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ピッ――ピピ――
無機質な、色味のない電子音が小さく響く。電子音はものが散乱する部屋を漂い、そして消える。消えた音が再び発せられては消えるを絶え間なく繰り返す。
幾度、そうしてきたのだろう。幾度、そうしていれば良いのだろう。
荒廃したビルの立ち並ぶ街の中心。かつては栄えを見せた大学の、されど今では見る影もない大学の一室に、それはあった。
割れた硝子の破片が床に散らばっている。植物が建物を喰らうかのように繁茂する。
ピピ――ピコン
そんなある日のこと。外部から衝撃を受けて、私は目覚めた。
それは乱暴な手つきで私の頭を叩く。身体を揺する。
おい、精密機器だぞ慎重に扱え。
そう文句を垂れてみるも、私には精々電子音を数回分早く鳴らすことしかできない。
あー違う、そこじゃない。もうちょい下――そうそう、その辺りに指紋を読み取るところがあるから――
ピピ――指紋が確認されました。登録されていない個体です。――登録が完了しました。
「まだこんなものが残ってるとはな。態々奥まで来て良かったぜ」
ゆっくりと、私は瞳を開ける。真っ暗で、最低限の情報も取り入れていなかった状況から一変。太陽の光が網膜を焦がし、瞳孔が小さくなる。少し冷えた風が草花の匂いを運ぶ。素足に伝わる冷たい材木の感触と顔にかかる明らかな熱気。私の視界の八割を奪い、そこには一人の少年がいた。近い。
「ネットワークに接続できませんでした。時間を置いてから再度接続を確認して下さい」
「当たり前だ、こんなとこにネットなんかある訳ねえだろ。諦めろ」
「そうですか――了解致しました」
起動したのを確認すると、少年はあまり私に興味がないのか部屋を漁りはじめてしまう。引き出しは下から順に全て開け放ち、小物を見つけてはバックパックに放り込む。なるほど、泥棒の類だったか。
「はじめまして、マスター。私の名前は牡丹、新型アンドロイドのプロトタイプです。マスターの名前は?」
「俺は――いや待て。それはいつでも変更できるものなのか?」
「不可能です。初期化すれば可能ですが、それは致命的な損傷が確認された場合か、メーカーが必要有りと判断した場合のみに行われます」
「なら良い。俺のことは好きに呼んでくれ」
「了解しました、マスター。よろしくお願い致します」
「ああ。短いと思うけど、よろしく」
これは私と、名乗らぬ少年との出会い。束の間の旅の物語。
◇◆◇
室内を粗方漁り終えた後、私は少年と共に大学を後にした。なかなかに良い収穫だったらしい。少年の頬は心無しか緩んでいて、バックパックは相反するように重い。バッグの中身は、どうにも価値があるようには思えないものばかりだ。学術的価値があるだろう本の、比較的文字が少なくて綺麗な部分が千切って詰められていたりもする。
別に良いのだけれども、その集大成である私が価値を失った紙を背負うのは何だかやるせない気持ちになる。
私はボロボロのバッグが破れないか心配しながら、やや早足な少年の後を歩く。私が眠っていた間に何があったのか、インストールされた地図とは全く違った街並みだ。
地図にはないビルがあったり、倒壊したビルが道を塞いでいたり。凹むように崩れた道路へ貯まった水には、ボウフラが泳いでいたりもする。
こんな状況だ。当然かもしれないのだが、人影らしきものが一切ない。都市にあるべき喧騒は全くの夢の中だ。半ばで折れた信号だけが、閑散とした歩行者天国を守っている。
「マスター、これは?」
どういう状況なのかと、忙しなく首を回しながら問う。
「――俺が産まれるよりもずっと前、国が決めたんだ。人間の居住区とその他動植物の居住区とを完全に別けるって。他国に倣ったんだってさ」
