repair.12 『皆殺しのゾゾと失われた声』
夕刻、店仕舞いを迷っていたリエイの元へ、一人の男が踏み込んできた。
充満する安酒の匂いと、荒れた身なり。およそ高価な魔道具を扱うようには見えない「冒険者崩れ」の男だ。彼が乱暴に机に置いたのは、布に包まれた二冊の書物だった。
「これを直せ。古代の『音読書』だ。ページをめくれば声が流れるはずなんだが、今はノイズまみれで使い物にならねえ」
リエイは眉をひそめ、その本を鑑定した。上下巻からなるその書物は、かつて王族が幼子の教育や娯楽のために作らせた極上品。到底、目の前の酔いどれが正当に所有できる品ではない。
(……盗品の横流しか?)
リエイの視線に宿った疑念を、男は鼻で笑った。
「そう睨むな。……これを見ろ」
汚れた指先が差し出したのは、新しくはない少し年季の入った封書だが、この地を治める領主の封蝋が押された、紛うことなき本物の依頼状だった。領主からの直々の依頼を、なぜこんな男が。怪しさが消えないリエイに対し、男は自嘲気味に言葉を継いだ。
「俺とここの領主は昔馴染みでな。元パーティ仲間だ。この本も、元はと言えば俺が見つけて、あいつの娘に贈ったもんだ。……ったく、俺の名はゾルクス。ゾルクス・ゾフィードと言えばわかるか?」
リエイの指先が、わずかに止まった。
ゾルクス・ゾフィード。通り名は『皆殺しのゾゾ』。お尋ね者ではないが、戦場や迷宮で敵味方問わず凄惨な結果をもたらすという、忌まわしい噂の絶えない男だ。
だが、リエイは短く息を吐くと、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……噂は所詮、噂だ。俺は修理師。客が誰であれ、壊れた品があるなら向き合うだけさ」
リエイは正式に依頼を請け負うことにした。ゾルクスは修復に必要となる高価な素材と、相場以上の依頼料を作業台に放り出す。
「一週間後だ。一週間後に取りに来る。……娘の誕生日に間に合わせろよ」
男はそれだけ言い残すと、千鳥足で夜の街へと消えていった。
残されたのは、不気味なほど静かな上下巻の音読書。
リエイは極微魔力修復針を手に取り、その「狂った記憶」の回路に触れた。ノイズ、沈黙、そして内容の不一致。それは単なる劣化か、あるいは何者かが意図的に弄った「記録の傷」なのか。
リエイの一週間に及ぶ、孤独な修復作業が始まった。




