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15  無理です

「……おい、足をどけろ。踏みにじられると地味に痛い」

「だったら、その手を離してください。さっきから鳥肌がたって仕方がありません」


 娘は国王の顎を押しやりながら、少しでも距離をとろうとしている。

 助けを求めて扉横に立っているはずの侍従を探し、誰もいなくて扉も閉じられているのにようやく気付いた。

 そんな状況は国王が指示したからに違いなく、のこのこと罠にはまりにいった愚かさを娘は悔やんだ、


「色気がないな。こんな時は黙って目を閉じて顔を上げるものだろうに」

「なくて結構。というかどさくさにまぎれて何をするんですか」


 上半身は国王に抱きこまれていて、手も握られている。動かせる足先でさっきから国王の足を踏んで、ついでににじにじとしてはいる。

 踵の鋭い靴を履いておくべきだった。それを使えば、足の甲へは結構な痛手を与えられたはずなのに。

 娘は、他にどんな手段で国王から逃れられるだろうかと、必死で考えていた。

 国王の方は娘を腕に捕らえたものの、この先をどうしようかと迷っていた。

 確認するまでもなく娘は自分を嫌っている。

 鳥肌が立つと言われて地味に傷ついている。

 ここで自分のものにしてしまえば、別の娘を再召喚する必要は失せるが、きっと娘からは恨まれるだろう。

 娘に分からないようにため息を一つつくと、国王は腕の力を緩めた。


 後ずさる娘にわざと一歩近づくと、国王に背中を見せない動きで娘は扉まで達した。


「不用意に関わろうとするからこうなるのだ」

「――ほんのちょとでも、あなたに同情したのが間違いでした。失礼します」

「明日も来い」

「っ誰が」

「来い、いいな」


 娘に笑いかけると、さっきの名残かまだ顔の赤かった娘は、乱暴に扉を開けてそれを閉じた。

 一人残された国王は、服の乱れを整えている最中に傷に触れた。普段は意識することもないそれをなぞってから、国王は寝室へと消えた。


 娘は足早に廊下を歩く。少しでも早く遠ざかりたかった。

 今のはいったい何だったのだろう。着替えのための部屋に飛び込んで、国王の触れた服を乱暴に脱ぐ。下働きの服に変えてから、ごしごしと手を洗った。洗っている最中にもさっきの感触がよみがえってきて、慌てて頭を振る。

 ぞわぞわとした感覚は消えてはくれず、腕には鳥肌が残っている。


「無理だ」


 断定口調で独り言をいいながら、娘はしばらく手を洗った。



 翌日も朝は早い。決められた仕事を済ませた娘は、厨房の裏手で外においてある椅子に座り込んで、ぼんやりと緑を見ていた。

 ここは緑が多く、目に優しいのがいい。鳥が飛んできて鳴いたりするのも聞ける。

 人間は面倒くさいのに、自然はいいなあとらちもないことを考えながら、娘は手にした茶器を口に運んだ。

 それを洗い場で洗い、拭きあげていると監督から声をかけられた。


「団長のところにお客さんが来たって。お茶を持っていってくれるかい?」


 手もすいていたので承諾し、お茶とお茶菓子を盆に載せて本部の団長室へと向かった。扉の脇には見習いの従騎士がいて、娘を認めると扉を叩いた後に開けてくれた。


「失礼いたします。お茶をお持ちしました」

「お待ちしておりました」


 声に顔を上げると、王弟がそこにいた。

 娘も座るように促され、とりあえず王弟と団長、そして自分用のお茶を淹れる。


「昨夜、兄上と二人きりになられたとか」


 ひとしきりお茶を楽しんだ王弟が、さりげなく切り出した。

 娘の茶器を持つ手にきゅっと力が入ったのを見てとり、次いでその表情には恋する乙女のものなど全くないのも確認した。

 

「不本意ながら」


 娘の返事も取り付く島がない。どうやら甘いやりとりはなかったようだ。

 それどころか、態度が硬化しているように見える。

 団長も何も言わないが、何かは察しているらしい。こちらは黙って王弟と娘の様子を窺っている。


「差し支えなければ、どんなやり取りをされたのか教えていただきたいのですが」




 国王が侍従すら締め出したことは、非常に珍しいといえる。

 王妃にと召喚した娘といたのであれば、なんらかの進展を期待した次第だが、どうもはかばかしくない。

 兄である国王は一緒にとった朝食の席では、足が痛いとしか言わなかった。

 それなら、と娘の方から事態を把握すべくこうして出向いたのだが、兄と二人が不本意と言い切られるあたり穏当ではない時間だったのか。

 娘は茶器を卓に置いて、王弟と団長を見た。


「話としては大したことは。名前の呼び方から、私が身分を知らないのでそれを含めて価値観が違うという話になりました。そして、首の傷のことを教えてくれました」


 首の傷、で王弟と団長はぴくりと反応した。あれは国王にとっては体だけではなく、心にも傷を作った出来事だ。

 それを明かすことを極端に避けている国王が、娘に話したのは二人にとっても意外だった。

 だが、いわば弱みを見せられたはずの娘がどうしてこうも表情が硬いのだろう。

 話の内容と娘の態度が繋がらない。腑に落ちない王弟がもの問いたげに見つめる中、娘は何か吹っ切れたような顔を見せた。


「陛下のおっしゃるとおりです。私と陛下は価値観が違う。そして陛下はそれを擦り合わせるおつもりはない。王妃になるつもりもないのに、陛下の態度に言及するのは僭越でした。