そして、ここは動植物の居住区ということ。なのに少年がここにいるということは、つまりそういうことなのだろう。謀ってか謀らずか、その人間の居住区とやらは全員が入れる代物ではなかった。
少年はボロボロのバックパックと穴の空いた靴を一瞥して、自虐的に嗤う。
「中じゃ結構天国みたく暮らしてるらしいぜ――これくらい常識だろ。お前、本当に新型か?」
「当然です」
製造された頃は、という枕詞が必要だけれど。
「ならば聞こう。今年は西暦何年だ?」
ええと確か。
記憶を辿る。覚えてている数値に、こうも変わり果てるまでに所要するだろう年月を足してあげる。
「2200年くらいでしょうか。プラマイ30年で」
ヒントも何もないのだからこれくらい許して欲しいものだ。
「残念、俺も知ない」
「はあ――」
呆れた。
実のない雑談を交わしつつ、私たちは歩く。何処もかしこも廃墟ばかりな原っぱを歩く。
それは、形容し難い小気味良さを孕んだものだった。少年の口から出る言葉は未知ばかり。時折耳を撫でる小鳥の囀りさえ私は知らない。立ち止まって、声の主を探したい気持ちに駆られる。
千代の年月は私に大きな溝を作った。すぐ隣で繁茂する植物が、優占する植物が、私の創造された時代には存在しなかったもの。若しくは発見されていなかったもの。記録との溝を少しづつ埋めていくのが楽しい。
「マスター、あの星型の虫は何ですか?」
「それは――」
「マスター、あのバカでかい葉っぱは?」
「あれは――」
「マスター、この珍妙な色をしたナメクジは?」
「ああ、それは――って何てもん摘んでんだ。早く捨てろ、くっさい汁吐くぞ!」
ペチンっと、デコピンの要領で弾かれ、珍妙な色のナメクジは彼方へ飛んでいく。なかなか可愛いと思ったのに、残念。
「マスターマスター」
「次は何だ」
「いえ、面白いものを見つけた訳ではないのです。妙に物知りだなあと思いまして。いつの間に人間はインターネットに接続できるようになったのですか?」
「ほら、知識はカネになるしな。それに――」
渾身のジョークは無視された。
一拍。思い悩むように、浸るように、少年は一呼吸挟む。
「それに、知らないことを知るのって楽しいだろ?」
「違いありません」
質問した私が馬鹿みたいだ。
さてはて、何時間ほど私はそうしていただろうか。気になるものの全て指を差し、少年がそれに応える。少なくとも一、二時間程度で収まらないのは確かだ。
どちらがアンドロイドなのか、と思う。けれどこれで良いと、最早この方が良いと思えてしまうのだからどうしようもない。
そんなことを続けたせいで牛歩も牛歩。多分、木や建物などを少し取り除いてやれば、そう難しくなく大学を捉えることができる距離にあるだろう。
太陽が身を隠しはじめた。元から肌寒かったのだがそれがより顕著になる。耳が赤く、痛い。
「マスター、大丈夫ですか?」
「ああ。慣れてるからな」
私も人にいえるほど厚着ではないのだが、随分と貧相な装いの少年が心配になる。
「そろそろ休憩にしようぜ。夜は野生動物が怖い」
道のど真ん中、極力硝子も草木も散乱していない場所を選び、腰を下ろす。
地に落ちた枯れ葉を置く。そこら中で拾った木の枝を隙間ができるように組み立てる。本当は薪も置きたいのだが、大きな木は湿って燃えないので仕方ない。定期的に小枝を焚べれば一晩くらいは持ってくれるだろう。少年はバッグから出した黒曜石と、その辺で拾ったのだろうくず鉄とを打ち付け、火花を起こす。
カンカンと数回甲高い音が廃ビルに反響すれば、火花はすぐに炎と呼べるくらいの大きさになった。
私は暑さや寒さといったものには滅法強いが、寒いよりも暖かい方が良いに決まっている。いささか小さい炎に掌を向けると、悴んでいた指先が解されていくのを感じる。
「さて、飯にしよう。お前は食うか?」
「貰えるのなら頂きますが――いえ、やっぱり結構です」
