと段落しているところに控えめに扉を叩く音が聞こえた。顔をのぞかせたのは噂の主だ。
最近では横乗りではない乗馬を教わっているらしく、乗馬服に着替えている。
「お早うございます。今日もよろしくお願いします」
「ああ、もうそんな時間でしたか。下らない話をしていて気付きませんでした。申し訳ありません」
「いいえ」
女性一般へのそつのない物言いで、こいつは立ち上がる。二人で馬場に向かうのか。手綱の一件があってから、一人で馬場にやるようなことはせずに付き添うようになったこいつは、馬至上主義の変態でもさすがに騎士団副団長だ。
出て行こうとする二人を見送りながら、ふといつもと違う髪型に目が止まる。
「面白い髪型だ」
呟いたつもりが声が大きかったのか、二人にも届いたようだ。
彼女は髪の毛に手をやる。頭の上の方で一つにまとめ、毛先は体の動きにあわせて軽やかに動いている。
「これですか? ポニーという小型の馬の尻尾に似ているから馬の尻尾の意味でポニーテールっていうんです。馬に乗るからやってみようかなって思って……変ですか?」
最後の台詞は扉を開けようとした姿勢のまま固まった奴に向けてだ。
奴の視線は頭のてっぺんから毛先へと上下している。そのうちにゆっくりと唇が笑みの形になる。
馬にしか見せない笑顔と蕩けるような口調を、馬以外に向けるのを目の当たりにしてしまった。
「いや、実によくお似合いだ。そうですか、ポニー……馬の尻尾ですか。……実に可愛らしい名前だ」
「はぁ……」
奴の笑みに何かを感じたのか、いささか歯切れの悪い返事になった彼女を先に通して、扉を閉めようとした奴は最後に視線をよこした。
「悪い、前言撤回するかもしれない」
ぱたん、と閉じた室内に取り残されて奴の発言の意味を考える。
何に対しての前言撤回だ?
さっきまでの会話を思い返す。
『懸想する相手じゃない』
まさかなと思いつつ、さっきの彼女の格好を思う。栗毛の色彩、乗馬服、そして馬の尻尾な髪型。
理想の牝馬が人間の姿をとったのならきっとあんな感じ、なのかもしれない。だが。
目を覚ませ。それは馬への偏愛が行き過ぎた幻想のはずだ。
どこの世界に馬に似ている君が好き、と言われて喜ぶ女性がいるというんだ。
それとも、それこそまさかと思うのだが。
――馬よりも君が好き、なのだろうか。
恐ろしくて確認したくないのに、問いたださずにはいられない。
「お前、考えすぎ」
呆れたように言われるまで生きた心地がしなかった。
ではさっきの思わせぶりな発言は何なのだ。
「うん? 栗毛の方が本来の髪色でポニーテールをしてくれるまでは、保留だろう?」
どこまでも馬なのか、お前という奴は。
感想欄から思いついた話です。
副団長=馬ラブ=一本筋の通ったヘンタイということで。
時期的には手綱が切れたあと、色んな襲撃の前といったところです。
そして漢字の馬は象形文字。
鬣をなびかせ疾走する様子をそのまま当てはめています。