13 不穏
国王との夕食から部屋に戻って、娘は寝台で膝を抱えた。
ここに戻る道すがらもつい暗い表情になって、着替えを手伝ってくれた侍女や送ってくれた団長も心配させてしまった。
頭の中にはぐるぐると、先ほどの国王とのやり取りが渦巻いている。
国王は俺様だった。上から目線で謝罪の言葉を述べて、それで解決した気になっていた。すぐには許せるものではないと返すと、縛り付けるような命令をしてきた。
理不尽だと思う。あの国王は徹頭徹尾理不尽だ。
人を外見でしか判断しない。自分にも心や大事にするもの、譲れないものがあることを理解しようとしない。尊大な人で、内心呆れを覚えるほどだった。
それでも、あれは言いすぎだったと思う。
『あなたの顔なんて見たくないからどこかに消えて。死んでくれたらせいせいするから』
相手のレベルに落ちては駄目だったのに。国王は周囲の者は皆目下だと思っている。勿論自分のこともだ。それに、あんな言い方をしては逆上させるだけだ。
他人に消えろとか、死んでくれたらなんて投げつけたことはなかった。
口に出すと自分が汚れたような、嫌な気分だった。人を不快にさせるだけの言葉は、後悔しか生じない。今後は、あんなことはもう言わないでおこう。言われた国王も不愉快だっただろうが、言った自分も気分が悪い。
それにしても、相手を傷つけるためだけのために紡がれたような言葉は、遠くから投げる石のつぶてのようだ。深くて渡ることのできない、谷や川を挟んでの応酬にも感じられた。
そしてふと思う。
自分の魂を汚すような言葉をためらいもなく口にする国王とは、一体どんな人間なのだろう。
何があの、理解しがたい国王を作り上げたのだろう。
――根は優しい。
――虚勢を張っている。
神官や侍女は国王をこう形容した。自分には冗談としか思えない。ただ自分は国王のことはほとんど何も知らないに等しい。
国王を知る人達がそう評しているのなら、それが彼の持つ一面ないし本質なのか?
接触したことで生まれた国王への疑問――興味は、深く追求しようとすれば危険極まりないやっかいな代物だ。
娘はこの疑問を無視するか、国王にぶつけるかを悩んでなかなか眠れなかった。
翌朝、食堂で娘はいつもより力をこめて皿を洗っていた。ゆうべのもやもやが残っていて、余計に力が入る。
皿洗いの速度も上がっていて、結局は早めの休憩に入ることになった。
厨房からもらった角砂糖を手に、こんな時には自然と動物に浸るに限ると馬場へと向かった。
厩舎で馬丁や従騎士から許可をもらい、いつも乗せてもらっている馬をくしけずって、角砂糖を与える。馬も甘いものが好きと見えて食べている。その首に頭をよせて、娘は小声で愚痴をこぼした。
「面倒くさいことになってるなあ。大人しく牢に入っておけばよかった」
下手に国王の興味を引いたのはまずかった。牢の中で国王と接触せずにいれば、振り回されることはなかったはずだ。
ただ牢の中では、食べる気にも眠る気にもなれなかったのだから仕方ない。
もやもやは召喚時のことを思い出すと、だんだんとむかむかに変わる。
目蓋の腫れが引いたら出てこいだなんて、本当に国王は条件の合う人形としてしか召喚相手を捉えていないのだなと思う。
顔の造作なんて、皮を一枚めくれば同じようなものだ。
あの時の自分は駄目で、今ならいいと言われても嬉しくない。本当に人形を作って、国王の寝台にでも入れてやろうか。ちょっとだけ過激な考えが浮かぶ。
国王から言質をとった再召喚と返還については、神頼みよろしく神官次第で自分の手の及ぶところではない。
自分にできることは万一に備えて逃げる準備を整えることだけかと、娘は馬の首を撫でながら暗い気分になる。そのためにも……と馬を見上げ、その優しく濡れた瞳に微笑みかける。
「一人で乗れるようになるまでよろしくね」
馬は言葉を理解したかのように、小さくいなないた。娘はタイミングのよさに少し笑った後で、団長の執務室に届ける弁当を作るために食堂へと戻っていった。
「お疲れ様です。昼食を届けにきました」
事務処理に追われていた団長と副団長は、下を向いていた顔を上げた。籠に昼食を入れた娘が扉を叩いた後に入ってくる。
「監督から、お二人が昼食を食べにはこれないだろうからと」
食堂の責任者はもう随分長く、あそこに勤めている。騎士団の仕事の流れも承知していて、一見豪快なのに細かな気配りをしてくれる。
今は事務仕事が佳境な時期と知っていて、配達してくれたのだろう。
正直、食べに出る時間さえ惜しかったのでこの気配りはありがたかった。
来客用の卓の上の書類を整理して、そこに娘が籠から昼食を出していく。
「これは?」
油紙に包まれたものを見て、団長は首をかしげた。容器が見当たらない。