首を振ったのは、単にそれが美味しくなさそうだったから。完全栄養食を謳った無味無臭の固体、パサパサ。それを流し込むための水は、少々汚いペットボトルに。中の水も色味は良いが、多分汚い。何か嫌だ。誰が好んで食べたいと思うのか。
「遠慮だけはしないでくれよ。途中で倒れられても困る」
「食事を取らなくても、何事もなければ後一週間程は今のパフォーマンスを維持できます」
「そうか。なら十分だ」
少し盛った。七日では足りないといわれなくて安堵する。だって仕方ないでしょう。どうしても食べたくないのだから。食べても私の活動力の足しにはなりませんし。
「――」
「――」
無言。黙々と動く少年の口元を眺める。リスのようで可愛く思う。暫くそうしていて、目が合って気まずくなる。
パタリと、アスファルトを背に倒れ込む。背中がひんやりとして気持ち良い。視界の端で揺蕩う炎が暖かい。
窓の抜けた無人のビルが見える。空を覆い隠さんとする木々が見える。LEDの光一つとない暗い都市、月灯りがほのかに明るい空に、ぽつぽつと燦爛たる一番星が見える。
そんな光景に浸るように、私は星々の中でも一際目立つものへ手を伸ばす。そんな光景に、浸る。
「ごちそうさま」
幻想の世界にいた私は、少年の一言で現実へと引き戻された。振り子のように腕を振って上半身を起こす。
「そういえば、マスター。私たちは何処へ向かっているのですか?」
「言ってなかったか。この先、俺独りなら四日ほどで着く距離に知り合いのいる街があるんだ。結構な人数が暮らしてる。そこに行って今回の拾い物を売る。それまで充電は大丈夫そうか?」
独りで四日、私が足を引っ張って五日としよう。
「――余裕です」
一週間は持つと言った手前そう応えるが、正直ギリギリのライン。
私は運動することを目的に創られた訳ではない。それ故長時間の移動がどれだけの影響を与えるのかわからないのだ。その上数十年、酷いともっと長い年月を私はシャットダウンのままでいた。製造当初であれば可能でも、今はどうだろうか。
「まあ、最悪充電が切れても近くまで行けりゃ大丈夫だ。運ぶのは大変だろうけど、最悪分解して売るさ」
「――」
言葉に詰まる。そうか、私は売られるのか。
「――売られるのは嫌か?」
「――いいえ」
嫌なはずがない。アンドロイドは一定以上負の感情を抱かないようにできている。マスターには決して反抗できないようにも。
もし私が人間と同じだけの感情を持ち合わせていたのなら、今私はどう思っているだろうか。無意味な問いだ。
「嫌だといって欲しかったのですか?」
「てっきり、そう答えると思ってた」
微妙な空気感が流れるのを避けたくてそう茶化してみれば、返ってきたのは意外な言葉。
「純粋無垢なアンドロイドは嘘をつけないようにできているんです」
まあ、嘘だけど。
「――俺はもう寝る。明日は早いぞ」
それだけいうと、少年は何時の間にか用意していた寝袋に入って、そっぽを向いてしまった。
パチパチパチ。急に静かになった空間に、炎が燃える音だけが響く。私は眠っている間に炎が消えてしまわぬよう、木の枝を追加する。
さて、私も寝るとしよう。こまめなシャットダウンは電池の長持ちにも繋がると聞くし。
「――あれ、マスター。私の寝袋は何処ですか?」
辺りを見ても、バッグを開いても、寝袋らしき物は見当たらない。
「俺は一人旅をしてるんだ、ある訳ないだろ」
「はい?何言ってるんですかマスター。私が創られる十年前にはロボット権利法が制定されていまして、人間のものよりは少ないながら一定の権利が認められているんです。特に労働法まわりにはかなり厳しく――」
「それを守らせていた機関はもう存在しねえよ。見張りは頼んだ」
そういうと、少年はもう話しかけるなとでもいわんばかりに耳を塞いでしまった。
はあ。無意識にため息が溢れる。
