repair.9 『歌を忘れた黄金鳥』
新調したミスリルの極細具を収めた革ケースが、作業台の上で出番を待っている。
リエイは朝のルーティンとして、お気に入りの手挽きミルで豆を砕き、香ばしいコーヒーを淹れた。今朝の供は、馴染みのパン屋から届いたばかりの胡桃パンだ。
「……さて、始めるか」
一口パンを齧り、意識を切り替える。
目の前に鎮座するのは、街の有力者が持ち込んできた歴史的遺物『自動演奏の黄金鳥』。かつて失われた王国の至宝とされ、その歌声には戦士の傷ついた精神を癒やす、極めて高度な聖魔法が編み込まれている。
リエイはまず精密鑑定を開始した。
黄金の羽の一枚一枚に刻まれた古の術式を読み解く。内部では、経年劣化により魔力糸が霧散しかけ、回路が「酸欠」の状態にあった。
「これは……想像以上に細い。前の道具だったら、触れた瞬間に崩れていたな」
リエイは新調したばかりの定着式極小糸巻きを手にとった。
親指の先ほどの装置から、視覚では捉えられないほど微細な魔力糸を引き出す。それを、これまた新調した極微魔力修復針の穴に通す。針先に宿した魔力が、糸を導くガイドとなり、黄金鳥の喉の奥へと滑り込んでいった。
ここからは、一呼吸の乱れも許されない「外科手術」だ。
消えかかっている古の魔力経路に、新しい糸を一本ずつ、添えるように繋いでいく。絡まりやすい魔力糸を、糸巻きの斥力機構でコントロールしながら、数百年分の沈黙を解きほぐしていく。
(……そうだ、この道筋だ。王妃を癒やすために作られた、優しくも強固な愛の回路)
作業が佳境に入った頃、表のドアが静かに開いた。
「リエイさーん、差し入れお持ちしました!」
現れたのは、一週間ほど前に魔法鈴を修理した、あのおっとりとした魔導師だった。彼女の手には、紙に包まれた「揚げたてのドーナツ」が握られている。
「ありがとう。ちょうど集中力が切れるところだった」
リエイは一度針を置き、深く息を吐いた。
差し入れのドーナツは、まだ温かい。リエイはそれをそのまま食べるのではなく、小さなフライパンにバターを落とし、表面を軽く焼き直した。さらに、常備している蜂蜜に少しの塩を混ぜた「塩蜂蜜」をたらりとかける。
「ん、悪くない。甘さが引き立つ」
カリッとした食感と塩気の効いた甘みが、酷使した脳に染み渡る。
魔導師の少女ととりとめもない迷宮の噂話を二言三言交わし、彼女が満足げに帰っていった後、リエイは再び作業台に向き合った。
エネルギーは充填された。
最後の仕上げとして、黄金鳥の胸元にある制御石に魔力糸を固定する。
チッ、と小さな歯車が噛み合う音が聞こえた。
次の瞬間、黄金鳥がパタパタと羽を震わせ、その嘴を開く。
作業場に響き渡ったのは、この数百年、誰も耳にすることのなかった清らかな歌声だった。
それは窓の外を流れる風と溶け合い、リエイの心さえも穏やかに洗い流していく。
「……いい声だ。あのお偉いさんも、これを聞けば少しは肩の力が抜けるだろう」
リエイは黄金鳥をそっと撫で、次なる依頼品——時を止めた『星読みの天球儀』に視線を向けた。




