11 思惑
何故ここに国王がいるのだろう。
一度だけ礼をして、国王達に背中を向け皿洗いをしながら娘は少し混乱していた。
国王と顔を合わせないように下働きを選んだのに、騎士団ではまずかったか。
でもこんなに歩き回れる仕事場はそうはないだろう。休憩時間に馬に乗せてもらえるし、食事を届けに行くと衛士達は門の外、城下の様子を教えてくれる。そうやって逃げる準備が少しずつ出来ているのに、国王の出現は不安要素でしかない。
顔を合わせたくないのに、わざわざやって来るなんてストーカーか?
顔はいいくせに、性格が悪くてストーカーなんて残念な人だ。
しかし、厨房に国王は似合わない。ものすごい違和感を生じている。はっきり言って邪魔者だ。
昼食のピークを過ぎていたからよかったけれど、忙しいさなかだったら監督が怒鳴りつけていたかもしれない。見ていると団長にも平気で苦言を呈しているので、国王にも遠慮はしないかも。
団長の側に立っているやたらきらきらしい人も、この場にはそぐわない。顔がなんとなく国王に似ていたようにも思えるが、振り返ってまで確認する気はなかった。
彼らの方を見ないように、娘は目の前の仕事に集中した。
王弟は国王と娘を観察する。
娘の方は面白い。国王を見て嫌そうな雰囲気を出した時など、笑ってしまいそうになり慌てて表情を引き締めたほどだ。
笑いなどしたら、兄の機嫌がどんなことになるか。
普段は抑えられているのにごく近しい人間の前では、実に感情豊かな兄を嫌いではなかった。自身がけして腹のうち明かさない性質と自覚しているので、兄の個人的に見せる率直さは羨ましくもある。
だが、言うに事欠いて女性の首を刎ねろはないだろう。第一召喚されてくる娘は美人なはずなので、兄も冷静になって待てばよかったのだ。
その上牢に入れたとあっては、これで結婚する気になるほうがおかしい。
兄の外見や地位、財力になびけば結婚するかもしれないが、この娘はそうではないようだ。
皿洗いなど。しかもそれを自分の仕事と言い切るあたりは、労働を恥と考える淑女然とした貴族の娘達にはない気概と思われた。
怒ると冷えると聞かされていたが、それだけではなさそうだ。
いや、実に面白い。しかしこの娘には手出しができないのも承知しているので、王弟は特等席での見物人に徹することを決めた。
国王は皿洗いをする娘の後姿を眺めていた。
娘に向けた視線は、騎士団員達からはまるで親の敵を見るようだったとの感想が漏れるほど、熱心かつ執拗で鋭いものだったらしい。
弟からはこの娘を自由にするために別の娘を再召喚するのか、など言われたが冗談ではない。
婚儀を嫌がり、ここまで反抗的で人を無視するような意地っ張りな気の強い娘など、王妃にした日には気が休まらないだろう。舌禍などおこされてはたまったものではない。
だから、披露目をする前に次の娘を召喚するだけだ。
母のように、諦めきってでも素直に国王に寄り添う娘を召喚できればそれでいい。この娘はここに置いておくと面倒だから送り返すまでだ。
断じて自由にさせるために送り返すわけではない。
むきになって自分に言い訳しながら、弟に促されるまで国王はその場に立っていた。元来た道をたどりながら、王弟は機嫌がよかった。まるで新しい玩具を見つけて手に入れた時のようだった。
「いやあ、実に楽しそうな娘さんですね。夕食が楽しみだ」
「楽しいことなどあるか。あれの舌には皮肉しか乗っていないのだぞ」
「それは兄上のせいでしょう? 今からではもう遅いかもしれませんが、きちんと謝って赦してもらったらいかがですか?」
「余に頭を下げろと?」
「時機を見誤ると、取り返しがつきませんよ」