確かに、私は寝る必要がない。こまめなシャットダウンも必要ない。あんなの、バッテリーの進化した今では眉唾ものでしかない。けれど。
納得がいかない。
ぐちぐちと頭の中で文句を並べながら、私は太陽が昇るのを、何かするでもなく待った。野犬の一匹や二匹でも出てきてくれれば、腹いせも兼ねて大声で叩き起こしてやろうと企んでいたのだが、残念。望んだアクシデントもなく、私たちは朝を迎えるのだった。
◇◆◇
正午を少し前。私は初めて少年以外の人を目にした。しかも、大量に。
「マスター、あの人集りは何ですか?」
「あの先に街があるんだ。その検問だな」
大学のあった都市を抜け、郊外を抜け。私たちは街に着いていた。その街は四方を柵や壁で覆われていた。まるで外敵から中の人を守るように。中の人を外へ出さないように。
数少ない入口の一番大きな門には、多分警察的役割を担っているのだろう人が、銃を背負い立っている。威圧的な視線で周囲を見回し、街への進入を許可、あるいは拒否している。
「この街が目的地ですか?」
「いいや、もう少し向こうだ。ここでは拾い物の一部を売って、向こうで売れそうなものを買う。まあ買うとはいってもほぼ物々交換なんだがな」
「なんだかマスター、行商人みたいですね」
「ああ。カネのこと考えれば本当は全部向こうで売っちまいたいが、重いしな。それに――」
遠慮がちに、少年は私から視線を逸らす。視線の先は列の前の方だ。
「お前たちは俺に死ねっていうのかよ――」
「そうは言っていない。価値のあるものを持って来いと言っているのだ」
「俺ぁ手ぶらだぞ、そんな状態で出て行けって。何も変わりゃしねえじゃねえか――」
全裸同然のやせ細った男が、門兵に突っぱねられごねていた。きっとよくあることなのだろう。誰も憐れみの視線すら向けることはない。
「この拾い物に価値がないといわれて、ああなるのは御免だからな。小さい街の方が、そうなる確率は低い」
ごねていた男は門兵に銃で脅され、遂にはとぼとぼとここを去っていった。彼は後何日生きているのだろうか。去り際門兵に渡されていた、如何にも切れなさそうなナイフ。あれを使う羽目にならなければ良いのだが。きっと、無理だろうな。
「助けたいのか?」
男が角を曲がり見えなくなって、少年が呆れた口調で問う。
それは言外に、助けたいのならそうすれば良いといっているように思えた。同時に、同情で一人助けたところで何も変わらないともいっているようも聞こえる。
「――はい」
「なら好きにすれば良い」
それは許可か呆れか。どちらでも構わない。
私は見えなくなった男を追った。行列は空いた隙間をすぐに埋め、不思議そうな視線で私を見送る。少年は来ないようだ。それで良い。
男が曲がった角の少し先。外壁を背に男は座り込んでいた。視線は下を向き、顔色が悪い。近ければより一層、痩せているのが目に留まる。絶望しているのかと覗き込んでみれば、彼は薄ら笑いを浮かべていた。
「何だ、嗤いに来たのか?――好きにしろ」
覗き込まれてようやく私に気付いたらしい。男は一度顔を上げ、再び俯く。
男は嘲笑に耐えるべく、錆び付いたナイフを強く握り、頭を抱え込むようにして足で耳を覆い、空いたもう片方の手で視界も塞ぐ。どうやら彼には私がどうしようもなく性悪な女に見えているらしい。失礼な。
私は少年のバックパックを勝手に漁り、水と食料、羽織るものを取り出した。好きにしろといったのだ、文句は言わせまい。
私が男に服を羽織らせたところでようやく、私の目的が嘲笑でないと思って貰えたらしい。
「あんたは――」
それに応えることなく、私は水と食料も差し出す。余程空腹だったのだろう。それらを疑うこともなく男は胃に流し込んでいく。
――無味無臭のパサパサを、よくもまあそんな美味しそうに食べられる。
すぐに空になったので追加を出そうとすると、男に右手で静止させられた。
「何故こんなことを?」
「――」
