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27  ここから

 いつもよりずっと早く目覚めて娘は窓から外を見る。

 祭典の中日、いよいよ儀式の日だ。秋の澄んだ空とひんやりした空気はいつもと違って感じられる。眼下の城下も昨夜遅くまでの喧騒から、街全体もつかれて眠っているように見える。


 娘は一つ、深呼吸をした。

 儀式は夜に近い時間帯に行う。それまでの時間をどう過ごそうか。何をしても手につかないし、異常に動悸もしている。緊張からかいつもより喉が渇く。まるで試験の朝のよう、そんな自分に苦笑してしまう。潔斎食とでもいうのだろうか、動物をつかっていない食事が差し入れられてそれを食べる。

 結局落ち着かないままに時間が過ぎて、午後の遅い時間に侍女が呼びにきた。


「神殿に移っていただきます。そこで湯浴みと夕食をとっていただきます」


 荷物を持って部屋を出る。その瞬間首を巡らして部屋を見回す。

 

「まあ、兄上」


 侍女の言葉にはっと前を見ると、騎士団団長の正装をした団長が立っていた。


「神殿までの護衛をおおせつかった」


 短く言うと周囲に視線を走らせて、侍女と娘を促した。

 本宮から神殿への長い道のりを、言葉を交わすこともなく歩いて三人は神殿に到着した。王族の儀式用の控室だという部屋に案内されると、侍女は湯殿の様子を見に出て行く。

 部屋に沈黙が落ちた。


「あの」

 

 小さい声が沈黙を破った。扉の横に立っていた団長は、それまで逸らしていた視線を娘に向けた。


「これ、ありがとうございました。受け取りました」


 そう言って服の下から引っ張り出したのは、鎖を通したあの品。武器屋で発注し、団長が取りにいった武器兼装飾品だ。武器屋で団長も現物を確認していた。騎士団の紋章に黒い石をはめ込んだものは精巧で、店主が自慢げだったのを思い出す。

 それを服の下から引っ張り出したのにどぎまぎするが、動揺は顔に出さず小さく頷くにとどめた。


「向こうに、持って帰ろうと思います」

「そうか」


 そして沈黙がまた落ちる。別れの言葉をと思う団長の出鼻をくじくように、侍女が浴室の用意ができたことを知らせに来た。娘は侍女に連れられて浴室に消える。団長はため息をついて、無人の部屋の警護にあたった。

 入念に体を洗われ、湯から上がって髪の毛を乾かして服を着替える。元の世界の喪服や黒のストッキングは、ここで着ると随分奇妙ないでたちに思える。髪の毛は茶色のままだが、それ以外はこちらの名残はどこにも見当たらない。

 着替えてからさっきまでの部屋に案内される。そこには食事の用意がしてあった。野菜だけのそれを少しだけ食べて、その時を待つ。震えそうになる指先を、ぎゅっと手を握ることで押しとどめる。

 部屋の中は娘の緊張が充満して、今にも爆発しそうになっていた。


「お時間です」


 神官らしい男性が呼びにきた。ことさらゆっくりと立ち上がる娘の手を侍女がそっと取った。


「私はここまでです。儀式の間には入れませんの。どうぞお元気で」

「色々ありがとうございました」


 侍女は少し涙ぐみ、娘は深く礼をした。そして促されるままに部屋を後にした。

 儀式の間まで、少し前方を歩く神官の後をついていく。さすがにストッキング姿でというわけにもいかず、移動の間は靴を履いている。

 ひときわ重厚な扉の前まで来ると、神官が振り返って頭を垂れた。どうやらこの神官は扉の前までの案内係のようだ。

 団長が扉を開けてくれて、娘を中へと促した。

 通り抜けようとした娘が少しの間立ち止まった。前髪をかきあげて黒い瞳をまっすぐに向ける。


「色々お世話になりました。本部の方々にもお礼を伝えていただけますか?」

「承知した。……元気で」

「はい、ありがとうございます」


 娘は前を向いて儀式の間の中央に向かう。扉近くの壁の前に立って、団長はその後姿を見つめた。

 見慣れない服。緊張した表情。

 目に焼き付けておこうと眺める視線の先には、同じように娘を見つめる国王の姿があった。

 娘の視線は神官と神官長に向いている。前日、品物で試した結果の説明を受けているようだ。黒い塊のようなものを手に取り、そこから飛び出している白い切れ端のような物を穴が空くほど見つめている。塊から挙げた顔には希望が見えた。

