数字は嘘をつかない令嬢を禁止されたので、感情で婚約破棄します
「数字は嘘をつかない令嬢」を禁止する――その貼り紙が、舞踏会場の柱という柱に貼られた夜、王都でいちばん静かな悲鳴を上げたのは経理官だった。
泣きながら彼は計算板を抱え、リリアの後ろを小走りでついてくる。
「お嬢さま、数字を失ったまま婚約破棄の場に立つのですか」
「本日のルールですもの。わたくし、感情で参りますわ」
「感情に貸借対照表はありますか」
「ありません」
「終わった……」
終わっていない。終わるのはこれからだ。
今夜、王宮主催の舞踏会で、王子アルベルトが公衆の面前で婚約破棄を宣言する。そういう筋書きで、そういうジャンルで、そういう期待値だ。
ただし、この世界には最近ひとつ厄介な流行がある。
誰かが台詞を言うたびに、「AIっぽい」と判定する観客がいるのである。
比喩が続けばAIっぽい。
要約がうま過ぎてもAIっぽい。
逆に素朴すぎても生成ノイズっぽい。
「語尾が丁寧すぎる!」
「いや雑すぎる!」
「いまの間、台本感!」
観客席は、だいたいそんな調子である。
結果として登場人物は全員、自然さを目指して不自然になる。
会場中央、白い階段の最上段で、アルベルトは宣言の姿勢を取った。
王族専用、婚約破棄モード。右手は胸に、左手は未来に、眉は四十五度。
しかし口が開かない。
「殿下?」
リリアが促す。
「待ってくれ。最初の一文が決まらない」
「まさか」
「“本日ここに”は定型句過ぎる。“率直に申し上げる”は官僚文書っぽい。“好きな人ができた”は既視感が強い。何を言っても既存モデル参照に見える」
壇上脇で、黒い外套の「作者」が咳払いした。
「注記。テンプレ回避を優先。婚約破棄は入れてよいが、テンプレ再現は禁止」
作者は見えないはずなのに見える。たぶんメタコメディだからだ。
彼は赤ペンで空中に追記する。
・禁止語:「数字は嘘をつかない令嬢」
・推奨:感情で判断
・注意:AIっぽい言い回し回避
・暫定案:語尾に「にゃ」を付けて人力感を出す(保留)
「殿下、進行が止まっております」
司会官が震える声で言う。
「時間管理はどうなっている」
「それを数字で示すと禁止事項に触れます」
「なんて夜だ」
アルベルトは深呼吸し、やっと言った。
「リリア。私は今夜、君との婚約を……ええと……」
「ええと?」
「更新停止したい」
ざわめき。
貴族席の年配読者が扇で顔を隠した。
「更新停止は連載語法ではなくて?」
「短編でそれ言うのはメタの角度が急ですわ」
「AIっぽさ回避のためにメタ過剰、ありますわね」
リリアはこめかみに指を当てた。
「殿下、婚約破棄でよろしいのでは?」
「直球だ」
「でも事実です」
「事実は刺さる」
作者が鐘を鳴らす。カン、と乾いた音。
「感情で判断して」
「承知しました」
リリアは目を閉じる。
「わたくし、いま、非常に……非常に…………」
語尾が泳ぐ。怒りを出したい。だが怒りの濃度を言葉にする癖は、数字で訓練してきた。目盛りを奪われた感情は、容器の中でぐるぐる回るだけだ。
「非常に、なんですの?」
アルベルトが聞く。
「非常に、こう、胸のあたりが、ぎゅっとして、うまく、評価不能ですわ」
失敗だった。
感情で判断しようとして、判断の文章が立ち上がらない。
会場の空気は「頑張っているのは分かるが伝わらない」に統一された。
経理官は計算板をめくる。
「感情科目、暫定仕訳。借方・動悸、貸方・怒り未払。摘要、うまく言えない」
「その帳簿、心に刺さりますわ……」
「分類できると落ち着くので」
そこへ経理官が耐え切れず叫ぶ。
「お嬢さま! 怒りを定量化しましょう! せめて五段階で!」
「禁止です!」
「では三段階!」
「禁止です!」
「では“まあまあ怒ってる”は!」
「それは曖昧語で減点です!」
作者が頭を抱える。
「誰も正解を引けない……。よし、暫定案採用。全員、語尾に『にゃ』を」
「却下です!」
観客席からも即座に野次が飛ぶ。
「それはそれで機械的!」
「雑すぎる!」
「でもちょっと聞きたい!」
作者は一度だけ本気で迷い、赤ペンを噛んで撤回した。
アルベルトは階段を降り、リリアの一歩手前で止まった。
「私も同じだ」
「同じ?」
「君を前にすると、正しい台詞を探してしまう。自然で、独自で、AIっぽくなくて、なおかつ傷つけない文章。そんなものを探しているうちに、何も言えなくなる」
アルベルトはそこで、一度だけ綺麗すぎる文を作ってしまう。
「君という光源を失えば、私の未来は陰影を失う」
完璧だ。滑らかで、無駄がなく、拍手される温度で整っている。
だからリリアは首を振った。
「いまの、上手すぎますわ」
「……だよな」
アルベルトは肩を落とし、言い直した。
「私は、君と結婚する勇気より、君に本音を言う勇気のほうが、ずっと足りなかった」
リリアの扇が、かすかに下がる。
壁際の採点官たちは、採点表に何を書けばいいのか分からず止まった。
自然か不自然か、AIっぽいか人間っぽいか。どちらにも寄り切らない、ひどく中途半端な一文だったからだ。
中途半端。
でも、それは生きている人間の口からよく出る形だった。
リリアは小さく笑った。
「殿下、いまのは減点しにくいですわね」
「褒めているのか?」
「たぶん」
彼女は背筋を伸ばし、会場に向き直る。
「皆さま。わたくしたちは婚約を破棄いたします」
今度は誰も止めなかった。
テンプレだ、と叫ぶ声もなかった。
そこに至るまでが、あまりに遠回りで、あまりにみっともなく、そして少しだけ誠実だったからだ。
作者はしばらく黙ってから、赤ペンで追記した。
・修正方針:「整える」を一部解禁
・備考:失敗描写が最終的に感情を生んだ
舞踏会の音楽が再開する。
経理官は空白の表を抱えたまま泣き、採点官は採点を諦め、王子と令嬢は別々の方向へ歩き出す。
別れ際、リリアは振り返らずに言った。
「次に誰かへ気持ちを伝えるときは、うまい文より、遅い本音を選んでくださいまし」
アルベルトは返事の代わりに、ひとつ息を漏らした。
それは笑いにもため息にも似ていて、分類不能で、だから少しだけ本物だった。
この作品は、みねバイヤーン(石投げ令嬢フルカラー電子コミック①②発売)様『AI小説のみわけかた』(https://ncode.syosetu.com/n8715mb/)と、あんど もあ様『或る婚約破棄 と AI小説の見分け方』(https://ncode.syosetu.com/n3414mc/)、そしてそれぞれの感想欄から大きな刺激を受けて書きました。
ありがとうございました。




