23 嫌い
窓のない部屋でも、体内時計はおおよそ朝の時間を示すらしい。
目が覚めて、そろりと扉を開けると厚いカーテン越しにほのかな光が入ってきていた。
侍女が用意してくれていたのだろう服に着替え、身支度をしているとノックの後で本人が顔を出した。
「お早うございます。眠れました?」
「はい、すぐに眠ってしまいました」
「良かった。外はいい天気ですよ。――朝食を一緒にどうかと陛下がおっしゃっているんですが」
和やかに侍女を会話をしていたのに、『陛下』と聞いて戸惑うのを感じる。
どれくらい顔を合わせていないだろう。夕食を取った時以来か。
書類や書簡ではやりとりをして、多分団長から報告がいっているとは思う。
それでも直に会うことになると、緊張してしまう自分がいる。
でも、城下に外出した際に色々してくれたことや、昨夜もこの部屋を用意してくれたことにはお礼を言わなければ。
「分かりました。でも仕事に行かないといけないので、挨拶だけになると思います」
「それなら兄から、今日はお休みにしてゆっくりなさって下さいと伝言を預かっています」
「そう、ですか」
娘はぴんと背筋を伸ばし、侍女に案内を頼んだ。
私室へと連れて行かれて、久しぶりに国王と対面する。国王は難しい顔で書類を眺めながらお茶を飲んでいた。娘の入ってきた気配に、書類を机に置いて立ち上がる。
「大丈夫か。気分はどうだ」
国王からいたわられるとは思っていなかったので、少し驚く。
ヤマアラシのように針を尖らせて国王と顔を合わせたのに、拍子抜けしてしまった。
「お早うございます。大丈夫です」
「顔色も悪くないな。昨日は随分怖い思いをしたようだな」
団長か? 団長だろう。どこまで国王に話したのだろうと考える。国王の方は礼をして顔を上げた娘をじっと見ている。ややあって、椅子をすすめられて腰を下ろした。
「醜態をさらしました」
「余は見てみたかったぞ。怖いものなど何もなさそうなそなたが、声も出せずにいたと聞いた。――辛かったか?」
皮肉交じりなのに確かに気遣う気配を漂わせている国王は、夕食会の時とは別人のような気がする。
この短期間に、どうして変わったのだろうか。
ヤマアラシの棘を逆立てていたはずなのに、それがぺたりと撫で付けられてしまっているかのようだ。
「まだ日も浅いので。徐々に落ち着くとは思うんですが」
「どうやってやりすごしたのだ?」
「窓のない部屋に連れて行ってもらって、耳を塞ぎました」
付随したことは省いて事実だけを伝える。ふと目を上げると、じっと見つめる国王がにやりと笑った。
「次は兜をかぶるか? 結構音は遮断されるぞ。後は目を閉じておけばよかろう」
城に飾ってあるような鎧兜から、雷雨のたびに兜を奪って装着するのか? 随分と間抜けな格好だ。
「お断りします。音を遮断したら戦の時に大変じゃないですか。手で塞いでいるほうが簡単で効果的でしょう」
「もう立ち直っているのか。まあいい、食事にしよう」
次々に皿が運ばれてきた。国王はさすがに食事姿が優雅だ。
きっとどんな粗末な食事が出されても、上等な料理のように食べるのだろう。
「そう言えば、お礼を申し上げていませんでした。今回のこと、外出の時に融通してくださったこともありがとうございます」
「別に大したことではない。余もそなたから菓子をもらったからな。あれが城下で人気なのか?」
「そう聞きました。自分でも食べましたが美味しいと思います」
驚くほど穏やかに時間が過ぎた。国王に問われるままに、元の世界のことも話す。
さすがに為政者だけあって、政治の仕組みについては鋭い質問をされる。一つ答えるとまた更に深い内容を聞かれるといった具合だ。
福祉や教育については、まだ認識がなされていないようなところもある。孤児院のようなものはある。貴族や裕福な商人には個人的に教育が施されてはいる。ただそれを国家的にやる環境にはない。
だから子供が一定の年齢になると、学校に行き長い時間をかけて教育を受けることに驚かれた。
「聞けば聞くほど面白いな。そなた、余の妃になってここに残って知っていることを教える気はないか?」
皿が下げられて卓にはお茶用意がされている。
朝の光の中、香り高いお茶の湯気が揺らめく。国王の目は真剣だ、おそらく自分もそうだろう。
「王妃になる気も、残る気もありません」
「なびく気も絆されることもないか。本当にそなたは強情だ」
「なんと言われても、これだけは譲れません」
張り詰めた空気だ、と国王は思った。
少し軟化したかに見えた娘は、しかし恐ろしく頑固で意思を変えない。答えを予想しつつかけた問いだったが、にべにもないとはこのことか。
ただ以前の、脊髄反射のように生じた怒りはわかない。
権力を振りかざすだけの振る舞いが、無益どころか不利益を生じるのを痛感したからかもしれない。
威圧したり脅迫しても、目の前の娘は手に入らないと悟ったからかもしれない。
何より娘の心底呆れたといった風情の軽蔑の眼差しは、受け手の心を簡単に折ってしまう。