 実験は成功したのだ。そしていよいよ本番に臨むことになる。



「今回は立ち会うことができました。国内を東に西に、と動き回る日々でしてね」


 神官長は穏やかに微笑んで立っている。その横で神官から差し出されたのは黒いぬいぐるみ。タグには子供の手書きで名前が書き加えられている。


「帰還陣に置いた、これと同じでもっと古かった物にも同じ文字が書かれていました」

「では、元の持ち主の所からこれがやってきたということですね」

「はい。あなた様の場合は同じ場所からではなく、あくまで陛下と相性の良い方がいらっしゃると思います」


 神官に頷いて、国王に視線を移す。国王がゆっくりと近づくのを娘はその場で迎えた。

 儀式用の礼装だろうか、いつもよりも重厚な衣装をまとっている。端整な容姿とよく似合っていて気品すら感じる。黙っていれば完璧に王様だ。


「陛下」

「そなたには、すまないことをした。赦してほしい」


 そう言ってあろうことか国王が深々と頭を下げた。『国王の謝罪』に、娘のみならずその場にいた者が凍りつく。即位前ならともかく、即位してから国王が謝罪したことなどほとんど無い。こんな風に全面的に非を認める振る舞いはおそらく初めてだ。

 娘は混乱した。人前で頭を下げられた経験は少ない。真摯な謝罪ならなおさらだ。

 いや違う、一人だけ、いた。事故の相手だ。

 本人は警察にいて顔を会わせていないが、身内と名乗る女性が葬儀の席で土下座せんばかりに頭を下げて謝罪したのを思い出した。

『赦してください』その言葉が、姿が国王と重なる。


「頭を上げてください。国王の謝罪は国家の威信に関わるのではなかったのですか?」

「本心から悪かったと思ったから、それを表すのがこれだった。国家の威信より、傷つけ振り回した侘びがしたい」

「お気持ちは分かりましたから、もうよしてください」


 娘は『赦す』とは言わない。簡単に赦せるものでもないと思っている。国王も赦されるとは思っていない。それだけのことをしてしまった自覚がある。ただけじめをつけたい、きちんと形で表したい。その思いだった。


「あと、時期を省みない告白をしたのも」


 それに娘が落ち着きをなくした。つとめて忘れようとした告白を蒸し返されて、この期に及んでまで振り回すのかと恨めしい。文句を言おうとして国王の表情が妙に明るいのに、どう反応しようかと戸惑う。


「そなたが気に病む必要はない。余の自己満足にすぎない。帰ったら両親と向き合うのだろう? 余もここで民に向き合うつもりだ。その大事さを気付かせてくれたことに感謝する。ありがとう。達者でな」

「……陛下もご自愛ください。ここで保護してくださったのには感謝します。ありがとうございました」


 国王が神官に目配せをして、後ろに下がった。入れ替わるように神官が踏み出す。


「帰還陣の中心に立ってください。召喚の呪を唱えますので、同時に帰還陣も発動するはずです」

「分かりました。ここでいいですか?」


 床には召喚陣に接して、同じ大きさの円陣が描かれている。その文様は異なっていた。

 中心に娘が立つと神官は距離をとって、自身と娘と召喚陣の中心を結んだ線が正三角形になる位置に佇んだ。

 目を閉じて幾度か大きく呼吸をし、ゆるやかに目を開けて宣言する。


「始めます」




 娘は目を閉じ、両手で携帯を握った。この携帯が、元の世界の思い出を詰め込んだこの小さな物が、命綱のように感じられる。元の世界への執着の象徴。帰りたいとの願い。それをぎゅっと手の中におさめて、神官の唱える不思議な抑揚の呪を聞いた。


 それは召喚の呪を唱えた後に、逆から詠唱していく召喚とは背中合わせの呪だった。

 集中している神官の額からは汗がふき出て、顎を伝っている。呪が進むにつれて、召喚と帰還の陣が淡く光り始めた。閉じた目蓋の向こうが明るくなり、娘は目を開ける。陣の文様を下から照らすように光が湧き上がっている。

 見る間に光は強さを増し、昼間のような明るさになった。中心にいる娘は目を開けていられず、腕でかばうようにして目を塞いだ。

 刹那、何かの圧力が体にまといついた気がした。それは周囲を渦巻くように包みそして足元がふいに不安定になる。浮き上がるような、落ちるような相反する感覚が足元から生じる。

 ――お父さん、お母さん。娘は心の中で両親に呼びかけていた。



 神官以外の人間も眩しさから目を守っていた。どうにか娘の姿を確認しようとするが、光の渦にさえぎられたように存在があいまいになっている。

 ――消えてしまう。いなくなってしまう。その瞬間に念じたのは果たして。



 光が満ち、それが消えた時に陣の中心には人が立っていた。見慣れぬ服装。

 眩しさにくらんだ目が段々と落ち着き、国王は、団長は、神官はその人物を見極めようとした。




 

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