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数字は嘘をつかない令嬢を禁止されたので、感情で婚約破棄します

作者: としかわ
掲載日:2026/05/07

「数字は嘘をつかない令嬢」を禁止する――その貼り紙が、舞踏会場の柱という柱に貼られた夜、王都でいちばん静かな悲鳴を上げたのは経理官だった。


 泣きながら彼は計算板を抱え、リリアの後ろを小走りでついてくる。

「お嬢さま、数字を失ったまま婚約破棄の場に立つのですか」

「本日のルールですもの。わたくし、感情で参りますわ」

「感情に貸借対照表はありますか」

「ありません」

「終わった……」


 終わっていない。終わるのはこれからだ。

 今夜、王宮主催の舞踏会で、王子アルベルトが公衆の面前で婚約破棄を宣言する。そういう筋書きで、そういうジャンルで、そういう期待値だ。

 ただし、この世界には最近ひとつ厄介な流行がある。

 誰かが台詞を言うたびに、「AIっぽい」と判定する観客がいるのである。


 比喩が続けばAIっぽい。

 要約がうま過ぎてもAIっぽい。

 逆に素朴すぎても生成ノイズっぽい。

 「語尾が丁寧すぎる!」

 「いや雑すぎる!」

 「いまの間、台本感!」

 観客席は、だいたいそんな調子である。

 結果として登場人物は全員、自然さを目指して不自然になる。


 会場中央、白い階段の最上段で、アルベルトは宣言の姿勢を取った。

 王族専用、婚約破棄モード。右手は胸に、左手は未来に、眉は四十五度。

 しかし口が開かない。

「殿下?」

 リリアが促す。

「待ってくれ。最初の一文が決まらない」

「まさか」

「“本日ここに”は定型句過ぎる。“率直に申し上げる”は官僚文書っぽい。“好きな人ができた”は既視感が強い。何を言っても既存モデル参照に見える」


 壇上脇で、黒い外套の「作者」が咳払いした。

「注記。テンプレ回避を優先。婚約破棄は入れてよいが、テンプレ再現は禁止」


 作者は見えないはずなのに見える。たぶんメタコメディだからだ。

 彼は赤ペンで空中に追記する。


 ・禁止語:「数字は嘘をつかない令嬢」

 ・推奨:感情で判断

 ・注意:AIっぽい言い回し回避

 ・暫定案:語尾に「にゃ」を付けて人力感を出す(保留)


「殿下、進行が止まっております」

 司会官が震える声で言う。

「時間管理はどうなっている」

「それを数字で示すと禁止事項に触れます」

「なんて夜だ」


 アルベルトは深呼吸し、やっと言った。

「リリア。私は今夜、君との婚約を……ええと……」

「ええと?」

「更新停止したい」


 ざわめき。

 貴族席の年配読者が扇で顔を隠した。

「更新停止は連載語法ではなくて?」

「短編でそれ言うのはメタの角度が急ですわ」

「AIっぽさ回避のためにメタ過剰、ありますわね」


 リリアはこめかみに指を当てた。

「殿下、婚約破棄でよろしいのでは?」

「直球だ」

「でも事実です」

「事実は刺さる」


 作者が鐘を鳴らす。カン、と乾いた音。

「感情で判断して」


「承知しました」

 リリアは目を閉じる。

「わたくし、いま、非常に……非常に…………」

 語尾が泳ぐ。怒りを出したい。だが怒りの濃度を言葉にする癖は、数字で訓練してきた。目盛りを奪われた感情は、容器の中でぐるぐる回るだけだ。

「非常に、なんですの?」

 アルベルトが聞く。

「非常に、こう、胸のあたりが、ぎゅっとして、うまく、評価不能ですわ」


 失敗だった。

 感情で判断しようとして、判断の文章が立ち上がらない。

 会場の空気は「頑張っているのは分かるが伝わらない」に統一された。

 

 経理官は計算板をめくる。

「感情科目、暫定仕訳。借方・動悸、貸方・怒り未払。摘要、うまく言えない」

「その帳簿、心に刺さりますわ……」

「分類できると落ち着くので」


 そこへ経理官が耐え切れず叫ぶ。

「お嬢さま! 怒りを定量化しましょう! せめて五段階で!」

「禁止です!」

「では三段階!」

「禁止です!」

「では“まあまあ怒ってる”は!」

「それは曖昧語で減点です!」


 作者が頭を抱える。

「誰も正解を引けない……。よし、暫定案採用。全員、語尾に『にゃ』を」

「却下です!」

 観客席からも即座に野次が飛ぶ。

「それはそれで機械的!」

「雑すぎる!」

「でもちょっと聞きたい!」

 作者は一度だけ本気で迷い、赤ペンを噛んで撤回した。


 アルベルトは階段を降り、リリアの一歩手前で止まった。

「私も同じだ」

「同じ?」

「君を前にすると、正しい台詞を探してしまう。自然で、独自で、AIっぽくなくて、なおかつ傷つけない文章。そんなものを探しているうちに、何も言えなくなる」


 アルベルトはそこで、一度だけ綺麗すぎる文を作ってしまう。

「君という光源を失えば、私の未来は陰影を失う」

 完璧だ。滑らかで、無駄がなく、拍手される温度で整っている。

 だからリリアは首を振った。

「いまの、上手すぎますわ」

「……だよな」

 アルベルトは肩を落とし、言い直した。


「私は、君と結婚する勇気より、君に本音を言う勇気のほうが、ずっと足りなかった」


 リリアの扇が、かすかに下がる。

 壁際の採点官たちは、採点表に何を書けばいいのか分からず止まった。

 自然か不自然か、AIっぽいか人間っぽいか。どちらにも寄り切らない、ひどく中途半端な一文だったからだ。


 中途半端。

 でも、それは生きている人間の口からよく出る形だった。


 リリアは小さく笑った。

「殿下、いまのは減点しにくいですわね」

「褒めているのか?」

「たぶん」


 彼女は背筋を伸ばし、会場に向き直る。

「皆さま。わたくしたちは婚約を破棄いたします」


 今度は誰も止めなかった。

 テンプレだ、と叫ぶ声もなかった。

 そこに至るまでが、あまりに遠回りで、あまりにみっともなく、そして少しだけ誠実だったからだ。


 作者はしばらく黙ってから、赤ペンで追記した。


 ・修正方針:「整える」を一部解禁

 ・備考:失敗描写が最終的に感情を生んだ


 舞踏会の音楽が再開する。

 経理官は空白の表を抱えたまま泣き、採点官は採点を諦め、王子と令嬢は別々の方向へ歩き出す。


 別れ際、リリアは振り返らずに言った。

「次に誰かへ気持ちを伝えるときは、うまい文より、遅い本音を選んでくださいまし」


 アルベルトは返事の代わりに、ひとつ息を漏らした。

 それは笑いにもため息にも似ていて、分類不能で、だから少しだけ本物だった。

この作品は、みねバイヤーン(石投げ令嬢フルカラー電子コミック①②発売)様『AI小説のみわけかた』(https://ncode.syosetu.com/n8715mb/)と、あんど もあ様『或る婚約破棄 と AI小説の見分け方』(https://ncode.syosetu.com/n3414mc/)、そしてそれぞれの感想欄から大きな刺激を受けて書きました。


ありがとうございました。

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