repair.13 『血塗られた手の叙事詩』
ゾルクスが去った後の静かな作業場で、リエイは預かった二冊の『音読書』を開いた。
修復を始める前に、まずは現状の「歪み」を把握しなければならない。リエイは解析のため、かすれた文字を一字ずつ追っていくことにした。
子供向けの読み聞かせ本だと思っていたその内容は、意外にも骨太な英雄譚だった。
日記形式で綴られていたのは、一人の不器用な英雄と、彼を支え、恋に落ちた聖女、そしてその仲間たちの過酷な冒険の記録。
(……待て、これは)
リエイは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
日記の端々に記された筆致、魔力の癖。それを解析し、導き出された執筆者の名は――ゾルクス・ゾフィード。
今しがた酒臭い体でこの本を置いていった、あの「皆殺しのゾゾ」その人だった。
「嘘だろう……。あの男が、こんなにも慈愛に満ちた物語を?」
人は見かけによらないという言葉では片付けられない衝撃だった。
物語の中で聖女が語る仲間への信頼、そして英雄への真っ直ぐな想い。もし、この本の「声」がその聖女本人のものだとしたら。そして、その聖女が現在の領主の亡き夫人だとしたら。
すべてが繋がってしまった。
領主とゾルクスは、妻であり聖女であった仲間の忘れ形見である娘に、自分たちが共に駆け抜けた「輝かしい記憶」を再び届けようとしているのだ。
「……守秘義務。これは絶対に守秘義務だ。余計な詮索は命に関わる」
リエイは自分に言い聞かせるように呟いた。これを知ったとゾルクスに知られれば、文字通り消されるかもしれない。だが、それ以上にリエイの胸を打ったのは、男が抱え続けてきたであろう、不器用で、あまりに純粋な過去の断片だった。
夜も更け、リエイは作業台を離れた。
高ぶる神経を鎮めるため、彼はマグカップに一指し分のブランデーを注ぎ、そこに琥珀色の塩蜂蜜をたっぷりと溶かした。
一口啜れば、喉を焼くような熱さと蜂蜜の柔らかな甘みが、冷えた指先にまで染み渡っていく。
「……悲しいくらいに、優しい物語じゃないか」
明日からの修理は、ただ回路を繋ぐだけではない。あの男が守りたかった「声」を、一欠片も失わずに取り戻さなければならない。
リエイは窓の外に広がる夜の迷宮都市を眺めながら、明日からの難業に向けて、静かに鋭気を養うのだった。




