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28  祭りのあと

「……あ」


 自分のものでないような掠れた声が口をつく。

 目を覆っていた腕を外し、視界が戻って見えたのは。あんなに帰りたいと願っていた自宅のリビングではなく。今は、床に書かれた単なる文様と遠巻きにそれを見つめる人達。

 そこから、のろのろと視線を横に向ける。

 召喚陣の中心に――人は誰もいなかった。


 光が消えた召喚の間で、召喚陣にはだれもおらず、帰還陣には凍りついたように立っている娘がいた。

 誰も何も言わず、身じろぎもしない。

 時間すら止まったように思える。

 それを破ったのは、さっきと同じ娘の呟きだった。


「どう、し、て」


 すうっと爪先が冷たくなっていく。奪われる熱を補うようにか足元から震えが生じる。それは全身を侵食していく。力が抜けた手から携帯が落ち、乾いた音を響かせた。

 その音に固まっていた人間が我に帰る。


「これは、どうしたことだ」


 案外としっかりとした口調で、国王が神官に問う。当の神官は汗も止まり、視線は召喚陣と帰還陣を交互にさまよっている。娘も国王の声が耳に入ったのだろう。ぴくり、と身じろいでやはり神官を見つめている。


「わ、かりません」

 

 神官は頭の中で恐ろしい勢いで先ほどの光景を分析していた。召喚の呪に間違いはなかった。あれは何度も唱えていて間違う余地はない。その呪を逆から唱えた帰還の呪も間違えた覚えはない。その証拠に召喚陣と同様に帰還陣からも光を生じ、確かに力が発動していた。

 にも関わらず結果は誰も召喚できず、娘は帰還しなかった。

 意味することは。


「帰還の呪も式も間違ってはいませんでした」

「では、何故誰も来ぬ? そして……」

「神の思し召しでしょう」


 国王の言葉は穏やかに低く深みを帯びた声にさえぎられた。

 声の主はその場で唯一動揺を見せていないようだ。神官長は、微笑をほんの少し深めた。娘に視線をあてて頷き、すっと手の平を上にむけて広げる。その先には神の像があった。


「伝説の娘としてここに召喚された方。神が国王陛下の伴侶と定めた方。その理が崩されてはいない、ゆえにこの結果なのではないでしょうか」

「つまり……」


 声が熱を帯びる。神官長の言葉が忍び入り、国王に不可思議な熱を生じさせる。

 引き寄せられるように見つめるのは、落とした物を拾うでもなくかすかに震えながら立っている娘。


「余の伴侶としては、そなたしかおらぬ、ということか」



 聞きたくなかった。娘は耳を覆いたかったのに手が動かない。

 見たくなかった。国王の目は熱に浮かされたようにきらめいている。狂おしいとはこんな感じなのだろうかと、ぼんやりと考える。

 確かにここから浮上した感覚があった。召喚された時に感じたのと同じようなものだった。それが途中で下降するものに取って代わられた。

 帰りたいと思う気持ちが、元の世界で自分を待ってくれているかも知れない人達の気持ちが、そのベクトルが負けた。何に負けた? 何がこちらに引きとめた?

 答えは国王の形を取っていた。ゆっくりと近づいてくる。

 来ないで。これが現実だと知らしめないで。そう思うのに、何も言えず震えて立っていることしかできなかった。


 国王は娘へと歩を進める。目の前にいる、渇望した存在は今は顔色をなくして小刻みに震えている。

 最初の召喚の時のようなふてぶてしいほどに落ち着いた雰囲気はない。怯えている。娘に触れようとしてびくりとすくまれ、手を止める。

 娘からよこされた『心得』では、召喚した者には優しくしなければならなかったか。

 身をかがめて足元に落ちた小さな四角い物を拾い上げる。見慣れないそれは、娘の世界の物だろう。神官が呪を唱えている間ぎゅっと握り締めていたことからも大事な物だろうと思われた。それをそっと娘の手を開かせて乗せると、のろのろと視線を落としゆっくりと包み込むように握った。


