コスメ銃
昨日、聴覚と家族の温かみを同時に奪われる「静寂のスープ」を飲み干した俺を待っていたのは、蒼い魔石が不気味に明滅する「銃」だった。
「……リシア。念のために聞くが、それは俺を仕留めるための猟銃か?」
「失礼ね、兄様。これは全女性の朝を救う福音――その名も『コスメ銃』よ!」
リシアが両手で構えているのは、銃身の短い散弾銃のような代物だ。横には各種コスメが装填されたマガジンが備わり、銃口からは「顔面固定用」と書かれた鋭い金属製フックが飛び出している。
「いい? 兄様。女性は一生のうち、合計で数年分もの時間を『化粧』という非効率な作業に費やすの。これを0.1秒に短縮すれば、人類の生産性は劇的に向上するわ!」
「理屈はわかるが、なんで銃の形なんだよ! もっと筆とかパフとか、優しい道具があっただろ!」
「摩擦係数と飛散速度を計算した結果、これが最も効率的な形状だったのよ。さあ、兄様。顔をこっちに向けて。大丈夫、一瞬で終わるから」
「待て! 銃口をこっちに向けるな! それは化粧をする時の目じゃないだろ!」
手に持っている魔道具の所為か、さながら獣を狩る猟師のよう。
リシアは俺の抵抗を無視し、熟練の狙撃兵のような手つきで『コスメ銃』のレバーを引いた。
蒼い魔石が輝きを増し、顔面固定用のフックが俺の顎をガチリとロックする。
「ターゲット・ロック」
「待て待て!」
「……ファンデーション、チーク、アイシャドウ、装填よし。……発射!!」
「まっ……」
『ドガァァァァン!!』
俺の視界が、真っ白な粉塵とピンク色の閃光に包まれた。
「グハッ!?」という、化粧中には絶対出ないはずの悲鳴が俺の口から漏れる。
それは「塗る」などという生易しいものではない。
高圧の空気が、ファンデーションの粒子を俺の毛穴の奥底まで「叩き込む」衝撃だ。
「くっ……目が、目がぁ!?」
「動かないで、兄様! 今から最終工程のアイライナーを射出するわ。これが一番の難関なの。3、2、1……」
「やめろリシア! それ以上は、俺の顔面が物理的に保たな―――!」
『ズドォォォォン!!』
本日二度目の衝撃。だが、先ほどとは違う「嫌な音」が部屋に響いた。
静寂が訪れる。
俺は、顔面に凄まじい熱と衝撃を食らったまま、その場に膝をついた。
「……あ」
リシアが、今日一番の「しまった」という顔で俺を見つめている。
「……おい、リシア。俺の顔は……どうなってる? アイライナー、上手くいったのか? というか、化粧できてるのか?」
リシアは、手に持った『コスメ銃』をいじりながら、そっと目を逸らした。
「……兄様。ええと、その。アイライナーの照準が、兄様の抵抗のせいで、ほんの少し……そう、数センチほど軌道を外したわ」
「数センチ……?」
数センチズレたらそれはもうアイライナーとは言えなくないか?
俺は震える手で鏡を手に取った。
そこには、顔面全体を真っ白な粉に塗り潰され、目元から耳の後ろまで極太の黒い閃光が一本、一直線に引き裂くように描かれた、凄まじい形相の怪人が映っていた。
「リシア。これじゃさ……『戦化粧』だよ」
「ふぶっ」
妹が兄の惨状に噴き出す。
やったのお前なのに……。
「今から俺を、戦場にでも送り付ける気か?」
「ふふ……し、失敗作ね。……アイライナーの衝撃波で、兄様の眉毛も少し飛んでしまったみたいだし。やっぱり、物理的な射出には限界があるのかしら」
「眉毛が…飛んだ…だと? 明日仕事場で笑われちまうじゃねーか!!」
「職場の雰囲気が温まって良いことですわ」
「気まずいだけだわ! もうこの銃は使用禁止だ!」
リシアは「ちっ」と舌打ちをすると、手元のメモ帳に『要改良:顔面の耐久性が不足』と書き込んだ。
「待て、俺の耐久性の問題じゃないだろ? 道具としての安全性を疑え!」
「……次回は、顔面を補強する魔道具から開発することにします。じゃあ兄様、夕飯の買い出しをお願いね。その格好なら、きっと値切り交渉も効率的よ」
「行けるかぁぁぁ!!」
居候気味の妹を追い出す形で買い物に行かせる。
その間、俺はクレンジングオイルを一瓶丸ごと使い切りながら、己の不運を呪うのだった。