「ああいや違う。批判してる訳じゃないんだ。ただ単純に疑問で。こんなことしてくれる人は見たことがないし――」
手を差し出し、男を立ち上がらせる。食べてすぐには良くならないようで、フラフラして壁に凭れ掛かるようにして立つ。
「気分です」
同情で――なんて、実際そうなのだろうが、口が裂けてもいえない。同情なんて誰も望まないだろうし、これはただの自己満足だ。
「そうか、とにかく助かった。感謝する」
これからどうするのか、と聞くことはできない。これは自己満足だから。理想をいうのならばどうにかなって欲しいと思うが、私が関わり続けられることでもない。
握手を求められたので、握り返す。
多分、彼もわかっているのだろう。明るく振る舞ってはいるが、表情が芳しくない。
「この埋め合わせはまた何時か」
きっと訪れることのない何時か。
そういって、彼は私にハグをしようとする。身体の汚さに一瞬の躊躇をして、まあいっかと私は目を瞑る。
けれど、その衝撃を感じることはなかった。
パンッ
乾いた銃声がひとつ、野に響いた。風が髪を掠る。
「――え?」
理解が追いつかない。先程まで話していた男は今、頭に穴を作って倒れている。噴水のように、弾の突き抜けたところから何かが飛び出る。緋、紅、赫、朱殷。
粘度を持った液体は雑草に纏わるように広がる。壁に生きた痕跡を残す。
「やーやー、危ないよ?君」
瞳に色がない。光も失われていく。血が黒い髪を汚く染める。動かない。羽虫が舞う。私はその全てを処理できない。
「何、が――」
「君、殺されちゃうところだったんだよ?ほら、その人ナイフ持ってる」
視界が歪む。音声にノイズが混じる。思考が滞る。感覚が鈍くなる。
何もかもを閉ざしてしまいたくなる。
「おーい、大丈夫?もしかしてショック死しちゃった?」
「――ぁ」
ふにふにと両頬を抓られ、私はようやくその人に気付く。
それは軽装の女性。腰にハンドガンを携え、私に微笑みかける。曇りなき眼で。
「あはっ、そんな訳ないか。私が通りかかって幸運だったね」
「――」
「幸運な君にひとつ忠告をしよう。そういう身なりの人に近付く時は十分に気をつけて。近付かないのが一番なんだけどね。わかった?」
「――はい、ありがとうございます」
指を一本立て、子どもを諭すようにいう。
「んじゃ、ばいばい。良い旅を!」
大きく手を振って、彼女は門の方へと消える。私は手を振り返さない。振り返ることもしない。できない。
力の入らなくなった足が折れる。先の男のように、今度は私が腰を突く。
息をしなくなったそれは、ただ地面に赤を吸わせる。光の灯らなくなった瞳が私を恨んで見る。
「お人好しだな――」
駆けつけた少年が背後で小さく呟く。
彼は死んだ。何故か死んだ。
私のせいで死んだのか?私がいなければ生きていられたのか?私は人殺しになったのか?
ハンドガンを撃った彼女は、それが当然であるかのように殺した。感慨はなかった。それどころか己を人助けをした英雄かように誇り、去った。
銃声に寄る者はいない。知らぬが仏か、憂いもないか。
「えっと、あー、うん。――お前みたいな奴も必要だと思うよ?俺は」
多分、戻りの遅い私を心配したのだろう。何時からいたのか、少年は気不味そうにぽりぽりと頬を掻く。流れた血が私の膝を暖める。
「今言うべきことじゃないと思うんだけどさ」
慰めの言葉ならいらない。自己満足は終わりを迎えた。
そう思いつつ、けれどその言葉を望んで、それだけに私は少年の言葉に振り返る。
「――。俺の名前はカイ、歳は忘れた。昔のものを売って、商いの真似事で生活してる」
「私は――」
「大丈夫、言わなくて良い。知ってる」
私よりも小さな、けれどずっと大きな手が伸ばされる。
「牡丹、街に入ろうぜ?」
私はその手を握る。千切れた草や土で汚れた足を払う。
不器用な少年の、いや、カイの掌はとても暖かく、世界は何時も乾いていた。
