repair.56 『質量なき天秤からの目覚め』
工房の窓から差し込む朝焼けが、徹夜で白濁した四人の騎士たちの横顔を照らした。限界に近い魔力を振り絞り、結界を維持し続けた彼らの身体は、すでに悲鳴を上げている。だが、誰一人として集中を解く者はいない。彼らの視線の先、リエイの指先が、天秤の「核」を優しく包み込むように、最高純度の魔法銀で新たな回路を紡ぎ終えようとしていたからだ。
「……よし、これで因果の質量変換回路は、光と音への放散回路へと繋がった」
リエイは多機能ゴーグルの奥の瞳を細め、最後の一押しとして、氷海石の冷気を帯びた魔力を、極めて微弱に、そして一定の周期で流し込んだ。
キィィィィィィン……!
あの不快な高周波が響く。だが、今回は違う。それは悲鳴ではなく、長年澱んでいた重圧が、一気に解き放たれる歓喜の産声のようだった。
次の瞬間、真鍮の天秤から、目も眩むような黄金色の光が溢れ出した。
その光は結界の内側を埋め尽くし、騎士たちが展開していた青白い光の壁さえも黄金色に染め上げる。天秤を中心に渦巻いていたドロリとした黒い泥のような魔力の奔流が、無数の光の粒子へと姿を変え、工房の天井へと昇華していく。
「質量が……消えていく……?」
聖騎士のリーダーが、信じられないものを見る目で呟いた。作業台を圧迫していた、あの逃げ場のない重圧が、嘘のように霧散していく。
黄金色の光の渦の中で、真鍮の天秤はその姿を変え始めた。左右の皿が融解し、中央の支柱へと吸い込まれていく。真鍮の肌は剥がれ落ち、下から現れたのは、光を透過するほどに澄んだ、水晶のような未知の魔材で構成された、正八面体の「結晶体」だった。
それは、もはや何かを測るための「天秤」ではない。因果そのものを内包し、安寧へと導く、いわば「因果の定着器」とも呼ぶべき、天秤の上位互換にして全く別の存在へと昇華を遂げたのだ。
光が収まり、工房に静寂が戻った。
作業台の上には、静かに浮遊する正八面体の結晶体。その内部では、かつて製作者が繋ぎ止めようとした「魂」が、もはや霧散することなく、黄金色の光の奔流として安定して定着していた。
だが、驚きはそれで終わらなかった。
結晶体の内部から、低く、威厳に満ちた、しかしどこか着難しそうなおじいさんのような声が響いたのだ。
『――ふむ。長く、永い眠りであった。我をこの「重石」から解き放ち、新たな器を与えし者は……、お主か、若きアナリストよ』
リエイと四人の騎士たちは、石化したように硬直した。
「……こと、言葉を……しゃべった……!!」
準聖騎士の女性が、震える声で叫ぶ。伝説級の魔道具でも人語を解するものは極めて稀だ。
リエイはというと、しゃべるだろうなと予見はしていた。
防衛機構に知性めいたものを感じた時点で、魂の定着が成功すれば、その意識が覚醒する可能性は高いと踏んでいたのだ。だが、脳内で再生されていた「鈴を転がすような、かつての愛された者の声」ではなく、頑固一徹を絵に描いたような老人の声だったことに、内心で盛大に落胆していた。
「(……まさか、縛り付けられていた魂の方が、製作者本人だったとはな。……まあ、表情にも言葉にも出さんが)」
リエイは内心の落胆を完璧に押し殺し、ゴーグルを外して結晶体へと視線を向けた。
『我は偉大なる魔道士にして魔道の祖。因果の理を紡ぎし者、アルス・マグナであるぞ。お主、なかなか筋が良い。我が新たな器の調整、褒めて遣わす』
結晶体――アルス・マグナは、偉そうに名乗りを上げた。
四人の騎士たちは、伝説の魔道士の名を聞き、恐縮して膝をつく。
リエイは、そんな彼らを横目に、ふっと微笑んだ。
製作者の想いを踏みにじることなく、最悪の事態を回避し、さらに新たな「命」を誕生させた。それは、冒険者としてダンジョンの奥底へ挑むのとは全く別の、震えるような達成感だった。
「……ようこそ、現代へ、アルス・マグナ。あんたのその『重すぎる愛』の結末、俺がじっくりと鑑定させてもらうよ」
夜明けの光の中で、新たな「厄介な常連」が、リエイの工房に誕生した瞬間だった。




