21 転機
娘が侍女に渡した首飾りを彼女は喜んでくれた。
すぐに身につけてくれ、よく似合っているので娘も嬉しかった。
目の色は同じだからと団長を品定めに付き合わせたのは、気の毒だったかと今更ながらに思う。
侍女にその話をすると、目を丸くしてしばらく何も言わなかった。
やはり失礼なことをしてしまったのだろう、明日顔をあわせたら団長に謝ろうと決めた娘の前で侍女が俯いて、肩を震わせる。
怒るほど失礼だったのか。反省する娘の前で侍女は片手を反対の腕に当てて、ぎゅうっと握り締めた。そのうち両手が組み合わされて、それにも力を入れて握られているのが分かる。
「……兄が、兄が首飾りを試すために、あなたに付き合われたと……」
「しかもかがんでもらってです。申し訳ありません。失礼なことをしてしまって……」
「ふ、ふふ、いえ、失礼などでは……。あの兄がどんな顔をして付き合ったのかと、想像するとおかしくて。ごめんなさい、涙も出てきてしまって」
見れば侍女は小刻みに震えながら笑っている。
娘は団長が居たたまれない様子だったのを思い出す。女性の沢山いるところは苦手と言っていたし、侍女の反応からも女性に付き合っての買い物とか外出の経験も少ないようだ。妹である侍女が涙を流して笑うほどにおかしなことを強いてしまったかと思うと、やっぱり申し訳ない。
ひとしきり笑って、目尻の涙を拭った侍女はようやく落ち着いた。
「子供の頃って、ままごととか着せ替え遊びに夢中になるじゃないですか? でも兄は『そんな軟弱なこと』って付き合ってくれたことがあまりなかったんです。だから、今頃になってあの体格であなたに付き合ったかと思うともう、ね」
口元が笑み崩れて、また笑いの発作に襲われそうに見える。それをなんとかとどめた侍女は、今度は自分と一緒に城下に出ようと誘ってくれた。
「もっと、ここを好きになってもらえれば嬉しいですわ」
団長のような眼差しに、また胸が痛んだ。
翌日、団長室にお茶を持っていった際に謝罪をすると、団長は思い出したのかうっすら顔を赤らめた。
「いや、別にそう大したことでは……」
その語尾が尻すぼみになっているのに気付き、娘はやっぱり苦手だったのだと、そして赤くなる様子は可愛いと感じた。
ほのぼのとした気分は、国王からの書簡で見事に消えてしまったが。
王城でのやり取りをよそに、ある厳重に人払いをした部屋の中で密談がなされる。豪華な椅子に座る二人、部屋の明かりは極力抑えてあり、四隅には薄闇がわだかまっている。
「今度の娘は毛色が違っている。元の世界に帰るつもりだとか。それが可能とは驚くばかりです」
「ここに来たのは神の意思。帰るのはその娘の意思、ですか」
「面白い。国王の手に余ったのか、元の世界によほどの未練があるのか」
「いずれにしても」
一瞬会話が途切れて、各々の思いが部屋の空気を重くする。
「そう、いずれにしても」
「動かざるを得ませんか」
「小手先の細工では通用しそうにはありませんな」
「ああ、例の団長ですか」
「左様。あれの父親からして、愚直なまでに王家への忠誠を誓っていましたから」
苦笑めいた響きの後で、立場と役割を承知している二人は無言で頷きあう。
編み上げてきた計画、それを実現させるための準備、その中に飛び込んできた伝説の娘。
娘は切り札ではある、だがそれを支配するのは自分達と言わんばかりに、頷きの後で忍び笑いが漏れた。
しばらくは何事もなく日々は過ぎた。
娘は下働きをしながら、厨房で料理を習ったり食材を納入する業者とも顔見知りになっていた。
団長は城下で娘を監視していた人物について調査をしたが、特定には至らなかった。
娘の身辺警護は続けられたが、直接的に危害を加えられる出来事はない。
しかし。
「団長に色目を使うなと釘を刺されていました」
「夕食の際に、団長や副団長のことをかなりしつこく聞かれています」
など団長を含めた騎士団員からみで、色々言われているらしい様子が報告される。
国王に呼ばれることもなくなったせいか、娘が他に男性を寄せ付けていないせいか、最近騎士団員とで取りざたされているらしい。
その報告を部下から受けた団長は、なんとも情けない顔になる。
「虫よけは必要だとは思ったが、何故俺の名があがるんだ」
「お前は貴族の子弟だろう。しかも独身で地位も名誉もある。国王の覚えもめでたい有望株だ。下級から上級の貴族の娘達から狙われていて当然だろう」
「……勘弁してくれ」
呻くように呟くと、副団長は諦めろとばかりに肩をたたく。
「お前だって俺と同じようなものではないか。何故そんな涼しい顔なのだ、不公平だろう」
「俺は馬好きの変人だって有名だからな。人間の雌は遠慮しているんだろう。
それにお前とあの方の城下でのあれこれが広まっているのを知らないのか?