「余は」


 視線をそらしたままの娘を怯えさせないように、少し距離をとったままで国王が囁く。伏せた娘の睫毛がぴくりと揺れた。


「そなたがいなくなっても受け入れるつもりでいたが。この状況はそなたには不本意だろうが、再召喚を再び行うにしても次は半年後だ。

ここでゆっくり考えて欲しい」


 この場で娘が残ったのが嬉しいと口にするつもりはない。

 今は混乱しているだろう。ゆっくりさせてやりたい。

 国王は振り返って、控えている団長に命令する。


「とりあえず、控え室に。今にも倒れそうな顔色だ」


 本来なら自分が抱いて連れて行きたいくらいだが、怯えているのに触れるのも気の毒だ。

 それに過度に接触するのは娘の機嫌を損ねるのも承知している。次回を考えるにしても半年とどめおくことができる。その間にと卑怯な計算が働いた。

 団長が娘に近寄り、手を差し出した。促されて娘が陣の中心から、外へ出て行く。爪先まで薄物に包まれた足が陣をまたいだ時に国王は安堵を感じた。

 ――これで、娘はここにいる。

 ――もう、どこにもやらない。

 黒い感情だが、偽らざる本音。半年で娘に振り向いてもらえるようにする。新たな目標を得た国王は、神官と神官長とともに今回の件についての議論を始めた。

 


 王族の控え室に戻って、娘は糸の切れた人形のように長椅子に座り込んだ。

 団長は痛ましい思いで見つめるが、反面ここに娘が残ったことに喜びも感じていた。同時に苦い現実も。娘が帰還できず新たな伝説の娘が召喚できなかったことは、娘と陛下が定められた伴侶であることの証明に他ならない。


 陛下のためには喜ばしい。この娘が側にいれば陛下は立派な国王になるだろう。何より陛下が娘を想っているのは事情を知る者の目からは明らかだ。陛下を嫌がった娘だが、この現実とこれからの対応次第では王妃になるより他はないとの結論に至るだろう。

 妹はいなかった。おそらく、召喚されるはずの伝説の娘のための部屋を整え、そこで迎えるために待機しているのだろう。

 座り込んだまま、一点を見つめて動かない娘に声をかける。


「なにか飲まれますか?」


 ふる、と首は横に振られた。ひどい顔色だ。


「侍医を呼びましょうか。倒れてしまいそうな顔色です」

「だいじょうぶ、です。少し、休めば」


 平坦に娘が答えるとそれ以上は声もかけられずに、立って見守る。

 娘は何かを握り締めたままじっとしていた。顔色は相変わらず悪い。ふと思い立って団長は部屋の隅に用意してあった、茶器にお茶を淹れる。そして娘の鼻先に突き出した。視界に入ったそれを眺め、娘が見上げた。


「飲んでください。何かいれると落ち着きますから」


 城下でお茶を飲んだ経験から娘は砂糖を入れないのは知っていたが、今回はあえて入れたものを出した。カップを手に取り、娘はゆっくりと持ち上げて口をつけた。


「甘い。……渋い」

「それは、申し訳ありません。どうも私はお茶を淹れるのが下手で」


 副団長に散々に文句を言われているので、重々自覚している。娘がそれを聞いてうっすらと笑った。再召喚の後で初めて表情らしきものを浮かべたことに、内心安堵する。


「でも、ありがとうございます。体があたたまります」


 精神的なものからきていただろう震えも少しおさまったようだ。カップを取り落とすこともなく、娘は甘くて渋いお茶を飲み干した。


「妹を呼んできましょうか」

「いいえ、着替えて部屋に戻ります」


 ゆっくりと立ち上がってそう言われると、部屋を出て行かなければならない。ただし倒れそうな顔色なのは変わらないので、部屋の外でほんの少し扉を開けて待機する。もし倒れたりすれば物音がするだろうから注意して耳を澄ます。