 私は陛下に同情する権利も、態度を考えたらと忠告する権利も自ら放棄しているわけですから、おこがましかったんです。今後は踏み込んだことはしません」


 すがすがしく、もう国王には関わらないと宣言されて、王弟は目を丸くした。


「そうです、あれくらい自分の価値観だけを押し付けるような人でないと、未練なくすっきり帰れませんよね」

「え、いや、あの……」

「裏切られたのはお気の毒とは思いますが、だからと言って暴言吐いてもいいんだと赦されるわけはないし、あのやり方で来たのなら今後も踏襲してください。傍から見ていると、いじけた子供が大きくなって性質の悪いことに権力を握ったように思えます。

 すみません、私には無理です。王妃になることも、あの陛下の性格をなんとかしようとするのも。もう次の人にお任せします。

 ――私には関係ありません。陛下があのまま突き進んで、どれだけ敵を作ろうが自業自得です」


 兄を見捨てる発言をされて、王弟は内心呻く思いだった。兄上は何をされたのか。

 ここまで嫌われては、もうこの娘を王妃に迎えるのは無理だろう。

 足が痛いなんて、のんきなことを言っている場合ではないのでは。

 王弟の葛藤をよそに、娘は団長に向き直った。


「すみませんが、接近戦で使えるような護身術ってありますか? なるべく痛手の大きそうなものがいいんですが」


 団長も面食らっている。


「あ、いや、体術のみか武器を使うかで変わってくるが……」

「ええと、体術でしょうか。武器は慣れていないので、いざという時使えそうにありませんので」


 何故この状況で護身術。兄上、あなたは本当に何を……。王弟の気力は萎えていく。

 団長は沈黙を守ることでその場をやり過ごす。

 娘はにこりと笑って駄目押しをした。


「あんな勝手な人は知りません」




 王弟がいくぶんか生気の抜けた状態で、城内に戻ると娘はぽつりと呟いた。


「まるでヤマアラシのようです」


 聞きとがめた団長に、ちょっと考えてから娘が補足した。


「ヤマアラシのジレンマという言葉があるんです。寒いので温めあおうとするヤマアラシ同士が、そのお互いの針が刺さってしまうので近づけないという内容なんですが。

 私は陛下と温めあおうとする気は毛頭ありませんが、近づくとどうしても傷つけあうようです。だから、距離を保って踏み込まないのがお互いのためだと痛感しました」


 それは裏返せば昨日、傷つけあうほど近くになったということになる。

 締め切った部屋で一体何があったのか。

 娘を怒らせる、感情を揺さぶる何があったのか。


 それこそ知る立場にも、知る権利もない団長だったが、娘との接触の機会は逃すつもりはなかった。


「では体術の訓練をいたしましょう。午前の休憩時間に、乗馬と交代で行うということでいかがでしょうか」

「ありがとうございます。助かります」

「接近戦とは、具体的にどんな状況を想定していらっしゃいますか?」

 

 言いよどむ娘に近づいて、手をとって立たせる。


「こんな状況ですか?」


 団長は後ろから娘を抱きすくめた。ぎゅっと力を込めて、すぐに緩める。しかし娘が振りほどけない程度の力を入れていた。


「うわぁっ、そ、そうです。こんな感じです」

「ふむ。ただ男の力を振りほどくのは大変ですから、小さくても何か武器を仕込んでおいたほうが良いかもしれませんね」

「そ、そうなんですか。じゃあ、それも。あの、団長様……」

「ああ、失礼」


 何でもないようにゆるりと拘束を解かれて、娘がほっとした様子を見せた。

 隙だらけのその姿は武人として、男としてはいくらでも付け入ることができる。

 危なかしくて仕方がない。これは護身術をきちんと教える必要がある。


「では私と、女性の従騎士がいますので、その者とでお教えするということでいかがですか?」

「はい、お願いします。……そろそろ戻ります、昼食の準備の時間ですので」


 そそくさと盆を持って部屋を出る娘の耳は赤い。

 それを見た団長にふと笑みが浮かんだが、すぐにそれを消して真面目な顔になる。

 国王と娘が結ばれなかったら。事態は流動的になる。政治的にも重要な局面になるだろう。

 

「殿下と対応を詰めていた方がよいだろうな」


 団長の懸念を聞く者はいなかった。






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