自分を律し、独りよがりでなく他人に向き合うのは難しい。機械的に執務をするほうがよほど楽だ。だが下した命令を実行するのは機械ではない。その考えを基にすると、橋梁工事でも貴族の汚職の摘発でも面白いように執務がはかどる。
今頃気付くとは。異母弟に反旗を翻されても仕方なかった。
「では、せめて知っていることを教えてはくれないか」
「命令ですか?」
「いや、依頼、お願い、懇願、どれでもいいがそんなところだ」
再召喚まではもうあまり日がない。せめてその間だけでも。
娘はしばらく考えていたが、ふうと小さくため息をついた。断りだろうか。
ここで断られたら、いっそ滑稽だ。とことん伝説の娘に拒まれた間抜けな国王として、歴史に名を残すのは間違いない。
「分かりました。夕方までは仕事がありますから、その後でなら」
聞き間違いかと耳を疑って、しばし呆ける国王を娘は見つめる。
随分と素直になったと思う。それだけに厄介だ。
ヤマアラシの針は今は威嚇のために広がってはいないが、距離感は気をつける必要がある。
再召喚までは波風を立てなくてもいい。知識を得たいというなら協力しよう。
「ありがたい。感謝する。夕食を取りながらではどうだろうか。その後は流動的なので」
「食事の時にお酒は勘弁してください」
感情的になってしまった夕食会が思い出され、双方に気まずい沈黙が落ちる。
「承知した。早速だが今夜の夕食からでよいか?」
「はい、では後ほど」
休戦協定のようなものかと娘は認識した。
最後の好機と国王は認識した。
部屋を出ようとした娘に国王が尋ねた。
「そなたは今でも余が嫌いか?」
振り返った娘は、笑った。
「嫌いです」
笑顔で言い切られて落ち込んだ国王だったが、続いた言葉に顔を上げる。
「大嫌いが嫌いになりました」
娘の最後の言葉は、憎まれた当初からはいまだ低い水準ながらも、若干は嫌悪が薄れたということだろうか。こんなことで喜ぶとはいじましい。だが、ごくごくかすかではあるが希望の光を感じて国王は表情を緩める。
「消えろ、死ねからは改善しているから。とはいえ依然マイナス」
娘の辛口の採点を知らなくて幸いだったかもしれない。
娘は昨日泊まった部屋で待機してくれていた侍女を通じ、神官への面会の許可をとった。
ふってわいた休日だから、有効に使おうと再召喚の研究がどこまで進んでいるか確認をとるつもりだった。しばらく侍女とおしゃべりをしながら待っていると、神殿からの返事が届き午後の時間に面会できる旨が記されている。
「神殿に行くのでしたら身を清めませんと」
侍女に教えられ、昼食時間を早めてその後入浴する。朝とは別の服に着替えて侍女と、二人護衛の騎士がついてきて神殿に向かった。
白を基調とした神殿は、清冽で静かな印象を与える。
神殿の応接室のようなところに通されて、神官を待っていると召喚を行った神官と初老の男性が現れた。その男性を見た途端に、侍女と騎士が跪く。
娘もそれにならおうとしたが、当の男性から止められた。
「神に選ばれし方が私に膝をつかないで下さい。召喚の際は立ち会えなくて今回が初めてですね。この神殿の神官長です」
顔にうっすら刻まれた皺にも関わらず、驚くほど若く見える。その目は慈愛に満ちているようだ。この人の周りだけ春のような気配がすると、娘は微笑む神官長を見つめた。
侍女や騎士にも立つように促し、騎士は扉の両横で待機、その他は椅子に腰をおろした。
「私のわがままでご迷惑をかけます」
そう言って娘が頭を下げると、神官長と神官はそれを否定した。
「全ては神の御心です。それに今まで考えもしなかった再召喚、帰還式の構築に神殿の研究班は活気づいていましてね。あなた様には感謝しています」
隣の侍女がほっとした様子を見せた。神官長の言葉は随分と重く受け止められるらしい。神官長はその後に多くの予定が入っているからと席を立ち、当初の目的通りに神官に現状の確認をする。
「あと少しで陣の構築式ができあがります。まずは品物で確かめようと思っています」
なかなか順調な様子に安堵する。初めての試みで人間に対してはぶっつけ本番の儀式になる。いくらでも確認して、少しでも安全性を高めて欲しいと祈るばかりだ。
再召喚の話の後で、神官が神殿を案内してくれた。一般の人が入れる区画、王城関係者が入れる区画、王族や有力貴族だけが入れる区画と厳密に分けられているらしい。
「でも伝説の娘は特別です。さすがに召喚の間は封鎖していますのでご覧いただけませんが、その他なら制約はありません。神殿内を自由に動いてくださって結構です」
この神殿は国内の神殿を束ねているだけあって、大きい組織と教えてくれた。
神官長を筆頭に神官や、神官補などが神殿内で生活して、宗教行事を司っているということだ。
神殿関係者は比較的長髪が多い。丈の長い服とあいまって魔法使いに見える。
ただこの世界には魔法はないので、そう言っても通用はしない。
それでも娘は祈る。こちらの神への信仰は、持つには至らないので神官に。身勝手なのは十二分に承知しているけれど、無事に帰還できますようにと。