 幸い娘は机の角に頭をぶつけることもなく、見慣れた下働きの衣装に着替えていた。部屋の外に立つ部下に、使用人棟に戻る旨を陛下に伝えさせて護衛をかねて後に控える。


 少し頼りなげだが倒れることもなく、歩き出した娘の後ろ姿を追いつつ団長はこれからのことに思いを馳せた。今日は使用人棟でいいとしても、近いうちに本宮へと部屋を移す必要があるだろう。騎士団の食堂での勤務は今後は難しい。

 第一陛下の様子ではもう働かせたりはしないように思われる。

 そうして側によせてゆっくりと気持ちをほぐしていけば、いずれは本宮の客室から後宮の主たる王妃の部屋に居を移すことになるだろう。

 下働きの服を着ることもなく、大勢からかしずかれて暮らすことになる。

 使用人棟への長い道のりで、団長はそう結論付けた。


「本当に妹をよこさなくて大丈夫か?」


 部屋の前で小声で尋ねる。今は上司と部下の立場から敬語はなしだ。


「はい。落ち着いたら友人の部屋にでもいきます。さすがに食欲とかはないので、明日は顔をだすまでそっとしておいてください」

「承知した。何かあれば警護の者に声をかけて」


 頷いた娘が扉を閉じようとしたのを、とっさに足を入れて妨げる。見上げた娘に、自分にも言い聞かせるように告げる。


「陛下は本気だ。あなたも陛下のことを本気で考えてほしい」

「……それは臣下としての意見ですか?」

「そうだ、臣下としてあの方の側近くにいる者として、恐れ多いが友人の一人としての意見だ」


 娘の目に不思議な色が混じった気がした。元が黒なのだから他に色が混じろうが変わるはずもないのに。じっと、いやに長く見つめられいい加減居たたまれなくなった時に、娘は口の端をほんの少しゆがめた。同時に手のひらが左胸の上に置かれる。


「あ、の」

「あなたは臣下の鑑のような方ですね。でも」


 続きがありそうな言い方だったのに、すっと手は引かれお休みなさいとの言葉で扉が閉められた。何が言いたかったのだろうか。いつまでも部屋の前に立っているわけにもいかずに、きびすをかえして階段を下りる。

 神殿へと戻りながら、あの目の中に生じたのは何かを考え続けた。



 娘は寝台に腰掛けてしばらく呆けた。ぎゅっと手にもったままだった服を握り締める。

 帰還に失敗した。誰も召喚されなかった。

 想定した中で最悪のシナリオだ。半年ここに足止めされる。


「罰があたったのかな」


 次の人を犠牲にして帰ろうとしたから。自分だけ逃げようとしたから。

 国王を思い浮かべて娘は思わず、腕をかき抱いた。あの目に宿っていたのは告白をしてきた時にみせたものだ。ずっと前、国王とは絶対にその気にはならないので、何度でも召喚してくれと頼んだことがあった。国王もそれを了承して、今回再召喚を行ってくれた。


「でも結果がこれで、陛下があれなら次はないかもしれない」


 加えて団長の言葉に胸がえぐられた。あれが臣下の本音なら、包囲網が縮まる。国王に絡め取られてしまう。召喚の覚書のように、諦めてほだされて国王と結婚する羽目になるかもしれない。


「でも、どうしてあんなことを言うの。なら何故あの時」


 とうとう涙がこぼれた。


「嘘吐き」



 しばらく涙を流れるに任せて、それから娘は顔を上げた。

 まとめた荷物に目をやり、小さな声で呟く。


「行かなくちゃ」



 護衛の騎士は娘が手に服をかけて部屋を出たのを確認した。同じ階のやはり下働きをしている娘の部屋の扉をたたいて、中に入っていく。それは見慣れた光景でもあった。食堂に行かなくなってから部屋で裁縫をして、あんな風に他の部屋を訪れている。