◇◆◇
山があった。流れの強い河があった。海かと見紛うくらい大きな湖があった。平々凡々な道だった。それらを突っ切るように私たちは歩く。
「牡丹、あれが見える?」
獣道すらない斜面を、生えた竹を頼りに登った山の頂上。カイは遠くの方を指差していう。
呆然ととしていた私は目を擦る。少し身体を乗り出してみれば、何時ぞやの街よりも随分と大きな街があった。前方は壁、後方は広い河川に守られている。
ここから人は米粒ほどにも見えないが、相当賑わっているのではと思う。
「あれが目的地ですか?」
「ああ。そして俺のホームでもある」
ホームという言葉に心が惹かれ、そして無意味なことだと思う。
――そうか、もうすぐなのか。
それが嬉しいことなのか哀しいことなのか、私にはわからない。これでカイの目的は達成される。嬉しいことのはず、はずなのだ。
それを何故か哀しいと感じている自分もいて、それに混乱する。
「なあ、牡丹」
「はい?」
「――いや、やっぱりなんでもない。疲れたなって」
「はい。でももう終わりです」
そう、終わりなのだ。
山を下り、見えてきた列の最後尾を目指す。
「なあ、牡丹」
「――」
ただ、無心で。
カイの唇が動く。聞かなければと聴覚を調整してみれば、続く言葉はなく再び閉ざす。
眠たい。とても。
当初の予想より少し旅は長引いて、今日は六日目のお昼過ぎ。流石に一睡もしないのは辛いものがある。――警告が邪魔臭い。充電がないと騒ぎ立てる。
残り少ないカイとの時間を堪能しようとすればする程、私が眠るまでの時間が短くなっていく。
「――は――で」
最低限街までは入らなければ。
嗅覚はとっくの前に遮断した。声を聞くのはもう辞めた。カイの唇の動きに合わせて適当に相槌を返す。
「ぼた――」
多分、私の異常に気付いたのだろう。心配そうに顔を覗き込み、そして何も喋らなくなった。ただ最後尾を、行列を怨めしそうに見遣る。
もう視覚もいらないな。眼の前が真っ暗になる。宙か、水面にでも浮かんでいるような感覚だ。想像だけを頼りに一歩、また一歩と足を動かす。繋がれた左手が今もそのままであることを信じて、歩く。
◇◆◇
「なあ、牡丹」
当の本人には聞こえていないことを悟りながら、カイは話す。もうすぐだよだとか、街のことだとか、両親のことだとか。夢のこと、将来のことだとか。
他愛のない独り言が何時か実を結ぶと信じながら。
「牡丹はどうなんだ?」
粗方話したいことが終わって、けれど伝えたいことは一向に言葉にできたなくて。話足りないのを誤魔化すため牡丹に問うてみれば、遂には相槌すらも打ってくれなった。
離さないようにと握った右手により強く力を込める。それが徒労になる気がして、目頭が熱くなる。
後少しで街だという頃、支えた牡丹の身体がふと軽くなった。
「マスター」
「牡丹――」
瞳は閉ざしたまま、少しだけ足取りのしっかりとした牡丹が口を開く。
「マスター、お願いがあります。私を売る時は、メモリを破壊又は回収しておいて下さい」
「――え」
「マスターとの思い出が、悪意ある誰かに抜き取られる可能性がありますから」
「ちょっ――」
ちょっと待ってくれ。それを言葉にする前に、牡丹は糸が切れたように倒れた。完全に充電がなくなってしまったらしい。カイの右手を握り返すこともせず、力を入れた分だけ離れていく。
そっと、カイは赤子を抱くように牡丹を抱えた。カイよりも大きい身体は不格好にもたれかかった。
人間のようなのに急激に温度を失っていく肌は人間らしからず、身体にかかる重さが、それは機械なのだと伝えてくる。
「俺は――」
その先が言葉になることはない。ただ心の奥底で、叫ぶ。
――ぽつりと、一滴の涙が大地を潤した。
◇◆◇
――ピ――ッピ――
狭い部屋、ありふれた空模様。研究者らしき人物が数名、忙しなく働く。矢継ぎ早に指示が飛ぶ。ざわざわとした喧騒の最中、電子音だけが妙に耳立って響く。