だからお前の名前が取りざたされているんだ」
「何だ、それは」
今初めて知ったという顔で、団長は副団長に詰め寄る。
騎士として周囲の気配を探るのは一流のくせして、こと自分に関しての噂には無頓着な団長を、副団長は憐みをこめた目で見る。
「何だもなにも。あれだけ派手にやらかしといて噂にならない訳がないだろう。
武器屋はまあともかくとしてだ、一緒に食事をした後で手を繋いで往来を歩いておいて、見とがめられないと思う方がどうかしている。
現に非番の団員がふらふらと後をつけたのを、さらに護衛の騎士達が尾行する羽目になったんだぞ。
しかもだ、いちゃいちゃしながら品物を選んだり、菓子屋でお茶を飲んだり、極めつけは二人で王城まで戻っただろう。門番の衛士からも話が広がっている。
それでなくても目端がきいて噂好きの女性達だ。
一気に話が広がって当然だろう。お前に問いただす勇気はないようだから、矛先があの方に向いているんだろう」
他人から聞かされる恥ずかしい内容に、団長は穴があったら入りたい心境に陥る。
往来のあれも雑貨屋のこれも理由はあるのに、傍から見れば……誤解を受けてしまうのか。
恐ろしいのはその噂とやらがどこまで広まっているかだ。
そしてどこまで、娘が迷惑を被っているかだ。
「あれは、他意などない。不審者のあぶり出しをするためだし、店での件は妹への品を選ぶ実験台になっただけだ」
「今まで硬派できて、女性との噂が全くなかったお前に初めて降ってわいた色めいた話なんだ。しばらくは仕方ないだろう」
ぽんぽんと肩をたたかれるが、団長が収まるはずもない。
副団長相手に弁解がましい口調になってしまう。一応は上官だが実際には親友のそんな姿は、副団長にはおかしくて仕方がないが、ここで笑うと後が怖いので若干口元は引きつりながらも、言い分は分かるとばかりに大げさに頷いて見せる。
「しかしあの方にとっては迷惑以外のなにものでもない。それに陛下のお耳にこんな下らぬ噂話が入ってみろ、どんなことになるか」
「まあまあ、ここ最近はお前とあの方の接触が少ないから噂も下火になっている。このままやり過ごせるだろう。あまり気を揉むな」
「お前……面白がっていないか?」
「心外だな。俺は心底お前を心配しているんだ」
あまり実感のこもっていない副団長の様子に、低く呻きながら団長は執務に戻る。
その際視線を外に投げかけると、雲がたちこめ午後の時間なのに薄暗くなっていた。
副団長もつられて外を眺める。
「一雨きそうだな。今日は外の訓練はなかったな」
「ああ、そのはずだが。急に暗くなったな。嫌な天気だ」
言っているそばから窓にぽつりと水滴が付き、みるみるその数を増していった。
久しぶりの本格的な雨は激しく降り、雨音が室内に響いてくるほどだった。
こんな時には仕事をするに限ると、普段なら滞りがちな事務仕事を二人とも黙々とこなす。
大方仕上がってふと顔を上げると、雨足は弱くなるどころか一層強くなっている。それに遠くから何かの音も聞こえる。
「あれは、何の音だ」
「雷だろう」
流した副団長の言葉に団長の動きが止まった。異変を感じ、副団長が声をかけようとした矢先に低くかすれた声が聞こえた。
「――は、どこだ?」
「何だって?」
「あの方はどこにいる?」
外の雨を睨み付け、団長が低い、抑えた口調で尋ねる迫力は尋常ではない。
戦場でもないのに副団長は圧倒される。
そして団長の質問を反芻する。今の時間なら……。
「おそらく使用人棟に帰る時間だが、この雨だから足止めされているのではないか?」
「少し、部屋を空ける」
そこまで聞くと団長は、副団長が何かを言う前に団長室を出て行った。
どうしたのだと副団長が気を揉んでいると、程なくしてこちらに大股に近づいてくる足音が聞こえる。
強めに扉が叩かれ、副団長はその叩き方の癖から団長と判断して、扉を開けた。
目に映る光景に副団長は息をのんだ。
血の気を失い、固く目を閉じた娘を抱きあげた団長が入ってきた。
反射的に脇にどき、団長と娘を通してからすぐさま扉を閉める。
「しばらく隣の部屋を使う。雨足が弱まるか、雷がおさまったら呼んでくれ。それまでは扉を開けるな」
副団長の顔も見ずに言い置くと、娘を抱いたまま隣の小部屋へと歩をすすめ、境の扉を閉めた。
女性と二人きりで密室に閉じこもる。
間違いがないようにとの配慮から、扉を少し開けておくのが礼儀とされているのに。礼儀作法を知らぬはずのない団長のあえての行為に、副団長はどうすることもできずにいた。
さすがに今は馬のことなどは頭の中から吹き飛んで、団長と娘のことで一杯だ。
何故こんな状況に? どれほどの人間に目撃された?
「噂に、自分で火に油を注いでどうするんだ」
副団長の呟きを聞いた者はいない。
そして副団長は、窓から外の天気を観察する羽目になった。
雷鳴を伴う豪雨は続いている。