珍しく本気の忠告をしてくる弟に、国王は足を止めた。同腹で年も近しいこの弟は、即位争いの際には反国王派に担がれないよう立ち回りながら反勢力を切り崩してくれた。頼もしい味方だ。
「内心では悪かったとお思いなのでしょう? 母上のように泣き暮らしはしないでしょうが、赦してもらえないことには話は始まりません」
護衛に聞かれないように、ごく小さな声で会話する二人の脳裏には、母親のことが浮かんでいる。黒い髪と瞳は幼心にも神秘的に映り、はかなげな風情もあって母親のことは相当に美化されていた。父親があまり触れあわせてくれなかったが、不在時にはひっそりと自分たちに手を延べてくれた。
黒髪の美しい人、が絶対基準だった。だからあの時の娘を受け入れがたかったのだろうか。
それでも国王の発言で娘を傷つけたのは事実だ。夕食の席で謝罪しようと決めた。
「……親を亡くしたばかりらしいし、たった一人でここに放り出されている状態か」
あの娘の様子は自分を嫌っているのは勿論だが、必死に気を張ってのことでもあるのだろうか。
それならまだ可愛いところがあると思うのだが。
「それにしてもなんだ、あそこは男ばかりではないか」
「騎士団ですから当然でしょう」
「腕まくりなどして、あれでは誘っているのか」
「……皿を洗うんですから腕まくりしないと濡れるでしょうに」
「そんなことは分かっている」
兄上……と幾分呆れながら王弟は執務棟へと戻っていった。何を言っているか自覚のない兄だからこそ側で支えようと思ったのだが、一連のできごとは想像以上に国王を混乱させているようだ。
この広大な国、美しい王城の主なはずの兄が、実は独占欲の塊なのだと新たな一面を知った瞬間でもあった。
そこまで気に入っているのなら、再召喚などしなければよいのに。
王弟の呟きは胸のうちに収められた。
団長は宣言通りに団員に、練習用の剣を使って稽古をつけながら汗をかいていた。
陛下と殿下の目前で、あろうことか部下が預かっている御方に言い寄るなど、監督不行き届きなことこの上ない。
根が生真面目な団長は、陛下に申し訳なく幾分か自身に対する懲罰の意味合いもこめて、いつも以上に声を出し体を動かした。
訓練としては少し熱が入りすぎたきらいはあるが、よい機会なので存分に動く。
この訓練が終われば、娘を夕食に誘わなければならない。
それも気が重くて、逃げるように踏み込む力を強くした。
「夕食、ですか」
「ここの下ごしらえは今日はしなくていい。妹も同席させるので出席してもらいたい」
「決定事項で、命令なんですか?」
「――そうだ」
食堂の机を拭いていた娘をつかまえて用件を伝えると、案の定難色を示された。
陛下を犯罪者に等しいとした娘だ。同席など考えたくもないだろう。
「私も出席する。私と妹はいわば陛下の幼馴染で、あとは陛下の弟君の殿下が出席されるだけのごく内輪の食事だ。気を張ることはない」
娘の嫌がっている点を分かっていながら話をそらして、なんとか説得を試みる。
持って回った言い方は苦手な団長は、訓練の後で拭いたのに額にうっすらと汗をかいていた。
その様子を気の毒に感じたのか、命令なら仕方ないと割り切ったのか娘は承諾した。
下働きの服ではないものに着替えさせるようにとも命令されている。夕食までの時間を逆算すると、急いで戻らなければならない。
団長は護衛を兼ねて娘と食堂を後にした。
「何故陛下は私に関わろうとするのでしょうか。新しい人を再召喚するのだから、私などは放っておけばいいのに」
虚をつかれた団長は、慌てて頭の中で答えを探した。
「陛下の心中は私には分かりかねる。夕食の席で直接伺ってみればいい」
うすうすは察しているその理由は、団長の口からは語られなかった。
それを口にするのは僭越であり、また口にするのは抵抗があった。
各々の思惑をよそに、地面の影は長さを増してきていた。