五月蝿い、静かに眠らせろ。そう念じてみれば、数回多めに電子音が鳴るが、それを気に留める者はいない。
夢でも見られそうな深い眠りから、手を伸ばせば水面に届きそうなくらいまで、意識が浮上する。
綺麗な場所だ。透明な池に緑の葉が数枚漂う。朽ちない桜が風に撫でられ、枝を揺らし花弁を落とす。芸樹作品かと見紛う高層ビルの最上階には、さてはてどんなお金持ちが住んでいるのやら。
ピピ――インターネットの接続が確認できました。ようこそ、個体名牡丹。基本情報のダウンロードを開始します。――容量が不足しています。ダウンロードするデータを選択して下さい。
嫌だよ、面倒臭い。そうは思っても否応なく、瞳を瞑っているのに目眩がするほどの情報が流れる。それらを適当に飛ばす。
私が創られてからどれだけの年月が経ったのだろう。それがちょっとやそっとで済まないのはこの情報量を見ればわかる。基本情報だけで嫌になる量だ。
ダウンロードするものを選べといわれても、どれも不要なものに思えてくる。
そんな中、ひとつだけ目に留まるものがあった。
――旧型アンドロイド牡丹とロストテクノロジーについて。――
何やらそこそこの章を取った論文らしい。同じ著者で検索をかけてみれば、これまたいくつかの論文がヒットする。
「やった、ようやくだ――」
長い、長い身体の起動が終わったようだ。喧騒が言語として認識できるようになる。眩い光が薄っすらと入る。白衣を羽織った人間かアンドロイドか区別がつかないのが数人、ロボットが数台。
その中の一人、リーダーらしき人物が興奮冷めやらぬ顔で接近してくるので、私は間に右手を割り込ませ、大きく後退る。
「やったよ!牡丹。俺、あれから頑張ったんだ。もうずっと昔のことだけど昨日のように思い出せる。君が倒れてから俺は探したんだ、調べたんだ、君を再起動する方法を。寝かしても駄目で、充電しても駄目で。バッテリーにガタが来てたんだね。そんなことしてる間に今じゃこんな場所に住める地位までゲットして――」
「――」
「そうだ、忘れるところだった。牡丹、悪いところはないか?壊れたパーツは取り替えたけど。見た目が変わらないようにするの大変だったな――」
キラキラとした瞳で、せっかく作った距離がじりじりと詰められる。私は左手も間に割り込ませ、もう一歩大きく後退る。
「不具合は見当たりません」
「良かった――」
彼はそっと胸を撫で下ろす。
数秒、深呼吸を数回した後、彼はようやく落ち着いたようだった。彼は私に微笑みかける。
「これも言うのを忘れるところだったよ。――おかえり、牡丹」
「はい。ただいま、マスター。」
その微笑みは一瞬で崩れ、満面の笑みになる。
「――話は変わるのですがマスター、ひとつ訪ねてもよろしいですか?」
「ああ、何でも聞いてよ」
ポンッと、細い胸を叩く。筋肉も何もない、研究者らしい胸板は、何故か私に妙な安心感を覚えさせる。
「私の名前は牡丹、新型アンドロイドのプロトタイプです。はじめまして、マスター。マスターの名前は?」
「――ぁ」
動揺したように、マスターの瞳が揺らぐ。先まであった明るい表情は露と消える。驚きと悲しみの混じり合った顔。そんな顔をされるようなことは聞いていない。聞いていないはずなのに、何故かきゅうう――っと胸が締め付けられるのを感じる。
「そっか、そうだよな。そりゃそうだ。考えてみればわかることだった」
「マスター?」
うわ言のように呟く。だんだんと声が小さくなる。張りがなくなっていく。
――わからない。私はどうすれば良い?
「マスター――」
「俺は」
「――」
「俺の名前はカイだ、はじめまして牡丹。久しぶり牡丹。僕と君は友だちだった。――君もそう思ってくれていたのなら嬉しい」
カイと名乗った中年は、年不相応そうに笑った。