 娘の部屋に招き入れるのは警備の都合上避けていたので、必然的に娘が部屋を訪問する形になる。


 今日もそんな風に友人の部屋に消えた娘がしばらくして戻ってきた。服をかかえて、うつむきぎみに部屋へと戻る。中から鍵をかけたのまで確認して通常警備の体制に戻った。

 祭典の最中でも仕事はなくならない。洗濯室の下働きをしている娘が敷布を抱えて部屋を出て階段を下りていった。その後姿を日常の光景として流し、警備は続いた。



 団長とのやりとりで、今朝は朝食の差し入れは行っていない。

 そうして時間は過ぎてそろそろ昼食という頃になった。朝食は不要だったが昼食に関しての指示はない。さすがに二食を抜けば空腹だろうと昼食を盆に載せたものを手に騎士が扉を叩いたが、反応はなかった。

 寝ているとしても時間が時間だ。それにいつもなら、扉を叩けば中から確認をした後に比較的速やかに顔を覗かせるはずの娘が無反応とは。不審に思いなおも強く扉を叩くと、中から鍵を開ける音がした。


 おかしい。誰何の声がしなかった。


 頭の中に警報が聞こえた気がした騎士が見たのは、緊張した面持ちの髪の色こそ娘と同じだが顔は似ても似つかぬ、洗濯室の下働き。

 娘が昨夜訪れた部屋の主だ。


「どういうことだ。何故お前がここにいる」


 きつい口調で問いただされ、下働きの娘は顔色をなくす。


「わ、わたしはあの娘に借りがあって、昨日部屋にきたあの娘から明日の昼までこの部屋で過ごしたら銀貨と服をくれるって言われたんです。

今日は休みだし、午後から城下で人と待ち合わせることになっていたから彼女の言うとおりにしたんです。

あと、騎士様がきたらこれを渡してくれって」


 そう言って差し出した紙をひったくるように受け取り、急いで開いて目を通す。低く呻いた騎士に下働きが怯えるのなど眼中になく、背後と隣の部屋に待機している警護の者に伝達する。


「この場は撤収。速やかに団長、副団長に報告。あの方がここを出て行ったと。急げ」


 自らも騎士団本部に急ぎながら絶望的な心持ちになる。洗濯室の下働き、と思った娘が出て行ったのが明け方ちかく。今までの時間を考えれば、門さえ通過できれば城下からどこへなりと姿をくらませることが可能だ。充分すぎるほどの猶予を与えてしまったのだ。おそらくこの一連の流れは周到に計画され、実行されたものに違いない。


「大変です」

 

 息を切らして扉を叩くのも忘れて、団長室へと飛び込んだ。

 頼みの綱だった門はあっさりと娘の通過を許していた。なんでも焦った風で門に顔をだし、食堂への出入りの業者の馬車がもう帰ってしまったのかと尋ねたそうだ。少し前に通過したと返事をすると、小さな皮袋を取り出した。


「財布を落とされたみたいなの。祭典は今日までなのにお金がないと大変でしょう?」


 その言葉に同意して、衛士は門を通らせた。何か持っていなかったかとの問いには布製の鞄を持っていたと。


「やられた」


 一言だけで団長は立ち上がり、大股に部屋を出ようとする。顔色をなくした副団長は、陛下への報告と悟る。団長は厳しい顔つきで指示をする。


「祭典の混乱に乗じて身を隠すつもりだろう。なんとしても探し出せ。茶色の髪、王城の下働きの服装の娘だ。急げ」


 ただ、捜索は難しいだろうことは容易に予想された。祭典にあわせ大量の人が流れ込んでいる。各地への乗合馬車もこの期間は臨時に便をだして活発に人を運ぶ。服だとていつまでもそのままとは思わない。

 報告を受けた国王も表情は団長と大差ない。


「失態だな。あれの手紙にはなんと書かれていたのだ」


 団長が差し出した紙は誰かが握り締めたのか皺がよっている。内容は、下働きの娘は何も知らないこと、自分一人の計画なこと、誰も罰してくれるなと書かれていた。


「草の根を分けても、騎士団の威信にかけても探し出して連れて来い。失敗は許さぬ」

「御意」


 世間知らずの娘が、命を狙われていた娘が、一人で王城を出て国王や騎士達の庇護下から抜け出た。

 それがどんなに危険か。その身の重要性がどれほどなのか。


「必ず、無事に連れ戻せ」


 だが、娘の行方は杳としてしれなかった。




 

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