娘は同じものを二つ、手を拭くための濡らした布と一緒に卓に置き、部屋の隅にある茶器でお茶を淹れた。
「片手で食べられるようなものです。本当なら薄いパンに挟むんですが、こちらのは硬いので薄焼きの生地に挟んでいます」
味付けをした肉や野菜を薄焼きのものに挟んで、手で持てるようにくるんである。手も汚れずに口に運べる。
これなら仕事の合間に簡単に食べられると感心しながら、二人は次々に胃におさめていった。
「食器も使っていないので食堂に返す手間もいりません」
団長と副団長が食べるのを見守って、娘は頃合を見て部屋を出ようとした。
「ありがとう、美味しかった。……これはあなたのところの料理なのか?」
「はい。お口にあったのなら何よりです」
料理をほめられて嬉しかったのか、娘は笑ってお辞儀をして戻っていった。
早々に机について書類との格闘を始めた団長に、副団長が話しかける。
「栗毛の方の手作りとは貴重なものだな」
「栗毛?」
「今の髪色だ。馬の体色だと栗毛にあたる。本来は青毛なんだよな。見てみたいものだ」
馬を愛する副団長は表現も馬基準になる。娘の茶色に染めた髪の毛の色を栗毛とし、本来の黒を青毛と表現するその感性に慣れたとはいえ団長は苦笑してしまう。確かに黒に戻して一つにまとめたら、黒色の馬である青毛の尻尾にそっくりだろう。
「ああ、綺麗だったぞ。つやつやしていて真っ直ぐで……」
牢から国王が抱え出た娘の髪の毛を思い出す。牢の頼りない明かりを反射して、つやめいていた。
国王が歩くたびにさらさらと揺れていた……。
我にかえって書類に目を通した団長に、副団長は団員の外出願いを引っ張り出して見せた。
「今度の休みの日に、彼女から城下への外出申請がされている。警護体制の最終確認を頼む」
団長は書類に目を走らせた。
「私も出るが、三人……四人つけるか。朝食は使用人棟の食堂で済ませた後で外出、昼食は城下で夕刻には戻る予定、か」
「人選は任せてくれ。では早いうちに事務仕事には片をつけなければならないな」
書類は今日中には仕上げられそうな量とはいえ、書記官でもないのに椅子に座りっぱなしでいるのは地味に辛い。
団長は少しでも時間を作って体を動かそうと、筆記具を握り締めて署名を始めた。
夜、しっかりと国王からの呼び出しがあり、娘は嫌々ながら国王の部屋に出向いた。
さすがに下働きがこうも頻繁に国王の部屋に顔をだしては怪しまれるので、途中で昨日もつかった部屋に寄って着替えてからという手はずが整えられていた。
昨日よりも簡素な服に着替えて、顔は見えないようにとベールのようなものまでかぶらせる念の入れようだ。
国王の居間の卓には、娘にはお茶が、国王には酒の用意がしてあった。
向かいに座って娘はお茶を一口飲む。いい茶葉の香りと味を、素直に楽しもうと思った。
「お前の住んでいたのはどんなところなのだ?」
杯を口に運びながら国王が尋ねる。どんなところ――答えるのが難しい抽象的な質問なので、こちらから聞こうかと思った娘はあることに気付いた。国王と話をするとなぜか不快感がわいてくる。
人間的に好ましくないのはそうだが、それだけではない何か。何だろう。
じっとカップを見つめて考え、一つの単語に思い至って国王に目を合わせた。
「一つ、よろしいでしょうか。お前、と呼ぶのをやめていただけませんか」
「理由は?」
「見下されているのが不愉快だからです。私があなたをお前、って呼んだら嫌でしょう? 自分がやられたり、言われて嫌なことはするべきではないと思います」
小さなことからこつこつと。まずは呼称から。
「ずっと聞き流していましたが、随分失礼な言い方ですよね」
「名も教えないのに、呼びかけまで変えろとはわがままだな」
「わがままではありません。人としての常識や誠意の話です」
「――それは余に常識がないと言っているのか?」
すうっと座の空気が冷えていくような感覚がして、娘は国王の様子を観察する。
ひるみそうになるのを、頑張れと励まして国王に立ち向かおうとする。
「私は異世界からの客人です。少なくともお前呼ばわりされる筋合いはありません。あなたは私の世界や私を下に見ているのでしょう?
せめて思いやりをもって、呼びかけだけでも丁寧にしてください」
「思いやりだと。それが何になるのだ?」
「人間関係を円滑にします」
娘が言うと、国王は冷笑して酒の杯を口にあて、一気に喉に流し込んだ。
「くだらん」
「思いやりが下らないなんて。あなたは――」
かわいそうと言いかけ、それは国王には石のつぶてになるかもしれないと飲み込んだ娘だったが、国王は察したようだ。
次の瞬間杯が卓に音を立てて置かれ、国王がゆらりと立ち上がった。